ゴーンが閉鎖した日産自動車村山工場跡地 ハイオーナーカー初代「ローレル」の集い

4月8日(月)18時58分 財経新聞

 旧プリンス自動車(日産自動車に吸収合併された)発祥の地(GT-R発祥の地でもある)、日産自動車村山工場(東京都武蔵村山市)跡地に作られた「東京日産自動車販売新車のひろば村山店」で4月6日、懐かしい初代「日産・ローレル」が50周年を迎え、「日産ローレルC30 プリンスの丘ミーティング2019」が会員を迎えて開催された。

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 カルロス・ゴーン元会長が日産COOとして迎えられ、村山工場の視察を行い、閉鎖を決めた時のテレビニュースがあった。当時の工場長が、インタビュー中こらえきれずに涙を流す場面が印象に残っている。「古い工場なので効率が悪い」と言われたようだった。

 確かに村山工場は旧プリンス自動車発祥の地で、「つぎはぎ」で拡張してきたのであろう。工場の再生を図る時の常道手段としては、新鋭工場を残し古い工場を閉鎖するのが当然だ。しかし「血と汗と涙」で作り上げた工場であるだけに、人間であれば当然に「思い」のこもった工場であるはずだった。

■「コストカッター」カルロス・ゴーン
 「コストカッター」カルロス・ゴーン元会長が被告となってしまったが、彼が再生計画の初めに手を付けたのが「村山工場」をはじめ3工場の閉鎖だった。企業経営の中で「再生」と呼ばれる作業では、「コストカット」と「拡販」の両方向での努力がある。カルロス・ゴーン元会長の得意技は、「コストカット」の方向性だった。

 通常は両方向に努力するのだが、やはり「再生請負人」の得意技がある。「銀行管理」になると、ほとんど「コストカット」しかできないことが多い。日産の場合は「コストカット」に成功し、続いて「販売努力」となったのだが、トヨタには大きく水をあけられてしまった。それを回復させて「生産台数世界一」にしたのは、カルロス・ゴーン元会長の「M&A」の采配だった。

 しかし、3社アライアンスで世界一になってはいるが、本来は「混流生産」「スウィング生産」「順序生産」「モジュール設計」「モデルベース設計」「サプライチェーン」など、これからがアライアンスの効果を出す正念場であった。「利益率」など内容を将来性も含めてビジネスモデルを調整しなければならない時期なのだ。トヨタが「プラットフォーマー」「サービス業を目指す」と宣言しているようなビジネスモデルの長期的改善の目標を立てる時期なのだ。

■ハイオーナーカー日産・ローレル
 かつて、「戦後」と呼ばれる時期を脱したころ、ハイオーナーカーと言われるジャンルができてきた。トヨタ・クラウン、日産・セドリック、プリンス・グロリアなどは法人やタクシー専用車に近い需要層であった。「マイカー」と呼ばれるクラスは、トヨタ・コロナ、日産・ブルーバード、プリンス・スカイラインの時代が長く続いた。

 トヨタ・カローラ、日産・サニーが「大衆車」として登場して、本格的に日本のモータリゼーションが始まった。上級志向もあり、クラウンクラスとコロナクラスの中間車種として「トヨタ・コロナマークII」が登場した。それに対抗して「日産・ローレル」が登場し、トヨタと日産の競争が華やかに繰り広げられ、バブル期まで続くこととなった。

 旧プリンス自動車は日産自動車に合併されていた。私は法人用の車を「プリンス・スカイライン1500」から「日産・ローレル」に乗り換え、現在では懐かしい「初代ローレル」に出会うこととなった。法人車なので当時は4ドアセダンであり、「3速コラムシフト」、もちろんMTである。もっとも何気ない実用車で、10年ほど所有することとなった。

 スタイリングは「箱」と言うのが相応しく、それが特徴ともなっていた。個人ではトヨタ・コロナマークIIを所有していたので、その違いを感じることができていた。4輪独立懸架のローレルと、リジットのコロナマークIIとを比べると、技術的にはローレルが光っていたが、トヨタは現在でも「マークX」となって販売を継続してきた。しかし、クルマとして「日産・ローレル」に郷愁を覚えるのはどうしたことであろうか?

財経新聞

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