専門家が直言「TOEICが日本を滅ぼす」

4月20日(金)9時15分 プレジデント社

写真=iStock.com/SIphotography

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英語能力のテストとして、学校教育でもビジネスでも重要視されるTOEIC。しかし長年、企業の語学研修に携わってきた猪浦道夫氏は「TOEICは英語能力検定試験として欠陥がある。TOEIC対策講座に成り下がった英語教育を進めることで、母国語をふくめたそもそもの言語教育に悪影響が出ており、日本人の知的レベル低下を招いている」と警鐘を鳴らす——。

■TOEICハイスコアは成功への登竜門?


筆者は長年、語学教育にたずさわってきましたが、30年ほど前から学校の英語教育が「文法偏重から会話力重視へ」と急カーブを切り始めました。そのころからビジネス界でもグローバル化の標語のもとに、ビジネスピープルたるもの「誰もが英会話力は必須」のような雰囲気になってきて、どこか不気味な感じがしていました。




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その象徴的な存在がTOEICの急成長です。昨今では、あたかもこれからの教育界、ビジネス界ではTOEICのハイスコアが成功への登竜門であるかのごとくみなされるようになってきています。


1990年ごろまで、英語力を認めてもらうには「実用英語技能検定(英検)」が一般的でしたので、この試験は英検に比べてさぞかし画期的な試験なのかと思いました。そこで、この試験の問題を分析してみましたが、そのときの正直な感想は、「これがビジネスに役立つ実践的な英語力とどういう関係があるのか。全体的に英検のほうがまだ数段優れているな」というものでした。


にもかかわらず、TOEICの浸透はやがて文科行政、企業教育にまで及んできて、いまや猫も杓子もTOEICという状況になりました。知人、生徒たちにTOEICの感想を尋ねてみると、その反応の多くは、TOEICなんてあまり意味がないけど上から受けろと言われたので、就職の書類にスコアを書く欄があるので、また若い世代の場合、大学受験で一定のスコアが求められているから仕方がない、という消極的またはやや否定的な意見でした。


いまや、小中学校から大学、大学院、そしてビジネスピープルに至るまで、なんでもかんでもTOEICで学習者の英語力を図ろうとしています。


しかし、TOEICで測れる英語の能力は、あたりさわりない英語トーク(しかも米語の発音)の聴き取りと、専門性の低い英文の理解力だけです。しかも、後者の場合、日本語をまたいでの翻訳力はまったく評価できません。この点では、いろいろな問題はあるにせよ、英検のほうが圧倒的に優れています。


しかるに、言語能力というものは多様でそんな単純なものではありません。「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つの能力の区別はよく知られていますが、もう少しキメ細かく見ると、「聞く」「話す」の部分は「通訳能力」があるかどうか、「読む」「書く」の分野は「翻訳能力」があるかどうかの視点も考慮しなければなりません。



さらに、それらの能力はスピーチレベルというものを考慮しなければなりません。おおざっぱに分類しても、現地の人と日常のくだけた会話をするレベル、改まった場面で正式な話し方をするレベル、そして、専門分野の情報交換に必要なコミュニケーション能力です。文章にも、この区別が厳然としてあります。


■本当に英語力が必要な人、不必要な人


英語を学ぶ場合、学習者がどのような目的で学ぶのかによって、どこのゾーンの能力をどの程度まで伸ばすかを考慮しなければ時間の無駄になります。


例えば、日本の大学生がその専門分野の研究において必要としている英語能力とは何でしょう。それは英会話の能力ではなく、原書を読み理解する能力です。大学院レベルの研究(特に理系)においては、それに加えて英語で論文を書く能力が求められましょう。


一方、企業活動における英語力とはどうあるべきでしょう。実は90%のビジネスピープルは高度な英語力を必要としていません。国際化、グローバル化の掛け声のなかで「少しぐらい英語ができないとみっともない」といった曖昧なイメージだけが先行しているだけで、実際に現場にいるビジネスピープルの多くは英語を使う機会はありません。


英語を必要とするのは、海外とのやりとりがある部署の人間だけです。英語を必要としない社員にまで画一的にTOEICの勉強を強要しようとするのは、経理部で働く可能性のない社員に簿記の試験を受けろと言っているようなものです。企業活動のそもそもの目的を考えれば、ビジネスの現場でほとんど役に立たない英語力を少しぐらいアップさせる時間があったら、ビジネスの力を磨いたほうが会社にとってメリットが大きいはずです。


もしビジネスを目的として英語を学習するにしても、個々人の業務内容を考慮してターゲットを絞るべきです。例えば、英文メールが書ければよい、英語文献などを読んで情報分析できなければならない、頻繁に外国人ビジネスピープルと交渉事がある、といったものです。そのレベルによって求められる英語力は大きく異なります。漫然とオールラウンドに高度な英語力を身に着けたいと思っているならば、それは差し迫った必要性に迫られていない証拠です。


■国語ができなきゃ英語なんてできるわけがない


私は、最近、英語のみならず母国語である日本語も含めて、日本人のコミュニケーション能力、論理的思考力が変調をきたしているのではないかと思うようになりました。この傾向は、一般の人々や若者ばかりでなく、ビジネスピープルや知識人と呼ばれる人々のあいだでも顕著で、はたで他の人のトークを聞いていても話がかみ合っていないと感じることが多いのです。



私はこの度『TOEIC亡国論』という、あえて刺激的なタイトルの本を出版しました。それはなぜか。本稿でもこれまで、英語能力試験としてのTOEICの欠陥を示してきましたが、そんな試験が社会に当たり前のように受け入れられてしまったことで、英語にとどまらない言語教育そのものに悪影響を及ぼしはじめているという、強い危機感があるからです。




猪浦道夫『TOEIC亡国論』(集英社新書)

認知科学者で慶應義塾大学名誉教授の大津由紀雄氏は、文科省「教育の在り方に関する有識者会議(第3回)」において、大学での英語教育の現状を「TOEICの対策講座化に堕している」と評し、「TOEICでの高スコアは必ずしも英語の熟達度を示すものではな」いと喝破しています。


そしてその原因として、「そもそも日本語がきちんと使える人が非常に少ない」ことを挙げ、母国語教育と英語教育のあり方に同根の問題があることを指摘しています。


本来あるべき言語教育とは、英語という特定の言語に偏ることなく、言葉そのものに対する興味をさまざまな角度から養い、母国語と外国語をよく比較観察しながら「ことばの仕組みとか動き」を理解するものであるべきだと、大津氏は言います。


しかも、そもそも「比較観察」する前提となるのは国語力。国語力は思考と深く関連性があり、言語というものは思考した結果を表現するツールに過ぎません。だから、英語を学ぶ以前に、国語力に立脚した思考能力がなければ話にならないのです。


外国語の能力は母国語の能力を上回ることはないが、外国語を知ることは母国語を見直す契機となり、母国語の習熟度を高めます。英語学者の渡部昇一氏はこれを「知的格闘」と呼んでいましたが、外国語を知ることは、母国語と外国語両方に望ましい教育効果が期待できるのです。


■TOEICを目的とした教育で「母国語力」が低下している


ところが、TOEIC対策講座と化した外国語教育では、前述した通り、翻訳能力や通訳能力、そして実践的なスピーチ能力が、正しく身につくとはいえません。大津氏のいう「比較観察」も、渡部氏のいう「知的格闘」も磨かれず、外国語教育で求められる「母国語と外国語両方の習熟」という効果が期待しづらいと言えるでしょう。にもかかわらず、TOEICの点数さえよければいい、という教育を続けていれば、日本語力は磨かれず、当然ながら、日本語力を基盤とする思考力も育たない。



同時に、英語教育における学習者のレベルダウンは、言語学的見地から言えば、紛れもなく背景に国語力の欠如と、読み書き、文法学習の軽視に原因があることはまず間違いありません。つまり、日本語教育がうまく言っていないから、英語力も育たない。


他方で、TOEICの対策講座になった英語教育のせいで、日本語力が育たない。このような負のスパイラルは、基本的には学校教育での誤った教育方針が原因です。重ねて言いますが、そのあしき傾向を助長しているのがTOEICの存在で、その弊害はもはや看過できないレベルにまで達しています。


■日本語教育と外国語教育をセットで考え直すべし


その危機感は最近ますます強まっています。私はときどき国会の審議で答弁している官僚の話し方とか、テレビ番組に出ているコメンテーターと言われる人たちの会話や討論を聞くことにしています。そこで感じたことですが、意識的に論点をずらすとかある種の交渉術的な戦略があることを考慮しても、それ以前に日本語もおかしいというか、きちんとした日本語を話していない人も多い。


一方には、インテリを気取ってところどころ誰にもわからないような英語を交えて話す人もいて、そういう討論を聞いていると、そもそもこの人たちはコミュニケーションする気があるのだろうかという気さえしてきます。


今の世の中は殺伐といていて、子供殺しの親とか、モンスターペアレンツ、会社内での過労死など、痛ましい事件が後を絶ちませんが、これらの事件は、背景に日本語力の貧困によるコミュニケーションの欠如に遠因があるのではないかとすら思えてきます。唐突に思われる方もあるかもしれませんが、自分の考えを理解してもらえないと、人間というものはすごいフラストレーションを感じ、それが極限に達すると「切れる」ものなのです。


文科省の行政指導には、大きな問題があります。経済政策とか外交政策とか、およそ政策というものは、基本的には優れた専門家による検討を踏まえて決められていくものでしょう。ところが、文科省の(特に)英語教育に関しては、優れた専門家の諮問に耳を傾けているとはとても思えません。志ある立派な専門家がどれだけ主張しても、一向にそれが好ましい形で英語教育に反映されません。


浮ついた英語学習を改めて、そろそろ日本人の言語教育がどうあるべきか、国際社会での真のコミュニケーション能力には何が必要かを、国民ひとりひとりが原点に立ち返って考え直してほしいと思う今日この頃です。


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猪浦道夫(いのうら・みちお)

ポリグロット外国語研究所主宰。横浜市立大学、東京外国語大学イタリア語学科卒業後、同大学大学院修士課程修了。イタリア政府留学生としてローマ大学留学。帰国後、ポリグロット外国語研究所を主宰。世界50カ国の語学スペシャリストを擁し、企業語学研修を行っている。

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(猪浦 道夫 写真=iStock.com)

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