大学の悪弊を絶ちきる「教学IR」の発展を阻む壁

2月1日(金)6時0分 JBpress

日本の大学に急速に普及しつつある「教学IR」。期待通りの成果は上げられるのだろうか?

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(児美川 孝一郎:教育学者、法政大学キャリアデザイン学部教授)

 前回の記事(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55043)では、近年、日本の大学において「IR(Institutional Research)」が急速に普及・浸透しつつあること、それが促されたのは、各大学による自主的な動きの結果というよりは、補助金を含む文科省による政策的誘導の結果であったこと、それゆえに、日本型IRは、経営戦略の策定や財務分析などに活用されるというよりは、「教学IR」を中心に発展しつつあることについて述べた。

 今回は、こうした日本型IRのゆくえについて、それが、はたして今後の大学改革を促進し、期待される成果を上げていくのかどうかについて考えてみたい。


教学IRは何をするのか

 議論を分かりやすくするために、まずは、教学IRとはどんなものか、教学IRにできることは何なのかについて説明しておこう。

 教学IRとは、端的に、学内にある諸々のデータを収集・分析し、その結果を教学の改革や改善のための施策に生かす活動である(施策の実施後に検証を行って、PDCAサイクルを回すことも含む)。実際には、IR分析者は、教学の改革・改善を示すことになる指標(データ)を特定して、それを従属変数(目的)とし、学内にある諸々のデータを独立変数(要因)として、両者の因果関係を探るという作業に従事することになる。

 少々単純化された説明になるが、具体的な例を見てみよう。

 どこの大学でも、現在は、多様な入試経路から入学者を受け入れており、入学者の出身高校のタイプ(学科、所在地、偏差値ランクなど)も多様である。そこで、4年間の成績(累積GPA)が上位となることを目的(従属変数)とし、そこに影響を与えている可能性のある要因(独立変数)として、入試経路や出身高校のタイプの違いを設定して分析を行った結果、ある特定の入試経路や特定のタイプの出身高校からの入学者は、その後の成績が有意に高いという因果関係が確定できたとする。

 とすれば、その分析結果は、特定の入試経路への入学定員の配分を増やすとか、特定のタイプの高校に指定校推薦の枠を増やすといった施策に活用することができる。結果として、学生全体の成績を底上げすることが期待できるというわけである。(もちろん、施策の実施後の検証は必要であるが。)

 いま説明した事例は、例えば、目的(従属変数)はそのままにして、要因(独立変数)としてゼミ所属の有無、アクティブラーニング型授業の受講頻度、正課外教育への参加頻度などを設定して、因果関係を分析することも可能である。(こちらのほうが、直接的に大学教育の改革・改善につながりやすいという意味で、教学IRらしいかもしれない。)

 あるいは、目的(従属変数)を大企業(有名企業)への就職率に代えるといったことも、もちろんできる。(こちらは、今どきの大学にとっては、喉から手が出るほど欲しい分析結果であろうか。)


教学IRは「慣習」を断ち切る

 おそらく、これ以上の説明は要るまい。教学IRの何よりの強みは、数値に基づいて、大学教育のプロセスと結果を「見える化」することなのである。その結果、学内の関係者であれば、誰もが薄々感じていたであろうことに明確な根拠を与えることもあれば、関係者の誰も気づいていなかったような知見が得られることもある。

 ともかくも、従来の大学における教学改革の試みは、慣習に引きずられていたり、ある種のひらめき(悪く言えば、思いつき)に基づいて実行されることが少なくなかった。言ってしまえば、カンとコツに頼ってきたきらいがないとは言えないのである。

 教学IRは、こうした意思決定上の「悪弊」を断ち切り、統計分析というエビデンスに基づいて教学の改革・改善を促していこうとする。その意味で、現在進行中の大学教育改革に対して、新たな切り口を与えてくれる可能性を持つのである。


教学IRの発展にたちはだかる「壁」

 このように説明すると、読者の多くは、結構なことではないか、どの大学もIRに熱心に取り組むべきだと思われるかもしれない。確かに、そうである。大学改革が喧しく展開されている現在、教学IRが持つポテンシャルを過小評価することはできない。

 ただし、である。視点を、大学の側に移してみよう。教学IRの可能性には、多くの大学関係者が気づいている。とすれば、各大学における教学IRは、今後、瞬く間に発展していくのかというと、どうもそうは言い切れないところがある。端的に言えば、日本の大学における教学IRの発展には、いくつもの壁が立ちはだかっているのである。

 1つには、教職員の側の「やらされ感」が拭えない。前回の記事で指摘したように、日本型のIRは、文科省による政策的誘導によって推進されてきた。それゆえ、どこの大学も、「かたち」だけはIRの推進に着手しはじめたが、実際には、少子化のもとでの厳しい大学経営の事情がある。IRのための予算や人員も、十分に確保されていたりはしない。当然、現職の教職員が、これまでの業務も引き受けながら、新たにIRにも取り組まざるをえないことになる。

 ただでさえIR以前の大学改革で疲れきっている教職員に、さらに「本気で」IRに取り組んでいくモチベーションを喚起するのは、実は並大抵のことではないのである。

 2つめには、IRのためのデータの収集は、実はそう簡単なことではない。教学IRの場合、基本的には学生の個人情報にかかわるデータが対象となるため、本人や保護者の同意が必要となることもあり、加えて、IR分析の結果に関して、誰が、どの範囲までアクセスできるのかについてのルールづくりも必要である。

 また、学内には、確かに教学IRに活用できる各種のデータは存在するが、それらは、学務課、入学センター、キャリアセンター、学生センターといった各部署に散在していることが多い。しかも、データの形式も統一されていない。したがって、そうした諸データを丹念に収集し(これには、データを保有する部署との折衝も必要となる)、データ形式を揃えるためにすべてのデータをクリーニングしない限り、IR分析のためのデータセットはできあがらないのである。

 3つめには、IR分析者をどう確保するかという問題もある。IR分析者は、厳密に考えれば、これまでの日本にはなかった「職種」であり、統計分析のスキルさえあれば誰にでも務まる、というわけではない。大学教育の事情にも通じている人材が求められ、時には学内の各部署や教学単位(学部、研究科など)とのやり取りや折衝の能力も必要となってくる。

 予算的な問題もあるので、少なくない大学では、元々の教職員の誰かが、本来業務とは別に、教学IRの分析にも従事していると思われるが、専任のIR専門職が複数存在するようなアメリカの大学と比較すれば、条件整備には雲泥の差がある。

 なお、最近では、若手研究者が任期付き教員という身分で、IR分析のために採用されるケースも目に付くようになった。ただ、彼らが学内のどこに所属し、関連する部署や教学単位とどのように付き合うのか、任期の期限切れにともなって業務に支障が生じないのかなど、現時点では未知数の部分も大きい。


合意という最大の難関

 4つめになるが、最大の障壁になると思われるのが、教学IRを推進するための学内合意をどう取り付けるかである。強力なトップダウン型の意思決定を行っている大学を別とすれば、この問題は、どの大学にとっても難題である。

 当然のことではあるが、IRの分析は、どこの部署や教学単位にとっても好都合な結果だけを出してくれるわけではない。IRは、各部署や各学部のパフォーマンスを比較することも、やろうと思えば、教員間の授業や学生指導の実績を比較することも簡単にできてしまう。そうしたことを嫌う教職員は、けっして少なくない。

 そして、そのことが、部署等への予算配分や個人への評価にも結びつくのではないかといった「想像」が働いてしまうと、大学という組織は、梃子でも動かくなってしまう。事態がこじれると、公然か非公然かは別として、「抵抗勢力」が生まれてしまうことも、ただの杞憂では済まされないのである。

 先にも触れたIR分析の結果へのアクセス権限や公開の原則をどう定めるかを含めて、ていねいな合意形成がなされない限りは、教学IRの推進は、笛吹けど踊らずといった事態になってしまうことも容易に想像されよう。


教学IRは「万能」なのか?

 見てきたような意味で、現時点で黎明期にある日本型IRは、これがそのまま順調な発展を遂げるはずだとは、にわかには考えにくいところが残る。順調な発展のためには、いくつものクリアすべき課題があるのである。

 ただ、そのこととは別に、教学IRが、大学教育改革にとっての「万能」の切り札であるわけではないという点についても、十分に認識しておく必要がある。この点については、次回にじっくりと論じることにしたい。

筆者:児美川 孝一郎

JBpress

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