「えらいわね」「上手ね」は絶対ダメ…東大教授が伝授「わが子を指数関数的に伸ばす親が代わりにかける言葉」

2025年3月19日(水)10時16分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thai Liang Lim

生成AIが何でも答えてくれるなら、自分の脳を鍛える必要はないのか。2人の娘がいる脳研究者の池谷裕二さんは「生成AIが回答した内容や表現が正しいか判断するためにも自分の脳を鍛える必要がある。ただ、親ができるのは子供の内発的なモチベーションを刺激してあげることだ」という——。(後編/全2回)

※本稿は、『プレジデントFamily2025春号』の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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前編はこちら


■もう漢字や英語を覚えなくてもいい?


生成AIに聞けば何でも答えてくれるのだったら、自分の脳を鍛える必要はないと思うかもしれません。コツコツ覚える勉強はもういらないのかというと、それは違う。毎日少しずつ練習する学びはこれからも必要です。生成AIがあるから漢字を覚えなくていいよ、英単語を知らなくてもいいよ、ということにはなりません。


自分の頭のなかに知識があることと、インターネット上に知識があることとはまったく別です。勉強や仕事を生成AIにやらせて頭を使わなくなったら、AIに使われる側になってしまうでしょう。生成AIを利用しつつも基礎的なスキルの学習を怠らないことが肝心です。


うちの研究室では、論文を書くときに、海外の論文を生成AIに翻訳させて読むことも許しています。一方で、毎日1本、原著論文を英語で読むことを義務付けています。論文の書き方を身につけたり、原著論文ではどんなことが書いてあるのかを学ぶには、自分の頭を使って苦労して読み込むことが欠かせないのです。


毎日の学習効果は比例の直線状ではなく、指数関数的に上がっていきます。最初はゆっくりでも、勉強を続けて「勘」をつかむと長足の進歩を遂げます。学生たちも、毎日続けるうちに読むスピードも速くなり、英語力も上がっていくのです。


生成AIで論文を出力させても、内容や表現が正しいか判断できないのでは通用しません。同時通訳してくれるAIができても、その表現が自分の意図通りかわからなければまずいでしょう。だから、学び続けることが変わらず大事なのです。


むしろ、これからは、楽をしようと思えばできるようになるので、学ぶ人とズルをする人とで学力の差が拡大するでしょう。


うちの研究室の学生は、従来は原著論文を1日1本読むだけで精いっぱいだったのが、今は生成AIの力を借りて周辺論文についても調べるようになり、学びの幅が広がっています。


■受験は変わらないが、「学び方」は変わる


では、これからの時代に学校での学びや受験も変わるかと言えば、問われる能力は変わらないでしょう。


東大の入学者募集要項には、受験生に求めているのは「学んだ知識を組み合わせて創造的に使いこなす力であり、未知の課題に遭遇したときに自らに不足しているものを果敢に学ぶ姿勢」とあります。知識は不要ということではない。活用できる生きた知識を身につけることです。


勉強すべきことは変わらない一方で、学び方は変わってくるでしょう。家庭学習でも生成AIを活用することで、効果的に学ぶことができると思います。


たとえば、自分の苦手な教科や単元はじっくり教えてもらうなど、自分に合った学び方をするのにもAIは最適です。わが家のように家庭教師役をさせればいいのです。それは、子供の勉強についての親のストレスの軽減にもつながります。


中学受験や大学受験も、ChatGPTを使って効果的に学ぶことが当たり前になるかもしれません。


■最も重要なのは「楽しむ」力


では、そんな能動的に学ぶ子にするために、親は何ができるでしょうか。


本来、新しいことを知ることは楽しいはずです。それがまざまざと出ているのが未就学児です。「これって何?」「何で空は青いの?」……といった質問責めにあった方も多いのではないでしょうか。見るもの、聞くもの、何にでも興味を持つ。学びの楽しさを体全体で表現しています。これこそが人間の本性で、知りたい、楽しみたいという願望が強いはずなのです。


ところが小学生になって学校で習うようになると勉強が嫌になってしまう。みんなで同じことをやらされたり、点数で評価されたり、できないと叱られたり。嫌いになるのも、ある程度はしかたがないことかもしれません。


だからこそ、家庭では、学びの楽しさを刺激することが大切です。子供の好奇心をこれ以上、そがないことを目指してください。


では、具体的に親は何をすればいいのか。


「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というイギリスのことわざがありますが、水を飲むか飲まないかは本人次第。「さあ、楽しみなさい」と命令するのはナンセンスです。親にできることは環境をつくってやることだけなのです。


ヒントは「楽しい」と「嬉しい」は違うということです。


小さい子が夢中になってお絵描きをしている。あれこそが「楽しい」から描いている状態です。理由なんてない。自分の内面からの好奇心で動いている内発的動機という一番強いモチベーションです。


ここで絶対にやってはいけない声かけが「偉いわね」「○○ちゃん上手ね」などと褒めること。子供は褒められたくて描いているのではありません。それが何度も褒められて「嬉しい」思いをするうちに、お母さんに褒められたいから描いているのだと認識してしまう。認知的不協和といいます。そうなると急速にお絵描きを「楽しむ」気持ちを失ってしまうのです。


「うちの子、飽きっぽくて」という悩みを伺うことが多いですが、よく聞いてみると、単に親が興味をそぐ声かけをしただけ。「上手ね!」と言っちゃったら、興味はどんどん移っていく。嬉しさの刺激で、もっと親に褒められたいとなってしまう。


そうではなくて楽しさを刺激してやるのが重要なのです。


私の研究室でも、学生が研究をしています。当たり前ですけれど、毎日、大発見があるわけではない。ほとんどの時間が失敗といってもいい。でも時々いいデータが出ることがあり、「見てください」と持ってきます。そのときに言ってはいけない言葉も「がんばったね」「すごいね」。


もし声をかけるなら、「このデータは面白いね」「この結果はワクワクするなあ」と言って、そのデータを楽しんでいる姿を見せる。ポイントはその人について触れないことです。そうすれば褒められたいとはならず、研究自体の楽しさを維持できるのです。



『プレジデントFamily2025春号』(プレジデント社)

絵を描いている子にも、「○○ちゃんは絵が上手ね」と褒めるのではなく、「この絵、私は好きだわ」と言っておけばいい。


お気づきのように、「褒められて嬉しい」「100点取って嬉しい」など、「嬉しい」は要因が外部にある。それは学びの本質ではありません。重要なのは「楽しい」からやるという自己駆動です。理由なんてないけれど夢中になってしまう状態こそ学習効果が最大になります。


親や先生の言う「いい子」は大人にとって都合のいい子、素直に言うことをきく子のことだったりしませんか。そうではなくて、親や先生がいなくても自分ひとりで生きていける子にすることが教育です。そのためには自分から動くエネルギーである「楽しさ」が大事なのです。


■夢を決めさせるのはもったいない


親ができるのは、環境をつくることだけと言いました。それならいい学校に入れればいいのかといえば、その通りです。ただ、いい学校とは、偏差値が高い学校ということではありません。


何かに夢中になる楽しさを互いに刺激し合えるような友達関係が大切です。たとえばPTAに積極的に参加して、わが子の学校の環境をよりよくしていくのもいいでしょう。その意味では、どの学校でもいいのです。


刺激し合う環境という意味では、親の趣味に巻き込んでしまうのもいいですね。


私の子供時代には、釣りをしたり、星を観察したり、スーパーカーショーを見に行ったり、恐竜展に行ったり、両親は私の趣味をサポートしてくれました。好きなことを思いきりやらせてもらえたことに感謝しています。


今でも天体は好きで、今度は私が娘を一緒に連れて行きます。私が楽しんでいるのが伝わるんでしょうね。そのせいか、彼女は理科のなかで天文分野は学校の成績がいい。


野鳥の写真を撮りに冬の北海道にも行きます。「寒い!」「眠い!」と文句を言われますが、たぶん後々いい経験になる。野鳥好きになるということではなく、大人が何かにのめり込んでいる姿を見るというのが、刺激になるのです。


今の小学生の半分以上は、現在存在しない仕事につくという研究者もいます。


出典=『プレジデントFamily2025春号

ユーチューバーとかティックトッカーになりたいといっても10年後にあるかはわからないですよね。まだない仕事は選びようがない。そうしたなか、医師なら安泰とかコンピューターサイエンスを習えば食いっぱぐれないといった判断はあまり意味がない。むしろ、無理に子供に将来の夢を持たせるのはもったいないと思います。


親が将来を予想してビジョンを持ってもはずれるかもしれない。大事なのは、どんな世界になっても大丈夫な適応力。適応力を育ててくれるのが好奇心、楽しむ力なのです。


オタクになるのもいい。ゲームにハマっても、ただ散漫とやるのではなくて、うまくいかなかったら分析して、仮説を立てて実践、検証する。そういうループをどんどん深掘りさせていく。楽しいから勝手にやるはずです。自分で調べてトライアンドエラーしながら深掘りできる力。それが適応力。


いろんなことに対してアンテナを張るのも大切。ゲームばかりという子でも、たとえばキャンプ場に連れて行けば、虫を見つけたり、川に入ったり、きっと何かやりだすでしょう。


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池谷 裕二(いけがや・ゆうじ)
東京大学薬学部 教授
1970年生まれ。静岡県藤枝市出身。薬学博士。2002〜2005年にコロンビア大学(米ニューヨーク)に留学をはさみ、2014年より現職。専門分野は神経生理学で、脳の健康について探究している。主な著書はに『海馬』(糸井重里氏との共著 朝日出版社/新潮文庫)、『進化しすぎた脳』(朝日出版社/講談社ブルーバックス)、『ゆらぐ脳』(木村俊介氏との共著 文藝春秋)、『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社/新潮文庫)、『のうだま』『のうだま2』(上大岡トメ氏との共著 幻冬舎)、『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社新書/新潮文庫)、『脳はみんな病んでいる』(中村うさぎ氏との共著 新潮社)、『メンタルローテーション』(扶桑社)、『脳は意外とタフである』(扶桑社新書)などがある。
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(東京大学薬学部 教授 池谷 裕二 構成=本誌編集部)

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