豊田章男会長の言葉「いいクルマ」の意味がわかる…トヨタのテストドライバーが悟った「運転技術」以上に大切なこと

2025年3月4日(火)6時15分 プレジデント社

「テクニカルセンター 下山」でテストドライバーとして働く相良優斗さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

トヨタ自動車の企業内学校「トヨタ工業学園」では、3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発に必要な技能を習得する。学園生は卒業後、どのような職場で働いているのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる連載「トヨタの人づくり」。第10回は「テストドライバーに求められる資質」——。
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「テクニカルセンター 下山」でテストドライバーとして働く相良優斗さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■東京ディズニーランドの12倍の広さ


相良優斗、丸田智はふたりとも高等部の出身で凄腕技能養成部にいる。相良は卒業して7年。25歳である。一方、丸田は卒業してから27年経っているから、46歳。ふたりの仕事は、相良はテストドライバーで、丸田はテストドライバー兼メカニックだ。


ふたりに会ったのは下山にできたテクニカルセンター内のテストコースだった。


同所がすべて整備されたのは2024年の3月。場所は豊田市と岡崎市にまたがる山間部である。敷地面積は約650ヘクタール。東京ディズニーランドが約51ヘクタールだから、約12倍だ。うち6割は本来の森林である。加えて、新たに緑地を造成し、自然環境を維持・管理するという。


マスタードライバーであるだけでなく、レーサー、モリゾウとしても知られる豊田章男は下山テストコースについてこんなメッセージを発している。


■ジェットコースターのような重力がのしかかる


「道がクルマを鍛え、クルマをつくる人を鍛える現場。『もっといいクルマ』の車両開発を進めていきます。GR、レクサスのメンバーなど総勢3,000人が、ここで『走る・壊す・直す』を繰り返してまいります。私もマスタードライバーとして“下山の道”をたくさん走ってまいります。“下山の道”がクルマをつくる……。生産工場ではありませんが、これから“下山産のクルマ”が世界のあらゆる道を走り、たくさんの人を笑顔にしてまいります」


わたし自身、丸田が運転する車(GRヤリス)に乗ってコースのひとつ、ドイツのニュルブルクリンクを模した道を走った。高低差のあるレース用の道である。高速で走るだけでなく、ジェットコースターに乗っているようなGがかかる。助手席で座っているだけだったが、素人は乗るだけで疲弊する。テクニカルセンター下山で毎日、テストドライバーをやれと言われたら(そんな立場にはならないが)、「お世話になりました」と申し述べるに違いない。


組み立て工場で働くことはできる。ロボットや水素や自動運転の開発をやれと言われたら、おずおずとやる。しかし、凄腕技能養成部でテストドライバーをやれと言われてもそれは困る。わたしはテクニカルセンター下山と凄腕技能養成部に鍛えられた。モリゾウが言った通り、そこはクルマと人を鍛える場所だった。


■若い世代こそが必要だった


20代の相良がテストドライバーになったのは久しぶりのことだった。当時、社長だった豊田章男はモリゾウという名前でレーシングドライバーをやっている。トヨタが所有しているテストコースで走ることも多い。そこではテストドライバーたちと会って、話をする。しかし、彼らがやや高齢化していることに気づいた。


「若い世代のテストドライバーも必要だ」と学園長に伝えた。そこで、学園を出てテストドライバーをやっていた菅原政好を始めとする選抜コミッティができて、相良にたどり着いた。


相良本人はドライバーになりたいと思って学園に入ったわけではない。「自立したい」。それだけだった。彼自身はこう話す。


「長崎県の島原で生まれて育ちました。保育園から中学までクラスの友達が全員同じでしたから、最初は佐世保高専を受けたいと思った。ですが、そのときに学園が舞い降りてきました。学園にしたのは島原から離れているから、自立したい、家を出たいのがいちばんでした。


学園では普通に勉強していました。生活としては、あの時、テレビというメディアから離れたっていう気がします。寮の食堂にはあるけれど、部屋にはないからテレビを見ない生活になりました。寮の部屋は5人部屋で、いやあ、なかなか大変なものでしたけれど、慣れたと思ったとたん。あれ、終わったのという感じです」


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トヨタ工業学園の専攻は鋳造科、機械加工科、木型科など多岐にわたっており、自動車開発に必要な技能を学ぶ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■ベテランたちが選んだドライバーの“資質”とは


学園時代のもっとも印象に残るできごとは凄腕技能養成部への配属が決まったことだった。


学園はまずモータースポーツ養成講座をつくり、それを受講した生徒のなかから5人の候補を選んだ。そして、菅原を始めとする凄腕技能養成部の人間が相良を選んだ。


菅原たちの観点は次の通りだった。


「24時間車好き」「どんな場面でも負けない、ど根性があるやつ」


菅原はテストドライバーの資質についてこう説明したという。


「テストドライバーはメカニックもやる。メカニックは露天で車の下に潜り込んで働く仕事だ。冬でも夏でもやる。寒かろうが暑かろうが雨降ろうが関係ない。ぐしゃぐしゃに壊れた車を短時間で動くようにもする。あらゆる環境のなかで仕事をしなければならない」


それに耐えうる人材が相良だった。加えてメンタルの強さだけではなかった。ドライバーとしては動体視力、バランス適正、ラリーのコドライバーもやるとなると計算能力もいる。そうしたすべてのテストを経たうえで5人の候補を面接した。そして、菅原は当時、学園長だった田口(守)と話して、相良に決めた。


学園の2年時から相良は凄腕技能養成部に配属同様の形となり、1年の3分の1は同部にいた。


■ハンドルを握って「思い通り」と思えるか調べる


卒業した後、相良は本社技術エリア内にある凄腕技能養成部に配属された。


「僕が配属されて職場先輩になっていただいた人が31歳。僕は18歳でしたから、かなり年上でした。他の職場だとあまりないことです。職場先輩は2つとか3つ上というケースがほとんどですから。僕の職場先輩は班長。相当、上でした。


やっているのはとにかく車に乗ってテストを行うこと。操安のチェックです。操安とは操縦安定性、そして乗り心地です。ユーザーがハンドルを握って思いどおりで楽しいなと思えるような操縦安定性と乗り心地をチェックしています。


テストしているのは市販化に向けて作り込んだ車で、いわゆる試験車です。試作車は試験車の前の段階の車のこと。今、乗ってるのはカムリ。左ハンドル、右ハンドル両方ありますし、ガソリン車とハイブリッドのどちらも乗ります。


走りながら乗り味をよくしていく仕事ですけれど、第一は違和感を感じたら言葉にして開発に伝えること。


例えば、カーブに対してこのぐらいで曲がれると判断してハンドルを切った時、曲がり過ぎてしまったり、あまり曲がらなかったと感じたとします。その場合が違和感です。自分自身の想定には合わない動きを車がしたからです。その場合は自分の意図と同じくらいに車の操安性を合わせてもらう。ただし、私ひとりが乗るわけではなく、他の人も乗ります。それぞれで車に対する官能は変わりますから、私ひとりの評価が通用するわけではありません。


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ジャパンモビリティショーで展示されたトヨタのコンセプトカー=2023年11月、東京都内 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「乗り味」とはなにか?


乗ること、運転することはもちろん大事なのですが、それと同じくらい大切なのが自分の官能をうまく言葉に出して伝えていくこと。『この車ってすごい曲がる』と言ったとしても、『それはどういう操作をした時のことなの? すごいって、どれくらいすごいの?』と言われて、言葉に詰まってしまいました。すごいではいけないのです。また、曲がったのはゆっくりハンドルを切ったのか? それとも早く切ったのか? それもまた大事です。


そうした情報を合わせて伝えていって、乗り味を良くしていかなくてはならないのです。計測器も使うのですが、やはり乗り味は人間の官能が重要になってきます。数値と官能をすり合わせて評価します」


試作車、試験車に乗り、官能を基に車を鍛えていくのが凄腕技能養成部の仕事だ。昔からの自動車会社であれば、また規模の大きな自動車会社であればこうしたドライバーはいる。トヨタは車種が多いからテストドライバーの人数も多い。わたしは下山のテストコースを3回、訪ねたが、毎回、数台の車がテストを繰り返していた。


■毎日7時間、パターンを変えながら走行


「テストドライバーですと言うと、大丈夫ですか? 危なくないのですか? と聞かれます。テストコースは危なくないように作ってあるコースです。ですから、基本的にはコースに危険はありません。角度のあるカーブであっても、速度を落とせば曲がれるように造ってあります。しかし、それでも危険はないとは絶対に言いきれません。路面が濡れていたりしていた場合の対処法でもある運転訓練はやりますし、走る前の安全チェックも徹底しています。


試験車、試作車であっても危ないことはありません。ただし、たまに試験車で制御が入らない車を運転するケースもあるわけです。その場合は危険が伴うのですが、徹底的なチェックをしたうえで運転します。


1日に乗る時間ですけれど、サスペンションのアブソーバーチューニングを試験する時がいちばん長い。朝の8時半からほぼ1日ですね、7時間とか乗っています。それもただテストコースを旋回しているだけではなく、走るパターンを決めて走るわけです。ショックアブソーバー自体を作っているのは協力会社の方たちなので、そこから来ているチューナーさんと一緒に仕様を作り込んでいきます」


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20代のテストドライバーは、トヨタ社内でも久しぶりのことだった - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「乗り味がいい」は計測器で測れない


「乗り味はショックアブソーバーの仕様で全然違ってきますし、それを設計して製品が出るまでには4、5年かかります。新車の開発は3年プラス、車の乗り味を試すのに2年といったところです。2年の間、ほぼ毎日、乗っています。それも僕だけではなく、ブレーキ、アクセル、ノイズ、衝突、シート、ワイパーとそれぞれ担当がいますから、すべてにわたって走ってテストしています。試作車、試験車は少なくとも200台以上は作らないと。そして、乗りつぶすまで乗る感じです。


試作車、試験車も同じモデルだけを試すわけではありません。セダンだったり、SUVだったり、すべてを試します。


テストドライバーとして一番重要なことはセンサーを磨くこと。僕らは人間センサーみたいなもので、計測器よりも優れているわけです。計測器で測れば数値は出るけれど、人間が乗るともっと微妙な感覚を感じて伝えることができる。計測器で読み取れることもありますが、感覚っていうのは読み取れないことの方が多いです。今、シミュレーションがあってパソコン上でも性能テストはできるのですが、最後はやっぱりリアルなものを作ってコースを走らせないと乗り味は出てきません」


■同じ車種でも国別に「乗り味」を変えるワケ


「もうひとつの問題はクルマの乗り味って、外国の人と日本人だと少し違うんです。それは人種で感じる違いというより路面が違うことが大きい。スペインのような街中は石畳の道路が多いと、日本と同じ仕様のクルマを持っていってもアブソーバーが路面に付いたりして音が出るといったこともある。渋滞が多い国だと車間を詰めたいがためにアクセルを踏む。その時、あまり反応が良すぎると、追突の危険がある。


東富士、下山のテストコースには世界中の路面を作ってありますから、さまざまな国に合わせて乗り味を決めています。今の話題で言えばガソリンエンジン車とEVの乗り味はぜんぜん違います。まず、EVはバッテリーがボディの下側についていますから低重心で車両が安定しています。


エンジン車だとエンジンが回っている振動がつねに伝わってきます。アクセルを踏むとさらに振動が伝わってくる。一方、EVだとモーターなので停止していたら静かです。しかし、EVでも走り出すと風切り音、路面との接触音が聞こえてきます。


EV自体の乗り味は低重心で安定しているのですけれど、車内が静かなだけにノイズをどう制御するかが問われてきます。ノイズの制御は車体デザインに影響してくるので、自分たちだけで感じるのではなくNV(ノイズとバイブレーション)の担当に来てもらって、一緒に乗って対処することになります」


撮影=プレジデントオンライン編集部
3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発の基礎となる技術を学ぶ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■言語化する能力がとにかく重要


テストドライバーの仕事とはテストコースを限界ぎりぎりまでの最高速で走らせるというイメージがあるが、実態はそれだけではなく、ガタガタ道を走ったり、渋滞を再現してゆっくり走ったり、止まったりする。テストドライバーとレーシングドライバーの仕事はまったく違う。


もし、共通点があるとすればどちらのドライバーも言語感覚に優れていなくてはならないことだ。テストドライバーは改良のためにスタッフにどこを直したいか、どれくらい直すのかを伝えなくてはならない。一方、レーシングドライバーもまた車の調子についてメカニックに伝達しなければならない。言い方が下手だとか、語彙が少ない場合、スタッフやメカニックが混乱してしまう。あるいは違った意味に受け取られる危険性だってある。


相良には苦い体験がある。


■テストドライバーは「運転する職人」ではなく…


「間違った言い方で伝えて真逆の対策をされたことがありました。僕がいけなかったんです。低速20キロで走って、ハンドルを切る。その時に曲がり過ぎたような気がしたから、ハンドルを直してください、と。


ただ、その車、高速領域にもっていくと反応が遅れてゆるく曲がっていく車になったんです。すると、高速で評価をしていた人たちは曲がらないって言うんです。低速で評価していた僕は曲がりが早いから曲がらないようにしてくれって言ってしまい、対策を取られてしまいました。


もっと正確に評価しないといけなかった。時速何キロで走っている時に、こういう操作をしたら、こういう現象になりましたと伝えないといけないんです。


学園の授業で今の仕事に役に立ってることと言えば、人間力ですね。講話が役に立っています。テストドライバーって運転する職人というよりも、評価するコミュニケーターでないとできない仕事です。自分の意見や評価を述べるだけでなく、いろいろな人の意見を聞く仕事です。講話でしゃべっていた先輩たちはみんな話が上手でした。僕もああいう風にしゃべらないといけないんだと思いました」


■「勉強しましたよ。ZARDとか、ドリカム、B’z…」


凄腕技能養成部にいるスタッフは相良よりも10歳以上は年上だ。飲み会に行くと、時々、相良がわからない人名、聞いたことのないミュージシャンの名前が出てくる。ただし、相良は気にしない。わからないから反応できない。一方、おやじギャグを飛ばしたり、昔のミュージシャン名を出してしまった側の先輩は「しまった」という顔をする。相良はなんとなく申し訳ない気分になってしまう。やさしい後輩なのである。


「先輩から『佐良直美って知ってる?』って言われました。知らなくて、なんか、すみませんと言いました。それから勉強しましたよ。ZARDとか、ドリカム、B’zを聴いてみたりしました。いえいえ、カラオケで歌うほどには研究していません。先輩たちが歌うんですよ。豊岡部長はミスチルの『イノセントワールド』が定番です。豊岡部長、いやあ、うまいです。これ、別にお世辞じゃないです」


凄腕技能養成部の豊岡部長はミスター・チルドレンが好きなのだろう。ただし、本当の本当にうまいかどうかは実際の歌唱を聴いていないからわたしには判断できない。


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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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