「甘くなくておいしいスイーツ」というナゾの褒め言葉はいつ生まれたのか…そして果物や野菜が甘くなった理由

2024年4月13日(土)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yulia Lisitsa

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「甘くなくておいしい」はいつから褒め言葉になったのか。ライターの澁川祐子さんは「かつて日本では『甘い』と『うまい』は同義だった。高度経済成長期以降、急速に健康志向が高まる中で砂糖が忌避されるようになった」という——。

※本稿は、澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/Yulia Lisitsa
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■江戸後期から甘くなりだした日本の料理


かつて日本で「甘い」は「うまい」と同義だった。


江戸時代後期の料理書では、煮物を「甘煮」と書いて「うまに」と読ませる例が登場する。江戸時代中期までもっぱら輸入に頼っていた砂糖が広くつくられるようになり、やっと庶民にも手が届くようになった時代である。この頃から料理に砂糖やみりんが多用されるようになり、日本の料理は全体的に甘くなっていった。


その一因に、欧米のように食後にデザートを食べる習慣がないからだといわれることがある。だが、理由はそれだけではないだろう。かつて日本の食卓は、動物性タンパク質や油脂と縁遠かった。その代わりに「だし」というコクの武器を発展させてきた。足りないコクをさらに補うため、当時普及し始めた砂糖やみりんの甘味が歓迎されたのではないだろうか。


このように甘さは、長らく喜ばれるものであって、敬遠されるものではなかった。しかし昨今、巷に溢れる食レポを見ていると「甘くておいしい」と「甘くなくておいしい」という、相反する褒め言葉が飛び交っている。


■「砂糖をひかえたお菓子」レシピ本に批判が寄せられた


いったい「甘くなくておいしい」、つまり甘すぎないことをよしとする風潮はいつ頃から出てきたのだろう。


お菓子づくりの本に何か手がかりはないかと探していたところ、福島登美子指導・監修『婦人之友社のお菓子の本 ケーキから和菓子まで70種』(婦人之友社、1999年)という一冊の本をみつけた。同書は、1960年(昭和35)刊行の婦人之友社編集部編『家庭でできる和洋菓子』を現代風にアレンジした基本書だ。


もとの本の製作に携わった福島は、同書に「砂糖の分量、今と昔」というコラムを寄せている。それによれば、1975年(昭和50)に福島が同じく婦人之友社から『砂糖をひかえたお菓子』という本を出したところ、「専門家から『砂糖をひかえたお菓子などあり得ない』といわれた」という。


しかし、「時代とともにほかのお菓子も甘みが減り、その分、洋菓子ではバターの分量が増えています」と記している。また、「当時は甘みの感覚が今とはずいぶん違い、ゼリーや和風の寄せものなどは1カップの水分に対して砂糖の量は半分が基本でした。今では1カップの水分に1/3が目安」と具体例も挙げている。


変化は、新しい世代から起きた。食糧難を経験した世代と、高度成長期に生まれ育った世代とでは、甘さに対する執着が違って当然だろう。甘さに飢えていた時代は終わり、おやつの人気はしょっぱいスナック菓子へと移り変わりつつあった。


■「ただ甘いだけで、一口食べてもうけっこう」


朝日新聞1970年(昭和45)1月18日朝刊には「おやつも辛口時代」と題し、子どもたちの間でチョコレートやケーキよりもしょっぱいスナック菓子やせんべい、あられが好まれていると報じている。1975年には、今も人気を誇るカルビーのポテトチップスが発売された。


1978年(昭和53)に刊行され、2002年(平成14)に復刊もされたマドモアゼルいくこ著『秘密のケーキづくり』(主婦と生活社)という伝説の本がある。キャッチコピーは「おいしくて太らない 簡単で失敗しない」。美大卒の24歳の著者が、趣味でつくり続けてきたケーキのノートをもとに出版した一冊で、女子高生たちの間で話題になった。


そのまえがきには、次のように綴られている。


「お店で売っているケーキってほんとうに甘い。もちろんなかにはおいしいのもあるけれど、せっかくのパイの上にジャムがベタッと塗ってあったり……風味よりも何よりもただ甘いだけで、一口食べてもうけっこうといいたくなります」


ただ甘いだけのものはもういらない。「甘くなくておいしい」まであと一歩のところだった。


■糖尿病が注目を集める“節制の時代”へ


事情がガラリと変わるのは、1980年代に入ってからだ。


1979年(昭和54)にNHKの料理番組『きょうの料理』で初めて成人病の食事が特集され、大反響を呼んだ。その際に高血圧と並び、番組の一つの柱になったのが糖尿病だった。テキストでは「太りすぎの人のために」と題し、食べすぎや高カロリーの食品を控えるように説いている。甘さを謳歌した高度成長期を経て、時代は節制へと傾いていた。そこで真っ先に標的にされたのが砂糖だった。


1982年(昭和57)に連載された読売新聞の「ニッポン新味覚地図」では、11月4日に「甘さ控え目が主流」という見出しでケーキを取りあげている。それによれば、戦後から昭和40年前半まではバタークリーム全盛期。その後、生クリームが人気を集め、50年代は甘ったるさを感じさせないチーズケーキの時代が到来。「そして今、もっと軽い、ヨーグルトやムース、スフレ菓子へと、好みが移りつつある」として、甘さのみならず、脂肪分も減らしたさっぱりしたものへ嗜好が変化していると分析している。


さらにその翌1983年(昭和58)に連載された続編「ニッポン味覚新事情」の7月28日朝刊では、ジャムが「多種類、手作り、低糖路線」に変化したことを伝えている。それによると、「普通のジャム(糖度が六十五度以上)より甘さを抑えた低糖タイプが全体の六割を占め、いまや主流」とある。業界初の低糖タイプが登場したのは、1970年(昭和45)にキユーピーから発売された糖度55度の「アヲハタ55」だ。当初苦戦を強いられた同社は「ようやく開花した感じ」と紙面でコメントしている。


写真=iStock.com/t_kimura
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そして再び、甘味料が注目を集める時代がやってきた。


■「トクホ」のスタートが甘味料ブームを後押し


1984年(昭和59)に卓上用甘味料「パルスイート」が発売。その同じ年、アスパルテームと果糖を使った「コカ・コーラ ライト」も発売され、低カロリー商品の普及に弾みをつけた。


読売新聞1986年(昭和61)8月22日夕刊では「新甘味料 ポスト砂糖 目白押し」と題し、パラチノース、ステビア、フラクトオリゴ糖、アスパルテームといった新たな甘味料が取りあげられている。不足する砂糖の甘さを補うためのかつての救世主は、ここにきて砂糖の量を減らすための代替品へと変貌を遂げた。「うそつき」と呼ばれた以前とは異なり、高まる健康志向を追い風に「体によい」という大義名分を得たのである。


成人病予防のため、特定保健用食品制度が1991年(平成3)に始まったことも飛躍を後押しした。特定保健用食品、いわゆる「トクホ」は厚生労働省の認可を受けて、特定の保健の用途を表示できる食品のことだ。


新甘味料を使った一例としては、1989年(平成元)にカルピス食品が発売し、機能性飲料ブームの一翼を担った「オリゴCC」がある。カロリーが低く、整腸作用があるオリゴ糖を使ったこの商品は、「トクホ」第1号が誕生したのと同じ1993年に許可を受けている。


■かつてまったく売れなかった無糖コーヒーがヒット


また1990年代に入り、甘さ控えめの紅茶、無糖の緑茶やウーロン茶といったお茶の缶飲料も売れ行きを伸ばしていった。朝日新聞1994年(平成6)10月24日朝刊では「無糖飲料『味で勝負』」と題した記事がある。無糖コーヒーは「五年ほど前、各社一斉に出したが、当時はまるで売れなかった」のが一変し、ハトムギなどを使ったブレンド茶や無糖コーヒーが猛暑だった「この夏、売れに売れた」という。先のジャムの例と同様、メーカーの提案にようやく人々がついてきた格好だった。


こうして砂糖は、市場の隅に徐々に追いやられていった。以後、その流れは止まるどころか、加速していく。


2006年(平成18)には、サントリーがノンカロリーを前面に打ち出した「ペプシネックス」を日本独自にリリース。翌2007年には「コカ・コーラ ゼロ」が日本で発売された。


その動きはアルコールにも飛び火する。同年にアサヒビールが「糖質ゼロ」を謳った発泡酒「アサヒ スタイルフリー」を売り出すと、2008年(平成20)には糖質ゼロや脂質ゼロを謳う商品が相次いで市場に投入され、「ゼロブーム」が巻き起こった。そして行き着いた先が、昨今流行している糖質制限ダイエットだ。


■「甘さ控えめ」から「糖質ゼロ」へ


糖質制限食は、肥満の治療法として長い歴史をもつ。


ヨーロッパでは「ダイエット中」を意味する「バンティング」という言葉がある。由来となったのは、19世紀のロンドンを生きた葬儀屋のウィリアム・バンティングだ。肥満に悩む彼は、あらゆる治療を試しては挫折していた。


あるとき、医師のアドバイスに従い、炭水化物やデンプン、糖類を減らした食事を続けたところ、初めて減量に成功。そこで彼は1863年、『肥満についての手紙』という小冊子を書き、無料配布した。そこから「バンティング」はダイエットを指すようになったのである。


日本でもかねてから、糖尿病患者に向けて糖質制限の食事療法は行われてきた。だが、それが日本でダイエットとして一般に広まるには「ゼロブーム」の下地が必要だった。かくして「控えめ」から「ゼロ」へ、糖質そのものが避けられる時代へと突入したのだ。


■果物や野菜は同時期にどんどん甘くなっていった


砂糖が嫌われる一方で、「甘さ」は形を変えて生き残ってきた。


私たちが「甘くておいしい」というとき、食材の褒め言葉として使うことが多い。肉の脂を「甘い」といったりもするが、ここでは本来の甘味に絞って、果物や野菜の話を取りあげよう。


新たな甘味料が広まり、「甘さ控えめ」が注目を集め始めた1980年代は、じつは果物や野菜が甘くなっていった転換期でもあった。


先述した1982年(昭和57)の読売新聞の連載「ニッポン新味覚地図」では、酸っぱいりんごの代表である「紅玉」に代わって「スターキング」や「ふじ」などの甘い品種が全盛時代を迎えていることや、「新水」や「幸水」など糖度の高いナシに嗜好が移り変わるなかでさっぱりした甘さの「二十世紀ナシ」が飴に活用されていることをレポートしている。


また注目は、10月3日朝刊の同連載「新種合戦 “甘味路線”で競う」という記事だ。キャベツ、ハクサイ、トマト、ダイコン、カボチャなど、さまざまな野菜をめぐって「甘さを追って新品種開発合戦は激化の一途」をたどり、「産業スパイ並みの情報戦」が繰り広げられているとなかなか物騒な話を伝えている。


■青臭いトマトのイメージを変えた「桃太郎」


なかでも甘くなった野菜の代表例といえば、トマトだろう。


トマトは酸っぱくて青臭い。そんなイメージを変えるきっかけになったのは、1985年(昭和60)に誕生した甘いトマトの先駆け「桃太郎」だ。1989年には「フルーツ感覚で食べられる」というふれこみの「ミディトマト」も登場した。



澁川祐子『味なニッポン戦後史』(インターナショナル新書)

ときを前後して、糖度計で測った果物の糖度を表示する果物専門店やスーパーも現れた。1990年代になると「糖度表示」は珍しくなくなり、消費者にとっておいしさをわかりやすく示す一つの指標として定着した。


甘さを求める傾向は今も続く。日本経済新聞2022年(令和4)9月10日電子版では「極甘フルーツ成長中、若手農家も参入意欲 野菜も甘く」との見出しで、甘さを追求した農産物を紹介している。登場するのはブドウ、マンゴー、パイナップル、イチゴ、スイカなどの果物から、トマト、キャベツ、カボチャといった野菜まで。ありとあらゆる果物や野菜が、酸味や苦味、渋みを取り除かれ、甘さを競い合っているのが現状だ。


カロリーを直接想起させる砂糖や炭水化物は排除されがちな反面、体にいいとされる果物や野菜には甘さを追求してやまない。それは、もはや強迫観念に近い健康志向の現代にあって、罪悪感なしに「甘い=うまい」を享受したいという、身勝手な欲望の発露なのかもしれない。


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澁川 祐子(しぶかわ・ゆうこ)
ライター
1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして活動する傍ら、『民藝』(日本民藝協会)の編集に携わる。現在は食や工芸を中心に執筆。著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎 人気メニュー誕生ものがたり』(新潮文庫)。編集に『スリップウェア』(誠文堂新光社)。企画・構成に山本彩香著『にちにいまし ちょっといい明日をつくる琉球料理と沖縄の言葉』(文藝春秋)。
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(ライター 澁川 祐子)

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