誰にでも「リーダーたれ」に疲れてきた米国人

4月19日(木)6時8分 JBpress

MBAでリーダーシップを学んでも良いリーダーになれるとは限らない(写真はイメージ)

写真を拡大

 人材を評価する際の基準として、アメリカでは今も昔も「リーダーシップ」が最大のキーワードである。企業の採用面接、大学進学でもリーダーシップの有無が問われるのは変わらない。しかし、ここにきてリーダーシップを短絡的に求めることの弊害や、「フォロワーシップ」の重要性も語られるようになってきた。自分を超える何かへのコミットメントが重要という意味では、リーダーシップもフォロワーシップも、基本的には同じなのである。


リーダーシップ偏重が続く米国大学の選考基準

 出る杭を称賛する、というのはアメリカのDNAとも言えるもので、大学入学の際の選考でも同じです。「大学入試」と書かないのは、大学の選抜が、共通学力試験、学校の成績、あとはエッセイと推薦状から成っており、ペーパーテストよりもエッセイと推薦状の比重が非常に大きいからです。そこで伝統的に圧倒的に重視されてきたのがリーダーシップの資質でした。

 一例ですがプリンストン大学の学生募集案内ウェブサイトでは「リーダーシップアクティビティ」が一番大事だと書かれています。イェール大学も「同世代の中でのリーダー」を探していると書いています。

 特に最近では、スティーブ・ジョブスやザッカーバーグなど、ロールモデルの年齢が昔よりも下がってきたことによって、ますますリーダーシップ重視に拍車がかかってきています。今や高校の課外活動の部長を何件も掛け持ちするようでないと、有力大学の合格に必要な推薦状をもらえず、エッセイも書けないような状況です。


リーダーシップ偏重に疲弊感も

 しかし米国では、こうしたリーダーシップ偏重の傾向に一種の疲弊感が高まってきています。

 スーザン・ケインはニューヨークタイムスの最近の記事「Not Leadership Material ? Good. The World Needs Followers.」(リーダーの器じゃない? 結構。世界はフォロワーを欲している)の中でこんな例を挙げています。

 ある女性は、熱心に本を読んだりチェロを弾いたりして楽しい子供時代を過ごしましたが、高校生になると急に大学進学が視界の中にはいってきて風景が一変したそうです。

「・・・そして全ての活動が『リーダーシップ』に捧げられるようになりました。」

「誰でも知っていることですが、大学進学の際の推薦状や奨学金を得るうえで大事になるのは、賢い人でも、クリエィティブな人でも、思慮深い人でも、あるいはまっとうな人ですらなく、リーダーかどうかということだけです」

 この女性は、大学進学のためのネタ作りのために自己改造に取り組み、1年生に対するメンター役を買って出てメンターとなりました。ところが、もともと外交的な性格ではなく、その役目を降ろされてしまいました。

 結局、もともと科学が好きだった彼女は放課後に科学研究に没頭し、学術論文をものにすることで希望する大学の奨学金を得ることができたそうです。

 リーダーシップの重視がエスカレートし、米国の有力大学に進学するためにはリーダーシップを示すために高校時代に何が何でもリーダーにならないといけない、というリーダーシップの自己目的化という現象が起きています。ところが、実世界ではガンジーやネルソン・マンデラは大義の実現のためにリーダーになった人たちですし、起業家の多くも世の中を変えたいという強い思いでリーダーになった人たちで、リーダーになりたいからリーダーになった人たちはほとんどいません。そのため、フォロワーシップや、科学やアートなど基本的に1人でやる活動も大事にすべきだ、という批判が一部から出てきているというわけです。

 ちなみに念のため補足しておくと、日本は米国と事情が違います。最近増えてきた日本の大学の推薦入学の制度では、米国のこうした最新の反省を受けてか、リーダーシップを重視する一方、研究や論文も重視するなど、焦点がいくつもあり、なんとなく乱視気味になっているケースが散見されます。しかし、これまで日本の大学では、そもそもリーダーシップを入試で問うことがほとんどありませんでした。これまでひとりで行う活動(受験勉強)だけが評価されていたわけですから、推薦入試ではリーダーシップを前面に出してもいいのではないでしょうか。


企業が実際に採用面接で重視しているのは?

 MBAのプログラムでは必ずリーダーシップのコースがあり、ケーススタディや、テクニック、良いリーダーになるための戦略、等について教わります。しかし、そうしたコースを履修したからリーダーシップを得られるわけではありません。

 テキサス大学のMBAプログラムで最近行ったサーベイでは、卒業生の82%が自分にリーダーシップがあると評価しているのに対し、採用担当者は同じ調査対象の卒業生の57%しかリーダーシップがあると評価していませんでした。その差は、他の評価項目と比べてダントツに大きかったということです。企業の採用担当は、リーダーシップとは授業で教わるようなものではなく、何かを追求し達成する中で結果として獲得されるものだと見ているわけです。

 同じサーベイによると、ビジネス経験があまりないMBA新卒(25〜26才)を企業が採用する際には、「チームワーク」「クリティカルシンキング」「プロフェッショナリズム」「コミュニケーション」の4つの項目が採用面接で重視されるという結果となっています。

 つまり、企業が面接で採用したいのは、命令を一旦批判的に思考・咀嚼してからコミットして責任感を持って達成する人、「すべて自分がリーダーとしてやりました」と声高にアピールするのではなく他人の貢献を正当に伝える人、なのです。

 こう考えると、米国大学のリーダーシップ重視は、ビジネス界の要請に応えようと、ある種、過剰適応していると言えるのかも知れません。


良いリーダーと良いフォロワーの根っこは同じ

 リーダーは賞賛を受け注目される存在です。しかし実際は、フォロワーがいないとリーダーは何もできません。そして、組織の中でほとんどの人はフォロワーとして暮らしています。フォロワーの活動が人生の大部分を占めているのです。

 それにもかかわらず、企業ではリーダーシップばかりに目が向いています。私たちはフォロワーシップの重要性についてもっと考察する必要があります。

 ハーバード・ビジネス・スクールのロバート・ケリー教授は「In Praise of Followers」(フォロワーを称賛する)という論文の中で、こう書いています。「効果的なフォロワーとそうでないフォロワーを分けるものは、積極的で、知的かつ自分の判断による、組織の大義への『参加』である」

 言い換えると、「『積極性・行動力』と『自分のアタマで考える、批判的思考力』を兼ね備えている人が組織の大義にコミットした時、効果的なフォロワーになる」ということです。

「積極性」があるものの「批判的思考力」を欠いている人は、なんでも無批判に受け入れるイエスマンです。命令されたことをこなしたら、それ以上のことはやろうとしません。一方、「批判的思考力」があるだけで「積極性」がない人はシニカルな存在となりがちです。リーダーに提言することも、もちろんありません。

 そして、フォロワーとしての最も重要な特性は、自分を超える何らかの大義、もしくは人へのコミットメントです。良いフォロワーは良いリーダーになると言われています。これは、自分を超えた目的やコンセプトの実現にコミットするという点で、両者の根っこは同じだからです。

「リーダーシップを示したいからリーダーになる」というような、リーダーになることが自己目的化した行動様式を若いうちから推奨していると、自分の権力維持が自己目的化した悪いリーダーを生むことになりかねません。

 だからこそ、「良いリーダーとは何か?」ということを考え続けることが重要なのです。

(*)ビジネスパーソンにとっての権力の正しい捉え方をより詳しく知りたい方は、筆者の最新刊『新・君主論 AI時代のビジネスリーダーの条件』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をご一読ください。自分の取るべき道が、はっきり理解できるようになるはずです。

筆者:木谷 哲夫

JBpress

「リーダーシップ」をもっと詳しく

「リーダーシップ」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ