なぜ秋篠宮家の心はバラバラになったのか

4月17日(水)9時15分 プレジデント社

お茶の水女子大付属中学校の入学式に臨まれる秋篠宮ご夫妻と悠仁さま=2019年4月8日、東京都文京区(写真=時事通信フォト)

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■「佳子の乱」の矛先が母親の紀子さんだった理由


週刊誌を通して漏れ伝え聞く内情が事実なら、秋篠宮家は家庭崩壊の危機にあるようだ。


長女・眞子さんと小室圭さんとの婚約が延期になり、眞子さんと両親との間がぎくしゃくし始めたことが、きっかけの一つになったことは間違いないだろう。


昨年秋の秋篠宮の誕生会見で、小室家側の金銭トラブルや将来の生活設計をハッキリさせないうちは、「納采の儀は行えない」という発言で、長女はよりかたくなに心を閉ざしてしまった。




お茶の水女子大付属中学校の入学式に臨まれる秋篠宮ご夫妻と悠仁さま=2019年4月8日、東京都文京区(写真=時事通信フォト)

次女の佳子さんが、大学を卒業するにあたって、記者団の質問に答えたが、そこには、姉の一途な思いを成就させてあげたいと、はっきり書かれていた。


メディアはこれを「佳子の乱」と呼び、この結婚に前向きではない両親に対する抗議文だと報じた。特にその矛先は、母親の紀子さんへ向けられたと見る向きが多かったようだ。


■「紀子さんという女性は、かなりの野心家ではないか」


皇嗣(皇位継承順位第1位の皇族)になるためのさまざまな儀式を控える父親の秋篠宮は、そうした娘たちの“叛乱”に、さらに疲労の度を増したように見える。


だが、才色兼備、いつもたおやかでほほ笑みを欠かさない母親の紀子さんは、そのような噂に心を動かされることはないようで、いつもと同じように毅然と振る舞っている。


彼女と秋篠宮との結婚が決まるあたりのことを少し知っている私は、紀子さんという女性は芯のしっかりした人だと思う。それに、かなりの野心家ではないかとも思っている。


彼女は、父親がペンシルベニア大学大学院に留学したため、6歳までアメリカで過ごしている。


その後、父親が学習院大学助教授に就任したため、帰国するが、再び、父親がウイーンの研究所に主任研究員として招かれたため、オーストリアに渡る。紀子さんが11歳の時である。そこでは英語はもちろんのこと、ドイツ語もマスターしたという。


2年後に帰国し、学習院女子中等科に編入、学習院女子高等科から、学習院大学文学部心理学科に入学して、1年先輩の秋篠宮と出会うことになる。学内の書店で出会い、サークル活動を通して親交を深め、出会いからそれほどたたない頃に、秋篠宮から求婚されたという。



■「3LDKのプリンセス」といわれて祝福を受けた


この時は、即答しなかったといわれるが、私が、彼女の友人で、やはり帰国子女の女性の話を、彼女の父親経由で聞いているのとは違っている。


これは私の推測でしかないが、外国生活が長いと、日本の皇室は、われわれとは少し違って見えるのではないだろうか。日本で暮らしていれば、皇室はわれわれとは違う世界の人だが、憧れる対象ではない(中には違う人もいるだろうが)。


だが、外国から見る皇室は、英国王室のように輝いて見えるのかもしれない。先の友人の話では、かなり早くから紀子さんは、秋篠宮を結婚相手のターゲットとして見ていたという。


女性の憧れる「玉の輿(こし)」という程度のものだろうとは思うが、そんなことを紀子さんが打ち明けたことがあったそうだ。そして、秋篠宮に求婚されたときのことだろう。紀子さんから電話がかかって来て、「やった!」といわんばかりに喜んでいたと、聞いた。


それからは順調に交際を重ね、昭和天皇の喪が明けた1990年(平成2年)1月12日に「納采の儀」が執り行われ、同年6月29日に結婚の儀が行われた。June brideである。また、父親たちと住んでいるのが大学教員用の共同住宅だったので、「3LDKのプリンセス」ともいわれ、多くの国民から祝福を受けたのである。


■「タイの女性と浮気をしていて、隠し子までいる」という噂


美智子皇后を母のように慕い、言葉遣いから振る舞い方まで、手本として見習ったという。優しそうな秋篠宮との結婚は順調で、2人のかわいい娘も生まれた。幸せを絵に描いたような夫婦生活に見えたが、どこの家も同じように、ときには波風も立つ。


いつ頃からだったろう。秋篠宮はナマズの研究で名高いが、その研究のためにタイへたびたび行っていた。そのうち、秋篠宮がタイの女性と浮気をしていて、隠し子までいるという噂がメディアの間に広がったのである。私も、週刊誌にいたので、この噂の真偽を取材した。


1996年に、クリントン大統領が訪日して、宮中晩餐会が開かれたことがあった。その会を秋篠宮が欠席して、タイへ行っていたということが分かったのである。すわ、タイで密会かと週刊誌は書きたて、現地まで記者を飛ばしたところもあった。


同じ頃だったと記憶しているのだが、その件かどうかは分からないが、秋篠宮と紀子さんが激しい夫婦喧嘩をして、紀子さんが家を出たという噂が流れたことがあった。


私は、会社が近いこともあって、父親の川嶋辰彦教授が住んでいる学習院の中にある共同住宅を訪ねた。怒鳴られるかと思ったが、出てきた川嶋教授は温厚な人で、たしか部屋に上げてもらったと思うが、こちらの失礼な質問にも嫌な顔をせず、答えてくれた。



■「しばらくたって、秋篠宮から封書が届いた」


概要は、「若い二人だから時々はぶつかることもあるでしょう」「浮気の話は知らないな」という程度だったが、なんだか温かい気持ちで、そこを辞した。


しつこいのは週刊誌屋の常だ。軽井沢に秋篠宮が静養に来ているというので、ホテルまで押しかけた。会えなかったので手紙をフロントに渡し、宮様に届けてくれるよう頼んだ。


まったく期待はしていなかったが、しばらくたって、秋篠宮から封書が届いた。


驚いてあけてみると、自筆だったと思うが、ていねいに、取材に来ても会えなかったこと、タイの女性と噂になっているのは聞いているが、まったくそんなことはないという内容だったが、感激したものだった。


時々さざ波ぐらいは立ったと思うが、かわいい娘2人と、優しい夫に囲まれ、おおむね幸福な家庭だと思われていた。そんな空気が変わったのは、1993年に皇太子が皇太子妃として雅子さんを迎えてからではなかったか。


■悠仁親王を出産してから、風当たりが強くなってきた


周知のように、雅子妃にはなかなか子宝が授からなかった。2001年に愛子さんが生まれるが、現在の制度では、女性は天皇になれない。2003年には宮内庁長官の「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)第三子を強く希望する」という心無い発言が飛び出す。


そして2006年9月6日に、紀子さんは悠仁親王を出産するのである。男の子の誕生は、秋篠宮以来41年ぶりだった。わが子が天皇になる日が来る。秋篠宮の妻として迎えられ、満ち足りてはいただろうが、天皇の母になるというのは、彼女にとって何ものにも代えがたい無上の喜びであろう。


このあたりから、週刊誌の紀子さんへの風当たりが強くなってきたように思うのだが、私の思い過ごしだろうか。


2015年7月に週刊文春(7/9号)が「『秋篠宮家料理番』の告白」という記事を掲載した。秋篠宮家で長く料理番を務め、その後、いつの間にか自己都合で辞めたという人物を直撃している。元料理番は記者の問いかけに、「もう昔の話なので、何も話すことはありません。思い出すこともありません」と顔面蒼白で語ったというのだ。


これを機に、さまざまな紀子さんについての噂が次々に流れるのである。週刊新潮(1/3・10号)の「『紀子さま』朝令暮改の度が過ぎます」という記事は、かなり辛辣である。



■秋篠宮家の職員は20人程度で、慢性的な人手不足


秋篠宮家では毎朝、職員を一堂に集めた「朝礼」が行われるそうだ。


「殿下が同席されることもありますが、このミーティングはもっぱら妃殿下がイニシアチブをとられ、各職員に前日までの作業の報告をさせるとともに、その日の仕事内容の分担確認、注意事項などが言い渡されます。ここで妃殿下から『それは違うでしょ』『どうして分からないの』などと細かく、かつ厳しいご指導を頂くのです」(秋篠宮家の事情に通じる人物)


さらに続けて、


「記者会見で質問に答えられる時の穏やかな口調とは打って変わり、宮邸での妃殿下は早口で、お声も高い。職員の不手際をご注意なさる一方で、仕事で報われることは殆どなく、『それがあなたたちの仕事でしょ』とお考えになっています。実際に『あなた、うちで働けて嬉しいでしょう』『ありがたく思わないといけないわね』といった、実にシビアなお言葉を浴びせられた者もいます」


秋篠宮家の職員は20人程度しかおらず、専属職員を70人も抱える東宮家とは違い、人手不足のため、紀子さんは折に触れて、「人も予算も足りません」と待遇への不満と改善を口にしてきたと報じている。


■批判の矛先は将来の「お世継ぎ」の育て方にも向く


さらに、眞子さんと小室圭さんの婚約延期問題が起きると、秋篠宮家の子育ての方針、学校選びにも、批判が噴出するのである。


眞子さんは国際基督教大学に進むが、佳子さんは学習院大学に入る。だが、人間関係に悩み、姉の勧めで学習院を退学して、同じ大学に入学するのである。そうしたことへの学習院側の父母たちの嫉妬もあるのか、眞子さんと小室圭さんの婚約が、圭さんの母親の金銭トラブルで迷走すると、学習院側から批判が出てくる。


曰く、学習院に通っていれば、あのようなトラブルを抱えている家庭の事情はもっと早くわかったのに、学習院に通って来る男子生徒の家は身分のたしかな家柄だから、あのような人間と出会うこともなかったのに、などなどである。


さらに矛先は、将来の「お世継ぎ」である悠仁さんの育て方にも向く。


先の新潮では、「悠仁さまに相応しい教育が過不足なく施されているかどうか、陛下は絶えず気を揉まれています。(中略)もはや陛下手ずから帝王学をお授けするのが困難であり、それゆえ秋篠宮殿下と紀子妃殿下に託すしかない。ところが陛下は、その“内容”を案じておられるのです」(秋篠宮家の事情通)



■高潔で熱意のある「教育係」を見つけ出すのは難しい


悠仁さんは、自宅に招く個人的に親しいご学友が見当たらない。そのため職員が遊び相手になるというのだが、


「トランプなどカードゲームのお相手を務めるのですが、悠仁さまは負けると途端にご機嫌を損ねられ、感情を露わになさいます。そのために職員は、わざと負けて差し上げることもあるというのです」(同)


小さな勝ち負けにこだわるのは、将来のお世継ぎに相応しくない。もっと、大所高所から帝王学を学ばせるべきではないか。そういいたいのであろう。


今上天皇は、昭和天皇と皇后のたっての願いで、英語を教える外国人として、エリザベス・ヴァイニング婦人をアメリカから招いた。また慶應義塾大学の塾長を務めた小泉信三が、東宮御教育常時参与という教育係を務めた。


そういう高潔で熱意のある人間が、悠仁さんの教育係にも必要だというのは、私にもわかる。だが今の時代、彼らのような人物を見つけ出すのは容易ではないだろう。


■「佳子さまの意見が、紀子さまに遮られることは最早ない」


長女の眞子さんは、小室圭さんとのことが表沙汰になる前は、両親とは仲が良かったという報道が多かったが、次女の佳子さんと両親との確執は、佳子さんが子どものころからあったといわれる。


佳子さんは、父親から手をあげられることもあったといい、弟には手をあげないのに、なぜ私にばかりと、憤懣を抱えていたと女性誌などが報じた。母親・紀子さんとは、大学でダンスをしたいという佳子さんの願いを、「皇族にはふさわしくない」という理由で快く思わず、対立関係が続いているというのである。


「佳子さまのICU時代ですが、お二人が一緒にいらっしゃった時に、紀子さまが隣の佳子さまに何か話しかけると、『話しかけないで!』とピシャリと反抗されたそうです」(宮内庁関係者)と、週刊文春(4/11号)が報じている。


また、「秋篠宮家の中で、最もご自分の意思を通されるのは、佳子さま。その次に眞子さま秋篠宮さまという順。佳子さまの意見が、紀子さまに遮られることは最早ほとんどありません」(同)


家の中には冷たい風が吹き、家族の心はバラバラになっているというのである。



■菅官房長官がいい出した「女性天皇容認」の波紋


秋篠宮も、眞子さんの婚約問題、佳子さんの造反、自身の皇嗣になるさまざまな行事などのことで悩み、気持ちが晴れないという報道が多い。


「秋篠宮さまは誕生日会見のころから、憔悴した表情を浮かべることが多くなりました。その原因は小室さんの問題というより、そのことに関する皇后さまからのプレッシャーの影響が大きい。秋篠宮さまは御所に上がるたびに、皇后さまから小室さん問題を憂うお言葉をかけられている。それが精神的なご負担になっているようです」


文春(3/28号)で、宮内庁幹部がこう語っている。


紀子さんには、秋篠宮と長男という天皇になる資格のある2人がいて、ついに位人臣を極めるというのだろうか、自身が思い描いてきた夢を現実のものにできるところまで来た。だが、彼女が注目を集めれば集めるほど、外からも家庭内からも、不協和音が響いてくるのである。


さらにここへきて、女性宮家創設を含めた安定的な皇位継承の検討を、御代替わり後に、それほど時間をおかないで検討すると、菅官房長官がいい出したのだ。


■秋篠宮家の「帝王教育」への不安がある


元々小泉純一郎首相のときに、「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、「女性天皇、女系天皇の容認と、皇位は第一子を優先する」という報告書が作成されたのだ。紀子さんが悠仁さんを出産したことや、安倍首相がこうした考えを否定したことから、立ち消えになっていた。


しかし、将来、悠仁さんが結婚しても、仮に女の子しかできなかったらどうするのか。差し迫る危機に対応するには、女性天皇容認という措置しかないという声が、澎湃(ほうはい)と沸き上がっているというのである。


こうした背景には、先の、秋篠宮家の帝王教育への不安が皇后にあるからだともいわれる。


「大いに物議をかもした佳子さまの文書回答にも心を痛めておられるのです。今後、“このようなご一家に、将来の皇統が引き継げるのか”といった議論が起きないとも限らない。となれば、制度云々は別にして、愛子さまを待ち望む声が世間から沸き起こっても、何ら不思議ではありません」


新潮(4/18号)は宮内庁関係者のこのような話を載せ、さらに、こうコメントさせている。


「06年9月の悠仁さまご誕生は、ただ単に皇統が守られたというだけではなく『愛子天皇』が実現せずに終わったことを意味する出来事でもありました。男の子に恵まれなかった東宮家にとって最大の“あてつけ”となったわけで、その瞬間、雅子妃殿下から紀子妃殿下が“皇位を簒奪した”とも言えます。それが将来、女性天皇が認められるようなことになれば大逆転。今度は反対の事態が生じる」


自らが生み育てた悠仁さんから、皇統が連綿と続いていくと考えている紀子さんにとって、穏やかではいられないだろうというのである。


天皇・皇后が退位した後、今度は雅子妃と紀子妃の「女の戦い」が始まるかもしれないのだ。


みなが麗しく和するという意味の「令和」時代が、秋篠宮家から起きた一陣の風のために、一転、皇室激動の時代になるかもしれない。その中心にいるのが紀子妃なのである。(文中一部敬称略)


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元木 昌彦(もとき・まさひこ)

ジャーナリスト

1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)、『編集者の教室』(徳間書店)、『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)、『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦 写真=時事通信フォト)

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