「自称・広末涼子」「TOKIO山口メンバー」ってなに?…ニュースの「意味不明なマスコミ用語」に感じる違和感の正体
2025年4月9日(水)13時15分 プレジデント社
2022年東京国際映画祭レッドカーペットに登場した広末涼子さん(写真=Dick Thomas Johnson/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
2022年東京国際映画祭レッドカーペットに登場した広末涼子さん(写真=Dick Thomas Johnson/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
■「自称」の理由
奇妙な第一報だった。
「自称・俳優の広末涼子容疑者が逮捕されました」と聞いて、多くの人が違和感を抱いたのではないか。
4月7日夜に、静岡県掛川市の新東名高速道路で交通事故を起こし、搬送された同県島田市の病院で、8日未明に看護師にけがをさせた傷害の疑いが、広末容疑者にはもたれている。
この事件での「自称」を付けた呼び方が、ネット上で話題になった。この経緯については、地元の静岡放送が、次のように説明している。搬送され、そして逮捕された病院で身分を証明するもの(運転免許証など)を広末容疑者が持っておらず、警察が確認できなかったのが、大きな理由だという。
私自身は、記者だったころに、警察による容疑者への「自称」付の発表を何度も聞いているから、驚かなかった。このため、SNSなどで「自称」が騒がれ、そして、静岡放送のほかにも毎日新聞が、わざわざ〈容疑者に「自称」がつくのはなぜ?〉と題した記事を配信しているほうが、逆に不思議に感じた。
まさにここに、今回の報道の、そして、マスコミ(用語)全般についての、世間と業界とのギャップがあらわれているのではないか。
■どちらに転んでも「ニュースバリュー」がある
今回の事案については、マスコミの思惑があったのではないか。
まずは、広末涼子という大物俳優の逮捕そのもののニュースバリューである。静岡県警が発表しているのだから、「自称」は、やがて取れる=確認がとれるに違いない。そんな見通しがあったに違いない。それとともに、仮に「自称」のまま=広末涼子を名乗る別の人物による犯行だったとしても、それはそれで、傍迷惑なお騒がせ事件だと報じられるとのもくろみもあったのではないか。
どちらにしても、「広末涼子」にネームバリューがあり、ニュースを報じれば、多数の目をひきつけられるはずだ、との打算があったのではないか。事案の中身はともあれ、30年に及ぶ芸能生活のなかで、たびたび世の中を賑わせてきた人物なのだから、何かを報じれば注目される。この私の記事もまた、そのひとつにほかならない。
実際、2015年には、窃盗の疑いで逮捕されてからも「福山雅治」を名乗り続けた男がいたと、「弁護士ドットコムニュース」が報じている。広末容疑者の逮捕をきっかけに、この事案も脚光を浴びたようだが、それよりも、そもそも、芸能人の逮捕をどう報じてきたのかを振り返らねばなるまい。
■山口「メンバー」はジャニーズへの忖度なのか
2018年にアイドルグループ「TOKIO」の山口達也氏が強制わいせつ(当時)の疑いで書類送検された事件では、多くのメディアが「山口メンバー」と表した。故・ジャニー喜多川氏による性加害が明るみに出る前であったこともあり、ジャニーズ事務所(当時)への忖度ではないか、とも喧伝された。
山口氏は、この事件について被害者とのあいだで示談が成立していたため、起訴される可能性がほとんどなかった。この点を根拠に、報道各社は、「容疑者」ではなく、「メンバー」を使ったとみられている。
この「メンバー」呼称をめぐっては、前例がある。2001年、当時、SMAPの一員だった稲垣吾郎氏が道路交通法違反等で逮捕されたときにも使われていたのである。「弁護士ドットコムニュース」は、「逮捕されたとき、一般人であれば『容疑者』」なのに、「『メンバー』では公平性が保てない」と、テレビ各局に抗議が殺到した」と報じている。
また、放送コラムニストの高堀冬彦氏は、「稲垣メンバー」という呼び方が、「平等であるべき報道を不平等にしてしまった。これではジャニー氏の性加害問題が報じられるはずがなかった」と批判している。
ジャニーズ事務所(2023年4月当時。2023年10月17日にSMILE-UP.へと社名変更)(写真=Beryllium Transistor/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
■TBSの調査委は「特別な配慮」を否定
他方で、2001年の事故当時、大阪の読売テレビのアナウンサーだった道浦俊彦氏が書いたコラム(〈ことばの話426「稲垣メンバー」〉)によると、事情は異なる。逃亡のおそれがなく「在宅での捜査」、つまり、釈放されたために「容疑者」から「メンバー」に切り替えたのであり、「ジャニーズ事務所から圧力があったに違いない」との週刊誌報道は違う、という。
ほかにも、TBSホールディングスによる「旧ジャニーズ事務所問題に関する特別調査委員会による報告書」では、この「稲垣メンバー」という呼び方(報告書では「Aメンバー」)について、詳細に経緯を検証している。同報告書は、「呼称の決定に関してジャニーズ事務所への特別な配慮や、編成局など他部署が介入した事実は認められなかった」(16ページ)と結論づけている。
ここにもまた、「自称」と同じくらい、世間とメディアのズレがあるのではないか。
■そもそも「容疑者」はマスコミ用語
そのズレの原因は、「容疑者」自体が、日本のマスコミ用語だからなのである。法律には「被疑者」としか書かれていないにもかかわらず、あるいは、書かれていないからこそ、わざわざ「容疑者」という肩書きを独自に生み出した。
なるほど、「しんぶん赤旗」が解説しているように、「被疑者が被害者と発音が似ているので誤解が生じないように」との意図は、わからなくはない。けれども、私が記者を始めた20年ほど前には、先輩記者から「昔は、呼び捨てやったんや」と言われて驚いた覚えがある。
朝日新聞は、その転機となったのが、1989年、女子高校生コンクリート詰め殺人事件や、連続幼女誘拐殺人事件といった、凶悪犯罪をめぐる「過剰報道」批判だと、2008年に書いている。事実、ほとんどの報道機関は、1989年12月から呼び捨てをやめ、「容疑者」を使いはじめている。
写真=iStock.com/kyonntra
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyonntra
■「犯罪者」というレッテルを貼っている
私は、その朝日新聞の記事にもある「ロス疑惑」が「容疑者」使用を広める転換点になったと教わった。1981年に米国ロサンゼルスで起きた三浦一美さん銃撃事件で、夫の三浦和義氏(故人)が犯人である「疑惑」があると、週刊文春が報じたものである。
三浦氏は、その「疑惑」を報じたメディアを相手に次々と名誉毀損などで訴えを起こした。その結果、被疑者の人権を守ろうという動き、つまり、呼び捨てから「容疑者」をつける動きにつながった。そう、私は上司から聞いた。
また、最近でも、吉本興業に所属するタレントがオンラインカジノで金を賭けた疑いで書類送検された際も、「容疑者」ではなく「さん」付で報じられている。このニュースでは、警視庁が「起訴を求める『厳重処分』の意見を付けた」とNHKが報じており、起訴されれば「被告」になる可能性がある。
このように、「容疑者」にせよ「被告」にせよ、あたかも表面上は、人権に配慮しているように見せかけながらも、実際は、裁判で判決が確定していないにもかかわらず、「犯罪者」とのレッテルを貼っているのではないか。そのマスコミの姿勢が、ギャップやズレにつながっているのではないか。
■たかが呼び方、されど呼び方
なぜなら、今回の「広末涼子容疑者」をめぐっては、彼女が何をしたのか、すなわち、被疑事実(容疑)には、メディアがあまり注視していないように思われるからである。大物俳優が捕まった、その「事実」に興奮しているだけで、「理由」には関心がないかのように見られるからである。
広末容疑者の「奇行」について、下衆の勘繰りが大好きな私自身は、よりたくさん知りたい。ただし、今回の逮捕に至った経緯は、看護師への傷害の現行犯である。病院で治療にあたっている人に対する暴力である。カスハラ=カスタマー・ハラスメントの観点から、より広い社会問題のひとつとして取り上げても良いのではないか。
写真提供=共同通信社
広末涼子容疑者が看護師を蹴るなどして現行犯逮捕された静岡県島田市の市立総合医療センター=2025年4月8日朝 - 写真提供=共同通信社
もちろん、広末容疑者は、看護師にけがをさせた疑いの、それも現行犯で逮捕されている。交通事故を起こしており、被害者がいる以上、大目に見るべきだなどとは、毛頭、考えていない。
それでも、大手事務所に所属していないひとりの俳優を、寄ってたかって叩いて消費するだけなら、大々的に報じる意味は、どこにあるのだろうか。彼女自身のデビューから今日までの遍歴をたどり、いかに落ちぶれたのかを嘲り笑うかのような報じ方は、いじめでしかない。
たとえ、呼び捨てをやめて、「容疑者」と呼んでいるからといって、いまやもはや、そう呼ぶ時点で、悪人と認定しているからである。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)