「共食い上等、食われる前に食う」iPodを葬ってまでiPhoneを発売したスティーブ・ジョブズの計算とは?
2025年3月6日(木)4時0分 JBpress
小さなガレージで生まれたパソコンメーカーのアップルを世界的ブランドに育てたスティーブ・ジョブズ。1985年に社内対立で退職したあとNeXTやピクサーを成功に導き、1997年にアップルへ戻るとiMac、iPod、iPhoneなど革新的な製品を次々と世に送り出した。本連載では『アップルはジョブズの「いたずら」から始まった』(井口耕二著/日経BP 日本経済新聞出版)から内容の一部を抜粋・再編集し、周囲も驚く強烈な個性と奇抜な発想、揺るぎない情熱で世界を変えていったイノベーターの実像に迫る。
今回は、初代iPhoneの開発と製造を進めたジョブズらしい発想と、発売時に見せた“史上最高”のプレゼンを紹介する。
大ヒットしたiPodを葬りiPhoneで世界を変える
いま、スマホのない生活など考えられない。
出かけるとき、鍵とスマホさえあれば、最低限はなんとかなってしまう。財布は忘れても大丈夫。いや、スマホで解錠できるようにしておけば、鍵もなくていい。
逆にスマホを忘れるとどうにもならない。どう乗り継げばいいのかもわからないし道もわからない。連絡もできない。なにか食べようにもメニューさえ見られなかったりする。
iPhoneが世界を変えたからだ。
■ iPodがこけたら大変だ
iPhone開発のきっかけは、iPodの大ヒットだった。収益も大きく上がるようになったし、ヒップな会社というイメージに磨きがかかったし、つられてマックもよく売れるしでいいことだらけだったのだ。
それだけに、iPodがこけたら大変だ——ジョブズはそう考えた。
ライバルになりうるのは携帯電話だ。そのころ、デジタルカメラ市場がカメラ付き携帯電話にものすごい勢いで侵食されていた。その携帯電話が音楽プレイヤー機能を取りこんだらiPodなどひとたまりもない、そうなる前に自分たちで音楽プレイヤー機能を持つ携帯電話を作ってしまおうと考えたわけだ。
商品がヒットしたら、部門強化・収益拡大をめざすのがふつうだ。ジョブズは違った。「共食い上等。他人に食われる前に自分で食う」なのだ。iPodという世界的大ヒットでさえそう考えられるから、彼は天才と呼ばれるのである。
だが、さすがのジョブズも、携帯電話という複雑な機器を一から開発するのは難しいと思ったのだろう。友人がCEOを務めるモトローラと協力し、人気のカメラ付き携帯RAZRにiPodを組みこむことにした。できあがった製品は、魅力的なiPodのミニマリズムもRAZAのスリムさもない悲惨なものだった。やはり、自社で開発しなければだめだ。
■ iPodの開発ソースを投入
それではと、iPodに携帯電話機能の追加を試みた。うまくない。選曲に抜群の力を発揮したスクロールホイールも電話帳の入力には使いづらくてしかたないのだ。
解決策は思わぬところに転がっていた。タブレット(のちのiPad)のために開発していたマルチタッチスクリーンである。いわば、iPadのアイデアが先にあり、それを基にiPhoneが生まれたと言えるのだ。
大人気のブラックベリーと同じくキーボードも用意すべきだとの意見にはジョブズが拒否権を発動。「楽な道を選ぶな。ソフトウェアでスクリーン上にキーボードを実現すれば、たくさんのイノベーションが生まれる。社運を賭けて開発するんだ」と。
実際、開発は困難を極めた。ポケットに入れて歩くうちに音楽が再生されたり電話をかけてしまったりしないように「スワイプ起動」を考えだした。電話が耳にあたっていると感知し、意図しない機能を耳たぶで起動してしまわないようにするセンサーも開発した。
いま、だれもが当然と思っている機能、一つひとつがクリエイティブなブレインストーミングの結果である。シンプルなインターフェースの裏にはさまざまな工夫や仕掛けがあるのだ。
■ 半年でゴリラガラスを用意
iPodのスクリーンはプラスチックだったが、iPhoneはガラスにした。エレガントにするためだ。
ガラスは、コーニング社が開発したゴリラガラス。信じられないほど強いが市場がなく、作っていない。作れと言われても、生産ラインから整えなければならず、費用も時間もかる。ジョブズが求める6カ月ではとても無理だ。できない理由を並べるコーニングのトップをじっと見つめ、ジョブズはこう説得した。
「心配はいらない。できる。君ならできる。やる気を出してがんばれ。君ならできる」
お得意の現実歪曲フィールド全開である。こうしてiPhoneが完成した。
■ 高すぎて売れない?
初代iPhoneは500ドル。機能や造りを考えれば妥当な値段だが、ほかの携帯電話に比べるとばか高い。高すぎてアップル信者しか買わないと業界では見られていた。
それが発売から4年もたたずに累計9000万台も売れ、世界的な携帯電話市場の利益の半分以上をたたき出すほどになってしまった。
その理由は、いま、スマホを持ち歩いている人ならだれでもわかるだろう。とにかくシンプルで使いやすい。これ以外のインターフェースなどありえないと思うほどなのだ。ジョブズが作るとこうなるわけだ。
ちなみに、iPodは2022年に販売を終了。iPhoneが食ってしまったのだ。
iPhoneのお披露目は史上最高のプレゼン
スティーブ・ジョブズといえばプレゼン。そう言われるほど、ジョブズはプレゼンの名手だった。新製品発表のキーノートスピーチなど、どういう新製品が出るのかと同じくらいにどう紹介してくれるのか、どうわくわくさせてくれるのかに注目が集まるほどに。
■ わからないかい。実はひとつ
なかでも有名なのが2007年1月のiPhone発表だろう。
今日は革命的な新製品を三つ紹介すると始めて、「まずタッチコントロール機能を持つワイドスクリーンのiPod。2番目は革命的な携帯電話。3番目はインターネットコミュニケーション用の画期的なデバイス」と紹介。
続けて「iPod、携帯電話、インターネットコミュニケーター…」と何度もくり返したあと、「わからないかい?」と謎をかける。「三つに分かれているわけじゃない。実はひとつ。iPhoneっていうんだ」と爆弾を落とした。期待を盛り上げて盛り上げて、そのさらに上を行ったのだ。
そんなにすごいのかと思われた方には、ぜひ、動画を見ていただきたい。「ジョブズ iPhone発表 2007年」あたりで検索すればみつかるはずだ。しゃべるスピード、スライド、会場の反応を待つ間…すべてがかみ合って、めちゃくちゃすごいプレゼンになっていることが実感できるだろう。
■ 若いころからうまかった
ちなみに私のお気に入りは2008年1月のMac Book Air発表である。「とても薄いので、事務所に転がってる茶封筒に入ってしまう」——そう言ってステージの袖へ行き、封筒をひとつ取り上げると、なかからノートパソコンを取り出す。マジックショーのような演出だ。
見た瞬間、これは欲しいと思った。思ってしまった。実際、最終的に1台買ってしまった。いや、まあ、買ってしまったというなら、iPhoneもiPodもなのだが…ともかく、それほどインパクトのあるプレゼンだった。
1984年のMacintosh発表も伝説だ。当時、ジョブズは28歳。ヴァンゲリス『炎のランナー』のテーマ音楽で緊張感を醸し、Macintoshにジョークを言わせる。当時としては型破りのプレゼンで会場を沸かせた。
こちらも動画が残っている。まだ若くて場数を踏んでいないからだろう、緊張しているようだし、つたないところもあるのだが、晩年の円熟したプレゼンにつながるものが感じられる。
<連載ラインアップ>
■第1回「シンプルにしろ」iPodの開発会議で、スティーブ・ジョブズが思わず「それだ!」叫び、採用を即決したアイデアとは?
■第2回 「共食い上等、食われる前に食う」iPodを葬ってまでiPhoneを発売したスティーブ・ジョブズの計算とは?(本稿)
■第3回形だけまねると“イタいプレゼン”に スティーブ・ジョブズ流の高度な説得術とそれを象徴する「有名な一言」とは?
■第4回時価総額20分の1だったアップルになぜ大逆転を許したのか ゲイツとジョブズ、2大巨頭の共通点と真逆の経営哲学とは(3月14日公開)
■第5回 「飼い犬に手をかまれた」ステージ・ジョブズがグーグルのアンドロイドに激怒した理由とは?(3月19日公開)
■第6回 マスクはジョブズの再来か? あり得ないレベルで物事を突きつめ、無茶苦茶なのに成果を上げる二人の共通点とは(3月26日公開)
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筆者:井口 耕二