「決められない政治」に戻る安倍政権

4月13日(金)6時0分 JBpress

次々に登場するスキャンダルで安倍内閣の支持率が低下している。東京・永田町の首相官邸周辺で安倍首相の辞任を求めてデモをする人たち(2018年3月23日撮影)。(c)AFP PHOTO / Kazuhiro NOGI〔AFPBB News〕

 森友学園をめぐる文書改竄事件が佐川元理財局長の国会証言で一段落したと思ったら、防衛省の日報問題が再燃し、今度は加計学園について元首相秘書官が「首相案件」と呼んだという愛媛県のメモが出てきた。これは財務省や防衛省とは違って公文書ではなく、違法性もない。

 こんな些細な事件を1年以上も騒ぐ国会は異常だが、こういう情報をマスコミに提供するのは官僚機構のインサイダーである。官邸主導の安倍政権に、官僚たちが「面従腹背」の反乱を起こしているのかもしれない。次々にボロが出てくる安倍政権は、政権末期の状態だ。久々の長期政権は、また「決められない政治」に戻っていくのだろうか。


自民党と財務省の終わりなき戦い

 安倍政権で批判の的になっているのは、内閣人事局を中核とする官邸主導の体制だが、これは安倍首相が発明したものではない。戦後の日本では、憲法によって国民の選んだ国会が内閣総理大臣を指名し、首相が行政を統括することが原則だが、現実には行政の大部分は官僚に委任されてきた。

 この政官共同体は、1980年代までは成長による「果実の分配」という共通利益で結びついていたが、90年代以降の「負担の分配」では利害が食い違い始めた。バラマキを続けたい自民党に対して、大蔵省は負担の増加を求めたからだ。

 1993年に細川内閣で、小沢一郎氏は大蔵省と結託して7%の「国民福祉税」を提案したが、一夜にして撤回した。その細川内閣が10カ月で倒れたあと、自民党の大蔵省に対する報復が始まった。予算編成権で官僚機構の中枢機能をもつ大蔵省に対して、自民党は人事権を握って人的な中枢機能で対抗しようとしたのだ。

 それが橋本内閣で始まった行政改革である。このとき官邸機能の強化も決まり、内閣官房(首相官邸)に予算の「企画立案」機能をもたせた。それを補佐する各省庁より格上の機関として内閣府が創設されたが、内閣府は出向者の寄り合い所帯で、中核は経済企画庁や総務庁などの弱小官庁だったので、求心力は弱かった。

 実質的な統括機能は、引き続き大蔵省がもったが、1997年11月の山一証券破綻をきっかけにした金融危機が政局に利用され、1998年には「過剰接待」事件で、大蔵省は100人以上の懲戒処分を出し、不良債権処理の責任を問われて金融庁が分離された。自民党は小沢一郎氏と結託した大蔵省を徹底的に叩き、その大宝律令以来の名称まで変更したのだ。

「橋本行革」は当の橋本首相の任期中には実現せず、それを実行したのは小泉首相だった。その最大のエンジンは省庁再編でできた経済財政諮問会議だった。特に重要なのは、毎年8月に各省庁から概算要求が出る前の6月に諮問会議の出す「骨太の方針」だった。財務省は諮問会議を利用して、自民党の頭越しに骨太の方針を決めるようになった。


主権者のいない日本の政治

 いま出ているスキャンダルは、個々にみると内閣が総辞職するほどのものではないが、政権を倒すのは野党ではなく内閣支持率である。4月9日に発表されたNHKの世論調査によると、内閣支持率は6%下がって38%で、不支持が45%と半年ぶりに支持を上回った。

 政権の命運を決めるのは経済政策である。民主党政権では財務省が中心になって三党合意をまとめ上げたが、第2次安倍内閣はこの路線を転換し、消費税の増税を2度も延期したので、財務省との関係は悪化した。

 そこで安倍首相が頼ったのは今井尚哉秘書官を中心とする経産省だったが、その力は予算編成権を握る財務省には遠く及ばない。結果的には財務省をうまく使いこなせなかったことが、安倍政権の限界だった。

 こうした状況を打開しようと、自民党内では「省庁再々編」が取り沙汰され始めた。自民党の行革本部(甘利明本部長)は3月下旬、各官庁に「5月にも党内議論を始め、年内を目標に新たな中央省庁のあり方を首相に提言する」という文書を配布したという。

 橋本行革から20年たったので、新たに行革を行うのは結構なことだが、この20年の教訓を踏まえる必要がある。それは主権者がはっきりしないと意思決定はできないということだ。

 明治憲法は天皇主権だったが、新憲法では国民主権に変わった。しかしすべての国民が主権者として政治的意思決定を行うというのは(すべて天皇が決定するのと同じく)フィクションである。戦後も官僚支配という裏の国体は明治憲法と同じで、官僚機構を全体として統括する中枢機能が弱い。


アメリカが「裏の主権者」になった

 主権の所在がはっきりしないとき、事実上の主権をもつのは暴力装置をもつ軍である。このため戦前は、軍部が暴走した。これに懲りて新憲法は戦力を否定したので、日米同盟でアメリカが裏の主権者になった。

 この変則的な構造は意図的につくられたものではなく、1951年に日米安保条約で米軍の駐留を続ける一方、日本が再軍備しなかったためにできた暫定的な制度だった。自民党はこれを是正しようとしたが、1960年に改正された安保条約もこの点は変わらなかった。

 米軍基地を撤収させるには対等な日米同盟にする必要があり、そのためには憲法改正が必要だったが、野党は一致して改憲に反対したからだ。自民党も国会対策に配慮して「解釈改憲」に転換したため、議院内閣制も形骸化し、国会は与野党の取引の場になった。

 60年代には、官僚機構のつくった法案を自民党が事前審査し、野党と話し合ってコンセンサスで決める慣行ができた。官僚が自民党に上げる法案も各省のコンセンサスで決まる「二重のコンセンサス」が確立した。

 この構造では内閣に決定権がなく、族議員や各省庁のすべての利害関係者が一致しないと意思決定ができない。軍事的には、自衛隊の最高指揮官たる首相が米軍をコントロールできない。トランプ大統領が北朝鮮を先制攻撃したら、日米共同作戦をとるしかない。

 それを憲法解釈で避けることはできない。日本が主権国家として自立するには、安保条約(および日米地位協定)を改正して対等な軍事同盟に再編する必要があるが、日本人は戦後ずっと続いた「安上がりの平和」に慣れ、日米同盟を見直そうという人は今や自民党にもいない。

 だから同盟関係をもっと緊密なものとし、経済的にも一体化して「共同主権」に近づけることしかない。この点で安倍政権が集団的自衛権で日米の協調関係を強めたのは一歩前進だが、憲法に自衛隊を明記してもこの構造は変わらない。

 それはアメリカに自国の安全をゆだねた平和のコストだが、「対米従属」と卑下するには当たらない。イギリス連邦のようなゆるやかな連邦国家と考えれば、江戸時代からの伝統ともいえる。安倍政権が終わっても日米同盟が変わらない限り、日本の政治は本質的に変わらないだろう。

筆者:池田 信夫

JBpress

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