バタバタとラーメン店が倒れる時代に大繁盛…絶対味を変えない店が復刻させた70年前の「世界初のつけ麺」の味
2025年4月22日(火)10時15分 プレジデント社
旧東池袋大勝軒にて(左:山岸一雄さん、右:田内川真介さん) - 画像=プレスリリースより
画像=プレスリリースより
旧東池袋大勝軒にて(左:山岸一雄さん、右:田内川真介さん) - 画像=プレスリリースより
■70年前に「つけ麺」を考案した山岸一雄さんの愛弟子の生き方
近年、個人経営のラーメン店が経営的に苦境に追い込まれているという報道を目にすることが増えた。個人経営店が苦しいのは他の業界も同じだが、とりわけラーメン店は人件費や原材料の値上げラッシュを価格に転嫁することがむずかしいとされ、消費マインドが冷え込んでいることからも、この傾向はしばらく続くと考えられる。
とはいえ、いまや国民食と言われるまでに成長したラーメン界が、このまま衰退していくとは考えにくい。消えていく店がある一方で、チェーン店にはない魅力を発揮してしぶとく生き残る個人店もあるはずだ。
私が6年前から取材を重ねてきた「お茶の水、大勝軒」は、そうした繁盛店のひとつ。2006年の創業から約20年間、店舗数の増減はあったものの好調をキープ。東日本大震災後の自粛ムードやリーマンショック、コロナ禍を従業員のリストラなしで乗り切って、現在は神田・神保町の本店と、志賀高原のある信州の山ノ内町店の2店舗で多くの客を集めている。
人気商品は、つけ麺とラーメン。昔ながらの味をかたくなに守って提供する王道路線だ。流行はまったく追わない。担々麺もなければ油そばもない。それどころか、新メニューとして登場するのは「復刻版○○」と命名された、昔ながらのメニューばかり。でも、それがまた受けるという不思議な店なのである。
繁盛店になれた理由には、経営者の田内川真介(48歳)が、東池袋「大勝軒」創業者で、“ラーメンの神様”と呼ばれ、1955年につけ麺を考案した山岸一雄(2015年4月1日に80歳で他界)の愛弟子の店という面も大きいだろう。とはいえ、弟子たちが開業した「大勝軒」のすべてが成功しているわけじゃない。では、ほかの店と「お茶の水、大勝軒」はどこが違うのか。それは、店主の真介が、自分の味で勝負しようとは一切考えていない点にある。
撮影=堀隆弘
「お茶の水、大勝軒」の田内川さん - 撮影=堀隆弘
たくさんの志願者が弟子入り→独立した東池袋「大勝軒」では、ベースとなる味をこわさない範囲であれば、地域性に合わせた味やメニューを提供することが許されていた。ところが、真介だけは「おまえだけは味を変えるなよ」と言われたという。
弟子にとって、師匠の命令は絶対だ。腕を磨き、いずれは自分の味で勝負したいというラーメン職人としての願いは早くも打ち砕かれてしまった。自分だけにそんなことを命じる師匠に、人によっては反発を覚えるかもしれない。そうならなかったのは、なぜなのか。
■修行中に製麺室の片隅に落ちていたメニュー表
2000年代の初めに修業していたある日、製麺室の片隅に落ちていたメニュー表を発見した真介は、東池袋「大勝軒」が創業時はカレーやカツ丼もある町中華だったことを知り、修業時間が終わったあとで師匠のもとに通っては昔の話を聞かせてもらうようになった。
北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)
そんなふうに懐に飛び込んでくる弟子はいなかったこともあって、山岸は訪問を歓迎。ときには昔の料理を再現してふるまってくれるようになる。それが勉強になると考えた真介は、メモを取りながら質問を浴びせまくった。
すると、弟子の好奇心に刺激されたのか、師匠は「もう一度、昔の味をお客さんに出したいんだ」と言い出し、作り方を教えてくれるようになっていく。計量カップさえ使わない調理法を、なんとかして再現可能なものに落としこむ作業が真介の日常になっていった。
当時71歳の師匠と28歳の弟子でありながら、親子のようでもあり、友人のようでもある関係。そのうち真介の家族とのつきあいも深まり、親戚のような人間関係ができ上がっていく。ただし、味についての妥協はなし。どれだけ親しくなっても、師匠が味見するとき、真介は緊張感マックスになる。
弟子との濃密な時間を重ねた師匠は、その人間性を見抜いた上で「おまえは味を変えるなよ」と継承を託した。しかし、それだけではない。「お茶の水、大勝軒」は、あの製麺室に落ちていた昔のメニューを再現するという願いを叶える店でもあったから、惜しげもなくレシピを伝え、体調のすぐれない中でもせっせと足を運んだのだ。
真介も全力でそれに応え、しゅうまい、餃子、カレーなどの復刻メニューを次々にマスターして店のメニューに加えた。このあたり、ちゃんとギブ&テイクになっているのがいい。
復刻メニューは実力も申し分ない。山岸の味を忠実に再現したカレーは2016年の「神田カレーグランプリ」で準優勝、翌17年には並みいる専門店を打ち破って町中華のカレーが優勝の栄冠に輝いてしまう。神田はカレー店のメッカ。新旧の実力店が味を競っているカレーの最先端を行く街だ。その中でトップに立った。
天才的なラーメン職人であり、人間性も抜群な師匠を持った弟子はここで考える。自分らしさなんていらない。それよりも、自分にしかできないことをやろう。それはつまり、味を変えないことである。ブレずに貫く、それこそが個性であり、ブランドとなりうる。師匠が作り上げた、完成された味を頑固に守ることが自分に与えられた役目だと心を決めた。
なぜなら、2015年に亡くなった師匠の味をもっとも正確に再現できるのは自分だからだ。実際、古くからの常連客は真介の店に行けば山岸のラーメン屋のつけ麺を食べられると思ってきてくれる。真介の存在が消えれば消えるほど客の満足度が高いという、奇妙な現象が起きたのである。
でも、それはちっとも悔しくないのだ。「味を変えるなよ」がしっかりできている証拠だから。
「お茶の水、大勝軒」昼どきを中心に多くの客が駆けつける
■若い客が「これが元祖なんだ」と驚愕した1955年のつけ麺
ひとつ、またひとつと復刻メニューを実現した真介は、つけ麺誕生から70周年となる今年、師匠から頼まれていないことに初めて挑んだ。1955年に産声を上げた当時のつけ麺を復刻させる試みである。それは、“ラーメンの神様”と呼ばれる以前の山岸が発明し、行列を呼ぶまでに育て上げたメニューの源流をたどる旅でもある。
撮影=堀隆弘
復刻版餃子。刻んだ野菜の余計な水分をとばし、ひき肉に秘伝のタレを加えた餡が絶品
レシピなどはもちろん残っていないから、当時の味を知る職人に話を聞き、材料や作り方の謎を解くしかない。それができると、現在のものが原型に何を足し、引いたのかもわかり、山岸の足跡をリアルに感じることができる。それを元に、きっとこういう調理法だと試行錯誤していく。
まるで山岸研究家みたいな真介なのだが、結果が伴うのである。日本がまだ貧しかった時代に作られたその味を「そうそう、これだった」とわかる人はほとんどいない。味だって、その後に磨き上げられたもののほうが旨いだろう。
ところが、つけ麺誕生から70年の節目の今年、期間限定(4月1〜15日)で販売した復刻版のつけ麺を求めて、多くの客が足を運んだ。「(記念の意味での復刻なので)ヒットさせようとも思っていない」と真介は言っていたが、大盛況だったのだ。ある人は「食べたことはないけど懐かしい味」と言い、若い客たちは「これが元祖なんだ」と驚く。筆者もこの復刻版のつけ麺を試作の段階で食べた。その味は、むき出しな感じがして、素朴だけど本当においしかった。
写真提供=お茶の水、大勝軒
「お茶の水、大勝軒」で“ラーメンの神様”山岸一雄氏のかつてのレシピそのままの「復刻版もりそば」を期間限定(4/1〜4/15)で販売した - 写真提供=お茶の水、大勝軒
昔ながらの味のはずなのに古臭くならず、令和の今も旨さと独自性で客を圧倒したのだ。
生まれる前の食べ物を若い世代を含む多くの客が新鮮に受け止めたのは、その一杯が“歴史を食べる”ことだったからでもあるだろう。山岸を思い出し、あるいはその名前を胸に刻んで店を出ていく客を見ながら、厨房に立つ弟子はニンマリする。
オレの店の主役は師匠。それでいいのだ、と。
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北尾 トロ(きたお・とろ)
ノンフィクション作家
主な著書に『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』『裁判長! おもいっきり悩んでもいいすか』などの「裁判長!」シリーズ(文春文庫)、『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』(プレジデント社)、『町中華探検隊がゆく!』(共著・交通新聞社)など。最新刊は『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)。
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(ノンフィクション作家 北尾 トロ)