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任天堂はなぜ「花札」で成功できたのか?

文春オンライン2月17日(金)7時0分

 ニンテンドースイッチに至るまで受け継がれている、任天堂の「他と違うからこそ価値がある」という価値観は、どのように形作られていったのか。


 任天堂の社史をさかのぼってみる。創業は1889年だ。創業者は山内房治郎。彼は、ファミコンを発売した頃の社長である山内溥の曾祖父にあたる。


 房治郎は1885年、京都で石灰問屋「灰岩」を継ぐことになった。ここで屋号を「灰孝本店」と改めている。


 ちょうど同じ年に琵琶湖を京都市の用水とする琵琶湖疎水が着工した。これをきっかけに店はセメントを扱うようになり、順調に成長していく。ちなみに、灰孝本店は130年以上経った今も、京都に現存している。


 だが1885年は任天堂にとって、より重要な社会の変化が起こった年でもある。政府が西洋かるた(トランプ)の輸入販売を公認したのだ。


 その直前まで、花札などのカード賭博は厳しく取り締まられていた。折からの自由民権運動の高まりもあり、風紀の乱れを危惧した政府が、警察に大きな権限を与えて綱紀粛正を図っていたのだ。たとえば1884年には、有名な博徒・清水次郎長も逮捕されている。


清水次郎長 『幕末・明治・大正回顧八十年史』より 

花札史に名を残す前田喜兵衛という男


 ところが政府がトランプの輸入も禁じたことで、海外からクレームが付く。賭博は犯罪だが、カード自体はゲームに使う遊具なのだから販売を許可すべきだというのだ。その結果、賭博に使われるカード類の販売が認められる状態がなし崩し的に作られていく。


 それでも花札に対して、世間の人は及び腰ではあった。だが1886年、前田喜兵衛という男が一念発起して、東京・銀座で花札を売る店を大々的にオープンする。この経緯について、江橋崇『花札 ものと人間の文化史167』(法政大学出版局、2014)には次のように書かれている。



〈前田によると、彼は明治十八年(一八八五)に法律書を読んで、花札の販売は実は合法的であることを知り、十二月一日に汽船東海丸で上京した。彼は年末の十二月二十五日にカルタ販売の営業届けを内務省に提出し、また、御用納めの日に警視庁保安課にも届けを出した上で、明治十九年(一八八六)一月に実際に販売を開始した。〉



 厳しく取り締まられながらも、抜け穴があるというのが、どこか日本らしい気もする。ともかく、これで世間の認識としても"賭博"と"遊具"は別々のものとして切り離され、花札が大流行するきっかけになった。


©iStock.com

 京都の山内房治郎も、この「遊具は合法」という点に目をつけて、1889年に任天堂の前身となる「山内房治郎商店」を設立。花札の製造を開始する。



なぜ花札で成長できたのか?


 しかし、いくらブームだったとはいえ、なぜ花札なんかで企業として成長できたのか? 実はここに、後まで続く任天堂の企業哲学の一端が垣間見えるのだ。


 簡単に言うと、房治郎は安価な商品で市場を席巻することを目指した。ただしそれは、粗製濫造するという意味ではない。


 そもそも房治郎は優れた工芸師で、任天堂の花札が手間をかけた高品質なものだったとは、よく言われる。たとえばデヴィッド・シェフ『ゲーム・オーバー 任天堂帝国を築いた男たち』(角川書店、1993)には、彼の花札の細工について以下のように解説されている。



〈房治郎は花札の材料となる紙を、伝統的なやり方に従って、ミツマタの樹皮で作った。その樹皮を叩いてほぐし、粘土を少しまぜて重くしたものを漉いて乾燥させ、それを何枚か重ねて成型するのである。(中略)その紙を何枚も重ね合わせて、書物の表紙ぐらいの厚をもつ固い板紙を作る。そして広い板紙にこれも自分で考案した木製の印刷器を押し当ててカードの輪郭を打ち出す。次にそこヘステンシルを当て、花びらや果実で作った段糀で図柄を埋めていく。背景は赤で、草は黒。満月は塗らないで、紙の地色をそのまま残す。〉



 この記述だと、たしかに手間がかかっているように見える。だが、そうとも言い切れない。というのも、前出の江橋崇『花札』によれば、最後の、赤黒の二色だけで表紙を刷るというのは、コストダウンの一環だったらしい。



〈新興の「任天堂」では、創業者の山内房次郎(引用註・房治郎)の考えで手作りでも製作工程を縮小してコストの安いものを作ることを試みた。前述した、赤色と紺色(黒色)の版木二枚で「めくりカルタ」や「かぶカルタ」の表紙の刷りを済ませてしまったのも「任天堂」であった。こうして製作した安価な花札が市場で歓迎されて「任天堂」は業界で一定のポジションを築くことができた。〉



 つまり房治郎は、品質は維持しつつも、安価なものを作ろうと努力した。現代の価値観では、企業戦略としては平凡にも見える。だが花札ブームで同業他社が乱立した明治20年代に、この差別化があったからこそ、任天堂は他に抜きん出ることができた。「他と違う」ことに価値を求める同社の思想は、創業当時にはこうした形で表れていたわけだ。


博徒たちは勝負のたびに新品を使う


 かつ、この安価な商品を使って、房治郎はシェア拡大を試みた。そもそも家族や友人と遊ぶ用ならカードは一組でいい。しかし博徒たちは勝負のたびに新品を使う。この需要に期待した房治郎は、安価で手頃な自社の花札を関西の賭場に広く卸すことにした。市場に自社製品を多く出回らせることで、定番ブランドの座を手中に収めていったのだ。


ニンテンドースイッチ パリのプレス向け発表会にて ©getty

 安くて十分な品質を持つ製品によって市場を席巻し、他社を圧倒する。こうした方針は、たとえば後に任天堂がファミコンを作った際の姿勢を思わせるものだ。つまりここに、後にまで受け継がれている任天堂の考え方があると言っていいだろう。


 そして、販売戦略によるシェアの拡大は、次に同社がトランプの製造に乗り出した時、さらなる飛躍を見せることになる。


(つづく)


(さやわか)

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データ提供元:アニメキャラクター事典「キャラペディア