「東京の水道水」は酒造りにぴったりだった…23区唯一の酒蔵が打ち破った「日本酒=名水」という"常識"
2025年4月10日(木)18時15分 プレジデント社
大通りから一本入った静かな路地に建つ東京港醸造 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■日本三大酒処・伏見で腕を磨いた杜氏
「本当にこんなビルばかりの場所に酒蔵があるの?」
JR田町駅から、日本酒「江戸開城」を醸す東京港醸造に向かって歩きながら、そんな一抹の不安を抱いた。細い路地を入ると、「東京港醸造」ののぼり旗が目に入りようやく安堵。それにしても、ビルに挟まれた4階建ての細長いビルで、しかも東京の水道水を使った酒はどのようにして造られるのだろうか?
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大通りから一本入った静かな路地に建つ東京港醸造 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
これまでの酒造りの概念を覆した代表取締役の寺澤善実さんにお話をうかがった。
寺澤さんは京都の高校を卒業した後、伏見の大手酒造メーカーで20年ほど酒造りをした経験があるベテラン杜氏。寺澤さんが縁もゆかりもなかった東京で初めて仕事をしたのは2000年のこと。会社からの辞令で、「マイクロブリュワリー」の先駆けとも言えるお台場の醸造所で酒造りをすることになったのだ。
■7代目から「酒蔵復活」の相談
「お台場の醸造所は52平米という小さなスペースでした。観光地で人も多いのですが、お台場はわざわざ酒を飲みに行く場所ではない。メインは修学旅行生や車で来る家族連れですからね。時代背景を先取りした事業ではあったものの、残念なことに事業の効率化で最後は私一人だけが残りました」
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寺澤善実(てらさわ・よしみ)さん。1960年、京都府生まれ。酒造りのかたわら、全国でマイクロブリュワリー開設のサポートをしている - 撮影=プレジデントオンライン編集部
赤字続きで「閉業するかもしれない」という状況下の2006年、「東京港醸造」の共同経営者である齊藤俊一会長から「自社ビルで酒造りをしたい」という相談が寺澤さんに舞い込んだ。
齊藤家は1812年創業の「若松屋」で日本酒を造っていたが、明治末期に廃業した後は雑貨屋を生業としてきた。齊藤さんはその7代目で、約100年ぶりに酒蔵を復活させようとしたのだ。
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看板には「創業 文化九年 若松屋」の文字 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■4階から下がっていく無駄のない動線
「お台場を閉業した2010年、会社にその話を持ちかけましたが、お台場での教訓もあって即却下。しかし私には10年間にわたるお台場での経験で得た自信がありました」(寺澤さん)
間もなく、寺澤さんは大手酒造メーカーを退職。齊藤さんの願いをかなえるべく、ビルでの酒造り計画を本格的にスタートさせた。
寺澤さんがまず考えたのは、「限られたスペースと立地をいかに有効に使うか」ということだった。
「4階建てビルの総面積は約171m2。高い温度が必要となる麹室と蒸米は4階、上からの断熱効果を狙って3階は事務所にしました。また、洗米や麹の乾燥などの原料処理も同階にまとめています。
2階は酛やもろみを管理する発酵場で、発酵を終えた酒を搾る上槽機器も設置。1階は搾った酒を貯蔵するタンクがあり、酒の充填とラベル貼りなどを行います。広さの制限があったからこそ、作業動線の良い蔵ができました」
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洗米や麹の乾燥を行う3階。1階当たりの面積はこの2倍ほど - 撮影=プレジデントオンライン編集部
動きに無駄がないよう熟考して考えられた動線にすることで、作業効率は一段と高まる。広い蔵は次の工程に移る際、蔵人が走り回ることがあるが、ここではそれがない。またビルに挟まれた立地で直射日光が当たらないため、年間を通し室温が安定していることも酒造りにとって大きなメリットとなった。
■任せられるところは機械に任せればいい
次に寺澤さんが着手したのは、少ない人数で酒造りを効率的に行うための設備の準備だ。
「私が独自に開発した小スペースで米麹が作れる製麹機や、酒類や容量に合わせて瓶燗火入れが自動でできるシステムを導入しました。麹作りというと寝ずの番をする蔵もありますが、人件費もかかるし、何より大きな負担となります。離職率も上がってしまいますよね。機械に任せられるところは機械に任せ、合理化すればいいんです。無駄な工程もうちでは省いています」
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ボタン一つで火入れが始まり、ずっと張り付いてる必要はない - 撮影=プレジデントオンライン編集部
合理的に機械化された酒造りを行う大手酒造メーカー出身の寺澤さんだからこそ、コンパクトで生産効率を高める醸造方法を取り入れられたと言っても過言ではない。これにより、寺澤さんを含めた3人での少数精鋭の酒造りが可能となった。
また、設備投資を最小限にすることで、初期投資が抑えられたのも会社にとっては大きな利点となった。お台場での経験がここで生かされたのだ。
■酒造りの文化を引き継ぐためのM&A
2011年にどぶろくの製造免許を、そして2016年に岐阜県の酒蔵をM&Aによって買収し、清酒免許を取得した。
現在、需給調整の影響もあり、新たに清酒製造免許の取得は難しい。しかしM&Aという手段を使えば、廃業する酒蔵の清酒製造免許の取得が可能となる。事業だけでなく、先人たちによって生み出された酒造りの文化も継承できるのは、業界にとってもプラスの面しかない。
寺澤さんの新たなステージとなる酒蔵、清酒製造免許が整った2016年、いよいよ本格的に酒造りがスタートした。寺澤さんがこだわったのは原材料全てを“オール東京”にすること。もちろん、酒の80%を占める水も、だ。それも水道水を使うというのだから驚きである。
撮影=プレジデントオンライン編集部
米、酵母、水まで“オール東京”にこだわっている - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■港区の水道水は良質で安全・安定
「東京の水道水に対し、いいイメージを持っていない方も多いと思いますが、実はそんなことはないんです。お台場時代に水道水の酒造適正を調べた時、問題がないことは事前にわかっていました。
着色など酒に悪影響を及ぼす鉄分はゼロ、水質は名水百選に選ばれた伏見の水と同じ中硬水。清酒酵母の栄養分となるミネラルを程よく含んでいるので、馥郁(ふくいく)とした味わいになります。特に港区は良質とされる埼玉県朝霞市からの水を70%使用しており、安全性と安定性が保証されています。
よく仕込み水に使われる井戸水や伏流水ももちろん素晴らしい。しかし、上流での環境リスクを考えると、安全性が担保された水道水はメリットが大きいのです」(寺澤さん)
浄水場ではカルキ臭などをオゾンによって取り除く高度浄水処理を行ってから使用。また、米のとぎ汁による環境負荷を考え、無洗米醸造法を導入した。これにより洗米での使用水量を14分の1に抑えることができた。
「清酒酵母は日比谷公園のハチから採取したオリジナルのもの、米は多摩地区の食用米・キヌヒカリを使っています。ここでしか造れない酒にしたかったからです。試験醸造の段階で酵母を決めるためにゲノム解析をして、安全性を確認した上で使用しています」
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2階で発酵中のもろみ - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■大量生産しないから人気につながる
そして満を持して出来上がったのが、「江戸開城」である。既に清酒製造免許の取得から2年という月日が流れていた。
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1909年に廃業した若松屋が、東京港醸造として100年ぶりに復活した - 撮影=プレジデントオンライン編集部
名前の由来は幕末までさかのぼる。もともと若松屋は薩摩藩の御用商人で、奥座敷には江戸無血開城の立役者である西郷隆盛や勝海舟ら要人が訪れ、密談を交わしたという逸話が残っている。
日本酒は米の収穫時期から翌春先にかけて仕込む短期醸造が主流だが、東京港醸造では通年仕込む「四季醸造」で、タンクごとに酵母や原料米を変えて多彩な商品を展開している。
寺澤さん入魂のその味は、よどみのない清流を思わせる澄んだ味わい。上品な甘味に酸味が寄り添い、それがいいアクセントになっている。最後に微細に残る苦味が味に立体感を与え、次の盃へと誘う。香りは穏やか。まさに食中酒にぴったりの酒だ。
画像提供=東京港醸造
「純米吟醸原酒 江戸開城 All Tokyo」。近くの日比谷公園から採取したオリジナル酵母を使用し、原料米〜製造に至るまで全て東京にこだわっている。1本税込み2860円 - 画像提供=東京港醸造
これはもう引く手あまたで、生産が追い付かないのでは?
「今、3人で造れる量は月で2200リットルが限度。値段はやや高めの設定にしていますが、欲しいと言ってくださる酒販店も増えています。嬉しい悲鳴ですよね。でも大量生産はできませんし、するつもりもありません。これが希少性と人気につながっています」(寺澤さん)
■100年ぶりの復活を経て、100年後へ
入手困難だからこそ欲しくなる。そんな消費者の思いを反映したマーケティングは、より「江戸開城」のブランド価値をより高めている。また同社では問屋を介さず、直接酒販店に販売することで利幅を拡大。「大儲けはできないが、やり方次第で小さな蔵でも十分に戦える」と寺澤さんは話す。
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酒蔵の向かいのショップでは、日本酒だけでなくどぶろくやリキュールを販売。有料で試飲も行っている - 撮影=プレジデントオンライン編集部
今後の夢を寺澤さんにうかがうと「この蔵が100年後にもここにあって欲しい」と目を細めた。
だがそれは決して「夢」ではない。小さなスペースで効率化・合理化された造りで酒を醸す東京港醸造のようなマイクロブルワリーは、都市部や観光地での新たなビジネスモデル希望の光となりうるからだ。
「新幹線の構内や、観光地の温泉などにマイクロブルワリーを作れば、内需拡大にもなりますし、雇用も生まれます」と寺澤さん。ひいてはこれが、日本酒文化の継承・日本酒業界の発展の一助となる。マイクロブルワリーの大きな可能性に期待したい。
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葉石 かおり(はいし・かおり)
酒ジャーナリスト・エッセイスト
1966年、東京都生まれ。日本大学文理学部独文学科卒業。「酒と健康」「酒と料理のペアリング」を核に各メディアで活動中。「飲酒寿命を延ばし、一生健康に酒を飲む」メソッドを説く。2015年、一般社団法人ジャパン・サケ・アソシエーションを柴田屋ホールディングスとともに設立し、国内外で日本酒の伝道師・SAKE EXPERTの育成を行う。現在、京都橘大学(通信)にて心理学を学ぶ大学生でもある。著書に『酒好き医師が教える最高の飲み方』『名医が教える飲酒の科学』(ともに日経BP)、『日本酒のおいしさのヒミツがよくわかる本』(シンコーミュージック)、『死んでも女性ホルモン減らさない!』(KADOKAWA)など多数。
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(酒ジャーナリスト・エッセイスト 葉石 かおり)