だから日本の高校野球から体罰がなくならない…監督の暴力を「愛のムチ」に自動変換するメディアの異様さ
2025年3月30日(日)9時15分 プレジデント社
龍谷大学平安中学校・高等学校、京都市下京区大宮通(写真=Own work/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)
龍谷大学平安中学校・高等学校、京都市下京区大宮通(写真=Own work/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)
■甲子園の常連校で起きた「部員体罰」報道
京都の龍谷大平安高と言えば、旧称の平安高時代から、全国屈指の野球強豪校として知られてきた。
夏の甲子園の京都府大会には旧制平安中学時代の1916年に初出場。以後、春の甲子園には42回、夏は34回の出場を誇る。全国優勝は春1回、夏3回。
出身選手には、元阪神監督の金田正泰、殿堂入りした広島の衣笠祥雄など錚々たる名前が並ぶ。現役選手には西武の炭谷銀仁朗、楽天の中島大輔、ロッテのドラフト1位ルーキー西川史礁(みしょう)などがいる。
この名門中の名門、龍谷大平安高の原田英彦前監督が、部員に対して暴力をふるったと報じられた。
原田前監督は2月中旬、課題を提出していなかった硬式野球部の部員2人を寮に呼び出した。
朝日新聞によれば、部員1人の頭を手のひらで、頭と肩、のど付近を紙製ノートで10回以上たたいた。もう1人の部員には手のひらで頭を5回ほどたたいたという。(2025年3月5日朝日新聞)
翌日、このうちの1人が「監督から暴力を受けたため登校できない」と学校側に申告し、暴行が明らかになった。病院の診断で、この部員は打撲で30日の通院が必要だとされた、一時期、登校できていなかったが、現在は復帰しているという。
■学校の対応は迅速だったが…
学校側は、高校は暴行の発覚直後に日本高野連に報告するとともに、事件について公表し、懲戒処分の手続きを進めていたが、事実関係を精査するとしていったん取り下げた。これを受けて、日本高野連は3月4日に開催される日本学生野球協会審査室会議への処分申請を見送るとした。
原田前監督は事件後、自宅待機処分となっていたが2月17日に退職届を提出。3月2日付で高校職員としての退職が決まり、監督も辞任した。
3月5日には龍谷大平安高の山脇護校長が記者会見し、「この度、本校硬式野球部の監督が部員に対して体罰を行ったということで多大なご心配ご迷惑をお掛けしましたこと、誠に申し訳ございません。深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
原田前監督は、今年度での退任が予定されていたというが、それに先立って自ら辞職したのは、これによって学校が学生野球協会から処分を受けることを回避したいという意向もあったと思われる。
退任に際して「生徒を何とか活躍させたいという思いが強く、体罰に至ってしまいました。大変申し訳ないことをした。学校に戻って野球を続けてほしい」と話した。
■メディアへの違和感
原田英彦前監督は京都市出身の64歳。平安高校時代は外野手として活躍。日本新薬に進み主将として都市対抗野球にも出場。引退後の1993年に母校の監督に就任。97年夏には準優勝、2014年春には優勝するなど、一時期低迷していた平安高校を再び強豪校へと復活させた。今、プロで活躍している平安高校出身選手すべての「恩師」になる。
今回の事件に関して、学校側は事件発覚とともにこれを公表し、学校として原田前監督の懲戒処分の手続きを開始した。迅速であり、適切だったといえよう。
原田前監督が監督を退任、学校を退職したこともあり、事態はこれで収束したといえるが、筆者は疑問の念を禁じ得ない。それはメディアの「反応」である。
例えば、日刊スポーツの3月5日配信記事だ。
「野球を愛し、母校に深い思い入れを持つ選手をどうすれば育てられるのかを常に考えていた指導者が、行き過ぎた指導が原因で、愛してやまないHEIANのユニホームを志半ばで脱いだ」
AERA dot.(3月8日配信)では、「プロ野球の世界でプレーしたOB」の声として「今回の事件の詳細が分からないので、その点はコメントできませんが」と前置きしつつ、「私も、何度も頭をはたかれたことがありましたよ。時代が違うかもしれないですけど、そのときは自分に非があるなと思ったので納得できたし、周りの選手も同じ感覚だったと思います」との声を紹介している。
■学校内の暴力はなぜか黙認される
サンケイスポーツの記者コラム(3月9日配信)は「原田氏の人柄と熱血指導に理解を示し、今春、部員になる新1年生は、どんな思いなのか。甲子園への近道だと思ったはず。これからの人生に多大な影響を与える恩師と3年間を過ごせない。学校側が指揮を任せる新監督に、まずは身を委ねるしかない」と記している。
原田前監督に対して同情的な記事が多い。
写真=iStock.com/33ft
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/33ft
また、原田前監督の退任を発表した報道対応でも山脇護校長は「(原田監督は)“生徒をなんとか活躍させてあげたい思いからだった。申し訳ない”と話している」と語っている。
たとえ話だが、駅頭で60代半ばの一般男性が高校生を「手のひらやノートで頭部や肩、のどのあたりを叩いた」とすれば、周囲がすぐに警察に通報するだろう。そうなれば叩いた男性は、暴行罪もしくは相手がケガをしたら傷害罪で訴えられる可能性がある。
しかし「学校」「野球部」という閉鎖空間で、特定の人物が暴力をふるった場合には、学校は警察に通報することはないし、事態が発覚しても、メディアは同情的な論調で報じるのだ。日本は法治国家であり法の下の平等が保証されているはずだ。
日本では親や教育者が、子供もしくは生徒に教育的目的で暴力をふるうことを体罰と称してきた。暴力は刑事罰の対象であり当然、違法行為だが、ひとたび体罰となれば、状況次第では容認される。学校で教師に暴力をふるわれても、親や学校は警察に通報することはまれだ。
■学生野球界の不思議な処分
これまで学校は、行き過ぎた暴力に対して教師に注意することはあったが、譴責(けんせき)などの制裁処分を科すことは、ほとんどなかった。
体罰の禁止は、1947年に施行された「学校教育法」に明記されている。
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
しかし実際には体罰を容認するような教育が80年近くも野放しにされてきたのだ。学生野球界の体罰に対する処分も極めて甘い。
日本学生野球協会審査室は、日本高野連から不祥事を起こした選手、指導者などについて処分申請があれば、協議をして処分を決めている。
2024年11月と25年1月の処分発表から暴力、体罰に関するものをピックアップしてみた。
・益田東(島根)はコーチ(非常勤講師)の部内による体罰により、24年12月20日から1カ月の謹慎処分。
・東洋大姫路(兵庫)のコーチ(非常勤講師)は部内での暴言と体罰により、24年9月21日から3カ月間の謹慎処分。
・船橋北(千葉)は監督の部内での体罰、不適切発言と不適切指導、報告義務違反により、24年10月17日から4カ月の謹慎処分。
・金沢龍谷(石川)の監督は部内での体罰と暴言、及び報告義務違反で24年10月2日から1年間の謹慎処分。
■暴力よりもルール違反の方がはるかに厳しい
処分は1カ月から1年の謹慎処分となっている。コーチよりも監督の処分が重い。また報告義務違反があると謹慎期間が長くなるようだ。
ただ高校野球では12月から2月末までがオフシーズンになる。この期間を含む謹慎処分は、ペナルティーとしては非常に軽微だと言える。
その一方で、暴力、体罰ではない処分発表の例をあげる。
早大学院(東京)の監督(68歳、外部指導員)は中学生の練習参加による規定違反と、中学生との接触ルール違反により24年10月5日から無期謹慎処分。
中学生が高校の練習に無許可で参加するなど、接触ルールに違反した場合には、その監督の指導者生命が終わるような厳しい処分を科しているのだ。
体罰、暴力よりも、ルール、規定違反の方がはるかに厳しい処分という部分にも、現在の日本野球の価値観が見て取れる。
写真=iStock.com/Loco3
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Loco3
日本高野連、学生野球協会は今年2月、スポーツ庁スポーツ団体のガバナンスコードの要請に対応して、「処分基準」を策定するとともに、それに関連する規則などの策定や一部改訂を行った。
指導者の不適切な言動の内容や謹慎期間などを明文化。対外試合禁止の期間にはオフシーズンを含めないなど、処分の公平性、整合性を高めた改定となっている。また具体的な不祥事を例示して、謹慎期間の規定をし直している。
ただ、今回の改定を通じても暴力、体罰を厳罰化するような動きは見られなかった。
■こうして学生野球に体罰が生まれた
高校野球など日本野球界から体罰、暴力がなくならないのは、メディアも含めこれに寛容な体質があるといわれても仕方がない。
その背景には体罰の禁止を法律で謳っていながら、それを野放しにしてきた教育界のいい加減さ、緩さがあったと言わざるを得ない。
信念を持った教師が行う体罰は、教育的な意味がある。教師も暴力をふるいたくてふるったのではないし、体罰を受けた生徒も納得している……。信じがたいがこんなことを言う人がいまだにいる。
2023年、高知大学地域協働学部の中村哲也准教授が上梓した『高校野球と体罰』(岩波書店)によれば、野球界で体罰が顕著になったのは大正期とのことだ。野球熱が高まるとともにメディア、社会の注目も集まり、多くの選手が集まってレギュラー争いなど、競争が高まった時期だという。競争が苛烈になり、試合に出られない選手が増えてくるとともに、体罰や暴力が増えてきたのだ。
また野球人気とともに、試合に出られなくても、野球部に在籍することで進学や就職が有利になるようになって、暴力を容認する空気が生まれた。これによって、体罰、しごきみたいなものも、それに耐える意味があると価値づけされ、暴力的な指導を肯定する仕組みができたとしている。
■世界的にも異様
つまり体罰は、野球部という集団の競争が苛烈になり、そのストレスによって生じた。そして暴力に耐えることで、進学、就職が有利になるというインセンティブが生じたことで、容認されてきた、ということだ。決して指導者や教育者の信念のような上等な理屈ではないということだ。
世界のスポーツ先進国から見ても「暴力が時として容認される」日本のスポーツ界は異様だといえる。いかなる理由があるにせよ、指導者が選手に「体罰=暴力」をふるった際は一発アウトという規定が設けられない限り、野球界から暴力体罰はなくならない。
競技人口が減り続ける中、野球界はいつまで「暴力に甘い」体質を続けるのだろうか。
----------
広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。
----------
(スポーツライター 広尾 晃)