「入院不要なら7700円」に怒る患者は悪くない…三重・松阪の「救急車有料化」を現役医師が問題視する理由

2024年3月5日(火)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

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■入院に至らなかった場合は「7700円を徴収」


「いよいよ日本も救急車有料化になるのか?」


三重県松阪市のニュースとしてネットやテレビで報じられた「救急車“有料化”入院なしなら7700円」というタイトルを見て、そう思ってしまった人も少なくないのではないだろうか。


写真=iStock.com/gyro
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恥ずかしながら、かく言う私もそのひとり。ただ言い訳をさせてもらうと、これはタイトルが悪い。いや、タイトルだけではない。記事によっては中身も正確とは言えないものもあるから、反射的に誤解してしまう人がいても不思議ではない。


例えばNHK NEWS WEBの「入院に至らない救急搬送 6月から7700円徴収へ 三重 松阪」という記事。この記事には「市は、(中略)救急搬送されても入院に至らなかった場合、1人当たり7700円を、ことし6月1日から徴収することを決めました」とあるので、やはり松阪市が救急車有料化を日本全国に先駆けて開始したように読めてしまう。


救急車有料化の是非については、もうずいぶん前から議論されてきていたし、おもに在宅医療に従事している私は、状態が急変しやすい高齢患者さんを数多く受け持っていることもあって、以前から大いに関心を持っていた。


そこに今回のニュースである。ネットで可能な範囲で、どのような決定なのか検索を続けた。すると、じっさいは「救急車有料化」とは事情が異なっていることがわかったのだ。


そこで本稿では、今回の松阪市の決定がどのようなものなのかをまず解説し、問題点を抽出するとともに、今後「救急車有料化」が現実のものとなった場合に起きうることを思考実験してみたいと思う。


■市ではなく、医療機関が診察費に上乗せする


まず今回の松阪市の方針を確認しておこう。


医療関連記事を配信している朝日新聞アピタル「救急車呼んだが入院は不要→7700円を徴収へ 三重・松阪の3病院」の記事では、松阪市内には、救急医療を担う基幹病院として、済生会松阪総合病院(朝日町一区)、松阪中央総合病院(川井町)、松阪市民病院(殿町)の3つがあり、6月1日からは、この3病院に救急搬送された人のうち、入院に至らなかった軽症の患者さんから保険適用外の選定療養費として1人(件)につき7700円が徴収されるとしている。


念のため、松阪市健康福祉部健康づくり課に問い合わせたところ、事実だと確認できた。一部の報道では、この7700円は、救急要請した人にたいして、あたかも市が請求するもののように記事が書かれているが、じっさいは、3病院のいずれかの医療機関が選定療養費として徴収するものだったのである。


これはどういうことなのか。それにはまずこの「選定療養費」について説明しておく必要がある。


詳細をお知りになりたい方は拙著『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)を参照いただきたいが、簡単にいうと、これは地域医療を支える200床以上の大きな病院を、かかりつけ医療機関等の紹介状がなく受診した際に、通常の保険診療の自己負担分に上乗せして医療機関が請求する保険外費用(自費)のことである。


■「かかりつけ医→大病院」へ交通整理する役割がある


ではなぜこのような制度があるのかを説明しよう。


医療機関は、その機能と規模によって地域で担う役割が異なっている。例えば街場の診療所では、がんの手術や心筋梗塞のステント留置術などはできない。これは言うまでもないことだろう。一方、カゼやちょっとした切り傷でわざわざ大学病院を訪れ、何時間も待って専門医に診てもらおうと思う人も皆無といえるだろう。


このような極端な例であれば誰でも納得できる話なのだが、どういった場合に大きな病院を受診すべきか、どのような症状なら近所のかかりつけ医で対応可能なのか、自己判断できず迷うケースも現実問題として少なからず存在する。


そうした場合に「心配だからとりあえず大きな病院に行こう」ではなく「まずはかかりつけ医へ」そして「かかりつけ医が必要と判断した場合は大病院へ紹介」という、いわば患者さんの交通整理をすることを目的としておこなわれているのが、この選定療養費の制度なのである。


本来はかかりつけ医で十分対応可能なものであるにもかかわらず、「心配だからとりあえず大病院へ」という人たちが大病院に殺到することで診療体制が逼迫(ひっぱく)してしまうと、大病院でしか治療できない人たちに必要かつ十分な医療が提供できなくなってしまう。つまりこの施策は、地域の医療体制を守り維持しようとするためのものともいえる。


■「7700円救急車」がはらむ3つの問題点


今回の松阪市の施策も、このスキームが応用されたものなのだ。前掲の3病院は、この地域では「最後の砦」となる医療機関であり、これらの高次医療機関にカゼやちょっとした切り傷の患者さんが救急車で殺到してしまうと、その本来の機能が十分に果たせなくなってしまう。よって、他の病院や診療所で対応可能な疾患の患者さんについては、受け入れを制限するという意図なのだ。


その理屈は理解できた。だがこの施策がじっさいの現場でトラブルなく運用されるかどうか。それにはいくつかの「条件」がある。そこで、私の頭に浮かんだ疑問と問題点を列挙してみることとしよう。


①救急隊員の目から見てあきらかに入院にならない軽症者であった場合も、これらの3病院にとりあえず搬送となってしまうのか?


例えば、足先に熱湯をかけてしまってヤケドを負ったケース。どうすればいいのかわからず、119番に通報してしまった場合はどうか。これは救急病院に搬送されてもあきらかに入院にはならないケースと考えられるが、通報をうけた指令センターの担当者は、通報者にたいしてどのような対応をするのだろうか。


■救急隊員は「7700円が必要」と説明してくれるのか?


「救急車を向かわせることはできますが、あなたの場合、救急病院で処置を受けたあとは入院にはならず帰宅になると思います。その場合、7700円を上乗せして支払うことになるかもしれません」とアドバイスしてくれるのだろうか。それとも通報者宅にそのまま出動して、その日の当番である3病院のいずれかに、粛々と搬送するだけなのだろうか。


現場に到着した救急隊が患部を確認して、「これは処置後にあきらかに帰宅となる」と判断した場合、通報者に自己負担が発生する可能性がきわめて高いと教えてくれれば、不要な救急搬送も7700円の自己負担も発生しなくて済むと思われるのだが、そのようにケース・バイ・ケースで柔軟な運用がなされるのだろうか。


松阪市の担当者によれば、119番への通報があった場合は、容体にかかわらず救急隊の出動はおこなわれ、いずれかの3病院に搬送されることになるだろうとのこと。指令センターや救急隊から自己負担発生の可能性について説明があるのかどうかについてはわからなかったが、少なくとも、軽症の場合でも救急隊が搬送せずに引き上げることはないようだ。


■患者には医師から説明しなければならないのか?


②3病院に救急搬送して治療せねばならないほどの状態ではないものの、なんらかの応急処置が必要な人を受け入れられる医療体制は充実しているのか?


これは重要な点である。松阪市の担当者の「容体にかかわらずとりあえず3病院に搬送することになる」との回答の理由が、「他に救急車を受け入れられる医療機関が市内に存在しないため」というのであれば問題だ。119番をコールする患者さんのニーズの多くは「すぐに診察と治療を受けたい」というものであって、必ずしも「入院させてもらいたい」とはかぎらないからだ。


写真=iStock.com/byryo
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つまり、入院にならない程度のものかもしれないが、足の傷から出血が止まらず痛くて歩けない、足を捻(ひね)ってパンパンに腫れているなどといった患者の行き先の確保は必要不可欠だ。こうした患者さんを、この3病院以外に救急車ごと受け入れ応急処置を施せる医療機関を事前に選定し、市民にわかりやすく提示しておくことは、このスキームで運用する以上、絶対的に必要だ。


③3病院に搬送後、入院を要さないものであっても医師の判断で選定療養費を徴収しない場合もあるというが、これは医師が患者に直接説明することになるのか?


先述したように、選定療養費は医療機関が患者さんに請求するものである。もし一律で請求するということであれば、受付事務から機械的に徴収すればすむ話なのだが、話をややこしくしているのは「救急車を利用して入院に至らなかったとしても、医師が必要と判断した場合などは徴収しない」としている点だ。


■「冗談じゃない。医者をここへ連れてこい」とならないか


医師による医学的な判断が、患者さんの自己負担の有無に直結することになるわけだから、その判断に納得できないという人が医師に直接抗議したいと言い出しても、なんら不思議はない。「患者のくせに医者の判断に文句を言うな」としてきた“昭和時代”と、今はまったく違うのだ。


「医師の判断なので、7700円を頂戴します」と受付事務が伝えて選定療養費分を請求した場合に、「冗談じゃない。ちょっと、その医者をここへ連れてこい」となる事態の発生は容易に想像がつくのである。


写真=iStock.com/TommL
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治療や病状にたいする説明は、もちろん医師の仕事だ。これにはいくら時間をかけても構わない。だが、自己負担分が増えることについての説明まで医師にさせるのは間違いだ。もし今回のスキームの中で、この説明まで医師にさせるというのであれば、救急医療の逼迫を防ぐためとされたこの施策が、逆に救急医療現場に大きな負担を押しつけることになるだろう。


④そもそも7700円という費用を徴収することで、救急車の不適切利用は減らせるのか?


救急車のトンデモ利用の例としてあげられる「蚊に刺された」や「タクシーがつかまらないから」といったものは、確かに減るかもしれない。ただ、このような不適切利用を7700円という自己負担によって抑止しようという策略は、金銭的な余裕のない人については一定の“効果”は期待できようが、「カネさえ払えばいいんだろ」という思考をもつお金持ちの行動にはなんらの抑止力も発揮することはないだろう。


■有料化しても根本的な解決にはならない


そもそも、先述した「地域医療を支える200床以上の大きな病院を、かかりつけ医療機関等の紹介状がなく受診した際に、通常の保険診療の自己負担分に上乗せして医療機関が請求する」という選定療養費にもいえることだが、この「自己負担金でハードルを作って受療行動を操作する」というスキーム自体が、公平性という観点から妥当とはいえない。同じ金額であっても、財力のある者とない者とでは、ハードルの高さとしては同じではないからだ。


「そうは言っても『救急車の不適切利用をやめましょう!』と何度言っても市民が聞いてくれないのだから仕方ないのだ」といった意見に突き動かされるようにして、自治体がこうした安易ともいえる方策に走りたくなる気持ちもわからないではない。


だがこれは根本的な解決策にはなり得ない。「カネさえ払えば不適切利用しても構わない」という誤ったメッセージの発信にもなりかねないからだ。やはり不適切利用を防ぐという目的を達成するには、適正利用の継続的な周知徹底をはじめ、♯7119のような自己判断できない人の相談先を充実させるといった正攻法しかないだろう。


■経済力で命が選別されることだけはあってはならない


松阪市の担当者によれば、今回の施策は救急要請を制限するものではないという。しかし、119番にコールしてしまうと容体にかかわらず3病院のいずれかにとりあえず搬送されるとの運用で進められてしまえば、かりに自治体として意図せぬものであったとしても、結果として、つらい症状で119番にコールしたいと考える人にたいしても、それを思いとどまらせる“効果”が生じることは必至であろう。


松阪市以外にもこのスキームで救急医療体制を維持しようとしている自治体はすでに存在するが、これらの自治体すべてに、この施策によっていかなるメリットとデメリットがもたらされているのか、詳細な現状把握と丁寧な分析をおこない、十分な透明性のもと真摯(しんし)に市民にたいして説明していく姿勢が強く求められよう。


そして、救急要請を控えたことによって人命にかかわる事態が生じるなど、看過できないデメリットが覚知された場合は、遅滞なくこの施策を中止するとの柔軟な姿勢を、市民にたいして事前に示しておくべきである。


財力の多寡で命の選別をすることなく、いかに公平に市民の安心・安全を担保していくか。その覚悟が、これらの自治体に問われている。


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木村 知(きむら・とも)
医師
1968年生まれ。医師。10年間、外科医として大学病院などに勤務した後、現在は在宅医療を中心に、多くの患者さんの診療、看取りを行っている。加えて臨床研修医指導にも従事し、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。2024年3月8日、角川新書より最新刊『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』発刊。医学博士、臨床研修指導医、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。
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(医師 木村 知)

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