「子供を産まず、育てない人たちは自分勝手」という見方はおかしい…非婚非出産のコラムニストが言いたいこと

2024年2月26日(月)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

写真を拡大

子供を産まないことは「自分勝手」なのだろうか。「非婚・非出産」を公言しているコラムニストのクァク・ミンジさんは「社会にはいろいろな形の『養育者』がいる。出産をしないことで携わることのできる子育ての形もある」という——。

※本稿は、クァク・ミンジ著、清水知佐子訳『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(亜紀書房)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

■「愛されている」という確信を与えてくれた伯母


私は母方の伯母がとても好きだ。私が幼いころ、伯母は出版社で働いていて、彼女の定番ファッションともいえる青いスーツが私は本当に好きだった。彼女は私が知っている中でいちばん優しい大人で、一緒にいるときはいつも愛されているという確信があった。あの温かいまなざしが恋しくて、母方の親戚に会いにいくときはいつもうきうきした。


彼女は母と違って私を叱ったりしないし、父と違って私をからかったりもしなかった。当時も今も、色黒であまり笑わなかった私はかわいらしい子供とは程遠かったけれど、彼女といるときだけはそんなことを忘れられた。


彼女は、うちの家族が大田(テジョン)に住んでいたとき、ワンオペ育児をしていた母とかわいい2人の姪に会うためにしょっちゅう訪ねてきた。いつも本やかわいい洋服をたくさん持ってきてくれて、中でも私はすべすべした素材のワンピース型のパジャマが気に入っていた。その理由の一つは、いつもお下がりを着ていて新しい服を買ってもらうことはほとんどなかったからで、うれしさは格別だった。


二つ目の理由は、そのパジャマの体を包み込む優しい感触が彼女のまなざしに似ていたからだ。「伯母さんがいちばん好きだな」、「伯母さんがいちばんきれい」、「伯母さんは私を好きなんだ」といつも考えていた。彼女が大きな満月のように柔らかい光を放ちながら私を抱きしめてくれる人だとすれば、私はいつも窓を開けてその大きな月を見つめるように彼女を慕っていた。


■育児は死ぬほど大変なこと


甥ができたことは私にとって大きな事件だった。かわいいのはもちろんだけれど、あまりにも好きすぎて見ているだけで胸がいっぱいで、甥が飛び跳ねていると、目を離した隙にけがでもしたらどうしようとどきどきするほどだ。


姉が産後うつで苦しんでいたとき、「子供がかわいくて仕方ないのに、かわいいでしょうって自慢できる相手がいなくて。それがとても寂しい」と言ったことがあるが、私はすぐにその言葉の意味を切ないほど理解した。そして、育児は物理的に死ぬほど大変なことではあるけれど、育児ストレスの本質は死ぬほど愛する気持ちそのものだということも知った。


体力と精神力を絶えずすり減らし、満身創痍の状態でも最善を尽くしてあげたいと思う切実な気持ちがどれだけ心を疲弊させるかを垣間見てからは、姉に仕事のことで泣き言を言ったり偉ぶったりしなくなった。


■姪と甥への「愛の告白」


私は姉のおかげで子供の世界がどれだけふわふわしていて繊細かを知った。妹が生まれ、突然赤ちゃんからお兄ちゃんになったジュンはある日、「ジュンはどうしてこんなにかわいいの?」という質問に「大きくなってないから」と答えて私をどきりとさせたことがあった。よくよく聞いてみると、公園で会ったおばあさんが「あれぐらいのときがいちばんかわいいよ。大きくなってごらん」と言うのを聞いたという。自分より小さい存在が生じた子供にとってその言葉がどれだけ恐怖だったことか、想像に難くない。


それ以来、「ジュンは大きくても大きくなくても本当に大切な存在だよ。叔母さんはジュンが大きくなってもならなくても大好きだよ」と何度も言ってあげた。そのことがあってから、ジュンにも妹のソルにも「かわいいね」、「お利口さんだ」、「よくできたね」よりも「大好きだよ、ジュン」、「私の大事なソル」みたいな言葉をかけるようになった。


母方の伯母が私に向けてくれた温かいまなざしを私もジュンとソルに与えることができているだろうか。そんなことを気に病みながら2人の子供に私の愛をせっせと告白しているところだ。


■「なぜ自分の子を産まないのか」という質問


ジュンとソルを溺愛している私に、まわりの人は「そんなにかわいいなら、自分の子を産めばいい」と言う。それに対して私は真面目に、「いい叔母さんになるだけで精いっぱいなのに」と返す。人は私が子供のいない寂しさをジュンとソルをかわいがることで埋めていると思っているのだろうが、私には母方の伯母というすばらしいロールモデルがいて、彼女のおかげで子供の世界にはいろいろなタイプの大人が必要だということを知っている。


母や父といった主養育者、伯母のように近くにいて無償の愛を確信させてくれる親戚や知人、スーパーで何か悪さをしてしまったときに叱るのではなく安心させてくれる従業員、過ちを犯したら愛のある説教をしてくれる師匠……。


私にとって伯母は主養育者である両親の次、つまり3番目に好きな大人ではなくまったく別の領域で私を育ててくれた人で、私と伯母の間にある連帯関係は、私と両親の間のそれとは完全に別次元のものだ。そんなふうに人生の重要な瞬間に現れ、ふわふわで繊細だった私の世界をよい方向に導いてくれた大人が確かにいた。


私は自分の子を産む計画はないけれど、ジュンとソルにとって意味のある存在になるつもりだし、道端で出会う多くの子供たちが傷ついたまま一日を終えることがないよう、社会の共同養育者としての役割を果たすつもりだ。


食堂や交通機関で子供が泣いているとき、それを黙認するのは寛容なのではなく現代市民の義務であるということを忘れず、ノーキッズゾーン(注)が明らかな児童嫌悪であるということを機会があるたびに話すこと、道を聞いたり助けを求める子供がいたら、丁寧に最大限の手助けをすること、ジュンとソルを含むすべての子供たちが、自分がどんな存在であっても、どんな存在を愛していても安全を感じられるよう私にできる行動を起こし、文章を書くこと。それが社会の共同養育者の一人として生きる私にとって重要な養育活動だ。


(注)レストランや居酒屋、ナイトクラブなど子供の立ち入りが禁止されている場所。韓国で2014年ごろから広く使われはじめた用語で、2023年現在、500カ所以上あるとされている。


写真=iStock.com/NataliaDeriabina
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NataliaDeriabina

■産まないことで「機動性のある叔母」になれる


子供を愛するあまり子供を持たない人がいる。新しい生命を誕生させることは崇高な行為だけれど、すでにこの世に生まれ落ちた命に大きな関心も持つことも大事だ。そして、出産しない女性のサンプルであることも、社会的な共同保育の一環だと信じている。



クァク・ミンジ著、清水知佐子訳『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(亜紀書房)

私が非婚、非出産で生きることによってジュンとソルに何かあればすぐに駆けつけられる機動性のある叔母になり得ると同時に、非婚、非出産で生きてもいいのだという当然の選択肢を子供たちに示すことができるという点で重要だ。声も性格も似ている年子の姉と私はまったく異なる生き方をしているけれど、それは単なる差異であってどちらかが間違っているのではないということを示すために私たちは、それぞれの場所でそれぞれのことを語る。


ジュンの夢は叔母さんみたいな作家になることで、ソルは母親のやることをそっくり真似をする。私たちはつねに2人を抱き寄せ、何になっても何をしても構わないのだと伝えたくて一生懸命生きている。


■「養育者」にはいろいろな形がある


あるアメリカのドラマで、病院の院内保育所に子供を預けていく女性医師にほかの医師が力強く声をかけるシーンがある。


「子供に悪いだなんて思わないで、堂々と行ってくるねと手を振って職場に向かいなさい。そんな母親の後ろ姿を見ながら、あなたの娘もあなたみたいな格好いい女性になるはずよ」


そばにいて頰に口づけをしてくれる養育者もいれば、私の伯母みたいに大きな月のようにいつでも眺めることのできるロマンチックな存在でいてくれる養育者もいる。傍らで子供の安全を守る養育者もいれば、まだまだ危険な世の中を少しでも安全にしようと外の世界で懸命に働きかける養育者もいる。私は主養育者である両親だけでなく、そんな多様な養育者のおかげで多くの短所や欠陥を補い、保護されながら生きてきたと思う。


写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

■非出産者なりの「社会的養育活動」


子供を産まず、育てない人たちは自分勝手だという見方は、彼女たちなりの社会的養育活動をいとも簡単になかったものにしてしまうことに使われたりもする。もちろん、個人としての養育者と社会的養育者の両方の役目を果たす人もいるけれど、世間で言われるように非出産者がそのどちらもしていないというわけではない。


今、誰かの家で保護されている子供がいたとして、その子は子供を産んでいない人たちの努力によってよりよいところで暮らせているということだってあるだろう。少しでもよい大人になろうと努力し、過去の自分を恥じ、私と違った生き方をしている人たちに目を向けることは、自分の子を保育所に連れていき、家で食事を用意して待っている姉の心の延長線にある。


ジュンとソルが将来何になるかわからないという事実は、私の世界まで柔軟性のあるものにしてくれる。だから、あきらめられない。ジュンとソルがかわいくてたまらないから、私は今のまま力いっぱい生きることをやめられない。


■「なぜ自分の子を産まないんだ」と言うのはやめよう


母方の伯母がどれだけ私の世界をよりよいものにしてくれたことか。いつか、彼女が私にとってどんな存在であるかを本人にじっくり話して聞かせてあげたいと思いながらいまだに実行できずにいて、だからこれを書いている。なぜなら、今でも伯母は私に会うと愛情を示すのに忙しく、話す隙を与えてくれないからだ。そういう私も、伯母の温かさをめいっぱい味わうのに忙しくて話す余裕がないのだけれど。


私にとってとても大切な人、私を作った大きなピースの一つである伯母のチョン・インソンにこの文章を捧げたい。月のような彼女のおかげで私もそんな叔母になりたいと思えるようになったことが、私の成長にどれだけ役に立っていることか、想像もできないだろう。


そして、もう一つ。子供がそんなに好きなら、どうして自分の子を産まないんだと言うのは本当にやめよう。そんな論理なら、ビール好きの私はまず醸造所を作らなくてはならないことになる。人生はそんなに単純なものではないのだ!


----------
クァク・ミンジ
エッセイスト、コラムニスト
韓国・大田生まれ。高麗大学日本語・日本文学科卒業。広告やテレビ番組、モバイルコンテンツの制作者。非婚ライフ可視化ポッドキャスト「ビホンセ」の制作者兼進行役を務める。独立出版レーベル「アマルフェ」の代表でもある。比較的一人世帯の多いソウル・解放村在住。著書に『歩いてお祭り騒ぎの中へ』『私は悲しいとき、ポールダンスを踊る』などがある。
----------


(エッセイスト、コラムニスト クァク・ミンジ)

プレジデント社

「出産」をもっと詳しく

「出産」のニュース

「出産」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ