笑いと本気が生んだ逆転劇! 借金1000万円の“じゃない方芸人”が「うどん」と「株」で資産2億円に!オモロー山下さんインタビュー

2025年4月23日(水)21時0分 ダイヤモンドオンライン

笑いと本気が生んだ逆転劇! 借金1000万円の“じゃない方芸人”が「うどん」と「株」で資産2億円に!オモロー山下さんインタビュー

お笑い芸人ながら、うどん屋のプロデューサー、雑誌ライター、ファイナンシャル・プランナーと、多彩な顔を持つオモロー山下さん。ユニークなキャリアとマネー観を徹底解剖する!(取材・文:渡辺賢一 撮影:圷邦信)

「ダイヤモンド・ザイ」2025年6月号の「あの人に聞きたい! おカネの本音!」を基に再編集。データはすべて雑誌掲載時のもの。

関西全局でレギュラーなどデビュー直後の仕事は順調その後、仕事急減でパニックに! コンビを解消

オモロー山下(おもろー・やました)さん●1992年、渡辺あつむ(現・桂三度)と「ジャリズム」を結成。1998年にコンビを解散し、ピン芸人として活動するが、2004年にジャリズムを再結成。2011年に再び解散し、芸名をオモロー山下に。2012年、うどん店「山下本気うどん」を開店。2017年芸能界を引退し、女性週刊誌のライターに転身。2021年、「山下本気うどん」の商標権を売却し、同店プロデューサーに。同年、街裏ぴんくとのコンビ「山下ぴんく」としてM-1グランプリに出場。

──お笑い芸人として30年以上。大ベテランですね。

オモロー山下(以下、山下) 元相方の渡辺あつむ(現・桂三度)と一緒にお笑いコンビ「ジャリズム」を結成したのが1992年。ありがたいことに、関西ではデビュー直後からお仕事をたくさんいただきました。全国区ではまったく知名度がありませんでしたが(苦笑)。

 最盛期には、関西の全テレビ局でレギュラー番組をいただき、若手なのに大阪の人気深夜ラジオ番組「MBSヤングタウン」のパーソナリティを務めさせてもらったほどです。

──その勢いで東京へ?

山下 デビュー6年目の1997年ですね。先に東京で活躍していた大阪の先輩たち、雨上がり決死隊さんや千原兄弟さんを追っかけて東京に出ていったのですが、まぁ売れなくて。関西のレギュラー番組も大阪までの交通費がかかるので局側は関西在住の芸人を使いたいということで、どんどん終わるし散々でした。

──絵に描いたような“負のスパイラル”ですね。

山下 ある日、翌週のスケジュールを確認したら、8本あった関西のテレビのレギュラー番組もゼロになり、ラジオ1本になっていたんです。「これはヤバい! 食べていけへん」と思って相方に「辞めたい」と訴え、1回コンビを解消しました。

東京の芸人と比べてギャラは30分の1!グラビアアイドルのマネージャーを始める

──東京進出はうまくいかなかったけど、関西では一時期かなり売れていたんですよね。おカネは貯まらなかったんですか?

山下 大阪でのギャラなんて、たかが知れています。しかも昔の吉本興業はケチで有名でしたからね(苦笑)。大学の学園祭などに営業で呼ばれると、東京で活躍している芸人は30万円ぐらいもらえるのに、僕たちはたった1万円です。ただでさえ安いギャラが失われてしまうのですから、その時はもうパニックでした。

──ピン芸人になって、再起を図ろうと思ったのですか?

山下 芸人一本では生活が不安定だったので、定期収入が得られる仕事も掛け持ちしようと思い、ナインティナイン矢部浩之さんのお兄さんが社長の芸能事務所に雇ってもらいました。ピン芸人をしながら、グラビアアイドルのマネージャーをやらせてもらったんです。

 いわゆるサラリーマンとして働いたのは、後にも先にもそのときだけです。その仕事でパソコンを使ってメールや文章を打てるようになったことが、その後の雑誌ライターになったときに役立ちましたね。人生って、何がどこで活きるか分からない。


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