足利将軍でも細川勝元でも山名宗全でもない…「室町時代の面白さ」を象徴する歴史上の登場人物
2025年2月15日(土)18時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AndreasKermann
■逆賊が作った幕府は否定される「べき」
【呉座勇一】室町時代のイメージの移り変わりについて研究者の立場から触れてみます。室町時代や室町幕府の評価が低かったのは、戦前以来のイメージがあるからです。
それはまさに「べき論」の話でして、足利尊氏というのは天皇に逆らった逆賊である、これは大変けしからんと。そんなとんでもないやつが作った幕府など、最初から腐っているという評価が前提にある。だからこそ、室町時代の政治の研究はなかなか進まなかった。
ではどうしたかと言うと、文化の方に研究の方向が振れたわけです。東山文化の研究、つまり室町時代の文化の研究は戦前から進んでいました。茶の湯や枯山水に代表される日本的な「わび・さび」の文化は、この東山文化に始まったという結論に至るわけです。
写真=iStock.com/AndreasKermann
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つまり、室町時代は素晴らしい日本文化が生まれた時代だと評価して、政治の話にはあまり触れない。そもそも逆賊尊氏の作った政権なのだから、評価できないわけです。
■戦後になっても結局、よくわからない
では、皇国史観が否定された戦後になるとどうなったか。マルクス主義史観が全盛となったわけですが、事態はあまり変わらなかった。マルクス主義史観的にいえば、足利尊氏は天皇に逆らったわけですから、立派な革命家でなければ困るわけです。革命家であってほしいというべきか。
ところが尊氏というのは何を考えているのかよくわからない。つかみどころのない人物です。革命家として少しもカッコよくない。せっかく後醍醐天皇に逆らったのに、革命を起こすどころか後醍醐と仲直りしようとしたりして、革命家らしくない。
【垣根涼介】だって、そういう人なんだから(笑)。
【呉座】そうなんです。本人にその気がないからしょうがないんですが、マルクス主義の歴史学からすると、非常に都合が悪いし、理解もできない。で、その後の室町時代を見ていくと、金、金、金の時代になっていく。マルクス主義的な「べき論」の世界でも評価はできないわけです。
■活き活きと生きていた人々が無視されている
【呉座】結局、室町時代は戦前の「天皇を崇拝すべき」という「べき論」で否定され、それとは違うかたちのマルクス主義的な「べき論」でも評価できなかった。尊氏は何を考えているのかわからない、その後継者たちは金のことばかり考えている。そうなると、マルクス主義的な理想の社会とも遠いので、評価は低いままだったわけです。
【垣根】そもそも、その評価軸自体が間違っているようにしか見えないのですが。
【呉座】まったくその通りだと思います。
【垣根】皇国史観や英雄史観、あるいはマルクス主義史観と、イデオロギーは異なりますが、いずれにせよ歴史や人物を善悪で判断しているだけに思えます。
【呉座】おっしゃる通りです。私が室町時代やこの時代の人々に魅力を感じるのは、後世の勝手な善悪の決めつけや思い入れに関係なく、よく言えば活き活きと、悪く言えば好き勝手に生きているところが面白いからです。
■悪人か、善人かの議論に意味はない
【垣根】勝手な評価軸を押し付けた挙句、善悪を判断されてしまうのでは、室町時代の人々にとっては、ずいぶん迷惑な話ですね。
【呉座】そう思います。戦前と戦後の歴史学は大きく変わったと言われていますが、必ずしもそうとは言えない、大きな問題を抱えてきたと思います。
【垣根】いや、歴史小説の世界にも同じことが言えるかもしれません。通常、基本は英雄物語を書きたいという動機が強いのか、それでいて、例えば松永弾正のような悪人イメージの人物が出てくると、実は善人だったという話にするか、さらに捻って、やっぱり悪人だったという話にしてしまう。
僕に言わせると、それがどうしたという話です。善悪どちらかという話ですか? 完全に善人でもないし、完全に悪人でもないでしょ?
あなただって善人のときもあれば悪人のときもあるでしょう。善悪どちらかなんて、ときと場合によって、社会の構造や立ち位置によって変わるものです。どうもうまく言えませんが、そういう薄っぺらな人間理解は好きになれないんです。
■室町時代は「アメリカっぽい社会」だった
【呉座】主人公は世のなかを良くしようという志を持つ人であるというパターンになりがちですよね。
【垣根】世のなかを良くしようとした人と言えば、むかしレーニンという人がいまして(笑)、そのせいでエライことになったわけです。だったら欲得で動いてくれた方がどれだけマシかという話です。
【呉座】それはそうです。ロベスピエールだってポル・ポトだって、理想のために戦ったのでしょうから。
【垣根】唯一、うまくいったのはアメリカじゃないですかね。
【呉座】そうかもしれません。
【垣根】そう考えると、アメリカはやはりたいしたものです。アメリカでは曲がりなりにも理想社会が成り立っている。あくまでもシステムとしてですよ。現実的には貧民がものすごくたくさんいて、貧富の差も激しいわけですが。
矛盾するようですが、室町時代って、アメリカっぽい社会ととらえてもいいような気もしますよ。金がすべての、弱肉強食の社会という意味で。
【呉座】たしかに、それが室町時代の特徴です。
■同調圧力に屈していない、自由な時代
【垣根】しかし、結果として見れば、国家のレベルでいうと、人も物も活き活きと動いている。社会全体から無意識の圧のようなものが希薄だったからでもあるでしょう。
【呉座】同調圧力のような世間の圧が、比較的希薄な時代だったでしょうね。私が室町時代に魅力を感じるのも、そうした圧から比較的自由に動いていた、時代のダイナミズムを感じるからだと思います。
人も物もよく動く。しかも好き勝手に。だから何が起こるか予想できない時代です。昭和の終身雇用の時代であれば、江戸時代を一つのモデルとして学ぶべきなのかもしれませんが、いまの時代には、あまり参考にはならないような気はします。
【垣根】江戸時代を描く時代小説を読んでも、僕にはあまり共感できないんですよ。そういう時代はもう終わってるんだけど、としか感じない。現実は、もう誰もが手探りで生きている状況で、そのかわり何も強制されないという時代になっているわけです。「この時代はこうだ」とひとことで言える時代は参考にならないと思います。室町時代の人気がないのは、ひとことで言えない時代だからでしょう。
【呉座】そうだと思います。でも逆に言えば、ひとことで言えない時代だからこそ研究する意義があると思いますし、面白いともいえます。この時代はこうだと簡単に言えてしまう時代であれば、研究しても面白くないですし、おそらく研究する意義もあまりないのではないかと思いますね。つかみどころがないからこそ魅力がある。
■理屈で応仁の乱を切り取っても仕方がない
【垣根】室町時代を描くには、階層ごとに「この階層はどう生きたのか」という切り口をひとつひとつ設けて描いてみたいと思うんです。実を言うと、応仁の乱を描く作品では、骨皮道賢などと同じ足軽大将の馬切衛門太郎を主人公として応仁の乱を書いてみようと思っています。
最初は「女郎大名」というタイトルで、畠山義就を主人公にしようと思ったんです。でも正直に言いますと、文章を自動生成する「ChatGPT」って、いまだいぶ優秀になってきて、畠山義就が女郎の子だという出自や生い立ちをインプットして、寺に預けられて、戻ってきて家督争いを起こして、応仁の乱を起こした急先鋒になってと、史料から読み取れるデータをいれていったら、「ChatGPT」が適正化を繰り返して、よほどうまく整合性のとれた執筆をしてくれると思ったんです。少なくとも、作品が完成する2、3年後には、その可能性が高い。そう思って止めたんです。
それに畠山義就だと、歴史的事実を無視するわけにはいきませんから、おそらく史実に引きずられてしまう。足利尊氏を書いたときにもそれで苦労したんですが、史実にからめとられてしまいます。
だから『室町無頼』を書いたときの方式で、馬切衛門太郎という、おそらくあまり頭もよくなくて馬鹿力だけが頼りの人間が見た応仁の乱を描きたい。なぜなら、理屈で応仁の乱を語っても仕方がないからです。怖い! とか痛い! といった体感で応仁の乱を切り取る描き方を目指しています。それなら僕という生身の作家が応仁の乱を描く意味があると思います。
『真如堂縁起絵巻』に描かれた応仁の乱。足軽と呼ばれる身軽な兵が活躍した(画像=The Japan Times article/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
■支配者たちより足軽に光をあてるべき
【呉座】なるほど。ある意味でうらやましいなと思ってしまいます(笑)。私が『応仁の乱』を書いたとき、歴史書として書いたので、どうしても社会の支配層に視点をあてて史実を明らかにするというスタンスをとらざるをえませんでした。
本来、応仁の乱の本質を描こうとするならば、社会の底辺を生きる足軽のような存在に光をあてなければならない。しかし、そうなると絶対的に史料が少ない。だから歴史家として歴史の本を書くとなると、どうしても足利義政や畠山義就、山名宗全、細川勝元といった支配者たちの権力争いにフォーカスをあてざるを得ないという事情はあります。
しかし、時代の本質はむしろ下層社会を生きる足軽のような存在に現れるのだと思います。
■令和を象徴するのは石破首相ではない
【呉座】それは現代においても同じだと思います。この令和の時代を象徴しているのは、首相の石破茂さんではなく、闇バイトだと私は思います。
【垣根】石破さんは申し訳ないけれど、ひとかけらも時代を象徴してはいないと思う(笑)。
【呉座】石破さんのことを書いても、令和の現代を説明したことにはならないでしょう。「いま」を説明しようと思ったら闇バイトを書いた方がいい。そして、闇バイトとは何かというと、令和の足軽だと私は思っているんです。
垣根涼介、呉座勇一、早島大祐、家永遵嗣、『室町アンダーワールド』(宝島社)
【垣根】そういう発想なんですね(笑)。それはうまいかもしれない。徒党を組み、社会の隙間を縫ってこっそり悪いことをしている名もないやつらですから、まさに足軽だ(笑)。それは面白いですね。庶民層の史料があれば一冊書けますね。
【呉座】そう思います。垣根さんが足軽の視点で応仁の乱を描こうというのも、発想は同じではないですか。
【垣根】確かにそうです。「ノリ」は同じですね。
【呉座】令和であれ、応仁の乱の時代であれ、時代の本質を切り取ろうとしたら、権力者たちの権力争いではなく、社会の底辺を生きる人間の実像に目を向ける必要があると思います。
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呉座 勇一(ござ・ゆういち)
国際日本文化研究センター助教、信州大学特任助教
1980年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)(東京大学)。著書『応仁の乱戦国時代を生んだ大乱』がベストセラーとなる。『戦争の日本中世史—「下剋上」は本当にあったのか—』で角川財団学芸賞を受賞。主な著書に『一揆の原理日本中世の一揆から現代のSNSまで』『頼朝と義時武家政権の誕生』『動乱の日本戦国史桶狭間の戦いから関ヶ原の戦いまで』『日本史敗者の条件』などがある。
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垣根 涼介(かきね・りょうすけ)
作家
1966年生まれ。筑波大学卒業。サラリーマン経験を経て作家に。『午前三時のルースター』でサントリーミステリー大賞・読者賞をダブル受賞。『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞を受賞し、史上初の三冠受賞。『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞。『極楽征夷大将軍』で直木賞を受賞。主な歴史小説の著書に『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』などがある。
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(国際日本文化研究センター助教、信州大学特任助教 呉座 勇一、作家 垣根 涼介)