一転した明石市長の評価、ネット民が賢くなった模様

2月2日(土)6時0分 JBpress

(大倉 隆弘:企業広報コンサルタント)

 ずいぶん潮目が変わってきたなと感じました。ネットの世論形成の話です。

 先日、牛丼チェーン「すき家」で起こったバカッター事件がテレビで取り上げられてちょっとした騒動になりました。アルバイト店員が客のいない店でふざけ合う映像をネットに投稿して炎上した一件です。

 ひと昔前なら、店員の愚行もさることながら、「店員教育がなっとらん」と、すき家を運営する会社が叩かれていたところですが、この事件について多くのネット民は思いのほか公平な目で見ているようです。すき家も過去の労務問題を引き合いに叩かれる一方で、アルバイト店員の愚行の方はもっと激しく叩かれています。店の名誉を傷つけたのだから威力業務妨害で訴えろ、損害賠償を請求せよ、という意見もありました。

 兵庫県の明石市長の暴言騒動でも同じ傾向が見られます。道路拡張のためのビル買収が進んでいないことについて市長が担当職員を呼び付けて暴言を浴びせたというのですが、それは2年も前の話。なぜ今さらそのときの録音を暴露するのかといえば、この4月に市長選を控えているんですね。この市長を落としてやろうという陰謀があったことは想像に難くないところです。そんな思惑通りまんまとメディアが動いて、当初は市長の暴言が批判を浴びました。けれども、大衆も馬鹿ではありませんでした。次第に職員の職務怠慢こそがそもそもの原因なのではないかと多くの人が感じるようになり、この時期に音源を暴露した陰湿なやり方に批判が集まっています。

 最終的に市長は過激な発言の責任をとって辞任ということになりましたが、市長に同情する声は引きも切りません。


ネットでの世論形成に大きな変化

 筆者は企業広報のコンサルティングを生業としています。製造業と流通業で1980年代後半から足かけ四半世紀にわたってメディア対応の任にあたり、紙と電波の時代から、ネットがメディアやオーディエンスに大きな変化をもたらした時期を通じて、時代ごとの最適なメディア広報の仕方を模索して実践してきました。

 その経験から、ここ数年でネットでの世論形成に大きな変化が起こっているのを痛感しています。

 かつては炎上騒ぎがあると、多くのSNSユーザーは流れに乗り遅れては大変とばかりに、無批判にその時の大勢側についてリツイートしたり、そちら側のオピニオンを受け売りしたりしたものでした。

 ところがネット民も成長してきて、そうした「踊らされる」ことが今や恥ずかしいことになってきたようです。

 脊髄反射的に「そうだそうだ」とリアクションしていると、世間から「情弱」のレッテルすら貼られかねない。少しでも「意識高い」ところを見せたい。いろんな人がこの件についてどう言っているのか一通り眺めた後で、旗色の良さそうな方に与しよう──。そういう人が増えたのだと筆者は分析しています。

 たとえば山本一郎さんのようなアルファブロガーのこんな記事(「明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件」)を参考にした人も少なくないのではないでしょうか。

 ネット上で嘘をついたり誇大表現をしたりして人々の関心を惹こうとすることを俗に「釣り」と言いますが、今どき「釣られる」ことほど恥ずかしいことはありません。多くのネット民がこの「釣り」にはたいへん敏感になっています。

 かつて、こうした釣りは愉快犯によるものばかりでしたが、今や一般のメディアまでもが釣りをしてくる時代だと多くの人が捉えているのでしょう。由緒あるメディアの報道であれ、多くのネット民は報道そのものにリアクションする前に、他人のリアクションを参照するようになったのです。伝統的に調和を重んじてきた我が国らしいといえばらしい流れといえるでしょう。


「こちらの言い分」を発信してもよくなった

 ネット民のこうした意識の変化は、企業の不祥事対応にも変化を求めることになるかもしれません。

 かつてなら、不祥事が起きると、企業側に少しでも非がある場合、いくら言い分があってもぐっと堪えてひたすら謝るに限るというのがメディア対応の最善策でした。じっさい最近まで筆者も企業の広報担当者にそういうふうにアドバイスしてきました。非がある場合どころか、非がなかったとしても世間から誤解されている限りは謝ってしまった方が得だったのです。

 実は企業では、世の中への謝罪においても自社の言い分を伝えたくて仕方がない経営者が思いのほかたくさんいます。しかし、その気持ちは理解できるものの、どう申し開きをしたところで一度できてしまった流れを変えることはできません。どんな正論であれ、申し開きをすればするほど「言い訳がましい」と批判され、炎上の火に油を注ぐことにしかならない。謝ったほうが勝ち。どうせ謝っているうちに下火になる。それまで臥薪嘗胆。そんな世の中でした。

 しかし昨今の炎上騒ぎを見る限り、自らに非がない、あるいは非が少ない場合の謝罪においてはやり方を少し変えてもいいように感じています。もちろん従来のように「悪くなくてもひたすら謝る」という態度も、世間の同情を受けるという意味では、今なお有効でしょう。ただ、謝罪の中にもきちんと自分の言い分を含めることで、さらに多くの世論を味方につけることができる。こちらの言い分も理解しようとしてくれる。そんな世の中になりつつあるようです。


絶妙だった明石市長の謝罪会見

 その点、明石市長の謝罪会見は絶妙でした。一連の報道を受けて会見に臨んだ市長でしたが、自らの「暴言」については不適切だったと真摯に反省して自らを処分すると明言する一方、メディアが報じてこなかった事の経緯を事細かに説明する好機になったのです。

 問題となった国道の交差点では死亡事故も起きています。完成予定が半年も過ぎているにもかかわらず職員は地権者に金額の提示すらしておらず、一刻も早くという思いがあったと述べています。

 今やそういう会見もネットで生中継を観ることができます。おかげでメディアもいい加減なことは言えなくなりました。

 この会見を通じて、報道側も一方的に市長を叩くという雰囲気ではなくなりました。少なくとも市長の市民に対する思いをきちんと伝えた上で「そうはいっても、暴言はいかん」といった程度にトーンダウンしています。

 蛇足ですが、すき家のバカッターにしても明石市長の暴言にしても、そもそもこんなことをニュースとして取り上げたメディアの劣化のほどは哀しい限りです。そういう劣化した(実は、もともとその程度なのかもしれない)メディアと対峙していかなければならない広報は、ますますネット民を味方につけてメディアの無責任さに対抗していかなければなりません。

 メディアの方々、もはや世間はあなたがたが思うほど簡単には踊ってくれないようですよ。

筆者:大倉 隆弘

JBpress

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