ナンバープレートに関する問題
2025年4月21日(月)16時7分 財経新聞
Photo:2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)特別仕様ナンバープレート=登録自動車(事業用)寄付金ありフルカラー版を装着した正規の個人タクシー = 営業車の本来の地色の部分は矢印の部分に残されているのみ ©sawahajime
従来は、「普通車」と「軽自動車」の区分があり、普通車は「白地に濃緑文字」の自家用車と、「濃緑地に白文字」の営業車、軽自動車は「黄色地に黒文字」の自家用車と、「黒地に黄文字」の営業車と、スッキリ分類されていた。
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「た」ナンバー=「公用車」であった時代は、「お役人の料亭接待」等で、周辺で「た」ナンバーの黒塗りの高級車がずっと待機していた。明らかに役人が料亭で何やら胡散臭い会合を開催しているのがバレバレなので、公用車用の「た」ナンバーを廃止し、一般車と区別がつかなくしたりと言った、隠蔽行為が行われたのは事実である。
●レンタカーの「わ」ナンバーを残したのは正解
最近でこそ、普段から自家用車なり、業務用車両を運転していて、遠距離の観光地でレンタカーを借りたりするケースが多いが、昔は車を持っていない人が、時々レンタカーを借りて運転するケースが多かった。
その為、運転技術が未熟で、危なっかしいので、「わ」ナンバーには近づくなと言ったりした。
昨今は、インバウンドで、外国からの観光客がレンタカーを利用するケースが多く見られる。
旧英国圏の英国やオーストラリアは日本と同じ「左側通行」=「右ハンドル」で、日本での運転にも馴染み易いが、欧米や中韓は「右側通行」=「左ハンドル」エリアでは、馴染み難い。
筆者も、オーストラリアでは余り神経を使わずに運転出来るが、アメリカ出張やハワイ等では、「キープライト、キープライト」と唱えながら運転して、それでも枝道に折れた場合やパーキングに入る際に、つい日本並みに左側走行=逆行しそうになる。
そんな外国からの観光客の為に、筆者は、「外国人観光客に貸与したレンタカー」には大きく「外国人運転中」を表示させる施策が、是非とも義務化されたいと考える。
せめて、一見して「近づかない方が安心」だと判ればと思う。
●「営業車」と「自家用車」を混乱させた
例えば2022年10月から2025年12月までの期間限定で、『2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)特別仕様ナンバープレート』が導入されているが、登録自動車(事業用)の場合、本来の「濃緑地に白文字」の営業車は、周りに地色の濃緑を用いているが、パッと見て「白ナンバー」に酷似している。
本来、空港ターミナル等で、客待ちをしている「白地のプレートの車」は、お客から料金を取って目的地まで乗せる事が許可された「濃緑地プレートの車」=「青ナンバー」タクシー車両と区別して、「白タク」=「自家用車のプレートのままで無許可営業の違法タクシー」として、一目で認識可能であった。
昨今、インバウンド絡みで目立つのが、C国の違法営業タクシー行為だが、営業車も「青ナンバー」でない「白ナンバー擬き」が増加してきているので、以前よりも厚かましく自国からの観光客を空港でピックアップしている。
アタマの悪いお役人が、変な「白ナンバー」擬きのプレートを導入すると、「違法白タク」と見分けがつき難くなってしまった。
●軽自動車が見分け難くなった
動力性能的に劣る軽自動車=「黄ナンバー車」が前方で本線に合流したら、スムーズな加速が期待出来ないから、すこし速度を落とすなりの対応が出来るので、一目で絵「軽」と判る「黄色ナンバー」は安全面からも都合が良かった。
以前から軽自動車のユーザーが、「黄色いナンバープレートは、一目で軽だと判るのが嫌だ」と言っていた。
しかし本来は、普通乗用車と較べて、税制面でも優遇されていて、昔は車検も車庫証明もゆるゆるだったので、「それが嫌なら普通車に乗れ」と言うべきところを、軽自動車ユーザーが「黄色いナンバープレートを嫌がる」からと、余分な金さえ取れればお構いなしにして、「白地」のナンバーを導入している。
●ナンバープレートに対する要望
一旦発行されたナンバーは、その車が他府県へ移転登録されるか、廃車になるまで存在し続けるが、早急に昔のスッキリした、一目で「普通車か軽自動車か」や、「自家用車か営業車か」が判る様にして貰いたい。〜何年かかるか判らないが〜
また付属するビスは、錆びない材質にして欲しい。
古い車で、ナンバープレートビスから錆の茶色い涙が垂れているのは哀れに思う。
そして、折角「平らな板に直接書いた文字」とせずに、「文字部分を立体化してその部分に文字色を乗せた」現在のナンバープレートの機能を損なう、プラスチックのカバーは禁止して欲しい。
ナンバーが読み難くなるダークトーンのカバーは論外だ。
ナンバープレートは、一目で軽との区別や営業車である事の判別が可能であるべきなのだ。