「裸のママが泣き叫んでる」高3息子からのSOS…"健診オールA"でもドス黒い血が覆った脳画像を見た夫の絶望

2025年3月29日(土)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

タバコも酒もやらない健康診断オールAのアラフォー妻が脳卒中に……。CT画像に写っていた脳の3分の1を黒い血が覆っていた。突然の異変に家族は激しく動揺し、夫は医師に「妻をこのまま逝かせてあげられませんか?」と言ってしまった——。(前編/全2回)
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

■一浪した大学での一目惚れ


関東地方在住の設楽完事さん(仮名・50代)は、千葉県で生まれた。


子どもの頃から明るく、誰とでも仲良くなれる性格の設楽さんは、一浪して都内の大学に入学。一人暮らしを始めると、毎晩のように同級生の部屋に集まっては、飲み慣れないお酒を飲んではしゃいでいた。


写真=iStock.com/maruco
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

そんなある日、たまに参加する仲間の一人が、


「今度俺の彼女を連れて来るよ。彼女の友達も何人か誘うし、ご飯でも作ってもらおうよ。どう?」


と提案。設楽さんを含め、仲間たちは両手をあげて喜んだ。


その当日、設楽さんは飲み会のために講義をサボり、買い出しに行こうと部屋を出た。


すると見知らぬ女性がちょうど階段を上がってきて、


「あ、こんにちは。1年の○○です。今日の会場はこちらですか? 今日は美味しいもの作りますね!」


と言い、頷く設楽さんの目を見ながら微笑む。


「私は一瞬ドキッとし、まるで胸を撃ち抜かれたようでした。あまりに可愛い容姿と笑顔に、私は完全にやられたと思いました。それが紛れもない私にとっての初めての一目惚れでした」


ところが、その女性は、その日の飲み会を企画した仲間の彼女だった。諦められなかった設楽さんは、最初はダメもとで告白し、案の定振られる。それでも諦められず、また告白。


次第に、仲間からも女性からも気味悪がられ始めるが、お構いなしにアタックし続けていると、だんだん面白がられるようになっていく。


「8カ月にわたり100回以上、告白し続けました。同じクラスでもあり、友だちみたいな感じで頻繁に顔を合わせていたので、ところ構わず告白しては、『そこで言う? 無理無理』と言って笑われたり、『ゴリラみたいで一緒に歩くのが恥ずかしいから嫌』『付き合ってると思われたら迷惑だから寄らないで』と冷たく拒絶されたり、ずっと散々でした」


しかし告白し始めてから8カ月後、設楽さんが付きまといすぎたせいで彼氏は離れて行き、女性はフリーになった。そこで設楽さんは


「1週間のお試しでいいから!」


と懇願。すると、女性は渋々承諾してくれた。その後、1週間の終わりには「追加であと1週間!」と延長をし続け、結果、大学の卒業式に入籍を果たした。


■真面目で勤勉な妻


設楽さん23歳、妻は22歳で入籍したが、時代は就職氷河期。設楽さんも妻も、就職が決まらずフリーターに。そんな中、妻は25歳で長女を出産、その2年後に長男を出産した。


設楽さんは4〜5回の転職を経て、34歳になったとき、外資系の製薬企業の営業に転職。妻は長男が小学校に上がるタイミングで、自分も正社員として働きに出ようと考え始めた。


「妻は出産前、保育士の試験に合格し、半年ほど保育園で働いています。子どもが生まれて手がかかる間は専業主婦でしたが、『保育士の給料は安いから、子どもの学費負担が不安』と悩んでいたので、製薬の営業をしていた私が、『看護師なら稼げるのでは?』と勧めました」


妻は、34歳の時に看護師の専門学校へ通い始め、36歳で正看護師の資格を取得。37歳の頃に小児科の看護師として働き始めた。


「自分にも他人にも厳しい性格で、真面目で勤勉な妻は、40度の高熱で気を失いながらもレポートを書き上げていました。看護師になってからは、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅くまで働いていました。夜勤も厭わず、正月休みさえ家族と共にせず、患者の様子を伺いに病院に行くほどでした。妻はまさに体を擦り減らしながら看護師をしていました」


妻は、小児科のNICU(新生児集中治療室)の看護師だった。職場は日勤、準夜勤、深夜勤の3交替制。日勤から深夜勤に入る時などは、僅か4時間だけ帰宅し、食事を作り、入浴し、1時間だけの仮眠をとり、また出勤した。


暇さえあれば勉強し、資格を取るためのレポートを書き、帰宅後も引き継いだ患者の様子を電話で確認していた。


たまの休みでさえ、学会へ参加するために、日帰りや泊まりがけで遠方まで出張した。


当時、忙しい妻と交わす唯一の会話は、


「あー辞めたい」「嫌なら辞めれば?」


といった程度だった。


一方で、学生時代の朗らかな印象とは異なり、妻は社交性が皆無だった。知らない人と話すのが苦手で、友人もほとんど作らない。とにかく真面目で曲がったことを嫌い、気が強く頑固で負けず嫌い。


妻が小児科を選んだ理由は、「子どもは好きだけど、新生児であれば会話しないですむから」だった。職場では自分の意に反することには絶対に折れなかった。周りの目も立場も気にせず噛み付くため、上司から反感を買っていたようだ。


写真=iStock.com/RRice1981
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RRice1981

「妻には看護師が合っていたのだと思います。優秀な人材だったとは思いますが、協調性を必要とするような職場では不適格でした。『今日も上司と喧嘩。あの上司とは合わない』と言う妻の愚痴を聞きながら、上司に同情していました。明らかに妻はやり過ぎでした。看護師のスタートが年齢的に周りより遅かったコンプレックスが、妻を仕事に駆り立てていたようでした」


学生時代からの長い付き合いだった設楽さん夫婦は、お互いに遠慮なくものを言うため、ケンカは日常茶飯事だった。その度に子どもたちには、


「またやってんの?」


と呆れられていた。


「私は子育てより、主に家事の協力をしていました。『互いに干渉しないこと』は夫婦間の暗黙の了解であり、程よく距離を取っていたことでお互い上手くやれていたんだと思います。妻が怒る役、私がひたすら家族を笑わせる役に徹していました」


家族で食事や旅行に出かけることも多かったが、夫婦2人で出かける時間も大切にした。そんな時は、必ず手を繋いでいた。


■妻の異変


2018年が明けて間もない20時過ぎ。仕事を終え、同僚と「飲みにでも行くか」と話していた矢先、珍しく妻(43歳)からスマホに着信があった。


「お風呂の入り方が分からないー! 入れないー!」


出ると、妻が泣き叫んでいる。びっくりした設楽さんが何を言っても、妻はただ泣き叫ぶだけで話にならない。


「すぐ帰る!」


そう告げて電話を切り、家にいるはずの高3の息子にすぐかけ直した。電話に出た息子に、今家で何が起こっているのかをたずねる。


「裸のママが俺の部屋の戸を叩いて、『シャワーが分からない! お風呂が入れない!』と泣き叫んで暴れてる」


こう説明されると、これまで経験したことのない悪寒と恐怖が、設楽さんの体をガタガタと震えさせ始めた。


「妻はすでにスマホが操作できない状態だったらしく、最初の着信は息子が妻のスマホから私に発信したようです。私は息子に、『ママに服を着せて、1階でゆっくり休ませて。今家に向かってるから。とりあえず変わったことがあったらLINEして』と伝え、電車に飛び乗りました」


電車の中で、設楽さんは考えた。


「脳卒中? てんかん? 脳卒中なら話せないんじゃないか? 1階の風呂場から2階の息子に助けを呼ぶのも難しいはず。ということは、妻はてんかんの可能性が高い……」


設楽さんは病気の重症度や後遺症の懸念から、脳卒中ではなく、てんかんであることを期待していた。


しばらくすると、


〈ママの様子がおかしい〉
〈顔を歪めて苦しみだしてる〉


と息子からLINEが入る。設楽さんは、すぐに救急車を呼ぶように指示し、サイレンが聞こえたら家の場所が分かるように救急車を出迎えるように息子に伝えた。


駅に到着すると、一目散に家へ向かう。救急車のランプが赤々と周囲を照らしているのが見えてきた。


「息を切らせて家の中に駆け込むと、もう以前の妻はいませんでした……。床に転がり、唸り声を発し、手足をバタつかせながら右目は半開きの白目、口は妙な形に歪み、白い泡を溢れさせていました。数人の救急隊員が妻をとり囲み、『奥さん分かりますか?』と問い続け、息子はその様子を凍りついたように、じっと見つめていました。救急車に運び込まれた妻は体に毛布を被せられ、ストレッチャーの上でその体をグニグニグニグニうごめかせていました……」


写真=iStock.com/Jamie
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jamie

■診断と決断


2018年の1月は例年より気温が低く、病院はどこも急患で溢れていた。


設楽さんの妻を受け入れてもらえる病院はなかなか見つからず、救急隊員は


「旦那さん、今探していますからね。もうすぐ見つかりますから。安心してください」


と繰り返す。


狭い救急車の中、目の前で苦しみ続ける妻を見ていても、まだ全く現実感が湧かない設楽さんは、


「ありがとうございます。お手数かけます」


とその度に答え、ただ黙って妻の手を握りしめていた。泣き叫んでいた妻の電話から、2〜3時間は経っただろうか。


ようやく救急車が向かった先は、設楽さんの家から10キロほど離れた、できたばかりの新しい病院だった。救急車を降りると、控え室で待機するようにと告げられる。


23時過ぎ。暖房が効いていない控え室は寒く、手を摩り合わせながら待っていると、


「検査が終わりましたので、こちらにお越しください」


と声がかかる。


診察室で医師は、脳のCT画像を示しながら言った。


「脳出血です。右の瞳孔はすでに散大しており、左も開けば助からないでしょう。手術もかなりリスクが高いです。今手術しても、かなり重い障害が残る可能性が高いでしょう」


示された妻の脳のCT画像には、3分の1ほど血液で作られた真っ暗な空洞があり、素人目にも一目で「これはダメだな」と思わせるほどの説得力があった。


写真=iStock.com/mr.suphachai praserdumrongchai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mr.suphachai praserdumrongchai

「『左頭頂葉皮質下出血』それが妻の疾患名でした。いわゆる脳卒中(脳出血)です。左脳の深部血管が破れ、すでに大量の血液が妻の脳を覆っていました。発症した原因は不明とのこと。妻は生まれつき脳の血管に奇形があり、それが破れた可能性があるそうです。発症時は生理で、貧血気味であったこと。また脳の静脈が閉塞しており、行き場をなくした血液が動脈へ負荷をかけた可能性があるとのことでした」


当時43歳だった妻の健診結果はオールA。タバコ、飲酒はせず、食事は自然食品を好み、健康に気をつけた食生活を送っていた。


設楽さんは医師にたずねた。


「何か避ける方法はあったのでしょうか?」
「ないです。仕方ないことと考えてください。今手術しても、かなり重い障害が残る可能性も高いでしょう」


その言葉は、設楽さんを納得させるには、十分な答えだった。脳の3分の1ほどを覆うドス黒い出血の空洞を映し出したCT画像を見ながら、昔から妻に聞かされていた言葉が設楽さんの頭に浮かんでいた。


「私がもし障害が残るような病気になったら助けないでね。人の世話になりたくないし、もし死んだら検体(関連記事:【後編】「30年以上前に一目惚れした妻は半身麻痺で失語症でもやっぱり可愛い」40代で倒れた妻を献身介護の夫の胸の内)に出してほしい」


救命できる時間は残りわずかだった。設楽さんは医師の顔を見て、静かに、しかしはっきりと言った。


「妻をこのまま逝かせてあげられませんか?」


瞬間、医師は目を見開き、そのあとはどう返答するべきか迷っている様子だった。


医師の反応を目にした設楽さんは、自分が吐いた言葉をなかったことにしたい思いに駆られた。(以下、後編へ続く)


----------
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
----------


(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

プレジデント社

「息子」をもっと詳しく

「息子」のニュース

「息子」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ