日本犯罪史上最悪の猟奇事件にはまだ続きがあった…マスコミは報じない「殺人鬼によって葬られた母子2人の死」
2025年3月5日(水)8時15分 プレジデント社
北九州市の監禁・殺人事件 福岡地裁小倉支部に入る松永太被告を乗せたとみられる車=2003年5月21日午前10時22分 - 写真提供=共同通信社
写真提供=共同通信社
北九州市の監禁・殺人事件 福岡地裁小倉支部に入る松永太被告を乗せたとみられる車=2003年5月21日午前10時22分 - 写真提供=共同通信社
■日本中を震撼させた空前絶後の猟奇事件
2002年3月に発覚した、起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。同事件では、主犯の松永太(逮捕時40)と緒方純子(同40)が、緒方の親族らへの殺人罪(うち1件は傷害致死)に問われ、松永の死刑と緒方の無期懲役刑がそれぞれ確定している。
この事件は、松永と緒方に監禁されていた17歳の少女が、逃走の末に警察に駆け込んだことで明らかになった。
少女は自分の父親が松永らに殺害され、さらに緒方の両親や妹夫婦、その子供2人も殺害されていると主張。捜査が進められていくなかで、松永が少女の父親や緒方家の親族を監禁し、「通電」(電気コードで人体に電気ショックを与える拷問)の虐待によって、精神的に支配していた状況が詳らかになっていく。
プレジデントオンライン編集部作成
当初は被害者たちに消費者金融で借金をさせるなどしていたが、それが不可能になると、警察に駆け込まれないよう長期監禁、そして虐待の末に殺害。最初の“カネづる”とされた少女の父親を殺害してからは、緒方家が次の標的となっている。
その際、松永は緒方の父親を通電で殺害(傷害致死)してからは、残りの家族同士で殺害するように仕向け、緒方の母親、妹、その夫、甥、姪の順で命を奪っていった。
■事件化されなかった事案
甥は5歳、姪は10歳と、まだ幼かった子どもたちに手をかけたうえ、被害者の遺体を生き残った家族に解体させるなど、同事件の凶悪さは筆舌に尽くしがたいが、松永と緒方が関係する死でありながら、事件化されなかった事案も存在する。
それが、93年10月(家出は4月)から94年3月にかけて彼らと同居した、母子2人が連続して死亡した一件。
母親の名前は末松祥子さん(仮名、死亡時32)。娘の名前は莉緒ちゃん(仮名、死亡時2)という。
20歳の頃に松永と交際していた祥子さんは、88年に筑後地方の役所に勤務する男性と結婚。91年10月に莉緒ちゃんを含む女の子ばかりの三つ子を生んでいた。
当時、松永は、それまで福岡県柳川市で営んでいた布団訪問販売会社が破綻し、密かに営んでいた闇金業でも、広域暴力団から預かっていたカネが返却できなくなるなどして、緒方と共に地元から逃走。同県北九州市で人目を避けて暮らしていた。そうした隠遁生活のなかで“金づる”を求めた松永が、祥子さんに甘言を弄して接近したのである。
その状況について、松永と緒方の福岡地裁小倉支部における公判での、検察による論告書には次のようにある。
■「緒方さんはかわいそうな人なの」
〈(松永と緒方は)金づるとして、松永がかつて交際していた末松(祥子さん)に着目し、緒方が子供を抱えて窮乏しているなどと申し向けてその同情を誘い、これに付け込み、平成5年(93年)1月19日から同年4月2日までの間、前後4回にわたって、末松から、(松永と緒方の)長男の出産・育児費用等の名目で、現金合計240万円を受領した〉
私は松永らが逮捕されて3カ月後の02年6月に、祥子さんの父親である末松行雄さん(仮名)を取材したが、そこでは次のように語っていた。
「祥子は(93年)4月に家出したとですけど、その前に、あの子が毎晩でかけるということを婿さんから聞いて、私が問い質したんです。そうしたら、『緒方さんという知り合いに、もうすぐ子供が産まれるとやけど、旦那さんが助からんごとある(助からない)病気で、ものすご大変なんよ』と言うんです」
松永は祥子さんに対して、緒方は妻ではなく自分の会社の事務員だと説明しており、それを信じた祥子さんは、緒方の出産費用などで約240万円を振り込んでいた。行雄さんは続ける。
「私が注意しても、夜に出歩くのをやめないため、それについて咎めると、涙を流しながら、『緒方さんはかわいそうな人なの。貧乏で子供のミルク代もなかけん、米のとぎ汁やら飲ませようとよ』と言うのです」
写真=iStock.com/Nenov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nenov
■1000万円以上を送金させる
緒方が長男を生んだのは93年1月下旬のことだ。この子供の父親は松永である。だが、松永はそれを隠し、自分の会社の社員(緒方)が、大変な境遇にあり心配なのだと、緒方について虚偽の身の上話を説明して、祥子さんの同情を誘ったのだった。
そのうえで、松永は祥子さんに対して好意があるように装い、自分との結婚をちらつかせながら、子供を連れて家出するように持ちかけている。そして祥子さんは3人の子供を連れて家を出てしまうのだ。行雄さんは言う。
「5月初めごろに本人から『いま家出して別府(大分県)におる』っちゅう電話があったとですよ」
じつは、この時期の祥子さんは別府市ではなく北九州市にいた。だが、連れ戻しに来られないようにするため、別府だと嘘をついていたのだ。松永という男の存在についても、行雄さんは、02年に彼らの事件が発覚して、初めて警察から知らされたという。
松永は祥子さんに命じ、子供の養育費等の名目で行雄さんや、三つ子の父親である前夫にカネの無心をさせており、双方から送られた1000万円以上のカネは、すべて松永に渡っていた。さらにいえば祥子さんは、父親や前夫からの送金以外にも、カネの工面をやらされていたようだ。消費者金融からの借金である。
■写真に写っていた虐待の跡
「祥子が死んでからわかったことやけど、(消費者金融からの借金は)250万から300万近くやなかでしょうか。50万ずつとかで、何軒かに借りとりました」(父の行雄さん)
松永との未来を期待して家を出た祥子さんは、93年7月に別居中の夫と協議離婚をする。だが、それから松永による虐待が始まったようだ。というのも、02年に松永と緒方が逮捕された際、家宅捜索によって押収された写真類があり、そこに祥子さんが虐待を受けた痕跡が残されていたからである。以下のことを論告書が明かす。
〈平成5年(93年)夏ころに撮影されたと思われる写真(写真番号は省略、以下同)では、末松(祥子さん)の左手に包帯が巻かれており、さらに同年12月10日ころ撮影された写真には、末松の頬に痣らしきものが見え、同月24日に撮影された写真では、末松は、ホテルの床に正座させられている様子である〉
写真=iStock.com/spukkato
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/spukkato
詳しくは後述するが、この93年夏頃と同年12月の間となる10月29日に、祥子さんが連れてきた三つ子の一人である莉緒ちゃんが、“事故死”してしまうのだ。論告書は続く。
■本当に「事故死」なのか
〈平成6年(94年)2月23日ころに撮影された写真では、乱雑に切りそろえられた髪型をし、化粧気もない生気を欠いた表情で正座する末松が写されている。
以上の末松の写真を見れば、少なくとも、末松が、苦境にある被告人両名のために多額の現金を提供してくれた人間として丁寧に扱われていた痕跡は皆無であり、むしろ、その身体の負傷状況や、ろくに美容院等にも行かせてもらえずにいた様子などからは、被告人両名が、種々の生活制限や虐待を通じ、末松を支配していたことが認められるのである〉
莉緒ちゃんは北九州市のマンション内で、頭部打撲による急性硬膜下血腫により死亡した。その遺体は解剖に付され、母親の祥子さんや当時部屋にいた緒方が、警察からの聴取を受けたが、事故死であると判断されている。だが、福岡県警担当記者は言う。
「裁判で争えるだけの証拠がなかったため、立件はされませんでしたが、その死には松永が絡んでいると考えています。警察も検察も松永が莉緒ちゃんの両足を持って逆さにし、床に落としたと見立てている。
というのも、松永から監禁致傷などの被害に遭った別の女性がアパートに監禁されていたとき、彼女が連れていた3歳の次女に対して、松永が玄関先でそうやって脅したとの証言があるのです。実際に落とすことはありませんでしたが、同証言を得たことで、捜査関係者は莉緒ちゃんも同様のことをされたと確信しているのです」
■娘からの最後の電話
93年10月に莉緒ちゃんが“事故死”をしたということについて、行雄さんには手紙で知らされたそうだが、理由についてはなにも記されていなかった。祥子さんはその後、残り2人の娘を親元に戻している。
「娘から連絡があって、『久留米の託児所に預けたけん』て。それで引き取りに行ったとです。あと、孫の遺骨についても、こっちが送れ送れって言いよったら、『鳥栖(佐賀県)の駅前のコインロッカーに入れた』ち、ロッカーの鍵が送られてきたとです」
その時期にはすでに、祥子さんの口調はかつて知る娘のものではなく、他人行儀で、別人のようになっていたと語る。行雄さんが祥子さんと最後に話したのは、彼女の死の2日前のことだ。
「死んだ孫の保険金はどうなったかという電話をかけてきたんです。『それは婿さんの方に行っとるはずやろうもん』と言うと、納得したようで、電話ば切ったんが最後でした」
その後、大分県警からの連絡で、行雄さんは娘の“自殺”を知らされることになる。
「祥子の遺体ば引き取りに行ったときに、あの子は家を出たときと同じ服装でした。(保険金を合わせて)1300万円近い金額を送ってもらっとるとにもかかわらず、預金口座には3000円しか残されとらんかったとです」
■今後事件化されることはない
松永らの裁判でも、彼女の自殺には触れていた。転入手続きのため、松永や緒方らと別府に行った際、ホテルの駐車場に戻った後で、〈(祥子さんは)突然走り出して別府の海に飛び込んで自殺した〉とある。さらにこう続く。
〈被告人松永は、被告人緒方から祥子が逃げた旨の報告を聞き、ホテルの窓から警察の船やパトカー、救急車を見るなどしたことから、祥子が海に飛び込んで自殺したのであろうと判断し、祥子の××(車名)を被告人松永が運転して被告人緒方、長男と小倉に戻った〉
取材当時、元福岡県警担当記者は「祥子さんについて、自殺であることは間違いないのですが、松永が自殺に仕向けたと考えられており、松永の供述のなかで『自殺教唆は取れた』と聞いています」と話していた。
だが、松永の死刑が確定していることもあり、今後事件化されることはない。
恋心を手玉にとり、人生を翻弄した末に母子2人を死に追いやるという、松永の悪魔性を如実に物語る“事件”なのだ。
----------
小野 一光(おの・いっこう)
ノンフィクションライター
1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てノンフィクションライターに。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』『東京二重生活』『風俗ライター、戦場へ行く』などがある。
----------
(ノンフィクションライター 小野 一光)