トイレの便座が自動で開くのは衝撃だった…日本に来たウガンダ人がいちばん驚いた「日本あるある」
2025年3月27日(木)7時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MB Productions
※本稿は、原貫太『世界は誰かの正義でできている』(KADOKAWA)の一部を抜粋、再編集したものです。
■先進国と途上国の違い
私は、「先進国」と「発展途上国」という二項対立で世界を切り分ける視点に懐疑的だ。しかし、あえてその枠組みを使い、いわゆる「先進国」とされる日本と、いわゆる「発展途上国」とされるアフリカの多くの国々を比較すると、「標準化」の度合いに明確な違いが見えてくる。
写真=iStock.com/MB Productions
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近代化が進んだ国々では、社会の秩序と生産性向上のために標準化が徹底され、多くの人が共通のルールや基準に従うことを求められる。これにより混乱は少なくなり、効率的な社会運営が実現するだろう。
その一方で、「これが正しい」「こうすべきだ」という固定観念が生まれやすく、選択肢や自由な発想が制限されることがある。標準化が進んでいない社会では、その場の状況や人間関係を重視した柔軟な対応が求められることが多い。
例えば、ウガンダの市場では、価格が固定されているとは限らない。売り手と買い手が「1万シリングでどうだろうか」「いや、8000なら買うよ」と会話を重ねながら条件を探る。
このやり取りには、商品の需要や状態だけでなく、相手との関係性やその場の雰囲気までもが交渉の一部として影響を与えている。
■「コンプライアンス」「ポリコレ」の代償
こうした柔軟な取引の文化は、標準化された社会では感じられない「揺らぎ」や「幅」を持っており、あらかじめ値段が決められ、交渉の余地がない日本のスーパーマーケットでは味わえない人間らしさがそこには漂っている。
ウガンダの市場でのやり取りは、標準化されたルールが支配する社会とは対照的だが、それは一例にすぎない。
標準化が進んでいない社会では、自由な発想や柔軟な対応が尊重される場面が多く存在し、それが結果的に、標準化された社会にはない豊かさや多様性を生み出している。
一方で、標準化が進んだ日本社会では、「こうあるべき」という価値観が強く根付いている。
近年では、多様性を尊重するはずの「ポリティカル・コレクトネス」すら、新たな「正しさの標準」として普及しつつあるように思う。
本来、「誰も傷つけない」という理念に基づいた取り組みであるはずが、「これが正しい多様性のあり方だ」という一律的な枠組みが形成され、かえって人々の考えや行動を窮屈にしている場面も見受けられる。
■「正しさの押し付け」になっていないか
例えば、SNSでは、一部の批判的な意見が過剰に注目されることがある。その結果、他の人々が自由に発言することをためらう状況が生まれている。
意見や表現が「正しさ」によって縛られることで、多様性を尊重するはずの社会が、逆に多様な考え方や生き方を抑え込んでしまっているのではないだろうか。
このような「正しさ」の押し付けは、人々から自由を奪い、社会に息苦しさをもたらしているように思う。
写真=iStock.com/maroke
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さらに、現代の日本社会では「コンプライアンス」という名のもとに、法令を守る以上の過剰な意識が広がりつつある。
もちろん、法令遵守は社会の秩序を保つうえで不可欠だ。しかし近年では、倫理観や公序良俗といった曖昧な社会規範にまで過剰に気を配る風潮が見られる。
SNS上で発したひと言が一部の声の大きな批判にさらされ、発言者が謝罪や撤回を余儀なくされる現象や、職場や学校での発言や行動に細心の注意を払わざるを得ない状況がある。
このような環境では、人々は「正しさ」を意識しすぎるあまり、自由に意見を述べたり、振る舞ったりすることが難しくなるだろう。
■人間は本来「凹凸」のある存在
また、広告やメディアの分野では、特定の層を不快にさせないよう配慮しすぎた結果、表現が無難で均一化してしまったり、伝えたいメッセージが曖昧になってしまったりするケースもある。
多様性の尊重を重視するあまり、意図的に中立的で無個性な描写を選択する広告や、議論を避けるために安全なテーマに終始するメディア報道がその一例だ。
こうした状況では、「正しさの標準」が社会全体に押し付けられることで、自由に考えたり、行動したりする余地が奪われてしまいかねない。
結果として、人々が自己規制を強いられ、他者の目を常に気にしながら生活せざるを得ない状況を作り出してはいないだろうか。
この息苦しさの中で、多くの人が生きづらさを感じているように思う。
人間は本来、それぞれ異なる形を持った「凸凹な存在」だ。標準化された社会では、その凸凹を削り、一様に整えることが求められるかもしれない。しかし、その均一性の中で失われるのは、人間らしさや個性といった本質的な価値だ。
ある人は標準から外れることで新しい視点を提供し、別の人は他にはない強みを発揮する。
■「生きやすさ」のヒントがある
一方で、アフリカの社会には、こうした「凸凹」がそのまま受け入れられるような柔軟さがあると感じる。
例えば、ウガンダの市場でのやり取りや、時間に縛られない人々の生活態度には、一律に整えることよりも、それぞれの状況や個性を尊重する文化が根付いているように思う。
この「揺らぎ」や「幅」のある社会では、多様な人々がそれぞれの形で存在できる余地がある。それが結果として、生きやすさや人間らしさを支える要因になっているのではないだろうか。
私は、こうした「凸凹」を大切にするアフリカの社会のあり方に、多くのヒントが隠されていると感じている。それは、あらゆる物事を標準化しようとする現代社会に欠けている豊かさであり、私たちが忘れかけている人間本来の生き方ではないだろうか。
■「すべてが外からの力で決まっている」
ウガンダの友人が来日した際、日本の生活で驚いたことを話してくれた。
「エスカレーターに乗れば自分が動かなくても上がっていく。トイレに行けば便座が自動で開く。タクシーに乗れば『シートベルトをお締めください』と機械が指示してくる」
写真=iStock.com/Takosan
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彼女は半分笑いながらこれらを語ったが、最後に真剣な表情でこう付け加えた。
「すべてが外からの力で決められていて、自分の考えや行動が制約されているようだ」
日本では、日常生活の多くがシステムに組み込まれ、人々の行動が外部の仕組みによって管理されている。
例えば、交通システムに従うことで安全に移動できるが、自分で考えて行動する機会は減りがちだ。信号が青に変われば、何も考えずに道路を渡ればいい。
一方、ウガンダでは信号機がない場所も多く、道路を渡る際には車やバイクの動きを観察し、自分の判断で足を踏み出す必要がある。
■日本社会は「メンタルの貧困」
たしかに、システム化された生活は安全や快適さをもたらす。
しかし、すべてがシステムに従う環境では、自分で考えて判断する機会が減り、人間から主体性が薄れていくように感じる。
ウガンダの友人はそんな日本社会を「メンタルの貧困」と指摘した。
彼女の言葉を借りれば、日々の生活の中で意思決定の機会が奪われることで、主体的に考える力が少しずつ衰え、創造性が失われているのだという。
私自身も、アフリカと日本を行き来する中で、ウガンダの友人と同じようなことを感じた経験がある。
アフリカから帰国したばかりの頃、満員電車から降りて改札へ向かう群衆に混ざる自分に、ふと恐怖を覚えた。
ただ人の流れに身を任せ、進むだけの状況で、自分の主体性が奪われ、何か大きなシステムの一部と化したような感覚に陥ったのだ。自分の意思がどこかに消え、ただ外部の力に従わされているような感覚は、何とも言えない虚無感を伴っていた。
■「安全で快適な生活」の代償
もう一つ、日本で主体性が奪われていると感じたのは、コロナ禍のマスク着用だ。
感染拡大を防ぐためのマスク着用は理解できるが、無人の公園でもマスクを外さない人々を見た時、「マスクを着けなければ」という基準が目的化し、「何のために」という問いが置き去りにされているように思えた。
ただ基準に従うだけの行動が、いつの間にか当たり前になっていたのではないだろうか。
システム化された社会を否定するつもりはない。それは安全性や快適性を確保するために必要なものだ。
原貫太『世界は誰かの正義でできている』(KADOKAWA)
しかし、システム化の代償として、「考える力」や「主体性」が奪われるリスクを見過ごしてはいけない。
システムに従うことが習慣化すれば、思考停止のまま大きな流れに従ってしまう危険もある。
だからこそ、日々の生活の中で、自分にとって本当に必要な行動や選択は何かを問い直し、小さな場面でも主体的な意思決定を積み重ねていくことが重要だ。
それこそが、私たちが「自分らしさ」を取り戻す第一歩になるのではないだろうか。
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原 貫太(はら・かんた)
フリーランス国際協力師
1994年生まれ。早稲田大学在学中よりウガンダの元子ども兵や南スーダン難民の支援に従事し、その後NPO法人を設立。講演や出版などを通して精力的に啓発活動を行う。大学卒業後に適応障害で闘病するも、復帰後はフリーランスとして活動を再開。ウガンダのローカルNGOと協働して女子児童に対する生理用品支援などを行い、現在に至る。2017年『世界を無視しない大人になるために』を出版。2018年3月、小野梓記念賞を受賞。
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(フリーランス国際協力師 原 貫太)