「石垣島勤務です」→「やった!」とはならない…都市から離島まで全国を渡り歩く裁判官の"トホホな転勤事情"

2025年3月25日(火)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kanizphoto

裁判官の日常は謎に包まれている。どんな生活をしているのか。元裁判官で弁護士の井上薫さんは「裁判官には転勤がつきものだ。移動先は地方都市から離島まで相当多い。どこに行くかで大きな差がある」という——。

※本稿は、井上薫『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


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■転勤拒否できる建前だが実際は…


裁判官には転勤がつきもので、転勤族の一種ですね。ところが驚いたことに、裁判所法という法律の中には転勤(条文では「転所」という)拒否できるという規定があるのです。一般には信じられないですけれど。転勤拒否できるのはなぜか? それだけ人事による関与によって裁判官が心が揺らいで公平な裁判ができなくなることを恐れて、法律では裁判官は転勤拒否ができることになっているのです。そんなところに行きたくないといえば転勤話はそれで終わりということになっているのです。


では、現実になぜみんな転勤しているのか? そこが建前と本音の分裂なんですよ。日本にはそういう例は多々ありますけども、裁判官の転勤拒否ができるかどうかという点については、建前と実際は極端に離れています。これを知らないで法律だけ見ていても裁判官人事の実際はわかりません。


人事権者である最高裁は裁判官にここへ異動してくださいというたびにいちいち拒否されていたら人事異動なんてできないじゃないかと思いませんか? 実際そうなんですよ。できないんですよ。ところがやっているわけです。どういう仕組みなのかというのが話の味噌です。これが一札の力という話題です。


■実際には転勤拒否ができない仕組みになっている


たとえば、東京地裁に次に転勤になるとき念書を取られます。3年たったら最高裁が行けといったところに行きますという念書を最高裁に提出する慣行です。提出しないと東京地裁に行けません。そういうやり方、この一札の力によって、転勤拒否できる建前が吹き飛んで実際にはできない仕組みになっているのです。それで、最高裁は全国の裁判官を将棋の駒みたいに思うように動かしているのです。大規模な人間将棋ですね。これが建前と実際の違いの根本です。あまり表に出る話ではないので一般の方々は知らないこととは思いますが、ここが裁判官人事を理解するときの要です。


異動する先の話です。地裁と家裁では仕事の内容が大きく違います。地裁であれば民事か刑事かの事件をやりますが、家裁になると家事事件か少年事件をやるわけです。だいぶ仕事の内容が違いますね。法廷というと地裁のイメージが強いです。家裁でも法廷を開く場合はあるけれどもそれは少なくて、実際法廷傍聴に行こうというと地裁へ行きます。仕事の内容もイメージもだいぶ違います。地裁への希望の裁判官が多いだろうと思います。家裁の裁判官は希望が通らなかったのでやってきたという場合が少なくないのではないかと思います。


■移動先は本庁から小さい町の支部まで


異動先が本庁か支部かというのはかなりの違いがあります。日本の地方裁判所は、北海道には4つあります。札幌のほか、函館、旭川、釧路にあります。あとは、都府県に1個ずつあります。県庁所在地に本庁があります。支部というのは、県庁所在地以外の都市に置かれることになります。支部は1カ所と限らず、複数置かれることもあります。かなり小さい町に置かれる支部は裁判官も少ないです。


ときには裁判官が常駐しない支部というのもあります。そういうときは、裁判をやる日だけ裁判官が出張してきてやります。事件数が少ないとそういう支部もあります。令和5年度の裁判所の種類と数を図表1にまとめておきます。地裁の本庁50と支部203だけは念頭に置いてください。


たとえば、岩手県の地裁について見ると、盛岡本庁のほかに、花巻、二戸(にのへ)、遠野、宮古、一関(いちのせき)、水沢の各支部があります。裁判官の転勤先の候補地の概略をつかむための参考にしてください。家裁には出張所があるほか、地裁と家裁は同じ数あります。置かれる場所も同じです。


図表=『裁判官の正体

■民事をやりたくても刑事のポストばかりのことも


地方裁判所に異動する場合を考えると、仕事内容が民事なのか刑事なのかというのは大きな関心事です。配属先が民事部になるか刑事部になるかというのと同じ意味です。民事だとお金のことその他雑多な財産関係の裁判をやりますが、刑事となると被告人が有罪か無罪かを決めたうえ、有罪であれば刑を決めるという仕事になります。


民事と刑事両方一緒にごちゃごちゃにやるという場合もありますが、それは地方裁判所の支部に行った場合に多いですね。通常は民事と刑事と仕事が分かれています。実際には民事の希望者が多いです。ずっと民事をやりたいと思いながら、実際にはいつも刑事のポストばかりいわれて不本意だなと思っている人もいるでしょう。


写真=iStock.com/Thananat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thananat

■転勤先には、佐渡島、淡路島、奄美大島、石垣島もある


日本は小さい国のようにいわれたりもしますが、都道府県だけでもかなりの数になるうえに、支部まで入れると任地の行き先というのは前記のとおり相当多くなります。場所も地方というか田舎というようなところもあるし、東京や大阪と比べるとだいぶ生活ぶり、私生活の方も変わってくるでしょう。任地の多様さを思わざるをえません。家族も同様に、任地の多様さに順応していく必要があります。うまくいかないと配偶者の希望で単身赴任あるいは裁判官を辞めなければならないみたいなことになります。


地裁の支部というとかなりの地方都市にもあるということをすでに述べましたけれども、島にもあります。たとえば佐渡島、淡路島、奄美大島とか石垣島にもあります。遊びで石垣島に行く分には楽しいだけで終わるかもしれないけれど、そこの裁判官に異動し引っ越したとなると、それと同じ感覚ではいかないでしょう。やはり不便なことも多くなるし、遊びにしても限られてしまうでしょう。仕事としても面白くないかもしれません。裁判所は、離島にもあるというところが異動を考えるうえでもだいぶ違います。


写真=iStock.com/Takosan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Takosan

■豪雪地帯に行くかどうかもかなり大きな問題


もちろん他の会社でも転勤がありますし、中央官庁でも同様です。ただ、島にまで任地があるかどうかというと、必ずしもそうではないだろうと思います。そこは裁判の仕事の特殊性で、日本国民全員に裁判を受ける権利を公平に認めなければならないという観点から、離島であっても人口の少ない町であっても置いてあるわけです。裁判所までの往復の時間なども考えてなるべく公平になるようにしているそうですが、それにしても離島にもあるというのは他の官庁ではちょっとないかもしれないですね。


日本は南北に長いし、山間部も海辺も島もあるわけで、気候もだいぶ違います。今は地球温暖化が進んでますが、寒い北海道と東京あるいは九州などを比べると気候もだいぶ違いますね。新潟や山陰あたりを中心に豪雪地帯があります。


あのあたりは世界的に見ても豪雪地帯だと思いますけれども、そういうところに行くかどうかというのもかなり大きな問題です。裁判官官舎の屋根に豪雪地帯だからといって電気で雪を融かして落とすという装置をつけたのはいいけれども、電気代(金額は知りませんが)は裁判官個人持ちだというので、お金がかかるから使ってないという話を聞いたことがあります。それは東京に勤務している裁判官には関係ない、予想もつかないことかもしれませんが。そういう気候差が大きいということも知る必要があります。


■スーパーで保釈中の被告人とばったり


そのほか、文化とか遊びのチャンスとか、買い物のチャンスとか、みんな任地によって違いが出てきます。東京は、文化的にも経済的にも中心都市ですから、東京で揃わないものはないぐらいだろうと思いますけれども、小さい町に行けばかなり制約されてしまいます。何か習い事をしようと思っても、大都市に行けば先生もいるし学校もあるけれども、地方都市に行けばそんなことは無理ということもあるだろうと思います。


そもそも、地方都市は人口が少ないこともあり、ちょっと買い物に出ただけで、あれは裁判官だと住民に気づかれたりします。本当に気が抜けないのです。



井上薫『裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音』(中公新書ラクレ)

以前、スーパーで買い物をしていたら、勾留中のはずの被告人とばったり会って、「脱走したのか⁉」と、びっくりしたことがありました。よく考えてみれば、なんのことはない。先週、私が担当裁判官として被告人の保釈をOKしたことを思い出しました。とはいえ、先方も私に気付いたようで、お互い、挨拶をするでもなく、なんとなく居心地が悪かったことを覚えています。大都市にある裁判所と違って、狭い地域だと、そういうこともあるんです。


そういう意味で任地による差は大きいです。これは転勤族一般に共通のことで詳述するまでもありませんが、要するに裁判官もまた他の転勤族と同じく俗人の環境にどっぷりとつかっているのです。


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井上 薫(いのうえ・かおる)
弁護士
1954(昭和29)年東京都生まれ。東京大学理学部化学科卒、同修士課程修了。司法試験合格後、判事補を経て1996年判事任官。2006年退官し、2007年弁護士登録。著書に『司法のしゃべりすぎ』『狂った裁判官』『網羅漢詩三百首』など。
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(弁護士 井上 薫)

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