私が考える5人の「A級戦犯」(1)

2月12日(火)6時0分 ダイヤモンドオンライン

標的となった拓銀と私

1997年、北海道拓殖銀行は経営破綻した。

その「最後の頭取」となった著者は、

現在話題となっている日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ

「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。

大手銀行の経営トップで収監された例は、他にない。

バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。

後世に伝えるバブルの教訓をすべて明かす。



私が考える5人の「A級戦犯」


 拓銀破綻から20年が過ぎ、多くの関係者が鬼籍に入りました。

 この「事件」がやっと「歴史」になるなかで、次第に私なりの考えを記しておきたいと考えるようになりました。

 なぜ拓銀は破綻してしまったのか。その責任は一体、誰にあったのか。

 第二次大戦後、連合国軍は大戦における日本の指導者たちを「戦争犯罪人」として裁きました。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判です。


 その公平性を巡っては、今も「勝者の裁き」との批判もありますが、国民に「あの戦争とは何だったのか」を納得してもらうために必要なプロセスだったと思います。

 これと同じように、「拓銀破綻とは何だったのか」を多くの人に知ってもらいたい。

 仮に、私が東京裁判の裁判長のような立場になれるのならば、“拓銀破綻のA級戦犯”として挙げるのは、次の5人になります。


出世すればするほど変わる人と

出世しても変わらない人がいる


 1人目は、山内宏元会長(故人・取締役の就任時期は、1977年12月〜95年6月)です。

 彼は“不作為の罪”です。

 頭取時代、不良債権の膨張を防ぐ手立てを何もしなかった。

 公判以降は、まったく連絡も取り合っていませんでした。

 私が仮釈放された約4ヵ月後、亡くなったことを新聞記事で知りました。

 彼は私と同じく懲役2年6ヵ月の有罪判決を受けながら、健康状態が考慮されて刑の執行停止になっていました。

 彼の死を知った時、私は「死の床についているよりは、刑務所暮らしのほうが天国だった」と思いました。


 2人目は、佐藤安彦元副頭取(1981年6月〜93年6月)です。

 彼は前述した通り、のちに巨額の不良債権を生むインキュベーター路線の80年代の推進役でした。

 私から見れば自分の意見に沿うものだけを優遇し、反抗するものを左遷する不公正な人事を行ったと思います。

 その結果、行内では物言えぬ空気が広がり、融資のチェック機能の形骸化を招きました。

 佐藤氏は若い頃は部下の扱い方にも情があって、侠気があるよい上司でした。

 ところが、昇格するにつれて性格が変わっていきました。

 組織には出世すればするほど変わる人と、出世しても変わらない人がいます。

 佐藤氏は前者の典型でした。

 のちには顔つきまで変わってしまい、人間というのはこんなに変わるものか、怖いものだと感じたほどでした。


(次回へ続く)

ダイヤモンドオンライン

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