これぞ「上級国民」の典型例…森永卓郎さんが死の直前に訴えた「天下りを止めない財務官僚」の呆れた実態
2025年2月16日(日)8時15分 プレジデント社
本人提供
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■官僚制度に逆風が吹き始めたきっかけ
敗戦後の日本のグランドデザインを描き、奇跡の高度経済成長を実現するなど、うまく機能していた日本の官僚制度に逆風が吹き始めたのは1980年代のことだった。行政改革機運が国中で盛り上がったのだ。
1つのきっかけは、1981年に土光(どこう)敏夫経団連名誉会長を会長に招いて発足した第二次臨時行政調査会だ。この調査会が、三公社(国鉄、電電公社、専売公社)の民営化や地方議会定員の削減などを盛り込んだ答申を次々にまとめたのだ。
もう1つは、大蔵省が「財政再建元年」を打ち出したことだ。
それまで国債をほとんど発行していなかった日本は、1973年の石油危機がもたらした深刻な不況を克服するため、大規模公共事業を行ない、その財源を国債発行に求めた。
国債の満期は10年のものが圧倒的に多く、10年後には元本を返済しなければならない。だから、歳出削減が必要だと大蔵省が言い出したのだ。
詳しくは『ザイム真理教』でも述べたとおり、本当は、満期が来たら新しい国債に借り換えればよいだけの話なのだが、東大法学部が支配する財務官僚は、経済や金融がまったくわかっていなかった。
さらに、マスメディアも行革ブームを支えた。先頭を走ったのは産経新聞だった。
行革の必要性を紙面で訴え続けたのだ。
そのなかで最初に大きな反響を呼んだのが、1983年に報道した東京・武蔵野市職員の4000万円退職金問題だった。市民感覚からかけ離れた高額退職金を追及する報道は、同市職員の退職金引き下げのきっかけとなった。
■行革ムードの決定打となった破廉恥事件
行革ムードは長期間続いたが、その決定打となったのが「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だった。
1998年に大蔵省の職員が、東京都新宿区歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭(ローラン)」で銀行から頻繁に接待を受けていたことが発覚したのだ。
写真=iStock.com/fotoVoyager
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fotoVoyager
ノーパンしゃぶしゃぶというのは、パンツを穿かないミニスカート女性が接遇をする一種の風俗店だ。床が鏡張りになっていて、女性の生身の下半身が映っている。それを覗き込みながら、しゃぶしゃぶを食べて、酒を飲む。そのあまりに醜悪で下品な官僚の姿を想像して、国民の怒りは頂点に達したのだ。
また、この当時、大蔵金融検査部のOBと現役の検査官がメンバーとなっている「霞桜(かおう)会」という親睦会の存在もクローズアップされた。霞桜会の会員数は400名あまりで、会には「霞桜会会員名簿」が存在する。名簿には会員の所属が記されていて、OBの多くが銀行、証券会社、ノンバンク、生保、損保などの金融機関に天下っていることがわかる。金融機関はこの名簿をもとに接待を行なうのだ。
ある大手都銀MOF担(森永注:Ministry of finance=大蔵省を担当する銀行や証券会社のエリート社員)はこう明かす。
「確かに霞桜会名簿は、接待に欠かせません。ただ、それだけじゃ足りないんです。検査官の名前のわきに、学歴、誕生日、出身地、家族構成と名前、奥さんの出身校、酒量、女の趣味、ゴルフのハンディまでぎっしり書き込んで、やっと完全な名簿になる」
中元、歳暮だけでなく、誕生祝いや入学祝いを贈る「元本」というわけだ。「この名簿を見て、奥さんに誕生祝いの花を贈った同じ日に、検査官をソープランドで接待したこともあった」(同MOF担)という。(略)ある都銀のMOF担OBは「霞桜会なんて、完全に官民癒着のための組織ですよ。接待する側とされる側が一緒に会員になっているんですから」と語る。(『週刊現代』1998年2月21日号)
国民の怒りの矛先は「接待は絶対に許さない」ということだけでは収まらず、政治も厳罰に動かざるをえなくなった。官僚の逮捕者は7人に及んだ。
日本道路公団経理担当理事(大蔵省OB)、大蔵省証券局総務課課長補佐、大蔵省証券取引等監視委員会上席証券取引検査官、大蔵省金融検査部金融証券検査官室長、大蔵省金融検査部管理課課長補佐、日本銀行営業局証券課長などの7人だ。
彼らは起訴され、執行猶予付きの有罪判決が確定した。実刑こそ免れたものの、「官僚は何をしても有罪にならない」という慣例が破られたのだ。
■「金と女」官僚が食べた毒まんじゅう
影響は政界や大蔵省幹部にも及んだ。辞任に追い込まれたのは、三塚博大蔵大臣、松下康雄日銀総裁、小村武大蔵省事務次官、山口公生大蔵省銀行局長、杉井孝大蔵省銀行局担当審議官、長野庬士大蔵省証券局長、中島義雄大蔵省主計局次長、大蔵省銀行局保険第一課課長補佐と大物ばかりだった。そのほかにも多数の官僚が辞任した。さらに大蔵省、日本銀行、都市銀行から3人の自殺者まで出したのだ。
じつは、ノーパンしゃぶしゃぶで官僚に渡った毒まんじゅうは、全体から見たら氷山の一角どころか、無視できるほど小さな金額にすぎない。
しかし、そのあまりに破廉恥な内容に世間は大きく反応したのだ。ちなみに、一切報道されておらず、本人たちの証言もないのだが、当時の事情に詳しい人の話によると、楼蘭でのサービスは、ノーパンでしゃぶしゃぶを提供するだけではなかったという。ノーパンの女性はあくまでも顔見世で、官僚たちはそのなかから好みの女性を選んで歌舞伎町のシティホテルに連れ込んで、事に及んでいたそうだ。
その話を聞いて、私の頭によみがえったのは、40年前に渋谷の円山花街で、宴の部屋の隣で布団を敷いて寝ていた若い女性の姿だった。官僚は40年間も同じようなことを繰り返していたのだ。
■「大蔵省」から「財務省」へ
ノーパンしゃぶしゃぶ事件は、官僚優遇システムにも甚大な影響を及ぼした。
たとえば、大蔵官僚には20代後半で税務署長を務める人事慣行があったが、そのことが過剰なエリート意識を生んだり、接待漬けの温床になっているとの批判が高まり、1999年度から「原則として税務署長に出すのは35歳以後」と人事方針が変更されたのだ。大蔵官僚の生態系にも少しずつ変化が生まれてきた。
そして、ある意味で行政改革の総仕上げとなったのが、森喜朗内閣の自公保(自由民主党、公明党、保守党)連立政権の下で2001年1月に実施された中央省庁の再編統合だった。
この改革で、厚生省と労働省が合併して厚生労働省になったり、運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁が合併して国土交通省になるなど、1府22省庁が1府12省庁に再編された。
ノーパンしゃぶしゃぶ事件の主犯である大蔵省も無傷ではいられず、財金分離で金融庁が別組織として分離され、何より「大蔵省」という大蔵官僚にとって愛着のある組織名が「財務省」に変更されたのだ。
中央省庁再編の目的は、表向きは「縦割り行政による弊害をなくし、内閣機能の強化、事務および事業の減量、効率化」だったが、その真意は、官僚たちの利権を厳しく取り締まることだった。
写真=iStock.com/7maru
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■行革で激減した官僚の特権
組織再編のほかにも、官僚優遇を支えたさまざまなシステムが変更されることになった。
たとえば、公務員住宅の家賃については、東京23区の場合、2014年度から独身用8600円が1万3400円(56%アップ)、係長・課長補佐用2万7900円が4万8100円(72%アップ)、幹部用6万5700円が11万6300円(77%アップ)と、大幅な値上げが行なわれたのだ。
毒まんじゅうに関しては、統計など存在しないが、それまで日常茶飯事だった付け届けや接待は激減し、女性をあてがうことはほとんどなくなった。
ただ、2024年7月10日、海上自衛隊の潜水艦修理にからんで川崎重工業が海上自衛隊員に金品や飲食を不正に提供していた疑惑で、川崎重工が架空取引で捻出した裏金が年間約2億円にのぼることが明らかになったことからもわかるように、毒まんじゅうが完全に消えたわけではない。ただ、私の実感でいうと、けた違いに少なくなったことは間違いないと思う。
■「天下り規制」を無力化する仕組み
官僚に対して世間が厳しい目を向けるようになったことが原因で、2008年12月31日に改正国家公務員法が施行されて、天下りに対する規制が大幅に強化された。
それまでの再就職に関する規制は、離職後2年間、離職前5年間に在職していた国の機関と密接な関係のある営利企業の地位への再就職が原則禁止されていたのみだった。
ところが、改正法によって、
①現職職員による再就職あっせんは全面禁止
②現職職員による利害関係企業等への求職活動を規制
③退職職員の働きかけを禁止
これらの規制が新たに開始されたのだ。
【再就職に関する規制等】
・再就職あっせんの禁止……各府省等職員が職員又は職員であった者について、営利企業等に対し再就職のあっせんを行うことは禁止されています。
・現職職員の求職活動規制……職員が利害関係企業等に対して求職活動を行うことは禁止されています。
・退職職員の働きかけ規制……再就職者が、離職前5年間(それ以前の課長級以上の職への在職期間も含む。)の職務に関し、離職後2年間(自らが決定した契約・処分については期限の定めなく)、在職していた局等組織等に属する役職員に対して働きかけを行うことは禁止されています。
もちろん官僚にとって、天下りは自分たちの生涯報酬を高めるための最大の手段だから、そう簡単に利権を手放すわけにはいかない。
だから、2008年の国家公務員法改正には、規制を無力化する仕掛けがこっそり仕組まれていた。
まず、天下りそのものを禁止したのではなく、天下りの「あっせん」を禁じたことだ。また、あっせんに関しても、新たに設立した「官民人材交流センターへ一元化」しただけで、禁止ではなかった。そのほかにも規制逃れのさまざまな抜け穴があるザル法を作ったのだ。総務省が公表している再就職者数の推移を見ても、法改正後の数年間は混乱のために天下りは減っているものの、その後、見事に復活し、最近ではむしろ増えているのが現状だ。
それでも、かつてのように許認可権を盾に強引に天下りポストを所管業界に要求し、再就職先での極端な厚遇を得ることが難しくなってきていることは間違いない。
天下りシステムは量的縮小ではなく、質的低下を招いているのだ。
■財務官僚は治外法権
大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件をきっかけに国民の怒りが爆発したことに端を発した公務員制度改革で、官僚の生態系は大きく変化した。
だが、現実には改革の波にほとんど影響を受けなかった官僚がいる。それが皮肉にも財務官僚だった。極論すると、いまや官僚は従来型の利権を維持・拡大し続ける財務官僚と、利権の多くを失った財務省以外の官僚に二極化していると言っても過言ではないだろう。
たとえば、財務省はいまだにありあまるほどの天下り先を維持しているのだが、天下り先の処遇もけた違いだ。
図版=『官僚生態図鑑』72ページより
■財務省OB・OGの報酬は総理大臣より高い
2024年8月26日付のダイヤモンドオンラインは「財務省出身の社外取締役『報酬』ランキング」と題する清水理裕(まさひろ)編集委員の記事を掲載している。
ここでは新しい天下りの形として存在感を高めている企業の社外取締役就任の報酬に焦点が当てられている。
国の予算案作成を担い徴税権も持つことから、「最強の官庁」として君臨している財務省。上場企業の社外取締役になっているOB・OGは101人に上り、12ある府省の中で最も人数が多かった。(略)ダイヤモンド編集部推計の役員報酬の総額で1000万円を超えたのは、やはり最多の40人。トップの金額は4471万円に達した。(略)
「行政経験を積み、企業経営にも一定の理解がある元官僚の知見は貴重だ」(大手銀行幹部)との見方がある一方、「形を変えた事実上の天下りではないか」といった懐疑論も出ている。
トップの元財務官僚の報酬が4471万円というのは驚きだ。
というのも、現在の行政トップ・内閣総理大臣の年間報酬が4032万円だからだ。財務官僚は国のトップより高い天下り報酬を得ていることになる。
森永卓郎『官僚生態図鑑』(三五館シンシャ)
しかもこの表に掲載されているのは、社外取締役としての報酬のみだ。上場企業の社外取締役の報酬は、公開の義務がある。だからダイヤモンド社は、このランキングを作ることができたのだが、報酬を公開する義務がない事実上の天下り先がある。
それは企業の顧問だ。財務省OBは、社外取締役だけでなく、複数の顧問も「兼業」することで、億を超える年間報酬を得ている人が少なくないと言われている。財務官僚の老後は、天下り先の不足で汲々としている他省庁の官僚とは、まったく異なるのだ。
また、ランキングの年齢欄を見ていただけるとすぐにわかるのだが、財務官僚が高報酬を受け取る天下り先での雇用は70歳を超えても続いていることが多い。民間のサラリーマンが60歳で定年になり、その後は年収が半分程度に激減するのとは大違いだ。
図版=『官僚生態図鑑』74ページより
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森永 卓郎(もりなが・たくろう)
経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)