500年前は「豚にふさわしい味」と酷評された…チョコレートが「甘くておいしい食べ物」になるまでの紆余曲折
2025年2月13日(木)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dmitr1ch
※本稿は、市川歩美『味わい深くてためになる 教養としてのチョコレート』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
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■カカオのルーツは5300年前の南米
カカオ5300年の歴史——。ここまで長い歴史があることがわかったのは2018年と、つい最近のことです。それまでは、カカオと人類の関わりは4000年ほどだとされていました。そして、人類がカカオを味わいはじめたのは、メソアメリカ(メキシコの一部、ホンジュラス、ベリーズ、グアテマラ周辺)だった、といわれていたのです。
しかし、その定説を覆す大発見がありました。世界中のチョコレート関係者がびっくり! もちろん私もびっくり!
2018年に、カナダとアメリカの専門家を中心とする研究チームが、エクアドル南東部のサンタ・アナ・ラ・フロリダ遺跡で、紀元前3300年頃に作られた、カカオが入った飲み物用の器を発見したのです。これによって、カカオと人類の歴史は、およそ1300年も長くなりました。
しかも新たに、カカオのルーツは中米ではなく南米だったことがわかりました。歴史が書き換えられたのです。
カカオと人類の付き合いは長く、今後も新たな研究や発見によって、その歴史はさらに遡る可能性があります。
■カカオは特別で高価なものだった
カカオのルーツについては諸説ありますが、一般的には南米のアマゾン川上流とされています。カカオの故郷は南米であり、人類がカカオを食用目的で利用しはじめたのもエクアドルであったことが確認されています。
その後、カカオは南米から中南米へと伝わっていき、メキシコで作物として栽培されるようになりました。
古代メキシコとカカオには、深い関わりがあります。メキシコ湾岸地域ではオルメカ文明、ユカタン半島ではマヤ文明、そして内陸部ではアステカ文明が栄えました。いずれも高度な古代文明です。
これらの文明において、カカオは非常に貴重な存在でした。今でこそチョコレートは私たちの日常的なおやつとなっていますが、もし私たちが当時のメキシコに生まれていたら、気軽に楽しむなんてとんでもない! カカオを口にできたのは、王族や特権階級の人々だけでした。
また、神聖なものとされていたため、神々への捧げ物としても使われていました。カカオは特別で高価なものだったので、一般の人々がカカオを味わう機会はなかったのです。
■七面鳥はカカオ豆200粒と交換できた
カカオの価値を物語る象徴的なエピソードがあります。それは、カカオ豆自体が貨幣として使われていたことです。
マヤ文明やアステカ文明では、カカオ豆そのものがお金でした。カカオ豆は食材だけではなく、物々交換や支払いのための手段でもあったのです。
カカオ豆がお金——。ここでイメージしてみてください。現代に置き換えれば、お財布の中に誰もがカカオ豆を入れていて、レジで「全部でカカオ豆何粒です」と言われ、店員さんにカカオ豆を手渡すようなものです。
そんなお金になるものを、毎日すりつぶして飲む人がいたらギョッとすると思いますが、かつての王様は、実際にカカオ豆を飲み物にして毎日飲んでいたと伝えられています。貨幣でありながら、それを味わえるという贅沢さが、彼らの特別な地位を物語っています。
貨幣としてのカカオの価値については、1545年頃の記録によると、
熟れたアボカド1個 = カカオ豆1粒
七面鳥の卵1個 = カカオ豆3粒
野兎(のうさぎ) = カカオ豆100粒
雄の七面鳥 = カカオ豆200粒
とされています。当時の食生活も、垣間見えますね。
カカオ豆が貨幣になった理由は、硬くて割れにくく、扱いやすかったからでもあるようです。現代の私たちは、かつて貨幣だったカカオを日常的に味わえるのですから、まるで古代の王様のようですね。
写真=iStock.com/WS Studio
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■コロンブスは初めてカカオ豆と出合った欧州人
カカオは南米から中南米のメキシコで育っていたのに、どうして海を越えてヨーロッパに渡り、チョコレートになったのでしょうか?
ここでは、そんな疑問にお答えします。
カカオがヨーロッパに渡ったのは、今から約500年前のこと。1521年にスペイン人の征服者、エルナン・コルテスがメキシコシティにあったアステカ帝国を征服したのち、カカオはスペインへと運ばれていったのです。
さて、エルナン・コルテスについてお話しする前に、ここで大航海時代の有名な探検家、あのクリストファー・コロンブスにまつわる話をしましょう。
クリストファー・コロンブスとカカオには、じつは意外な関係性があります。彼は、ヨーロッパ人で初めてカカオ豆に出合った人物とされているのです。
ときは1502年、スペイン人がアステカ帝国を征服する前のこと。コロンブスは、4回目(最後)の航海に出たときに、ホンジュラス沖のグアナハ島で、マヤ人が乗った大きな交易船に遭遇しました。
船には、根菜やトウモロコシ、そして「アーモンド」と当時は考えられていたものが積まれていました。
このときのことを、コロンブスの息子のフェルナンドは『提督クリストバル・コロンブスの歴史』のなかで、こう書いています。
(船の中には)根菜類や穀物、トウモロコシ、たくさんのアーモンドがあった。アーモンドは、非常に高価なものらしかった。こぼれ落ちると、人々はまるで目玉でも落としたかのように、大慌てでしゃがんで拾っていた。
じつはこの「アーモンド」こそが、カカオ豆だったのです。
■カカオをヨーロッパに持ち帰った人物
しかし、コロンブス自身はこの「アーモンド(カカオ豆)」にはあまり関心を持たず、それ以上深く掘り下げることはありませんでした。
それもそのはず、彼にとって重要だったのは、新航路を開拓し、インドへ到達することだったからです。結果的に、コロンブスによってカカオがヨーロッパにもたらされることはなく、ヨーロッパでカカオが広まるのは、もう少しあと。スペイン人による、アステカ帝国征服後のことになります。
イタリア人のコロンブスがカカオ豆を見かけてから17年後、今度はスペイン人の征服者エルナン・コルテスが、メキシコでカカオと出会うことになります。
1519年、スペイン国王の命を受けて新たな領土の征服に向かったコルテスは、海を渡り、現在のメキシコに到着しました。彼の目的は、スペインの勢力を広げること。コルテスは、湖の上に建設された美しい都市、アステカ帝国の首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)にたどり着きます。
そこで、アステカ帝国の皇帝モクテスマ2世と面会したコルテスは、ヨーロッパ人で初めて、カカオから作られた飲み物「ショコアトル」を味わったとされています。おそらくそのときの感想は「うわっ、美味しくない……」だったかもしれませんが、それはさておき、彼はカカオがいかにこの地で大切にされているかを目の当たりにしました。
味はともかく、アステカの皇帝が健康のために愛飲していたカカオを知り、コルテスはその価値を見抜きます。そして1521年、アステカ帝国を征服し支配下に置いたスペインは、貢物としてカカオを受け取るようになりました。これがきっかけとなって、スペイン人はカカオ豆を母国へ持ち帰ることとなります。
■チョコレートドリンクの原型は「豚にふさわしい飲み物」
先ほど「うわっ、美味しくない……」などと思わず書いてしまいましたが、その理由は、当時のショコアトルの味は、極めて独特だったからです。
市川歩美『味わい深くてためになる 教養としてのチョコレート』(三笠書房)
その証拠に、当時メキシコに滞在していたイタリアの探検家ジローラモ・ベンゾーニはこう記しています。
「人類よりは、豚にふさわしい飲み物のように思える」
かなり表現が強めですよね(笑)。
当時のショコアトルは、カカオに唐辛子やトウモロコシを混ぜてすりつぶし、水を加えただけのドロッとした飲み物でした。
そのドロッとした苦い味が口に合わず、スペイン人は「どうにかせねば……」と考えたのでしょう。この飲み物にハチミツや砂糖を加えました。
素晴らしいレシピの誕生です。これこそが、現在私たちが知る、甘くて美味しいチョコレートドリンクのルーツなのです。
ショコアトルは、コルテスやキリスト教の修道士らによってスペインに伝わり、貴族階級の人々を魅了しました。
貴族たちがどれほど魅了されたかといえば、スペイン国王フェリペ2世がポルトガルを併合したときに、ポルトガル宮廷に「宮廷ココア担当官」(チョコラティロ)を設けたほどです。ココアへの本気度が違いますね。
そしてその後、エキゾチックで健康にもよいとされるチョコレートドリンクはスペインで大切に守られ、約100年もの間、国外に持ち出されることはありませんでした。
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市川 歩美(いちかわ・あゆみ)
チョコレートジャーナリスト
大学卒業後、民間放送局に入社し、長年ラジオディレクターとして多数の番組企画・制作を行う。5歳頃から筋金入りのチョコレート好き。90年代にフランス・パリのチョコレートの美味しさに衝撃を受け、本格的なチョコレート愛好家となる。放送局の仕事を離れた後、メディアや企業のオファーをきっかけにチョコレート関連のコーディネーター、ジャーナリストとしての活動をスタート。現在は、日本唯一のプロのチョコレートを主なテーマに掲げるジャーナリスト・コーディネーターとして各種メディアに情報を発信。チョコレートのトレンドと情報の源流を作っている。チョコレート関連イベントへの出演、記事の監修、商品企画、コンサルティングなどチョコレートに関連する幅広い分野で活動中。著書に『チョコレートと日本人』(早川書房)がある。
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(チョコレートジャーナリスト 市川 歩美)