なぜ「不適切にもほどがある!」が中高年に刺さるのか…令和のモラルを「だから景気が悪い」と切り捨てる毒気

2024年2月23日(金)11時15分 プレジデント社

CX系ドラマ「心がポキッとね」制作発表に登場した俳優の阿部サダヲ(=2015年3月31日、東京都江東区) - 写真=時事通信フォト

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ドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系・金曜22時〜)が中高年の話題をさらっている。ライターの吉田潮さんは「宮藤官九郎の脚本が素晴らしい。昭和と現代をうまくデフォルメしてコミカルに描きつつ、両時代への批判的な目線も忘れていない」という——。
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CX系ドラマ「心がポキッとね」制作発表に登場した俳優の阿部サダヲ(=2015年3月31日、東京都江東区) - 写真=時事通信フォト

■「ふてほど」にハマる人、ハマらない人の違い


おかしいやら懐かしいやら恥ずかしいやらで、中高年の心をわしづかみにしている「不適切にもほどがある!」。


1986年の空気を体感した人は、劇中のワードに失笑して懐かしむ。知らない人は即スマホで検索。一部のマニアは「その漫画は1985年に連載が終わっている!」など、史実に忠実を求める「忠実屋」と化している。あ、忠実屋ってのも、もうないのよね。


気のせいか、今期のTBSドラマはスマホ片手が欠かせない作品が多い(「Eye Love You」のチェ・ジョンヒョプの心の声がわからず、Google翻訳であたふたしているのは私だけか)。検索上昇ワードで話題作り、戦略は成功だ。


テレビ局の宣伝部が喜ぶ4文字作品「ふてほど」の、個人的にこういうところが「好き&すごい」をまとめてみる。


1986年に中2だった私は第1話を観て、威圧的かつ女性蔑視の体育教師や竹刀で生徒をこづく教師、苦い部活生活などを思い出し、『シェイプアップ乱』というところでぐっと身を乗り出した(ド貧乏な左京君がタイプだった)。


ただ、まったくハマらない人もいる。おそらく「ふてほど」は昭和の男子臭が強めの公立共学ベースなので、あのノリについていけない人や女子校育ちの女性はピンとこないのかもしれない。平成生まれ・平成育ちには、昨年ヒットした「ブラッシュアップライフ」(日テレ)のほうがしっくりくるのかもしれない。


■なぜクドカンは1986年を舞台にしたのか


それでも1986年は、令和との比較対象としてちょうどいい年だと思う。まず、「バブル好景気」「バブル崩壊」「天皇崩御による改元と自粛」よりも前であること。異様な好景気で浮かれて、札束で頬叩くような時代でもなければ、不敬と不謹慎を避けて過剰な自粛モードの時代でもない。大震災もまだ起きていない。


プロレスもプロ野球も地上波で中継されていたし、実力と人気の高いアイドルの百花繚乱(りょうらん)期で、歌番組も毎週放送されていた。萩本欽一の牧歌的なコント番組「欽ドン!」(フジ)・「欽どこ」(テレ朝)・「週刊欽曜日」(TBS)は終了している。不道徳がエンタメの一端を担った時代で、子どもが熱狂するお笑いがドリフの「8時だョ!全員集合」から「オレたちひょうきん族」へと完全にシフトし終えた頃だ。


写真=iStock.com/HomePixel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/HomePixel

ドラマでいえば、80年代前半の定番ホームドラマから「不良の更生」「不倫に寛容」などの流行を経て、能天気なトレンディドラマが台頭する直前である。ついでに言えば、バラエティでも連ドラでも2時間ドラマでも深夜の情報番組でも、女性の胸と尻が地上波でばんばん野蛮に映し出されていた時代でもある。


昭和の粗暴さや不道徳をある程度引き継ぎながらも、新しい挑戦が採用されていく。要するに1986年はコンテンツの幅が広く、自由度が高く、子どもも大人もみんなテレビに夢中だった頃だ。


その数年後に「狂乱と悲劇と自粛の嵐」が訪れるわけだが、そんなことを想像すらしていない、きわめてのんきな頃の昭和を設定したのがよかったのではないか。不謹慎・不道徳はもちろんのこと、無配慮と不適切にひりつく令和と比べるのに最適なわけよね。


■昭和と平成の比較はなんだか切ない


ちなみに「1986年」ドラマがもうひとつある。2020年にBSテレ東で放送した「ハイポジ〜1986年、二度目の青春〜」だ。リストラされ、妻には離婚を切り出された46歳の天野光彦(柳憂怜)。自暴自棄で訪れた激安ソープ店ですっ転び、気が付くと16歳の自分(今井悠貴)に戻っていた。それが1986年。


ハイポジとは高音質のカセットテープのこと(「ふてほど」でもカセットネタがあったね)。30年タイムスリップ&若返った光彦は好きな女の子とウォークマンで中村あゆみのヒット曲を聴くシーンがあり、甘酸っぱい青春リベンジとともに当時の歌謡曲がこれでもかと流れるドラマだった。


他にも、ゲーセンの息子(田中圭)の恋と友情と厳しい現実を描いた「ノーコン・キッド〜ぼくらのゲーム史〜」(2013年・テレ東)があった。1982年〜2013年までの来し方を描き、1986年は高3受験生という設定だ。1986年限定でもタイムスリップモノでもないが、昭和〜平成のゲーセン文化を振り返ることができ、平和な享楽から不穏なビジネスへと変遷したゲーム業界の憂いも描いていた。


どちらも「あの頃はよかった」と思わせる懐古の情と「あのときこうすればよかった」という後悔が滲み出る、ちょっとやるせない展開だった。昭和と平成の比較はなんだか切なくなっちゃうのよね、どうしても。


■本当は令和も昭和もどっちもいい


一方、「ふてほど」は底抜けに明るい。野蛮だけど自由で開放的な昭和を礼賛し、コンプライアンスに縛られてハラスメントに怯える令和をディスる……だけではないところもいいと思っている。


デフォルメしてコミカルに盛ってあるし、1周回ってどっちもどっちだからだ。


昭和がそんなに開放的だったかというと、そうでもない。「男にとっては天国」なだけで、女にとっては居心地の悪さや息苦しさがあったから。一方、令和がそんなに神経質でがんじがらめかというと、そうでもない。昭和に比べれば、女が主語を取り戻し、権利を主張できるようになってきたから。


昭和に思春期で苦虫噛み潰した人間からすれば、多様性を謳う令和のほうが平穏で自由でずっといい。でも令和に息苦しさを覚えている人は、直情的で野蛮な昭和を新鮮と感じるのかも。


どっちにも長所短所があり、真ん中の平成三十数年に何があってこうなったのかを答え合わせしたくもなる。おっと、そろそろ中身の話を。


新元号「平成」を発表する当時の内閣官房長官・小渕恵三(画像=人事院ホームページ/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

■適材適所でハマるキャスティング


阿部サダヲが演じる主人公・小川市郎は、昭和の典型的な体育教師で、娘に過干渉なシングルファザー。傍若無人で直情径行なキャラでも、威圧感・威厳・渋さ知らずの阿部が演じるとなんだかかわいい。甲高い声で罵詈(ばり)雑言を吐くも、一言一句しっかり聞き取れる滑舌の良さ。歌って踊って罵れる適役である。


ここんとこ不気味で不穏な役(映画『死刑にいたる病』やNHKドラマ「空白を満たしなさい」)が続いたので、縦横無尽に暴れるかわいいおじさん役を微笑ましく見守れる。


そんなおじさんの娘・純子を演じるのは河合優実。父の罵声に罵声で返す姿も、性欲にわりと素直な感じも、つっぱっていても実はウブで父親思いなところも、全部愛おしい。「17才の帝国」「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」「神の子はつぶやく」と特にNHKのドラマで幅広いポテンシャルを見せつけた、鈍牛倶楽部期待の星だ。このふたりは昭和在籍の親子ね。


一方、令和の親子もハマリ役。社会学者でフェミニストの母・向坂サカエを演じるのは吉田羊。昭和男・市郎の暴言に呆れながらも、研究対象として観察する冷静さ。うっかり昭和マインドに毒されかけても、羊姐さんの淡々としたツッコミが引き締めてくれる。


そんな羊姐さんが心配する一人息子・キヨシを演じるのは坂元愛登。「100万回言えばよかった」(TBS)では佐藤健の少年時代を、「unknown」(テレ朝)では田中圭の少年時代を演じたが、今回は性欲の塊だが配慮もある中2男子を好演。今回の役で幅が広がり、引く手あまたになる予感。


■八嶋智人よ、ありがとう


タイムスリップした市郎が令和で出逢って恋をするのが、テレビ局勤務でシングルマザー(になった)犬島渚。仲里依紗が令和の憂いを携えて演じているが、阿部とは「恋する母たち」でも恋仲の役どころだったので、相性がいいイメージもある。相性がいいどころか、どうやら市郎とは別の意味で濃い縁があるようで。


劇中で唯一、二役演じるのが磯村勇斗だ。昭和ではマッチが好きなムッチ先輩こと秋津睦実役、令和ではその息子である秋津真彦役。昭和では真剣さが逆に道化に見えるおいしい役だし、令和ではスマートなバランサーとして市郎を支える重要な役どころだ。歌も含めて技量の確かな座組には絶大な安定感がある。


また、ケーシー高峰風のMCズッキーを演じたロバート秋山、事なかれ主義のプロデューサー役の山本耕史、インティマシーコーディネーター役のトリンドル玲奈も説得力があった。


たとえ脇でもゲストでも、説得力のあるキャスティングはドラマの要。制作陣のセンスと矜持がとわれるところだ。演技というか、本人の人柄と人徳のなせる業をうっかり披露した八嶋智人も最高。テレビ局がひそかに芸能人を格付けしている公然の秘密を確認させてくれてありがとう。


■毒に込められた深いメッセージ


各話タイトルが疑問形なので「ふぞろいの林檎たち」を思い出す。山田太一オマージュと勝手に思いを重ねている。


毎回のミュージカルシーンが苦手な人もいると聞くが、あれはあれで重要だ。セリフだと説教くさくなる内容を歌詞にのせる。ちあきなおみ、尾崎豊、矢沢永吉、QUEEN、シュガー……名曲をちょいアレンジで端的に表現すると、重さやウザさを和らげる効果がある。うまいんだよね、アレンジが。


また、昭和と令和の場面転換が流れるようにスムースで身悶える。長回しワンカット信奉でもなく、無駄なコマ切り編集でもない。小気味よくテンポをキープしながら、絶妙に意味を関連させていく妙。異なる時空とシチュエーションがちゃんとつながっていく気持ちよさはクセになる。うまいんだよね、スイッチが。


私が愛してやまないのは劇中に仕込まれた毒だ。令和のモラルに対して「そんなんだから時給は上がんないし、景気悪いんじゃないの?」「挙句の果てにロボットに仕事とられて」と吐き捨てる市郎。哀しい現実にぐうの音も出ない。


昭和から継続して若い女性を売るヒットメーカーの秋元康には「地獄に堕ちるな」と敬意を込め、近藤真彦の曲名を性的なセリフに多用することで帝国の終焉(しゅうえん)を暗に込めた。


マッチが好きなムッチ先輩は「BANZAI〜」と歌いながら純子の服を脱がせたものの、一線を越えることができず「俺の愚か者がギンギラギンにならない……」と呟いたりで、ああ、時代は変わった、自由になったのだと痛感した。


右へならえの良識に釘を刺し、働く人の本懐に触れた1・2話、斜陽産業となったテレビ業界の自虐を詰め込んだ3・4話。中盤ではどんな毒と皮肉がまぶされてくるか。


クドカンが描く親子モノはかなりの確率で泣かされるので心しておかねば。


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吉田 潮(よしだ・うしお)
ライター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆。2010年4月より『週刊新潮』にて「TVふうーん録」の連載開始。2016年9月より東京新聞の放送芸能欄のコラム「風向計」の連載開始。テレビ「週刊フジテレビ批評」「Live News イット!」(ともにフジテレビ)のコメンテーターもたまに務める。
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(ライター 吉田 潮)

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