「フジ会見」をおもちゃにしたクレーマー記者でお台場はすっかり焼野原に…フジは普通のテレビ局になれるのか

2025年2月15日(土)17時15分 プレジデント社

撮影=石塚雅人

■百家争鳴の「フジテレビ事件」


元タレントの中居正広(文中敬称略)による女性とのトラブルに端を発して大炎上した「フジテレビ事件」(ネット上では「フジテレビ不適切接待疑惑問題」と表記されているが、あえて「事件」と記したい)は、メディア界全体を巻き込んだ一大問題に発展した。


撮影=石塚雅人

芸能界とメディアという注目を浴びやすい舞台で、中居正広、フジテレビ、週刊文春……と著名な役者がそろい、トルブルと称する性接待、9000万円示談話、女子アナ上納疑惑、中居芸能界引退、スポンサーのCM撤退、フジテレビ社長・会長辞任、週刊文春の第一報誤報、10時間超のやり直し記者会見、「日枝天皇」の経営責任追及……と、びっくりストーリーが次々に演じられ、否応なく世間の耳目を集めることとなった。


ドラマは今なお進行中で、どのようなエンディングになるかは見通せず、観客は当分、目が離せそうにない。


そこでは、「文春砲」などにより表面化した接待疑惑やフジテレビが内包するガバナンス不信など、さまざまな論点が浮上。新聞・テレビの既存メディア、あまたのネットメディア、各界の識者から自称ジャーナリストまで、さまざまな角度から発する多種多様な見解や解説、主張、自説が入り乱れ、さらには観客までSNSなどで口々に意見や感想を発信し、まさに「百家争鳴」。「一億総評論家」のお祭り騒ぎになっている。


■最重要テーマはフジテレビの企業風土と今後


ヒートアップする一方の「フジテレビ事件」だが、少し冷静になって整理してみたい。


あらためて多岐にわたる論点を整理してみると、


①発端となった中居正広のトラブルの事実関係
②フジテレビのトラブル把握後の対応の妥当性
③フジテレビの記者会見の失態
④フジテレビ経営陣の責任
⑤フジテレビの日枝取締役相談役の動向
⑥フジテレビのガバナンスの実情
⑦スポンサーへの対応
⑧放送界への影響
⑨監督官庁の総務省との距離感
⑩信頼回復のための方策

などが挙げられる。


それぞれの論点について、すでに多くの記事や解説が展開されているので、本稿では、もっとも重要なテーマであるフジテレビの企業風土と今後のありようについて考えてみたい。


■見解が分かれる「ガバナンス不全」


まず、留意しておきたいのは、フジテレビは、現時点では刑法はもちろん放送法や会社法など法的問題を犯してはいないということだ。つまり、社会秩序を乱すような犯罪性はなく、あくまで道義的責任や社会的責任が問われているのである。


次に、「ガバナンス」というキーワードだが、安易な活用には注意を要する。一般には企業統治と解されているが、山田健太・専修大教授は「ガバナンスにコンプライアンス、いずれも典型的な『つるつる言葉』だ。……プラスチックワードとも称され、わかった気になるけども中身はよくわからない用語を指す」と指摘している(2月2日付東京新聞)。つまり、使う人によって意味合いが異なり、それぞれに都合のいいように使われかねないリスクをはらんでいる。


そのうえで、「フジテレビ事件」を俯瞰すると、メディア企業としての危機管理がお粗末だったことは間違いないが、ガバナンスが機能していないかどうかは見解が分かれるところだろう。


経営陣の女性に対する人権意識が低いという指摘はそのとおりで、中居の女性トラブル情報の共有を社長以下の一部にとどめたり、情報把握後も中居を番組に起用し続けたり、あげくに中途半端な記者会見を開いたことは非難されても仕方がない。だが、それをもって「ガバナンス不全」と言い切ってしまうには、いささか躊躇せざるを得ない。


フジテレビも、親会社のフジ・メディア・ホ−ルディングスも、統括するフジサンケイグループも、企業経営という面からは健全に運営していると言いたいに違いない。


撮影=石塚雅人

■「日枝王国」で培養された企業風土


そして、もっとも重要なポイントは、フジテレビが社会的信用を回復するためには、どのような景色になれば世間に受容されるのかという問題である。


だれにでもわかりやすい明快な方策は、経営陣や幹部の大刷新という人事にほかならない。


焦点となっている日枝久・取締役相談役は、女性トラブルに関しては耳に入っておらず「なんで自分が責められなければならない」と感じているかもしれないし、「自分がいなければフジテレビを立て直せない」とも強く念じているかもしれない。


だが、40年近くにわたってフジテレビに君臨して「日枝王国」を築き、現在の企業風土を形づくった本家本元であることは、だれもが認めるところだ。いみじくも、遠藤龍之介副会長は「影響力があることは間違いない」と吐露した。


「フジテレビ事件」の本質は、「日枝王国」で培養された企業風土そのものにあると言っていい。


先ごろ亡くなった読売新聞グループの渡邉恒雄主筆のように、長期にわたってメディア企業の実権を握ってきた事例は枚挙に暇がない。だから、長期政権そのものが一概に「諸悪の根源」とは言えない。


だが、日本中が注視する社会問題にまで発展してしまったフジテレビの新生には、「日枝久という傑物がいなくなった姿」が必須にならざるを得ないのではないか。


■「鹿内帝国」と「日枝王国」で刻まれた60余年


「『日枝天皇』のいないフジテレビ」のありようを考えるうえで、フジテレビの歴史を簡単に振り返ってみる。


開局は1959年、在京キー局としては4局目だった。財界主導での設立だったこともあり、当初は「財界のためのマスコミ」ともいわれた。当初は混乱があったものの、ほどなくして日本経営者団体連盟(日経連)の専務理事から転身した鹿内信隆氏が社長に就任して全権を把握、長男の春夫、娘婿の宏明と続く鹿内ファミリーによる「専制支配」と呼ばれる時代が約30年も続いた。


88年に春夫会長が急死すると、生え抜きの50歳の若き日枝久社長が誕生。92年に宏明会長が追放(日枝クーデターとも言われる)され、「鹿内帝国」は名実ともに終止符が打たれた。


日枝社長は13年間にわたってトップの座を占め、2001年に会長に就任。03年にはフジサンケイグループの代表にもなった。08年の認定放送持株会社フジ・メディア・ホールディングスに移行後も会長職にとどまり続け、「日枝王国」は着々と拡大していった。17年にようやく取締役相談役に退いたが、「日枝天皇」として実権を握ったまま30余年が経つ。


ざっくりいえば、フジテレビ60余年の歴史は「鹿内帝国30年」と「日枝王国30年」の2期に大別される。


写真=共同通信社
左=鹿内宏明氏(1994年2月15日撮影)、右=日枝久氏(2005年1月17日撮影) - 写真=共同通信社

■「人事権を握っている事実上のトップがいる」


巷間言われる「日枝天皇」の影響力の大きさは、後任のフジテレビの社長や会長の人事をみれば、よくわかる。


「ポスト日枝」の歴代社長を順に並べてみると(カッコ内は在任期間、就任時年齢)、


・村上光一(01〜07年、61歳)
・豊田皓(07〜13年、61歳)
・亀山千広(13〜17年、57歳)
・宮内正喜(17〜19年、71歳)
・遠藤龍之介(19〜21年、63歳)
・金光修(21〜22年、66歳)
・港浩一(22〜25年、70歳)
・清水賢治(25年〜、64歳)

こうしてみると、フジテレビが低迷期に入った2010年代以降の社長の在任期間の短さが際立つ。いずれも2年ほどで交代しており、これでは経営に専念して業績を上げるのは難しい。村上、亀山、遠藤、港の各氏のように、経営とは縁遠いプロデューサー出身も目につく。就任時の年齢もバラバラで、若返りを図ろうとしているわけでもない。第三者の目には、トップ交代の意図がどうにもわかりにくい。それぞれ理由はあるだろうが、だれもが自らの意思で社長職を辞したわけではないだろう。


会長人事となると、もっと異常だ。


16年もの長期在任となった「日枝天皇」の後任となった嘉納修治会長(17〜19年、 67歳)は、2年ほどで系列局の関西テレビ会長に事実上の左遷。宮内正喜会長をはさんで、4年後に再び会長に復権するという珍事が起きた。


トップが自ら系列局へ落ち行くのも、本丸へ復帰するのも、本人の意思であろうはずがない。


こうした恣意的ともいえる一貫性のないトップ人事が行われたのも「人事権を握っている事実上のトップがいるからにほかなりません」とフジテレビ関係者は言う。


■政官界にも太い人脈築く


「日枝天皇」の力の源泉は、政官界にも築いてきた太い人脈にうかがうこともできる。電波という国民共有の資源を割り当てられる放送局という特別なメディア企業だけに、それは大きな意味をもつ。


なかでも、故・安倍晋三首相とはたびたび会食をしたりゴルフに興じ、しばしばフジテレビに出演したり産経新聞に登場するなど親密な関係にあった。


フジテレビは、民放各局の中でも旧郵政省時代から総務省との関係が格別に深い。郵政省の浅野賢澄事務次官を副社長に迎えたのは1971年。その後、85年まで14年間も、社長、会長として受け入れていた。


最近は、総務官僚の民放局への天下りはめっきり影を潜めたが、「日枝天皇」下のフジサンケイグループは、現在も突出して4人も受け入れている。その中には、21年に発覚した「東北新社接待事件」で辞職した山田真貴子・内閣広報官(元総務審議官)や奈良俊哉・郵政民営化推進室長(元総務省企画課長)らもいる。


だからといって、総務省が動かないわけではないだろうが、当面は静観の構えのようだ。


内も外も固め、「日枝天皇」は、78社、4法人、3美術館、約1万3000人の従業員を抱えるフジサンケイグループの総帥として、現に君臨しているのである。


写真=iStock.com/Carlos Pascual
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Carlos Pascual

■「日枝王国」の幕引きはできるのか


「日枝天皇」は、自らクーデターを起こして鹿内ファミリーを追いやっただけに、クーデターを起こしそうな人物は早々に遠ざけてきた。評価されて要職についた人物でも、意に沿わない意見を言うと疎まれ、追われる。そんな光景を長年見てくれば、周りにはイエスマンしかいなくなり、トップはだんだん裸の王様になっていくのは、どこの世界でも同じだ。


今回の「フジテレビ事件」は、まさに「日枝王国」の落日を象徴している。


ただ、フジテレビが「鹿内帝国」に続く「日枝王国」の残像を消し去って新たに生まれ変わるためには、「『日枝天皇』がいなくなれば、すべてよし」というわけにはいかない。


『日枝天皇』に任じられた役員や重用されてきた幹部ら、いわゆる「日枝一族」が一掃されて初めて、「日枝色」が名実ともに消えるのではないだろうか。


経営陣も幹部も一斉にいなくなれば組織として大混乱を起こすことは必至だが、日本最大級のメディア・コングロマリットを自認するフジサンケイグループは、そんなに柔ではないはずだ。


入社以来、「日枝天皇」とは直接接したこともないような1000人を超える若いパワーがいる。混迷期にこそ、次の時代を担う人材が輩出することは歴史が教えている。それに、「メディア×不動産」の複合ビジネスモデルが安定し、CMが少々消えたくらいではびくともしない経営基盤を確立している強みもある。


「日枝天皇」がフジテレビに黄金時代を築いた功績やフジサンケイグループに残した足跡は、高く評価されるべきだろう。だが、どんな絶対的権力も、やがては朽ちるのが世の習い。もっとも、「フジテレビ事件」の真相を探り再発防止策を提言する第三者委員会の報告は、3月中にもまとめられる予定だが、「日枝天皇」の去就まで踏み込めるかどうか。


「物言う株主」の外圧や、総務省の行政指導にも限界があるのではないか。「鹿内帝国」を葬ったのは後の「日枝天皇」だったが、「日枝王国」に幕を引くのも「日枝天皇」にしかできないかもしれない。


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水野 泰志(みずの・やすし)
メディア激動研究所 代表
1955年生まれ。名古屋市出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。中日新聞社に入社し、東京新聞(中日新聞社東京本社)で、政治部、経済部、編集委員を通じ、主に政治、メディア、情報通信を担当。2005年愛知万博で博覧会協会情報通信部門総編集長を務める。日本大学大学院新聞学研究科でウェブジャーナリズム論の講師。新聞、放送、ネットなどのメディアや、情報通信政策を幅広く研究している。著書に『「ニュース」は生き残るか』(早稲田大学メディア文化研究所編、共著)など。
■メディア激動研究所:https://www.mgins.jp/
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(メディア激動研究所 代表 水野 泰志)

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