2万5000円で美少年の体を買う…NHK大河では描かれなかった平賀源内と「男色専門の風俗」の知られざる関係

2025年4月20日(日)7時15分 プレジデント社

2025年2月2日、成田山新勝寺「節分会」での安田顕(千葉県成田市) - 写真=時事通信フォト

平賀源内とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「科学や芸術など多彩な分野で活躍した源内は、男性が体を売る『陰間茶屋』にも強い興味を持っていた」という——。
写真=時事通信フォト
2025年2月2日、成田山新勝寺「節分会」での安田顕(千葉県成田市) - 写真=時事通信フォト

■当時の江戸市民が天才・平賀源内に下していた意外な評価


蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が市中を歩いていると、「ガキ! いまなんていった、このクソガキ!」という怒鳴り声が聞こえてきた。声の主は平賀源内(安田顕)で、「平賀源内はイカサマだっていったよな?」と女性に食ってかかり、否定されると刀を抜き(竹光だが)、「いっただろ、ふざけんな」と怒鳴りつけた。NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の第15回「死を呼ぶ手袋」(4月13日放送)。


止めに入った蔦重には「こいつら俺の悪口いいやがるんだよ。エレキテルはイカサマ、平賀源内は口だけだってな」と、鬼の形相でまくしたてる。突き飛ばされた蔦重が訪れた須原屋市兵衛(里見浩太朗)は「近ごろおかしいんだよな、源内さん。なにかというと食ってかかってな」と語り出した。


エレキテルに関して「ニセモノを作られた挙句、イカサマだなんていわれてよ」と、須原屋が同情も交えて語っていると、杉田玄白(山中聡)が現れ、「エレキテルについてはイカサマじゃないとは言い切れないですからね」と言葉を継いだ。蔦重が「じゃ、悪い気が出て万病に効く、ってのは?」蔦重が問うと、「源内さんがひねり出した売り文句ですよ。ちょいと大きく出すぎたかもしれませんね」と玄白。


須原屋はいった。「(玄白先生は)もとは源内さんの弟子みたいなもんだったんだけどね。いまやあっちは当代一の蘭方医。まあ、そんなことが源内さんには堪えているのかもしれねえなあ」。


源内は自分が認められないことに焦っている。そんな描き方だった。


■ただ国益のために仕事をしてきたのに


その後、源内が田沼意次(渡辺謙)と初めて会ったときを回想する場面が流れた。源内はオランダ製をまねして作った量程器(いわゆる万歩計)を田沼に使わせ、こう訴えた。


「国の内でも作れますものを、べらぼうな高値で売りつけられている。幕府は、異国に金銀を吸い上げられておるということにございます。そればかりではございませぬ。長崎では国の内にもある薬草や替えがききそうな薬まで買い入れておる始末。これはいけません。これからは、日ノ本の津々浦々を値打ちのある品を掘り起こし、売り出し、工夫し、逆に売りつける。さような仕組みにしなきゃ、日ノ本は決して豊かになりません」


源内のこの台詞は、彼の人生を的確にいい得ている。源内は安永8年(1779)暮れに52歳で死を迎えるが、その2年前に書いた『放屁論後編』末尾の「追加」に、智恵がない者が自分を「山師」と誹謗することを嘆きつつ、以下のようなことを述べていた。


自分が地球を構成するさまざまなものを研究すれば、「本草学者」と呼んで藪医者の下請けのように理解し、戯曲や小説を書けば、近松門左衛門と同類に思われ、エレキテルのように珍しいものを発明しても、からくり師と十把一からげにあつかわれる。自分はただ国益のためにと思って、多くの分野で「変化龍」として抜群の仕事をしてきたのに、それが理解してもらえない……。


森島中良 編『紅毛雑話 5巻』[2],河内屋仁助[ほか11名]. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年4月18日)

■ダヴィンチ並みのマルチな才能


実際、死の直前の源内は、不審な行動が目立ったようだ。自分が戯曲を書いた浄瑠璃よりも門弟の森島忠良作のほうの評判がいいと、嫉妬のあまり楽屋裏で、血相を変えて忠良を面罵したという。太田南畝らが源内を訪ね、なにか書いてほしいと請うと、嬉々として描いたのは、岩の上から一人の男が放った小便を、岩の下にいる男が頭から浴びて、ありがた涙を流す、という理解不能な絵だったという。


「べらぼう」で描かれるように、晩年の源内には強い焦りがあったのかもしれない。新戸雅章氏は、「源内の場合には、思い付くと、あとはなんとかなるだろうと、見切り発車的に着手してしまう。(中略)創業者には必要な資質かもしれないが、経営者としてはやはり欠けるところがあったと言わざるを得ない」と書く(『平賀源内』平凡社新書)。


ラファエロのアテナイの学堂に描かれたプラトン役のレオナルド・ダ・ヴィンチ(写真=d:Q186953/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

本草学にはじまって、鉱山の開発などの殖産興業に取り組み、不燃性の火浣布(かかんぷ)などを開発し、タルモメイトル(寒暖計)や量程計、それにエレキテルなどオランダ製の器具を再現した。初の西洋絵画を描いたのも源内だといわれ、高価な羅紗の国産化をねらって、綿羊の飼育まではじめた。


まさにルネサンスの天才だったレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロにたとえられるマルチな活躍を重ねたが、万人の支持を勝ちとったのは、資金稼ぎ、あるいは余興として書いた浄瑠璃の戯曲や戯作ばかり。たしかに焦っても不思議ではない。


■男色のガイドブックを執筆


一方、源内には上に挙げたルネサンスの天才に共通する点がほかにもあった。生涯をとおして女嫌いを公言し、妻帯しなかった源内は、レオナルドやミケランジェロと同様、男色だったと伝えられる。


たとえば、風来山人の名ではじめて書いた滑稽小説『根南志具佐(ねなしぐさ)』。女形役者の荻野八重桐(やえぎり)が隅田川で舟遊び中に溺死した事件に想を得た物語だが、かなりぶっ飛んでいる。地獄の閻魔大王が、やはり女形役者の瀬川菊之丞に惚れてしまい、彼を地獄に呼びたいと願う。そんな閻魔大王の意を受けた河童に口説かれ、菊之丞は地獄行きに同意するが、親友の八重桐が身代わりになって死ぬ——。


おもしろいのは、男色に断固反対していた閻魔大王が、菊之丞の姿絵を見た途端に心奪され、男色礼賛に転じてしまうところである。この作品の筋書きだけで、源内が男色だったと断定はできないが、彼はほかに水虎山人の名で『江戸男色細見菊の園』や『男色評判記 男色信定』も書いている。


これらは蔦重も版元になった吉原のガイドブック『吉原細見』の男色版。男色と縁がない人間に、男色を手ほどきする案内書が書けたとは到底思えない。


■1回2万5000円で男性が春を売る


じつは江戸時代は、男色すなわち男性同士の恋愛や性行為に対し、現代よりかなり寛容だった。同性愛者がマイノリティだという認識さえ、なかったといっていい。したがって、遊女と同様に、金品で体を売る「陰間」が存在し、遊女遊びと陰間遊びは、ほとんど同列のものと認識されていた。


北尾重政 画『絵本吾妻抉』[1],和泉屋源七,寛政9 [1797]. 国立国会図書館デジタルコレクション(参照:2025年4月18日)

ただし、江戸で公認の遊郭は吉原だけ。このため、お金を払って男性と性交渉する「陰間茶屋」も幕府の公認は得られず、岡場所のひとつとしてあつかわれた。ちなみに、陰間茶屋の客は男性だけではなく、後家や御殿女中など女性客も少なくなかったようだ。


源内の『男色細見』によれば、「一と切」すなわち線香1本が燃え尽きるくらいの時間(1時間程度)で金1分(2万5000円程度)かかったそうで、陰間遊びには吉原で遊ぶのと変わらないくらい金がかかったことになる。


陰間はもともと若い役者が務めることが多かった。というのも、男性と性的関係を持つことが女形の修行になると考えられていたからで、このため陰間茶屋は芝居との縁が強かった。有名な地域は芳町(葭町)、堺町、葺屋町の一帯(現在の中央区日本橋人形町)で、この界隈には歌舞伎の中村座や市村座が建ち並び、実際、将来の歌舞伎役者が陰間を務めることが多かったという。


■源内が獄中に入った経緯


寺社の門前町にも陰間茶屋は多かった。僧侶や神職は伝統的に女性との性行為(女犯)が禁じられており、このため、同様に坊主頭が多かった医者に扮するなどして吉原や岡場所に通う者もいた。一方、女犯禁止の定めに従うかわりに、男色に走る者も少なくなかった。このため上野の寛永寺に近い湯島や、増上寺や芝神明社に近い芝神明の陰間茶屋は繁盛したようだ。


ほかに赤坂、市ヶ谷、神田などにも陰間茶屋はあり、おそらく源内は江戸随一の陰間茶屋通でもあった。源内が関わった世界の幅広さには驚くばかりだが、安永8年(1779)11月20日、源内は人を切り殺したといって奉行所に自首し、その日のうちに伝馬町の獄に入れられた。


なにが起きたのか。諸説あるが、木村黙老の『聞まゝの記』によれば、さる大名邸の修理の請負について、源内はある町人と争ったが、和議が成立。源内宅で和解のための酒宴が開かれた。だが、飲み明かしてから気づくと、手間暇かけてつくった工事の計画書がない。源内は町人を問い詰めた挙句、刀で斬ってしまった。ところが、探してみると計画書が出てきたので、自首したという。


源内が獄中で死去したのは、入獄して1カ月になろうかという12月18日。環境劣悪な獄中で破傷風になったとも、後悔と自責から断食して死んだともいわれる。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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