「子持ち女性vs子どもがいない女性の"溝"」は近年、意図的に作られたものだった…産まなかった女性の役割とは

2024年3月3日(日)6時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/oticki

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子どもがいる女性と子どもがいない女性の間にはなぜ「溝」があるのか。ペギー・オドネル・へフィントン著『それでも母親になるべきですか』を翻訳した鹿田昌美さんは「この本を読むと、『溝』は、比較的近年に意図的に作られたものらしい、というイメージが持てるようになる。以前は、産む・産まないにかかわらず、すべての人が子育てに関わることができるようなコミュニティが、多くの地域に、ごく自然な形で存在していたのだ」という——。(第3回/全3回)

※本稿は、ペギー・オドネル・ヘフィントン『それでも母親になるべきですか』(新潮社)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/oticki
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■「溝」を掘り続けているのは誰なのか


「母親になった人」と「母親にならなかった人」の間には、大きな隔たりがある——と、私たちの多くは感じている。子どもを産むか産まないかが、「あちら側」か「こちら側」かを完全に決定し、両者の間の溝は、決して埋まることがないのだと。


でも、その「溝」を掘り続けているのは誰?


——と考えたことは、あるだろうか。


私は、この本を手にして、初めてそんな疑問が頭に浮かんだ。


■「溝」は近年、意図的に作られたもの


そもそも、「溝」は昔から存在したのか。あるいは、何かのきっかけで亀裂が入り、細い溝が何かの力でどんどん広がり、互いに行き来することが不可能になってしまったのだろうか。


本書を読むと、「溝」は、比較的近年に意図的に作られたものらしい、というイメージが持てるようになる。以前は、産む・産まないにかかわらず、すべての人が子育てに関わることができるようなコミュニティが、多くの地域に、ごく自然な形で存在していたのだ。


それでも母親になるべきですか(原題:Without Children: The Long History of Not Being a Mother)』は、歴史の中に存在してきた「子どもを産まなかった女性」にフォーカスし、彼女たちの生きざまとその影響について、当時の社会的背景を解説しながら丁寧に追い、いかに彼女たちが社会のなかで重要な役割を果たしてきたかを検証する内容だ。


■かつて両者は協力し合っていた


著者で歴史家のペギー・オドネル・へフィントンは、子どもを持たずに働く女性であり、「そもそも私が、子どものいない女性の価値や功績について書きたかったのは、自分たちのことをもっと評価してほしい、と思ったからでもある」と終章に記している。職場で、子どものいない人(とりわけ女性)に、子育て中の親のさまざまなタスクの肩代わりが求められることを、苦々しく思ったこともあったという。


しかし、執筆を進めるうちに、いかに母親や家族、子どもたちへのケアが少ないかを思い知り、子育て中の人々に対する態度が和らいだ。母親とノンマザーは「vs構造」によって分断されるべきではなく、次世代を育てるプロジェクトの一員として協力し合うべきなのだ——かつての世界がそうだったように。


■システムが機能するように設計されていない


へフィントンは、アメリカ史を紐解きながら、過去の女性が母親にならなかった理由を6つの章に分けて紹介している。


1)いつも選択してきたから(避妊と中絶)
2)助けてくれる人がいないから(コミュニティの希薄化)
3)すべてを手に入れるのは無理だから(キャリアとの両立の困難さ)
4)地球環境が心配だから(人口増加と地球温暖化)
5)物理的に無理だから(不妊治療)
6)子を持つ以外の人生を歩みたいから(チャイルドフリー)

丹念なリサーチに基づいた、それぞれの時代と場所を生きる女性たちの息遣いが聞こえてくるかのような豊かな人物描写による各人のストーリーが伝えてくれるのは、現代の女性が子どもを持たない理由の多くが、過去の女性たちと共通するものであるということ、そして驚いたことに、「現代生活のプレッシャーや不安や危険に対する考慮が不十分なことを考えると、親にならないという決断は、完全に合理的であると言えなくもない」ということだ。


システムが機能するように設計されていないのだから、たとえ母親になって社会が要求する役割を果たしたとしても、いつまでも勝つことができない。このことは、日本に生きる私たちにとっても、他人事ではない。歴史の中で、ときに静かに抵抗し、ときに声を上げて意見を表明し団結することで自由の権利を獲得してきた一連の流れを知ることは、私たちにとって大きなヒントになるに違いない。


■幸福度の低さは子育て支援政策の遅れが原因


日本ほどではないにせよ、アメリカでは子どもを産まない女性が増えている。生涯に産むと予想される子どもの数(合計特殊出生率)は1.7人であり、2.1という人口置換水準を下回っている。


アメリカの成人を調査した結果、親である人は、子どものいない人に比べて12%も幸福度が低いというデータが得られた。北欧のような、親である人のほうが幸福度が高い国との違いは、子育て支援政策の遅れが原因であることを著者は指摘している。


写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Cecilie_Arcurs

■「自発的に子どもを持たない人」ばかりではない


子どもを産まない理由を説明するときに、個人の選択に焦点を当てることが多い。キャリアを優先したから、身軽な生活を楽しみたいから、だから選択によって母親になることを拒否したのだと。


しかし実際には「自発的に子どもを持たない人」のパーセンテージは非常に少ない。産んで育てるための条件に強い制約があるために選ばざるを得ないケースや、子どもを望んだのに授からなかったケースが少なくないのだ。


また、自由とは、産むことを拒否する能力を意味することもある。1970年代のレズビアンの分離主義コミュニティでは、産まないことが政治的メッセージとなった。


■「すべて」の定義は自分で決める



ペギー・オドネル・ヘフィントン『それでも母親になるべきですか』(新潮社)

女優のジェニファー・アニストンは「私たちは、完全になるために結婚したり母親になったりする必要はありません。自分の『めでたしめでたし』の物語は、自分で決めることができるのです」と、女性が子どもを持つか否かだけで大きく定義されてしまうことへの不満を表明した。


また、興味深いことに、1980年代に『すべてを手に入れる(Having It All)』というタイトルの女性指南本を出し、「すべてを手に入れる」という言葉を世間に浸透させたヘレン・ガーリー・ブラウンにとっての「すべて」の定義は、愛と成功とセックスとお金であり、子どもは念頭になかった。


現代では多くの文脈で、「すべてを手に入れる」とは、キャリアを維持しながら結婚して子どもを産むことを指す。しかし「すべて」の定義は自分で決めてよいのではないか。「私らしく生きる」ことが「すべてを手に入れる」ことと同義であってもよいのではないか。翻訳を終えた今、そんなことを思った。


■キーワードは「連帯」


冒頭に書いた「溝」がどんなに深く掘られていようとも、私たちが「コミュニティ」という、弱まってしまった根っこを育てなおし、社会支援という栄養を与え続けることができれば、再び根を張りながら支え合うことができる。


生物学的生殖に依存しない子どもとコミュニティのケア、「マザリング(母親をする)」に注目したい。地域全体で次世代を育てる感覚が持てれば、溝は浅くなっていくはずだ。


大きな話題を呼んだ『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、2022年)に続いて、『それでも母親になるべきですか』を翻訳させてもらった。別のテーマ、別のカテゴリの女性を扱った本のようでありながら、合わせ鏡のようにも感じられ、キーワードとして「連帯」という言葉が浮かぶところも共通していた。


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鹿田 昌美(しかた・まさみ)
翻訳家
国際基督教大学卒。『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、新潮社)、『なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学』(クラウディア・ゴールディン著、慶應義塾大学出版会)など70冊以上の翻訳を手掛ける。また著書に『「自宅だけ」でここまでできる!「子ども英語」超自習法』(飛鳥新社)がある。
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(翻訳家 鹿田 昌美)

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