愛車はフェラーリから軽バンになった…「殺処分に最も近い問題犬」を全国から引き受ける元実業家(54)の情熱
2025年3月23日(日)7時15分 プレジデント社
わんずふりー代表の齊藤洋孝さん - 筆者撮影
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わんずふりー代表の齊藤洋孝さん - 筆者撮影
■噛む犬も、心を閉ざした犬も
施設内に入ると、出迎えてくれたのは赤柴の「ニナ(メス)」だった。クンクンと匂いを嗅ぎ、つぶらな瞳で見つめて来る。
「私に会いに来てくれたの?」
「何して遊ぶ?」
「おばちゃんは知らないワンちゃんの匂いがするね」(注:筆者も犬を飼っている)
瞳の問いかけに笑顔を返すと、安心したように足元に座り、ペロペロと手を舐めてくれた。
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接客担当のニナちゃん - 筆者撮影
「この子はすごく噛む子で、最初は預かりという形で2年前にやって来て、1年後に飼い主さんに戻したんですが、今度は先住犬を襲うようになり、結局うちで引き取ることになりました。触れることができないのでエサがあげられない、散歩にも連れ出せないで、飼い主さんはノイローゼになっていました」
教えてくれたのは静岡県の焼津市にある保護団体「一般社団法人わんずふりー」の代表、齊藤洋孝(ひろたか)氏(54歳)。やたらと噛みつく、唸(うな)ることから譲渡不適切とされた、殺処分にいちばん近い犬。虐待され、トラウマを抱え、心を閉ざしてしまった犬。そんな動物好きでも扱いに苦労する「問題犬」ばかりを全国から引き受け、もっか39頭と共に暮らしている。
■穏やかな犬たちの姿にほっこりした
それにしても、このニナちゃんが、かつてそんなに噛む犬だったとは、穏やかな様子からは信じがたい。
次に迎えてくれたのは、黒柴の「あっくん(オス)」だ。廊下へ続くドアの向こうから「開けて—、開けて—」とあまりにも騒ぐので招き入れられると、すたすたと入ってきて行儀よく座り、すっかり落ち着いてしまった。
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「あっくん」はまるでSPのように齊藤さんを守っている - 筆者撮影
「あっくんは、殺されるほどの虐待を受けているとの相談を受け、また噛んで暴れることから東京の武蔵野市に迎えに行きました。暴行のせいか背骨が変形しており、当初は怯えて、人を拒絶する犬でした。やって来て1カ月ぐらいは他の犬たちと一緒にいたのですが、どうしても独りでいたがるので、今は別室にいます。寂しいんじゃないかと思うんですけどね、押しつけはしません」
どうしたいかを吠えて主張できるようになったのも、心が通い合った証し。齊藤氏を信頼しているからこその行動だ。
■咬まない、唸らない教育は犬同士で
ニナちゃんは施設全域を自由に行き来し、あっくんは部屋で猫と一緒に暮らしている。それ以外の37頭は24時間、屋内外で自由に過ごす。樹木に囲まれた約1000平方メートルのドッグランと屋内のハウスをつなぐドアは24時間開放されており、犬たちはマイペースで行き来して、好きな場所でじゃれあったり、寝転んだりしている。
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齊藤さんが来ると犬たちは大喜び - 筆者撮影
取材に訪れた日はあいにくの小雨模様。ほとんどの犬は屋根の下にいたが、1頭だけ、仲間から離れて樹木の下で寛(くつろ)いでいた。
犬も人間と同様、一頭一頭性格も能力も異なる。それぞれの個性を把握し、尊重するのが齊藤氏の流儀だ。
「ここでのルールは一つだけ。『ご飯は必ず、ハウスやケージに入って1人で食べる』。争わせずに、安全に食べるためです。ほかに特別なことはしていません。あとは、新入りいびりが犬の世界でもあるので、度が過ぎる場合は怒ります」
と言っても、体罰は絶対にふるわない。
「いわゆる『覇気(はき)』を使います。強い意志の力みたいなものです。よく『若いのに覇気がない』とか言う、あれです。口で叱るだけですが、覇気を発すると犬たちはのけぞる。大声で怒鳴るだけの怒りの感情とは全然違います」
齊藤氏が犬たちに与えるのは、自由と愛情、そして安心して生きられる環境だ。「咬んではいけない」といった基本的な教育は、なんと犬同士が担ってくれる。
「すごく強い犬がいて、新入り犬をぴたりとマークして、唸ったり、ケンカが始まりそうになると制してくれるんです。ケガをさせないよう、上に載って抑え込む。そうして大人しくなったら仲間として受け入れる、優秀な『新人教育犬』です」
■「私の力じゃない。ほとんどは犬の力です」
新人教育犬の名前は「とらじろう」。もともとは愛知県から保護されてきた、札付きの咬傷(こうしょう)犬だったが、ナンバーワンに君臨するグレートデンの「ねねじ」たちの教育によって改心(?)。現在は犬たちのナンバー2として、教育係を律義に務めているという。
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とらじろう(手前)を見つめる齊藤さん - 筆者撮影
ちなみに、ねねじは栃木県の多頭飼育崩壊の現場からレスキューされてきた。普段は穏和で甘えん坊な性格だが、いざという時には頼りになる親分だ。
「とらじろうの教育が厳し過ぎる時などは、止めに入ってくれます。ただ、ねねじももう9歳。グレートデンの平均寿命は短い。いつ死んでもおかしくない年齢なので、最近は屋内で寝ていることが増えてきました」
犬は、その祖先である狼同様、群れ社会を形成する習性があると言われている。また、犬には人間と共生するようになった今も、群れで暮らしていた頃の本能が残っており、仔犬は母犬やきょうだいから犬社会のルールを学ぶ「社会化期」があるのだが、生後、あまりにも早期に親兄弟から引き離されると、社会化の機会を逸してしまい、問題行動の原因になるとも言われる。
犬同士による教育は、そうした観点からも、理に適(かな)っているように思える。
「群れの順位がきちっと決まっていて、役割分担もできているので、その中で教育することがすごく大事だと思います。ダメなことは絶対にダメと教えてくれる。ですから、ここの犬たちが咬まなくなるのは、私の力じゃない。ほとんどは犬の力です」
■愛犬に生命を救われた
かつて齊藤氏は、成功した実業家だった。
東京でのビジュアルバンド活動に見切りをつけ、22歳で帰郷して始めたのは、バンド時代に唯一金髪頭でも雇ってもらえたアルバイトで身に着けた「清掃業」の会社だった。
「命綱をつけてビルの窓をきれいにする仕事でしたが、静岡近辺では競合がいませんでした」
窓掃除以外にも手を広げ、事業は順調に成長。20代で家を建て、高級車のフェラーリやポルシェを乗り回せるまでになった。しかし2012年、リーマンショックの煽りを受け資金繰りが悪化、窮地に立たされる。
「『このままでは完全に終わる』というところまで追い詰められました。当時、50名ほどの従業員がいたのですが、彼らの給料と再就職までのお金だけはなんとか工面しなければと思いました。それには、生命保険しかないなと。でも自殺だと保険金がおりない可能性があるので、いろいろと調べた結果、車両単独事故で死のうと決めました」
決行日、当時好きだったウイスキーを飲みながら明け方を待って外に出ようとすると、ずっと横で寝ていた愛犬の「ぽんて」がむくりと起き上がり、ドアの前に寝転んで玄関に行かせてくれない。ぽんては、子牛ほどの大きさがあるグレートデン。片眼で、耳も聞こえないが、力ではかなわない。
「普段は言うことを聞く子なのに、その時だけはいくら『どいてどいて』と言っても頑(かたく)なに動かない。仕方なく席に戻り、ぽんてがどいたところで立ち上がるとまた邪魔をする。それを3回繰り返したところではっと気づきました。『もしかして、止めてる?』と」
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晴れた日は奥のテラス席に座り、犬たちが遊ぶのを見ながらビールを飲むという - 筆者撮影
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取材当日はあいにくの小雨模様。奥の白い犬だけは樹木の下でずっと雨宿りしていた - 筆者撮影
■「全財産を使って死ぬまで恩を返していこう」
ぽんては、「死の決意」を感じ取ったのに違いない。ぽんての顔を見つめ、齊藤さんの中で何かがガラリと切り替わった。
「なんてバカなことをしようとしていたんだと思いました。自分が死んだあとの、ぽんてのことを何も考えていなかった。無責任でクズな人間です。それで腹が決まりました。『死んだつもりで、もう一度やり直そう』って」
すると奇跡が起きる。
「1週間後くらいに、いきなり数千万円の仕事が立て続けに入って来たんです。そこからすべてが好転し、以来現在まで、連続黒字経営を続けています」
ぽんてに救われた。その思いに突き動かされ、齊藤さんの新しい人生が始まった。
「動物に助けてもらった命だから、今度は自分が動物を助け、全財産を使って死ぬまで恩を返していこうと決めたのは自然な流れでした」
1年経たないうちに個人で譲渡不適切犬を保護して看取る活動を始め、2021年には第二種動物取扱業の届出をしてわんずふりーを設立し、譲渡も行うようになりました」
■人を咬んだ犬は殺される——殺処分セロの虚実
環境省の調査によれば、令和3年度(2021年)には、咬傷事故の件数は4423件、調査を始めた昭和54年度(1979年)は1万3312件だったので、42年の間に3分の1ほどに減っている。ただし、これは届け出があった事故に限るので、実際にはもっと多い可能性がある。
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この犬たちも殺処分になっていた恐れがあった - 筆者撮影
飼い犬が人を咬んだ場合、飼い主はただちに(東京都の場合は24時間以内)「事故発生届出書」を提出しなければならない。地元の保健所や動物愛護センターに持ち込まれるケースも多く、それらの犬は即殺処分にされることがあると言う。
また本気咬みが激しく、トレーナー、訓練士、動物行動学病院など複数個所で改善不能な「譲渡不適切犬」と判定された場合も、殺処分される。
しかも、咬傷犬の殺処分数については、近年全国で公表されるようになった「殺処分ゼロ」の統計からは除外されている場合が多い。同じ「殺処分ゼロ」であっても、自治体の方針によって内容が異なることはあまり知られていないのが現状だ。
(事故発生時の措置)
第二十九条 飼い主は、その飼養し、又は保管する動物が人の生命又は身体に危害を加えたときは、適切な応急処置及び新たな事故の発生を防止する措置をとるとともに、その事故及びその後の措置について、事故発生の時から二十四時間以内に、知事に届け出なければならない。
2 犬の飼い主は、その犬が人をかんだときは、事故発生の時から四十八時間以内に、その犬の狂犬病の疑いの有無について獣医師に検診させなければならない。
(措置命令)
第三十条 知事は、動物が人の生命、身体若しくは財産を侵害したとき、又は侵害するおそれがあると認めるときは、当該動物の飼い主に対し、次の各号に掲げる措置を命ずることができる。
一 施設を設置し、又は改善すること。
二 動物を施設内で飼養し、又は保管すること。
三 動物に口輪を付けること。
四 動物を殺処分すること。
五 前各号に掲げるもののほか、必要な措置
東京都動物の愛護及び管理に関する条例(平成一八年三月九日交付)より
■譲渡できない「札付きのワル」を引き受ける
齊藤氏が率先して引き受けているのは、この「本気咬みが激しく、トレーナー、訓練士、動物行動学病院など複数箇所で改善不能と判定された犬たちだ。いわば「札付きのワル」。
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慣らしたスペースとドッグランは白い柵で仕切られている - 筆者撮影
そうした犬たちを、「24時間自由な自然環境」で「食事の時以外、ハウスやケージに入れることはせず」、「閉じ込め管理や暴力でのしつけはどんなに狂犬であっても一切行わない」で、保護・リハビリ・育成をする施設というのは、かなり稀有なのではないだろうか。
「実は、動物福祉先進国と言われるドイツでも、人を咬む犬は殺処分されています。ある『殺処分ゼロ』で有名な保護施設では、収容された全ての犬の26.2%が安楽死させられており、そのうちの68%は高齢・攻撃性・スペース不足などの理由によるものでした。施設の公式ホームページでは「一定の行動障害を示す動物は深刻な傷病・緊急を要する危険の回避のために殺処分する」と明記されています」
世間的には、ケージでの飼育はあたりまえだし、体罰によって厳しくしつけるしかないとする専門家もいるが、齊藤氏は首を横に振る。
「まずは犬の心を察知し、理解してあげること、教育は自発的な心が大事です。犬の問題行動は、先天的な問題や病気を除き、ほとんどが人為的に作り出しているものです。過去100頭ぐらい引き受けてきましたが、先天的な問題で狂暴だったのは2頭だけでした。実際、獣医から『咬み癖は脳の障害のせいで、治せない』と言われた子は、ほかに何頭もいましたが、ここで暮らすうちに穏やかになります」
■体罰による「しつけ」では解決しない
もちろんケンカがまったくないわけではない。
「愛されていると分かっている子は、致命傷を与えるような攻撃をすることはまずありません。それはダメだと知っている。だからこれまで、生命にかかわるようなケンカは初期のころ一度だけ。ナンバーワンを決める争いで、ただのケンカではありません。これは危ないと判断し、喉元に噛みついて首を振り続けている犬の顔にホースで水を噴射して止めました」
どんな問題犬も、信じて、愛情を注いで、待つ。自由に遊ばせ、草木に触れさせ、太陽と大地のエネルギーを浴びさせてあげることが、犬たちの心身を健やかにすると信じている。
「うちの犬たちは、本当に病気しない。動物の健康は、食欲にあらわれます。他の施設でありがちな、ずっと食べないとか、決まったエサしか食べないとか言うことはうちでは全然ありません。考えてみればすごく単純な話。一日中太陽を浴びながら動き回っている犬と、ケージの中で過ごす犬と、お腹が空くのはどっちかってことです」
写真提供=齊藤洋孝さん
施設内でのびのびと暮らす犬たち - 写真提供=齊藤洋孝さん
■300頭が自由に過ごせる施設をつくる
定員は40頭、現在の39頭は上限ぎりぎりだ。広々としたドッグランを見ると、もっと預かれてもよさそうな気がするが「第二種動物取扱業」の規則で、スタッフ1人当たり20頭までが限度と決まっている。
「今は、常駐が私と妻の2人だけなので、40頭ということになっています。予約が6件ぐらい入っているので、1頭譲渡できたらまた1頭預かれるといった感じですね。でも、犬たちにのびのび暮らしてもらうには、今より増やすと室内が手狭になる」
1頭でも多くの犬を引き受けるために、齊藤氏は今、新たな施設の開設を計画している。
「敷地面積1万2000坪、周囲に住宅なしの立地の土地を取得しました。当初2028年の開設予定でしたが、すぐにでも引き取りを必要としている犬が多いので、急いでいます。できれば27年には開設して、300頭の犬が自由に過ごせる施設にしたいです」
写真提供=齊藤洋孝さん
新しい施設の予定地。購入はできたが、現状では建築確認が通らない土地だという。道路の整備などにも費用がかかるそうだ - 写真提供=齊藤洋孝さん
思いに共感する個人や団体は多く、わんずふりーの犬たちのエサは、すべて現物の寄付で賄えている。去勢や避妊手術、ワクチン接種も獣医師が協力してくれる。ワクチンの代金は仕入れ値だ。
「寄付金は沢山いただいていますが、今は全額手つかずでとってあります。すごくありがたいし、恵まれていると思います。だからこそ自分たちの人件費にも使いません。ビジネスなら運用して増やしたほうがいいのかもしれませんが、営利的な使い方は絶対にしたくない。すべて新しい施設の建築費用の一部として使います」
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「わんずふりー」の看板 - 筆者撮影
■覚悟は、犬たちにも伝わっている
これは、寄付してくれる人に向けた約束。齊藤氏は、犬たちにも約束していることがある。
「譲渡活動を始める前に保護した子には、生涯ずっと一緒にいようと約束したので、咬まなくなっても譲渡対象にはしません。たかが犬との約束と思う人もいるかもしれませんが、犬は、約束したことは絶対に守らないと信用してくれない。と僕は思っています。破ったら、飼い主として尊敬してくれない。だから、やると言ったことはやるし、やむを得なくできない時は、理由をきちっと説明して許してもらいます」
写真提供=齊藤洋孝さん
元旦に朝日を浴びる犬たち。齊藤さんは「朝日はとても大事で、みんなの過去も心の傷もすべてを癒してくれます」と話した - 写真提供=齊藤洋孝さん
言葉じゃない。そうした覚悟が犬にもしっかり伝わると言うことだろう。
「もし、あなたに何かあったらどうするの、その犬たち、と聞かれることがあります。でも、僕のような活動をしていなくても、どんな人にも言えることですよね。明日事故で死ぬかもしれないというのは、リスクの確率論の話。頭数分の、たとえばどこかに預けた場合にかかる費用は既に確保してあります。万が一の場合には、知り合いの提携団体に預ける契約もしています」
犬たちへの責任を果たすための用意は周到だ。それでも…
「自分でできることには限界があります。なので、日本中に、うちみたいな施設ができるように。新しい施設は、やさしい未来の始まりの聖地になればいいなと思っています」
愛車はフェラーリから軽バンに変わり、手も指も赤黒い内出血の腫れや生傷が絶えないが、「今が生きてきて一番豊かで幸せ」と笑った。
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「今が一番幸せ」と語る齊藤さん - 筆者撮影
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木原 洋美(きはら・ひろみ)
医療ジャーナリスト/コピーライター
コピーライターとして、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わった後、医療に軸足を移す。ダイヤモンド社、講談社、プレジデント社などの雑誌やWEBサイトに記事を執筆。近年は医療系のホームページ、動画の企画・制作も手掛けている。著書に『「がん」が生活習慣病になる日 遺伝子から線虫まで 早期発見時代はもう始まっている』(ダイヤモンド社)などがある。
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(医療ジャーナリスト/コピーライター 木原 洋美)