大阪万博のトイレには「熱中症の条件」が揃っている…医師が「水だけを飲むのはむしろ危ない」と警告する理由
2025年4月18日(金)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fotocelia
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■「並ばない万博」で大行列とは…
大阪・関西万博が開幕した。会場建設費の高騰、パビリオンの工期遅れや出展辞退、メタンガスの噴き出しや避難経路の問題など、さまざまな課題をかかえながらの開催となったが、4月13日の開幕初日には、「並ばないはずの万博で大行列」「スマホの通信障害」など、さらに具体的な問題がつぎつぎと噴出してきた。
今年は桜の開花後も冷え込む日々があり、つい先日まで気温が乱高下していたが、ここにきてようやく暖かい日が増えてきた。いや、温暖ですごしやすいというより早くも初夏、ここからは30度に届かんばかりの日さえありそうだ。
気温の乱高下だけでも体調を崩しやすいのに、まだ暑さに慣れきらない状態のまま猛暑が突然やってくると熱中症のリスクは格段に高まる。そんなただでさえ危険な季節を目の前にして万博は開催されたのである。
そして真夏に向けて気温はさらにぐんぐん上がる。来場者に熱中症患者が発生しないことのほうがあり得ない。猛暑日には同時多発的に急患が発生する事態が頻発すると考えるほうが自然だろう。
■大屋根リングの「日よけ」は本当に足りるのか
今から10カ月ほど前、2024年6月26日の東京新聞「こちら特報部」は、〈毎年「記録的な暑さ」が続く? 地球沸騰化の時代に開かれる大阪・関西万博の「熱中症対策」を案じる〉との記事を掲載、私も医師の視点から、コメントを提供した。
自見英子万博相は2023年11月の国会で、大屋根リングについて「日よけとして大きな役割を果たす」と胸を張ったが、来場者数を考えればとても足りない。多くの人がリングの下に逃げ込むことを想像してみれば気づくことだが、そこでは人々が密集し、風も通らず、むせかえるような温度と湿度となることだろう。私は「広大な屋根のあるスペースを至るところに準備する必要性は自明」とコメントした。
移動式のスポットクーラーやウォーターサーバーも設置されるとのことだが、文字どおり“焼け石に水”だろう。これらにも行列や新たな人々の密集が形成されることは想像にかたくない。
そして、さらに熱中症のリスクを高めかねない、ある重大な万博会場の「欠陥」を、私は開幕初日の報道で知ったのである。
それは万博会場のトイレ事情だ。
■トイレ行列が飲水をためらわせる
4月13日の日刊スポーツのweb記事〈【大阪・関西万博】夢洲駅トイレも長蛇の列「お父ちゃんに怒られるかも」最大で20分待ちも〉によれば、会場への主要アクセスルートとなる大阪メトロ中央線夢洲駅改札のトイレは1カ所で、女性用のトイレには長蛇の列ができたという。
2億円もかけたデザイナーズトイレも混乱を誘発、入口がわからない客が発生するだけでなく、隣のパビリオンまで延びる「大行列」にもなったようだ。
これらの事態が、なぜ熱中症のリスクを高めるのか。これも少し思考実験をしてみればすぐにわかる。トイレの大行列に並びたくない、つまりトイレになるべく行かないようにしたいと思えば、人は飲水を控えてしまう。多少のどが渇いても、せっかく並んだ列から離脱してトイレに走らなくてすむよう、なるべく飲み物を控えようとの気持ちは、誰でも抱き得るものだろう。
炎天下、猛暑、高気温、高湿度、人ごみ、行列……。ただでさえ熱中症が生じやすい条件がそろいすぎている状況で、飲水まで控えてしまえば、症状が出たときには、すでに重度の熱中症を引き起こしている可能性がある。このような人たちが同時多発的に多数発生した場合に、すべての人に万全の対応がとれる対策はとられているのか。
写真=時事通信フォト
カラフルなユニットが積み木のように積み重ねられた会場のトイレ=2025年4月9日、大阪市此花区 - 写真=時事通信フォト
■「のど渇いたな」と思ったときには手遅れ
すでに多くの人が知っていることと思うが、そもそも熱中症対策において、「のどが渇いてから飲む」のでは遅すぎるという事実は今や常識だ。
人は体の水分量のうち2%程度が失われると、のどの渇きを訴えるといわれている。水分量は体重の約60%とされているから、65kgの成人の場合なら約40kg(=40000ml)が水分だ。この2%、つまり「のどが渇いた」と思ったときにはすでに800mlの水分が失われている可能性があるのである。
さて、せっかく並んだ長蛇の列。少しずつ人が流れていってはいるが、自分の番になるまでにはまだ数十分から1時間以上かかりそうというときに、のどの渇きを自覚した場合、並びながら800mlを躊躇なくガブガブ飲み干す人はいるだろうか。
それでのどの渇きが癒えたとしても、尿意をもよおし脂汗をながす事態におちいって、せっかくの列を離脱し、またトイレの列に並ぶことを考えたら……かりに水分喪失量の計算を知っている人であってもそれに見合った十分な水分量を補給しようとする人は、少数派ではなかろうか。
炎天下、猛暑の万博会場のあちこちで、そのような人が多数発生すれば、先述の私の懸念は、あっという間に現実の悲劇となってしまうだろう。このような悲劇を起こさぬためには、一刻も早く、万博会場のトイレ事情を改善する抜本的対策を講じなければならない。
■「真水だけ」はむしろ熱中症を高めるリスクも
もう一点、これもすでに多くの人が知る常識だが、熱中症対策で摂取が奨励される飲料は、真水ではない。
暑さで発汗すると体内から水分だけでなく電解質(ナトリウム)も失われる。そこで、のどが渇いたからと真水だけを飲んで脱水を補おうとすると、体内のナトリウム濃度が希釈されてしまい、飲水によるさらなる希釈を防ぐべく、一時的に口渇がおさまり水を飲まなくなってしまうのだ。さらに体としては薄まってしまったナトリウムの濃度をもとにもどそうと、余分の水分を排泄するため尿が出る。
つまり真水ばかり飲んでも、脱水が補正されるばかりか、むしろ助長してしまいかねないのである。万博会場ではウォーターサーバーが設置されるということだが、熱中症対策のために設置するのであれば、サーバーから出てくるのは真水であるべきではない。じっさいのところはどうなのだろうか。もし万博会場のいたるところで、スポーツ飲料が無料でふるまわれるなら、それこそ「いのち輝く未来社会」として画期的なことだと思うが。
万博とは直接関係ないが、熱中症対策としてのスポーツ飲料摂取についての注意点もひとつ挙げておこう。
■「ペットボトル症候群」という落とし穴
読者の皆さんのなかにも、酷暑の環境下で仕事をされる方もいるだろう。昔と違い最近では、職場においても上司から「スポーツ飲料を十分に摂って熱中症対策するように」と気遣われることも増えてきているのではなかろうか。
写真=iStock.com/ugurhan
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ただ多くのスポーツ飲料には、電解質だけでなく糖分がふくまれている。もちろん脱水を予防したり補ったりするためには、摂取した水分がしっかり吸収されることが必要であり、これらの飲料にふくまれる糖分は、たんに味覚やエネルギー源としての意味合いだけでなく、消化管での吸収率を高める効果をもつことから非常に重要である。
しかし、日ごろからよくのどの渇き、いつも甘い飲み物を多く摂取しがちという人は、熱中症予防とはいえスポーツ飲料の多飲には注意が必要だ。とくに定期的な健康診断をおこなっていない人などが、糖尿病の発症に気づかないまま糖質の多い飲料を飲みすぎてしまうと、一気に高血糖になってしまうことがある。
糖尿病というと、お菓子やケーキの過剰摂取、ご飯類や麺類の食べ過ぎ、多量の飲酒などの食生活習慣を思い浮かべやすいが、毎年夏場に急に糖尿病が悪化した人のなかに「熱中症対策のために飲んでいたスポーツ飲料」が原因であった人が散見される。
■未来を語る万博は酷暑を乗り越えられるのか
このような人に話を聞くと、「飲んでも飲んでものどが渇くし、尿もたくさん出てしまうから、脱水になっちゃいかんとまた飲んで……ということを繰り返していました」とおっしゃることが多い。これは急性の糖尿病の一種、ペットボトル症候群という非常に危険な悪循環に陥っている可能性があるので、早急に医療機関を受診する必要がある。
このように、熱中症、脱水におちいりやすい環境では、日よけやクーリング、水分摂取はもちろん重要だが、それのみならず、電解質バランス、血糖コントロールについても十分に留意しなければならないし、個人個人の基礎疾患や、その日の体調によってもリスクは大きく変動しうる。
酷暑の真夏を目前に、このような準備態勢で万博を成功できると推進してきた人たちに、こうしたリスクははたして見えていたのだろうか。見えていたのに、気づかぬふりを決め込んでいたのだろうか。
「リスクがあるのは当然。それを自分で調べて、自分で準備して、すべては自己責任で」というのが「いのち輝く未来社会のデザイン」の基本的なコンセプト、具体的なメッセージだというのであれば、推進の旗を振ってきた人たちの顔を思い浮かべて、妙に納得してしまう自分もいるのだけれども。
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木村 知(きむら・とも)
医師/東京科学大学医学部臨床教授
1968年生まれ。医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。
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(医師/東京科学大学医学部臨床教授 木村 知)