日本の学校には衝撃を受けた…「トイレに行ってもいいですか?」授業光景が海外で名物になる悲しい理由

2025年4月23日(水)17時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MTStock Studio

教育の現場では、生徒の行動を細かく管理しようとする学校も少なくない。NPO法人School Voice Project武田緑さんは「許可制も含め『管理せねば・コントロールせねば』という思いや姿勢が、先生たち自身のこともしんどくさせている」と懸念する。組織開発者の勅使川原真衣さんとの対談の一部を、『「これくらいできないと困るのは君だよ」?』(東洋館出版社)より前後編でお届けする——。(後編/全2回)
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■学校は「正しさ」であふれている


【武田】学校は「正しさ」に溢れているなというのは、他のところでも実感していて。


勉強の仕方について、「こういうふうに取り組もうね」「こうやるといいよ」という指導やアドバイスが先生から発せられることはよくあることですよね。


それ自体は問題ないし大事だとは思うんですけど、そこに「学習への臨み方」、つまり姿勢や態度、心の持ち方のようなものが含まれて「こうあるべし」みたいなかたちで階段的なモデルとして示されることがあって。そうした固定化した理想って、けっこう苦しいんじゃないかと思うんですけれど。


【勅使川原】それを示してる先生自身は、しんどいとは思っていないんですよね。


【武田】きっと、わかりやすくて子どもに説明しやすいから使ってるってことなんだろうと思います。「こんなふうに成長していけるといいよね」と。


■当てはまらない子は「ダメな子」なのか


【武田】もちろん指導上手な先生は、モチベーションを喚起して励ます方向性でそれを使うんだと思うんですが、設定されている“良き姿”に当てはまらない子を「こういうのはだめ」と否定するようなメッセージが伝わっちゃうこともきっと少なくないだろうと思います。


【勅使川原】まさに言動に良し悪しをつけ、なんなら序列までつけるという、能力主義的な発想そのものですよね。一元的な基準で態度まで縛られると、もう何も言えないですよね。口を塞がれるというか。


【武田】あと、「授業に参加しない」とか「前向きに取り組まない」というようなことがあったときに、それを「その子の問題」として捉えて、個人の成長だけを求めようとすることに、私は違和感があって。教え方や授業の構造・クラスの環境は変わらなくていいんだっけ? って思うんですよね。やっぱり社会モデル的な考え方というのはすごく重要だと思います。


■障害・病名がない子への配慮はいらないのか


【勅使川原】うちの息子は、「やる気がない」「好きなことしかしない」とか通知表に書かれてきましたが、もしそういう一元的な「学習への臨み方」の評価軸に照らした場合はひっくーいところにいて、指導の対象ということですよね。好きなことはやるなら、それでいいじゃん、とはいかないわけなんですよね。そういうのは「わがまま」で、自律的な学びでも協働的な学びでもないと。


それもあって、この「学校の正しさカード」は、いち保護者としても、脱・能力主義を試行する在野の研究者としても、現場での実践を切望します。ちなみに、実に素敵な取り組みですが、ある意味で「逸脱」例とも言えるでしょうから、浸透には戦略が必要そうですよね? どこからじわじわいこうかな、とかって作戦はあったりしますか。


【武田】ひとまず今のところ、教職員研修で使いたいなと思っています。逆に言うと、ほかにはあまり使いどころが思い浮かばない(笑)。


このワークは、今言われている合理的配慮よりもさらにもう一歩進んだことを問題提起していると言えるかなと思っています。


つまり、現状としては、ディスレクシアの子が手書き以外の方法でノートを取りたいという要請が受け入れられない、というような、明確に診断が下りているケースですら、配慮してもらえないことがあるわけじゃないですか。


でも、この正しさカードでは、さらに踏み込んで障害や診断の有無に限らず、「みんないろいろあるよね」ということを扱ってるんです。単に性格だったり、タイプだったり、食べるのが早い・遅いとか、ただの個人差、感じ方の違いとされるようなところ。


■「日本では生理現象を申告させられる」


【勅使川原】実際に、「生理現象」って書いてあるものね。おっしゃるとおりですよね。


【武田】例えば、トイレに行くことを申告するのはハードルがとても高いと感じる子もいます。「行ってきていいですか」「いいよ」のやり取りも「なんだかなぁ」と個人的には思いますが、それだけではなく、「行ってきます」と言い切りで申告するにしても。


【勅使川原】確かに。これは日本特有ですか。


【武田】割と海外でも有名みたいです。「日本では生理現象を申告させられるんだ」と。「日本人って、めっちゃ働くらしいね」と同じようなノリで、「トイレに行くって言わなきゃいけないんでしょう」と言われたことがあります。


海外の人からすれば、「別にシュッと行って、シュッと帰ってくりゃいいじゃん」という感じのようです。


【勅使川原】何事も許可制が多いですよね。「○○していいですか?」もだし、挙手して当てられるまで発言しちゃいけないとかも。


【武田】大人数を一斉指導する場面では、そうせざるを得ないこともあるよなとも思いますし、安心・安全のためには一定の秩序は必要だとは思っています。


写真=iStock.com/mapo
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■コントロールしない「秩序」のつくりかた


【武田】ただ、秩序が大事というのは圧政でOKとか、何でもかんでも先生がコントロールしていいということではないです。一見、とっても自由に見える海外のオルタナティブスクールなどにも、秩序はあるんですよね。日本においては、許可制も含め「管理せねば・コントロールせねば」という思いや姿勢が、先生たち自身のことも、しんどくさせていると思います。


【勅使川原】許可を求めさせているのは先生なのに?


【武田】ジレンマですよね。自縄自縛というか。許可を求めさせて管理せねばというふうになって、管理しようと思うと、注意や指導や叱責が増える。もちろん子どももしんどいですが、先生たちも業務が増えるし、もちろん楽しくないですから……。こういうことは、すごくあると思います。


ちなみにトイレ問題で言うと、例えばオランダのイエナプランの学校は、トイレの個室が三つだったら、おもちゃのネックレスみたいなものが壁に三つ掛かっていて、それを首にかけてトイレに行き、帰ってきてネックレスを戻す……となっていました。


■本来の目的を見直す


【武田】日本でも、似た方法を取り入れている先生はいるんです。


私の知り合いで、自由進度学習や『学び合い』を実践している豊田哲雄さんという小学校の先生がいるんですが、課題が終わっているかどうかを把握するのに子どもの名前のマグネットとホワイトボードを使っているんですね。


真ん中に線が引いてあり、最初は全員分のマグネットが左側に貼ってあり、終わった子は自分のマグネットを右側に移動させる、みたいな使い方なんですが。そのボードの端っこにトイレゾーンをつくり、トイレに行く人は自分の磁石をトイレゾーンに置く。そんな感じで、別に言わなくていいようにしていましたね。


【勅使川原】クラスみんなに聞こえる声で言わせるのとか、ちょっとしたお仕置きですものね。休み時間に行かなかった罰かのように、恥ずかしいことをさせて行かせる。


【武田】確かに辱めのように感じる子も絶対いますよね。ちなみに、豊田さんはホワイトボードのトイレゾーンにはトイレマークとかじゃなくて、水に吸いこまれていくスパイダーマンのシールを貼っていて……配慮とユーモアがあると思いました(笑)。


でも、許可をとらせたり申告させてる先生たちも、お仕置きしているつもりは全くないと思いますよ。


【勅使川原】あら、見せしめなのかと思ってた。そうではないんですね。


【武田】ないと思いますよ。ただの安全管理だと思います。だから、「それ(黒板に貼って行く)でよくない?」となったら、それでいいとなる場合も多いと思います。


■「いろいろある」がなぜ許されないのか


【勅使川原】そうか。でも、「何でさっきの休み時間に行かなかったの」「また行くの?」とかって、怒られる場合もありますよね。


【武田】それはありますね。しかも、行ったとしてもね。


【勅使川原】そうですよ。急なことは誰にでもありますよ。


【武田】それはいろいろある。



勅使川原 真衣、武田緑『「これくらいできないと困るのは君だよ」?』(東洋館出版社)

【勅使川原】「いろいろある」って何の変哲もないようで大事なことばだと思っていて、すごく当たり前のことなはずなのに、どうして学校って、こんなに「いろいろある」ことを許してもらえないんだろうか。


逆に言うと、あらゆる事情を先読みすること、パターンどおりに収めることなんて無理なのに。


人間だもの、の話のはずが、望ましい子ども像めがけて、一心不乱に自己修練していかないと、学校に居場所がつくりにくい。さらには、学校でうまくやれない話を、「社会に出て困るのはきみだよ」と社会や労働とつなげて、戦々恐々とさせるから、たちが悪いような。


【武田】自由にするとか、任せること、子どもの選択肢がいろいろできてしまうことが、教師にとって大変そうに思える……というのは一つあるかもしれません。


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勅使川原 真衣(てしがわら・まい)
組織開発者
東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社、紀伊國屋書店じんぶん大賞2024 第8位)、『働くということ』(集英社新書、新書大賞2025 第5位、紀伊國屋書店じんぶん大賞2025 第11位)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、『格差の“格”ってなんですか? 無自覚な能力主義と特権性』(朝日新聞出版)などがある。
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武田 緑(たけだ・みどり)
学校DE&Iコンサルタント・Demo代表
学校における【DE&I(多様性・公正・包摂)】をテーマに、研修・講演・執筆、ワークショップやイベントの企画運営、学校現場や教職員への伴走サポート、教育運動づくり等に取り組む。朝日新聞デジタル「コメントプラス」のコメンテーター。著書に『読んで旅する、日本と世界の色とりどりの教育』(教育開発研究所)がある。フリーランスとしての活動のほか、学校DE&Iの実現のためには学校現場のエンパワメントが必要との思いから、全国の教職員らと共にNPO法人 School Voice Projectを立ち上げ、現在は理事兼事務局長として活動に従事している。
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(組織開発者 勅使川原 真衣、学校DE&Iコンサルタント・Demo代表 武田 緑)

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