84歳の今、初めて語る破綻の真相(2)

2月9日(土)6時0分 ダイヤモンドオンライン

標的となった拓銀と私

1997年、北海道拓殖銀行は経営破綻した。

その「最後の頭取」となった著者は、

現在話題となっている日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ

「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。

大手銀行の経営トップで収監された例は、他にない。

バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。

後世に伝えるバブルの教訓をすべて明かす。



バブル真っ盛りの3年間

狂騒ぶりを眺める


【前回から続く】


 振り返れば、約40年に及んだ私の銀行員生活は、戦後の銀行界の歩みと重なります。

 入行は1957年でした。

 その前年に経済企画庁が経済白書で「もはや戦後ではない」とうたい、国民総生産(GNP)が戦前の水準を上回った頃です。

 1958年には1万円札も発行されて、北海道経済も順調に拡大しました。


 60年代から70年代にかけての高度経済成長期は、札幌や東京、横浜を行き来しながら、銀行マンとしての基礎を学びました。

 東京オリンピックや大阪万国博覧会、札幌オリンピックなどのビッグイベントにあわせて、道路や鉄道など多くの社会インフラも整備されていきました。2度の石油ショックもありましたが、日本の社会全体は前向きでした。

「明日は今日よりも生活がよくなる」と信じることができた映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような時代でした。


 実体のともなわないバブルに日本中が踊ったのが、1980年代後半です。個人も企業も、右肩上がりで価格が上がり続ける神話を信じて積極的にカネを借り、モノを買いました。

 株、土地、ゴルフ会員権への投資……空前の「財テクブーム」が生まれたのです。

 日本の土地資産の時価総額はピークには2000兆円を超えて、米国全体の4倍にも達しました。

 日本の1人あたりGDPは米国を抜き、日本型経済モデルが世界で注目されるようになったのも、この頃です。

 バブル真っ盛りの3年間、私は東京駐在の取締役となり、その狂騒ぶりを眺めていました。


地方銀行の約4割が

3期以上連続赤字


 そして、90年代。

 バブルが崩壊すると、日本経済は長い「デフレ」というトンネルに入りました。

 たび重なる政府の景気対策にもかかわらず、景気は低迷が続きました。銀行は、膨らみ続ける不良債権に苦しみ続けることになります。


 2000年代に入ってからの銀行業界は、大規模な再編や統合が相次ぎました。

 かつて「大手21行」と呼ばれていた都市銀行や長期信用銀行、信託銀行は、最終的に4グループへと集約されました。

 かつての名前のままで生き残れた銀行は1行もありません。


 日本経済は現在、日本銀行による異次元緩和政策によって未曽有のカネ余り状態にあります。

 株価や不動産価格も上昇し、「バブル経済の再来ではないか」という声がある一方、長引く低金利が銀行の経営を直撃しています。

 銀行業は低金利で調達した資金を高金利で貸し出し、その利ざやで稼ぐのが本業ですが、利ざやは縮小しており、貸し出しも伸び悩んでいます。

 金融庁の調べでは、地方銀行106行のうち、2018年3月期決算で本業が3期以上連続赤字だった銀行は約4割の40行にもなっています。


 地方銀行は県境を越えた合併や経営統合による規模拡大で、メガバンクは人員削減や支店の統廃合といった構造改革で、ともに生き残りを図ろうとしています。

 これからの銀行はどうなるのか。銀行受難の時代を迎え、不安を抱えながら仕事をしている行員も多いのではないでしょうか。

 バンカーともいう「銀行員」は、経済の血液であるマネーを社会に循環させる、日本の経済インフラを支える大切な職業です。

 この仕事は昔も今も将来も、社会にとって必要不可欠であり、私はこの職業に誇りを持っています。





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