10年間ヘロイン常習者だった男が最後に遺した言葉

2月14日(金)9時15分 プレジデント社

画像=『「その日」の前に Right,before I die』

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死を前に人は何を思うのか。米国の写真家アンドルー・ジョージ氏は、終末ケアを受ける20人に話を聞いた。インタビュー写真集『「その日」の前に Right,before I die』から、10年間ヘロイン常習者だったという男性のエピソードを紹介しよう——。

※本稿は、アンドルー・ジョージ著、鈴木晶訳『「その日」の前に Right,before I die』(ONDORI‐BOOKS)の一部を再編集したものです。


■自殺するために、銃と遺書を用意していた



Michael(マイケル)

おれは満足し、平和で、落ち着いている。

おれは胸をはって、何も身につけず、この地上から出て行き、昔やってきたのと同じ道を行くんだ。

画像=『「その日」の前に Right,before I die』

おれは10年間、ヘロイン常習者で、毎日4、5回は打っていた。


夢をみているような、気が触れているような生活だった。


三度、結婚した。請求書の支払いもできず、友人たちには見放され、


自殺するしかないと思った。銃は持っていた。遺書も書いた。


家族が帰ってきたら、死んでいるおれとその手紙を発見したことだろう。



■「親父はけっしておれを見放さなかった」


おれは7人兄弟のひとりで、覚えている限り、いつでも親父にくっついていた。


親父が畑でトラクターを運転するときも、造園の仕事をするときも、種苗場で働くときも、親父のそばにいた。親父はおれを可愛がってくれ、おれはいつも親父べったりだった。


大きくなってからだが、トラブルに巻き込まれたとき、親父がやってきて、助け出してくれた。文字通り、ずかずかとやってきて、おれを引っ張り出してくれた。さんざん言われた。「お前はよい子なのに、どうしてこんな馬鹿なことをするんだ。目を覚ませ。酒やドラッグに溺れていないで、ちゃんと仕事しろ。まともな人間はごろごろ寝ていたり、酒やドラッグに浸っていたりしないで、まじめに仕事をするもんだ」。


親父は毎朝6時におれの家にやってきて、おれを叩き起こし、言った。


「さあ、仕事に行くぞ。家族を養わなくちゃ」。


親父はけっしておれを見放さなかった。


「おまえは役立たずだ」とか「どうせろくなもんにはならない」とは、いっさい言わなかった。


親父が励ましてくれなかったら、おれはとっくに死んでいただろうよ。


親父はおれの救い主だ。いつも口調は厳しかったが、そこには愛情がこもっていた。


厳しい言葉を聞きながら、おれは厳しさではなく、愛情を感じとった。


おれに対する親父の愛情を感じた。親父は心からおれのことを心配してくれ、どうしたらいいかをつねに考えてくれた。


■強く厳しく、愛情あふれる楽天家の父


親父は幸福で、幸運で、根っからの楽天家だった。


そばにいると、きっといいことが起きるに違いないと思えるのだった。


親父といっしょにレストランで食事をしているとき、すっかり落ちぶれた知り合いが通りかかるのを見ると、親父は外に出て行って、その人をレストランに引っ張って来るのだった。「さあ来いよ。いっしょに食べよう」と言って、ステーキ・ディナーとか、なんでも相手の食べたい物をご馳走するのだった。


とにかく親父はそういう性格だった。困っている人を見ると、黙っていることができず、いつでも助けの手を出すんだ。


おれは親父のそういうところを心から尊敬していた。


一方では強く厳しい人間だったが、その一方で、困っている人にはすぐに同情する、愛情溢れる人物だった。


おれ自身にはそういうところが欠けている。



■娘たちが泣くのを見ているのは辛かった


最近まで、おれは後悔に責め苛まれていた。


おれの死が近いと知って、娘たちはさんざん泣いた。それを見ているのは辛かった。


もう泣かないでほしかった。安らかにおれを看取ってほしかった。


でも、どこの病院に行っても悪い知らせばかりで、誰もおれたち家族のことをいたわってくれなかったし、慰めたり、元気づけたりしてくれなかった。


言葉ひとつかけてくれなかった。この病院に来てはじめて、穏やかな気持ちになれた。


おれがあちらの世界に行くときになっても、妻や子供たちは穏やかに見送ってくれるだろう。そのことはたがいに了解している。それで、おれはすごく楽になった。


重荷を下ろしたみたいにね。もう心配はない。家族は静かにおれを看取ってくれるはずだ。おれにはそれがとてもありがたい。


■夢にも思っていなかった「180度違う人生」


人生のある時点に戻れるとしたら、メキシコの伝道農場で働いていた頃に戻りたい。


最初はまずあそこの人々に服や食料を運んでいった。


あれほどの貧しさはそれまで見たことがなかった。エンセナーダの郊外のある場所の住民たちは空き缶を集め、それを売って食べ物を買うんだ。


小さな小屋に住んでいて、蝿だらけで、体じゅう黒い汚物にまみれていた。


誰もが煙で真っ黒になって、体中に蝿がたかっていたから、誰が誰だかわからなかった。


物資を運んで、トラックから降ろすと、彼らはおれたちが立ち去るのをいつまでも待っていた。おれが「遠慮しないで、持っていってください」と言っても、小さな声で「いえ、いえ、どうぞ帰って下さい」と答えるのだった。それまでの人たちは物資をただ置いていっただけだった。彼らの家を訪ね、いっしょに神に祈り、神の愛を分かち合うなんてことはせずに。人々はそういうのに慣れていたんだ。二度目に行ったときは、小屋に招いてくれた。いっしょに床にひざまずいて、神に祈った。どうかこの人たちをこの環境から連れ出して下さい、ここは人間の住むところではありません、と。



その後、おれはその村の38人に洗礼をほどこすことができた。


彼らは家と仕事を手に入れ、あの泥沼から出て行った。


どんな人の心にも希望がある。彼らにもその希望が見えるようになったんだ。


大勢がアメリカやメキシコに出て行き、家を建て、生計を立てた。


おれはそれまでとは180度違うまったく異なる人生を生きるようになった。


まさかそんなことになるとは夢にも思っていなかったよ。



■「自分が何をもっているか」なんてどうでもいい




アンドルー・ジョージ著、鈴木晶訳『「その日」の前に Right,before I die』(ONDORI‐BOOKS)

メキシコでの生活はおれの人生を変えた。おれにはそれが必要だったんだ。


大事なのは、自分が何をもっているか、とか、自分には何が必要か、といったことじゃない。もらうよりもあげるほうがいい。


おれはつねにそう思ってきた。自分がもっていて、他人がもっていないものを、その人にあげる。たとえちょっとしたものでも。


そうしたら、そのひとに感動を与えることができるだろう。


どんなことでも、誰かひとりから始まるのさ。


いまでもよく覚えている。小さな子どもが、何日間もパンと砂糖しか食べていない幼い妹や弟に何か食べさせていた。ズボンは穴だらけで、靴も靴下もはいていない。そんな子供たちを、ただそばで見ていることはできなかった。



伝道農場は4つできた。


物資を届けることから始めて、10年間、2週間に一度、物資を届けた。トラックを運転していき、彼らが欲しかった物、必要な物がちゃんと彼らの手に渡るかどうか、自分の目で確かめた。おれにとっては素晴らしい日々だった。


世界の表と裏を見ることができて、感謝しているが、おれ自身は表のほうがいいな。


■妻は「真の愛」を教えてくれた


妻のロリーのことは心から愛している。真の愛だと言い切れる。


結婚して47年になるが、真の愛とはどんなものかを、妻は教えてくれた。


最初の頃だけではなく、その後も、またおれの死が近づいた最近になっても、妻はずっとその優しい手と、心と、言葉で、おれを愛してくれた。


妻はおれのことを一度も見放さなかった。明日も明後日も、妻はおれを愛してくれる。


ありのままの自分を愛してくれ、結婚以上のものを期待せず、望みもしない、おれにはそんな人がいるってことは、本当にありがたいことだ。


結婚したとき、彼女は自分がどういう人間と結婚するのかをちゃんとわかっていた。


おれが新しい生活を始められたのは、彼女のおかげだ。


おれの人生でいちばん大事な人だ。



おれは造園の仕事をしてきた。


地面を触ったり、泥で何かを作ったりしていると、神になったような気分だった。


お客さんはいつも、「庭を生き返らせてくれて、ありがとう」と言ってくれた。


そういう言葉はいつでも嬉しかった。



おれは満足し、平和で、落ち着いている。不安も恐怖もない。ただ、興奮している。


何かが泡みたいに湧きあがってくる。結婚する直前みたいな感じだ。


長年にわたってまいてきた種子を、いま収穫しているんだ。愛の種子。



メキシコにいた10年間で、伝道農場を8カ所建てた。


自分よりも不幸な人たちを助ける、それがおれの人生の目標だった。


いい闘いだった。やるべきことはなしとげた。やましいことは何ひとつない。


おれは胸をはって、何も身につけず、この地上から出て行き、昔やってきたのと同じ道を行くんだ。



■「生きていても仕方がないと思っていた」



Michael’s letter

マイケルの手紙


天にまします父なる神に心から感謝している。

40年前、神は私の人生を死から生へと変えてくださった。

私は自殺しようと思っていた。生きていても仕方がないと思っていた。

30年前、私はほとんど終わっていた。

でもイエス・キリストが私の心にやってきて、私は闇の世界から天国の光へと変えられた。私は生きている神のために40年間、アメリカ各地で働いた。

10年間はメキシコの伝道農場で働いた。刑務所でも説教をし、海外にも行き、家族を養うために必死に働いた。

おれの余命はわずからしい。肝臓も腎臓も悪いし、A型肝炎、B型肝炎も、C型肝炎も抱え、糖尿病をはじめ、他にいくつもの病気を抱えている。

みんなが希望と信仰を失わないように、このドアは開けたままにしている。

私はいつもこう言ってきた—神は最良の物を最後までとっておいてくれる、と。

この聖十字架病院は私にとっても家族にとっても最高の場所だった。

神のおかげで、医師、看護師、スタッフ、清掃係、彼らすべてが私の入院生活をまるで天国のようなものにしてくれた。

退院して家族のもとに戻れることになっているが、私はじきにイエス様に会うことになるだろう。

このメッセージに出てきたすべての人に神様のご加護がありますように。

おかげで私はすっかり準備ができている。

すべての人に神のご加護を。

マイケル・R・ゴメス博士

画像=『「その日」の前に Right,before I die』

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アンドルー・ジョージ
フォトジャーナリスト

アメリカ・ロサンゼルス州在住のフォトジャーナリスト。2011年THE WORLDWIDE GALA PHOTOGRAPHY AWARDSなどのタイトルを受賞。The Haffington Post、CBS Newsといったメディアで多数紹介される。彼が他に手がけたプロジェクトは「Secondhand Nature」、「Light Leaks」、「Everything Reminds Me of Everything」など。世界20カ国以上での展覧会を開催している。

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(フォトジャーナリスト アンドルー・ジョージ)

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