害虫の卵がびっちりついた万年床に失禁して濡れたまま寝る老父…「俺は平気」と強がられた娘が無言でしたこと

2024年3月2日(土)11時16分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ieang

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ろくに入浴しない老父は不衛生極まりないベッドに寝ている。粗相をして臭うけれど、着替えようともしない。同居する40代娘は「ゴミを捨てようとしない態度に何度も殴ってやろうと思った」という。娘は今、パーキンソン病で認知症の母親の介護をしている。父親も自宅内で転倒を繰り返すなど衰えが激しいものの、「俺は平気だ」と強がる。要介護の状態になるのは時間の問題だが、娘はある覚悟で臨む決心をした——。(後編/全2回)
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前編のあらすじ)20年間の婚姻生活にピリオドを打ち、実家に戻ってきた40代の娘。80代半ばの両親が住む家は完全なゴミ屋敷だった。ゴミの中には大量の新品のフライパンや鍋がなぜか50個以上もあり、冷蔵・冷凍庫3台には5年前の食材がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。コロナ禍で帰省しなかった2年の間に親に何が起きたのか——。

■両親のセルフネグレクト


白馬吉子さん(仮名・40代)は夫と離婚し、80代の両親が住む実家に戻った。実家は庭も家の中もゴミで埋め尽くされていた。


なぜ、こうなったのか。実は、母親は78歳の時に「心房細動」を発症していた。


心房細動とは、心房と呼ばれる心臓内の部屋が痙攣し、うまく働かなくなってしまう心臓の病気だ。心房細動は不整脈の一種で、動悸(どうき)、めまい、脱力感、胸の不快感、息苦しさといった症状が出ることがあるが、自覚症状がない場合もある。母親は心配をかけまいと娘に話していなかったのだ。


心房細動を発症して以降、母親は外出をしなくなってしまい、買い物は父親がやっていたようだ。父親は60歳の時に受けた脊柱菅狭窄症の手術後、多少の後遺症が残りながらもなんとか歩けており、まだ電動機付き自転車にも乗れていた。だが、母親に食べたいものを聞くことはなく、自分の食べたいものだけ買ってきて、母はそれをもらっていた。


もともと身内を下に見ている父親は、体調が悪くなり、家事ができなくなった母親を事あるごとに大声で叱責していたようだ。


白馬さんが同居後、父親の寝具類の洗濯をいつしたかを母親に聞いたところ、「私は洗濯したことがない」と返答。そこで、「黄ばんでいるし、ひどい臭いがするから洗濯させて」と訴えたが、「必要ない」の一点張りだった。


「ゴミに埋もれ、食べこぼし、ほこり、フケ、垢だらけの部屋と、害虫の卵がたくさんついた万年床、同じく掃除したことのない空気清浄機、エアコンのフィルターを何とかしろと言って、お互い罵詈(ばり)雑言の大喧嘩を父ともう何回したことか……。一緒に生活している私や母は大迷惑だと言っても、『俺は平気』。ゴミを捨てろと言っても、『全部必要な物』と言い張り、会話にならないので、本気で殴ってやろうかと思いましたが、その度に母に止められました」


父親の「頭の中」がまったく理解できずに困り果てていた白馬さんは、必死になってネットで検索したところ、「これだ!」と思い当たる。それは「高齢者のセルフネグレクト」だった。


「高齢者のセルフネグレクトとは、ほとんど食事をとらない、自分の体や着衣の清潔を保たない……といった行動のこと。自分の体が生命を脅かす健康上の問題を抱えている可能性があっても、医師の診察を受けず、診察を受けても治療を拒否し、処方薬を飲まない。再診も受けない。家は不潔で、荒れて、動物や害虫がはびこっている場合もある……。どれも両親に当てはまることばかりでした」


■母親のパーキンソン病


2021年4月。84歳の母親が、「手が震えるから病院に行きたい」と言う。白馬さんはひとまず、母親のかかりつけの内科へ連れて行った。


医師に相談すると、「パーキンソン病だと思う」と言われ、紹介状を書いてもらう。後日、紹介状を持って大病院の脳神経内科で検査を受けると、


「パーキンソン病ですね。見た感じ元気そうですが、ドーパミンの少なさに驚きました。これは重症ですよ」


と言われ、服薬と通院が決まった。


帰宅して父親に報告すると、「やっぱりなあ! そうだと思ったんだよ! 見てれば分かるよ!」と心配するどころか、ドヤ顔。イラッとした白馬さんが、「だったらなんで早く病院に連れて行かなかったの!」と怒ると、しどろもどろになったあとに、逆切れして怒鳴りだす。


このとき白馬さんは、「若い頃から変だったが、父も何かしら病気なのではないか?」と思い始めた。


■母親の見当識障害


夏になると、母親の物忘れがひどくなってきた。行きつけの歯医者には一人で行けていたが、予約をしたことを忘れてしまうのだ。父親のセルフネグレクトも気になっていた白馬さんは、包括支援センターへ行ってみることにした。


相談すると、すぐに母親の介護保険の申請手続きを勧められる。認定調査の日は、母親の面談にもかかわらず、父親がしゃしゃり出てきて、喋り出したら止まらなかった。支援センターの職員も困り果て、こっそり「お父さまは何とかしましょう。対策を練ります」と言ってくれた。


秋になると、母親に時間や場所がわからなくなる見当識障害が見られ始めていた。心配になった白馬さんは脳神経内科へ母親を連れていき、認知症検査をしてもらうが異常なし。


写真=iStock.com/SetsukoN
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しかしその数日後、母親は目の前にいる白馬さんに向かって、「娘が病院に一緒に行ってくれるって」と嬉しそうに言う。思わず「私が誰だかわかる? 娘は私だよ! 私の顔忘れないでね!」と白馬さんが言うと、母親はハッとして、「分かってるよ! 忘れてないよ! そうだよね〜、何言ってるんだろうね〜」と笑った。


また別の日は白馬さんに向かって、「ねえ、昔の古い家に来たことあったっけ?」と言い出す。実家は白馬さんが10歳の時に建て替えて、25歳まで一緒に住んでいた。目をぱちくりさせ、「お母さん何言ってんの?」と白馬さんが言うと、母親は自分が口にしたことのおかしさに気付き、取り乱して泣き出してしまう。


「この頃の母は情緒不安定気味で、もう何十年も疎遠になっているきょうだいを突然思い出し『今どこにいるか分からないの。元気にしてるかも分からないの』と言って泣いたりもしていました」


白馬さんが「行方探してみる?」と聞くと、「今頼られてもこんな身体じゃ何もできないからいい」と言う母親。この頃、白馬さんは2歳下の自分の弟に連絡を取ろうにも電話に出ず、メールで両親の状況を報告しても音沙汰なしだった。


■急激に衰えていく両親


2021年の年末には84歳の母親に要介護1の判定が出た。


しかし、デイサービスやリハビリへ行くよう勧めても拒否され、家で寝てばかり。年の瀬に廊下で転倒して以来、転倒が怖いと言って入浴も拒否するようになってしまい、着ている物もいつも同じ。


「洗濯するから着替えよう」と言っても、「大丈夫」と言うため、だんだん臭ってくる。


85歳の父親も似たような状況が続いていた。昼間はゴロゴロして夜中にドタバタ動き回り、2週に1回、買い物に行く前日だけ入浴。


耳が遠くなったため、テレビのボリュームを最大にしたまま、一晩中付けっぱなしだった。


2022年2月。85歳になった母親が失禁、便失禁をするようになり、リハビリパンツの使用を開始。


今まで唯一できていた洗濯も、気力がなくなったのか、できなくなってしまう。


だが3月頃、ようやく白馬さんの介助付きでなら、週末に入浴してくれるようになった。


2021年3月に流通系の会社を退職し、有休消化した後すぐに再就職していた白馬さんだったが、この頃は「お母さんを頼むよ」と父親に言って出勤すると、帰ってきた時に母親の体調が悪化して寝込んでいることもしばしば。だが父親は、少しも気にしていない。白馬さんは、「父にはもう期待しない」と心に誓った。


4月。ようやく母親がデイサービスに行ってくれるようになり、白馬さんは喜んだ。


ところが、86歳になった父親は2週に一度の買い物に出かけた先で自転車ごと転倒して起き上がれなくなり、もがいていたところを通行人が発見し救急車を要請。


写真=iStock.com/szelmek
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一度の買い物で積載重量最大の買い物をするのでバランスを崩して転倒したようだ。救急隊員から電話があり、搬送先が決まったら連絡すると言われたが、その約10分後、「本人が、『歩いて帰る。病院は行かなくていい』と言うので救急搬送はしないことになりました。一人で帰すのは不安なので迎えに来てください」との連絡がある。白馬さんは大急ぎで現場まで迎えに行った。


6月。父親、また買い物後に転倒。転倒した場所のすぐ前に住んでいた人が親切で、車で父親と自転車と荷物を運んでくれたため父親は無事帰宅。2度の転倒でさすがの父親も懲りたのか、この後、自転車で一人で外出することはなくなった。


ところが、今度は母親がデイサービスに行きたくないと言い出し、また入浴もしなくなってしまった。


■何もかも拒否する父親


10月。とうとう父親は家の中でも転倒を繰り返すようになった。


夜中の2時頃トイレに向かう途中で転倒し、起き上がれなくなった父親はそのまま夜を明かし、朝、目を覚ました母親に見つかる。


母親に見下げられている形の父親は、「何しに来たんだ!」と息巻くが、起き上がれないままトイレに間に合わず、尿失禁しており衣服はべちゃべちゃ。


母親の力では起き上がらせることができず、父親も誰かに起き上がらせてもらうことを望んでいないため、起きてきた白馬さんは出勤する準備に集中する。それでも母親に対する父親のひどい言い草にイラッとした白馬さんは、「ケアマネさんに来てもらうよ」と声をかけると、介護サービスを利用することを嫌がる父親は死物狂いで起き上がり、トイレに行ってから着替えもせずにベッドへ。とにかく他人の手を借りたくないらしい。白馬さんは母親に、「何かあったら電話してね」と言って出勤する。


「本人はヨレヨレで顔色も悪く呂律も回っていなかったのですが、エベレスト級のプライドがある父には口出しも手助けも無用です。うっかり関わると自分のメンタルがやられます。妻である母ならともかく、自分より下に思っている娘なんかに弱みを見せるわけにはいかないようで、いかにも通常を装っていました。そんな父ですから、打ち所が悪く、後々意識混濁になっても寝たきりになってもどうしようもありません。私は正直父の介護はやりたくないです」


12月になると、買い物にいけなくなった父親がテレビ通販でさまざまな食材を買いあさり、もともといっぱいだった冷凍庫の密度がさらに高まった。


さらに父親は、トイレに行く時間が母親とかぶると、我慢できず浴室でするようになる。


失禁して床を汚すことも増えたため、オムツを勧めるも、案の定聞く耳を持たない。


そんな2023年1月。白馬さんの仕事中に、珍しく父親から電話が入る。母親の具合が悪いらしい。


「すぐに救急車を呼んで!」と白馬さんが言うと、「無理だ。俺は救急車に付き添いできない!」と父親。白馬さんは、「お父さんしかいないでしょ。すぐに救急車!」と言って電話を切ると、上司に早退させてもらう。


途中、気になって家に電話すると、「まだ救急車呼んでない。俺の準備ができてない。着替えもしないと」と父親。その言葉に白馬さんは衝撃を受ける。


以前、買い物に行くことができていた頃、父は2週間に一度しか入浴せず、着替えもしなかった。また、失禁したままの服装でベッドに寝ても平気。にもかかわらず、この日に限って身だしなみを気にする。これが、老いるということなのだろうか。


「自分の服装の心配? 意味不明過ぎる! 全く使い物にならない!」


父親を見限った白馬さんは、すぐに119番通報。救急隊員は、「娘さんが戻ってくる頃まで搬送先は決まらないと思うので、同乗できるでしょう」と言った。


会社から実家は電車で30分。帰宅すると、父親は股引に片足を突っ込んでアタフタしていた。


「結局母は大事には至らず、精密検査を終えたらすぐに帰ってこられたのですが、もし緊急事態だったら母の命はなかったな……と思いました」


■両親の介護


2月になると、母親の物忘れ、薬の飲み忘れがさらに増え、体調もすぐれない日が多くなったため、白馬さんは強制的に訪問診療・訪問看護を、5月には訪問リハビリを開始。


6月には母親が体調を崩し、脱水症状で点滴をしてもらったところ、ケアマネジャーに「お父さんはいますが、もう日中、一人で家で過ごすのは無理です」と言われ、強制的に週2回のデイサービス開始。10月には訪問歯科を依頼した。


一方で、父親の介護認定調査は断念。なぜなら、「俺は大丈夫! 夜もしっかり寝られるし、自分で歩けるし、今のところ何不自由ない! 医者に面倒になることもないし必要もない!」の一点張りだからだ。


認定を受けるには本人の許可と医師の診断結果が必要だが、どちらも得ることができなかったため、「今回は認定調査を受けさせるのは無理ですね」と包括支援センターの職員に言われてしまった。


「買い物や家事などで私の時間が搾取されていますが、父は私に迷惑をかけているという認識はないようです。私が家を出れば、母は一気に認知症が進むでしょう。父は母の話し相手にも心の支えにもならないし、薬の管理も、もちろん介護も一切できません。ゴミ屋敷で虫の湧いた遺体発見! すでに死後半年……なんてことになるかもしれません。そんな状況で私だけ家を出るなんてできないです。私が我慢するのが一番の最善策。他に解決策が見つからず、考えても堂々巡りです。周りの人にこんな愚痴を言っても、引かれるだけなので言えません」


2023年12月。87歳の父親は歯磨きをしないため虫歯と歯肉炎だらけ。歯が1本もなくなり、固形物が食べられなくなったため、訪問歯科サービスを使わざるをえない状態に陥った父親は、ようやく介護認定調査を受け、翌年要介護1と認定された。


「母のことは、最期まで家で看てあげようと思ってます。でも、父には『自分でできるから介助はいらない』と言われているので、父から依頼されない限り一切手助けはしないつもりです。意思の疎通ができなくなったら、さっさと施設に預けたいです」



旦木瑞穂『毒母は連鎖する 子どもを「所有物扱い」する母親たち』(光文社新書)

なお、高校卒業後に家を出た弟とはほぼ音信不通状態だ。


「母のために、『せめて顔だけでも見せに来い』と連絡して昨年夏にやっと会えましたが、両親の身体を心配する言葉もなく、1時間程度で帰りました。もう弟には何も期待していません」


離婚と退職後、父親に丸め込まれる形で同居することになり、なし崩し的に介護に携わることになってしまった白馬さん。最後にこれから介護に携わる可能性のある人へ3点のアドバイスをもらった。


「1点目。実際にしてみてわかりましたが、自分の時間がなくなるので、同居は絶対にしないほうが良いです。2点目。別居のきょうだいに、話だけで介護を理解させるのは無理です。介護はやってみないと絶対分からないので、強制的に1日任せるなど、参加させないとわからないと思います。3点目。私の父のように、自力で生活できないのに介護拒否している場合、親を変えるのは不可能。こういう親には情けは不要です。頼ってくるまで放っておいていいと思います」


白馬さんはこれまでの父親との関わりの中で、「頼ってくるまで放っておこう」という結論に至ったわけだ。そこに至るには、他人が想像しえないような膨大な経験やシミュレーションがあってのことだろう。


それだけの覚悟や納得あっての決断なのだから、この先父親に何が起こっても後悔することはないはず。大切なのは、「自分はやれるだけのことは精いっぱいやった」という「納得のプロセス」なのだ。


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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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