「たいへんお安くお求めできます」の誤りにあなたは気付けるか…メディアにあふれる間違った敬語への不快感
2025年2月17日(月)16時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki
※本稿は、下重暁子『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/kazuma seki
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■いつから「させていただく」は始まったのか
敬語に関連して、「させていただく」という表現があるのですが、これ、実は非常に古くから使われていて、そのたびに「違和感がある」「誤用だ」という議論がありながら、長年使い続けられている言い回しなのだそうです。
放送文化研究所のレポート「放送研究と調査」(2016年9月)も、「させていただく」に言及しており、レポートのタイトルは「“させていただきます”について書かせていただきます」でした。
それによると、「させていただく」は、100年以上前から新聞でも使われており、すでに大正期、数多く記事内に見られるのだそうです。永井荷風は昭和9年に、銀座の喫茶店の店頭の「閉店させていただきます」の張り紙があったことを記していて、それに違和感を感じていたようです。
「させていただく問題」に言及した記事、研究はたいへん多いそうでその説は実にさまざま。「値上げをさせていただきます」は客に迷惑をかけるのだから許容範囲、「値引きさせていただきます」は不適切用法であるとか、そもそも「させていただく」という言い回しは関西弁の影響が入っており、東京山の手には先に広まったが下町には流入が遅く、そのため下町出身の人はこれに違和感を覚える、などなど。
■いったい誰に何を遠慮しているのか
さらに2010年の「みんなでニホンGO!」(NHK)では、「日本語教師に取材した「気になる“させていただく”の例」として、「お訴えさせていただきます」(選挙演説時)、「感動させていただきました」「結婚させていただきます」をあげています。この調査はなかなか面白いものでした。使う場面によって、また地域や世代によって、「違和感」の感じ方には差があるということです。
私は「ではそのようにします」というキリッとした言い方が好きで、「させていただく」は好きではないのですが、レポートのなかにもあった「お訴えさせていただきます」「感動させていただきました」は、過剰ですね。
「結婚させていただきました」なんて言い方は、別にそんなにへりくだらなくていいんじゃないの、と感じます。いったい誰になにを遠慮してんの、という感じです。
最近テレビである俳優が自己紹介で、「3年前にデビューさせていただき、俳優という形でやらさせていただいております」と言っていました。これも「3年前デビューし、俳優として活動しています」くらいでいいのではないかと思います。
ここまでくると、丁寧で礼儀正しいと感じるよりも「デビューはすべて事務所のおかげで、さらにまだ俳優と名乗るのはおこがましい、名乗ってごめんなさい、というくらいに自信がないのかなあ」という印象しか残りません。
■マニュアル用語は正しい敬語ではない
テレビで取材を受けたある店の店主がインタビューに応じるなかで「こちらの店の責任者のほうをやらせていただいております」と話すのも聞きましたが、この言い回しはほかでもよく使われています。
ここでもうひとつ気になるのは、「〜のほう」という言い方です。これは、もしかしたら飲食店やコンビニ、ファストフードなどの「マニュアル用語」なのでしょうか。「ご注文のほう繰り返させていただきます」「こちらのほうでよろしかったでしょうか」いまさらこれに文句を言ったところで仕方のないことかもしれませんが、それが「正しい敬語」とは思わないでほしいものです。
写真=iStock.com/andresr
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/andresr
というよりも、「なんとなく変だなあ」という「違和感」を大切にし、違和感を覚えたら「ではどう言えばいいだろう」と考えてみてほしいと思います。
敬語というものは、尊敬語も、謙譲語も、丁寧語も、使い慣れないと、日本人にも難しいものです。これは若い人に限りません。戦後、教育現場もだんだんかつての高圧的すぎる指導をあらためようということもあって、生徒と対等に接するようになっていったわけですが、その過程で「敬語」もだんだん使われなくなったのでしょう。
■無駄な丁寧語が増えた意外な背景
友だち同士のように教師と生徒が会話していることもめずらしくありません。理不尽なくらい上下関係にきびしいと言われる高校、大学などの運動部でさえ、過度な敬語は使わなくてもよくなりつつあると言います。もっとも運動部の「敬語」というのは、理解不能なくらい特殊なものも多いらしいですが。
日本があいかわずの「立場社会」であることは変わらないものの、上下関係というのは、あいまいなもの、あまりよくないもの、と考えられるようになりつつあるようです。それにともなって、尊敬語や謙譲語、丁寧語を厳密に使い分ける必要が薄れてきたのかもしれません。
ただ、同時に、企業が「コンプライアンス」を非常に気にするようになるにつれて、逆に「無駄な丁寧語」「過度な謙譲語・尊敬語」が増えつづけているような気がします。
ここまで不思議な敬語が増えてしまった理由は、社会状況や、家庭、教育現場、職場環境の変化があることは確かですが、もうひとつはやはりメディアの影響が大きいと思います。
■アナウンサーの標準語を手本にしてはいけない
メディアで使われる「敬語らしきもの」が、かなりめちゃくちゃで、明らかな「間違い」も多いので、もうちょっとなんとかしてほしいと思わざるを得ません。私は何度もアナウンサーが話す標準語が「日本語のお手本だとは思わない」「好きじゃない」と記しましたが、やはり明らかな誤用、不愉快な言い回しはするべきではないと思います。
写真=iStock.com/Grafissimo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Grafissimo
もちろん新聞や雑誌の原稿もそうです。テレビ番組も、新聞でも、場合によって「あえて流行語を使う」ことはむしろ賛成ですが、通常のニュース原稿、解説、ナレーションなどでは、少なくとも誤用ではない、違和感や不快感を感じさせない言葉を使ってほしい。
下重暁子『怖い日本語』(ワニブックス【PLUS】新書)
「違和感」「不快感」は、先ほどの例にもあげたとおり、個人差がありますが、最低限「明らかな誤用」はメディアにかかわる以上、避けるべきだと思います。
ネットにあふれるテキストや動画などは、まさに玉石混交です。最近は新聞をとらない人が増え、ニュースもネットで見るという人が増えましたが、それでも新聞、テレビの影響力はまだ小さいとは言えません。
日本新聞協会がまとめた「放送で気になる言葉敬語編」「新聞用語懇談会放送分科会編集」という小冊子が手元にあります。2004年の発行なのでだいぶ古いのですが、敬語については大きく変わらないと思いますので、いくつか日常的な例だけ、紹介しましょう。
■【クイズ】正しい敬語はどれか
冊子ではさまざまな場面の敬語を「誤用」と「正しいもの」に分けて解説し、文法的になぜ「誤用」あるいは使わないほうがよいものなのかを示しているのですが、解説ははぶいて、ちょっとクイズのようにしてみます。
以下の敬語のうち、誤用だと思うものはどれでしょう???
①先生が申されたように
②殿下は美術館にお立ち寄りになられました
③ちょうど今、御社の◯◯さんがお見えになっております
④今朝、優勝した◯◯選手が故郷に戻ってまいりました
⑤このスカーフは女王陛下も愛用しております
⑥どうぞ、こちらの料理をいただいてください
⑦たいへんお安くお求めできます
実は、すべて「誤用」とされています。正しい言い換え例と、簡単な理由は以下のようになります。
■かえって相手を不快にさせる
①先生がおっしゃったように
(「申す」は謙譲語、尊敬語は「おっしゃる」)
②殿下は美術館にお立ち寄りになりました
(「お立ち寄り」と「なられる」の二重敬語)
③ちょうど今、御社の◯◯さんがお見えになっています
ちょうど今、御社の◯◯さんがおいでになっています
(「おります」は「いる」の謙譲語)
④今朝、優勝したチームの選手たちが故郷に戻って来ました
(「まいりました」は「来る」の謙譲語)
⑤このスカーフは女王陛下も愛用されています
このスカーフは女王陛下も愛用なさっています
(「おります」は「いる」の謙譲語)
⑥どうぞ、こちらの料理を召し上がってください
(「いただく」は「食べる」の謙譲語、「召し上がる」が尊敬語)
⑦たいへんお安くお求めになれます
(「できる」は「する」の可能表現で、尊敬語ではない)
とにかく「失礼」のないようにと思って使ったつもりが「かえって相手を不快にさせる」こともよくあるということ。あんまり神経質になりすぎるのもどうかとは思うけれど、少なくともメディアはもう少し気を使うべきです。
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下重 暁子(しもじゅう・あきこ)
作家
1959年、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。同年NHKに入局。アナウンサーとして活躍後、1968年にフリーとなる。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。公益財団法人JKA(旧:日本自転車振興会)会長、日本ペンクラブ副会長などを歴任。現在、日本旅行作家協会会長。『家族という病』、『極上の孤独』(ともに幻冬舎新書)、『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』(集英社文庫)、『人間の品性』(新潮社)、『孤独を抱きしめて 下重暁子の言葉』(宝島社)、『ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考』(草思社)など著書多数。
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(作家 下重 暁子)