無数の通勤客が"吐き捨てる"ものを処理する駅員の胸の内…全ての働く人が再考すべき「成功する仕事」の本質
2025年4月25日(金)10時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mura
※本稿は、齋藤孝『悩み続けてきた「僕」から君たちへ 社会人1年生に伝えたい成長と成功の本質』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
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■社会人1年生もベテランも再考すべき「利他」について
「人のために動く」というのは、誰にでもできることではない。だからこそ、お金や自己満足ではなく社会への貢献を目標に働くと、自分自身の能力は飛躍的に高まる——。
僕は今でも常々思うのですが、「仕事」というものは思うほど簡単じゃない。60代半ばという年齢になって、ますますそう痛感しています。
たとえば、酔っ払いが吐いたせいで駅のホームが汚れていることがありますよね。僕らは、みんな「汚いなあ」と通り過ぎるだけですが、駅員さんは片づけなければならない。汚いから近寄りたくない、というわけにはいきません。
あるいは、電車が遅延した場合、自分のせいでないにもかかわらず、問い詰めてくるお客さんに対して謝らなければならない。こういうシーンを思い浮かべるだけでも、僕は仕事というものは甘くないと、駅員さんたちに頭を下げたくなってしまうのです。
思うに駅員さんたちは、おそらく電車の仕事が好きで就職したのであって、清掃をしたくて、客に頭を下げたくて、入社したわけではありませんよね。不測の事態に懸命に対処しているのに、文句を言われたり怒鳴られたり……。とくに新人の場合は、「これも仕事のうちだ」と素直に受け入れることは、なかなか難しいでしょう。
でも、みなさん、それも駅員の仕事のひとつだと受け止めて、職務に励んでいる。本来の仕事とかけ離れているように見えることも、粛々とこなしている。
もちろん、昨今問題になっている乗客の暴言や暴力は見過ごすわけにはいきませんが、どんな状況にも全力で対応する駅員さんの姿を見るたびに、仕事というのは「誰でもやればできる」というような簡単なものではない、と思うわけです。
よく「自分もやればできる」と言う人がいますよね。たしかに、想定外の掃除にしろ、理不尽な謝罪にしろ、行為そのものはやればできるでしょう。
でも、それを責任感を持って遂行できるかと言われたら、おそらくできない。だとしたら、それを「自分もやればできる」とは言えません。「どんな仕事でもやればできる」と豪語する人は仕事というものをなめてかかっていると思うのです。
そうしたことを、われながら痛感した出来事があります。さかのぼること50年以上前、小学校時代の児童会会長選挙のときでした。
■なぜ、50年前の児童会会長選挙で同級生のヤマダ君が当選したのか
僕が通っていた小学校はマンモス校で、1000名以上の児童がいました。当時から人前でしゃべることが得意だった僕は、意気揚々と会長に立候補。全校児童の前で得意げに抱負を述べただけでなく、演壇に上がる際にわざとコケて笑いを取ったりと、それはそれは目立つことに余念がありませんでした。
「しゃべりも完璧だし笑いも取ったし、これで会長は僕に決まりだな」
本気でそう思っていたのです。
ところが、フタを開けてみると、当選したのは同級生のヤマダ君でした。接戦の末敗れた僕は副会長。「なんで僕が負けたのだろう」「副会長だなんて……」としばらく不本意な思いを抱えていましたが、あるときふと、その理由であろう出来事に思い至ったのです。
あれはまだ低学年の頃、ある同級生が具合が悪くなり、教室で戻してしまいました。僕は「気持ち悪いなあ」と遠巻きに見ていただけ。ところが、そんな僕を尻目に、すぐさまバケツに水を汲み、ぞうきんを持ってきて、汚れた床を率先して片づけた人がいたのです。それがヤマダ君でした。
この一件を思い出したとき、僕は幼心(おさなごころ)に「これはヤマダ君にかなうはずがない」と気づきました。汚いのなんのと気にせず、すぐに人のために行動できる人間と、目立つためにコケる練習をしていた人間と、一体どちらがリーダーにふさわしいかといったら、これはもう答えは明白です。
齋藤孝『悩み続けてきた「僕」から君たちへ 社会人1年生に伝えたい成長と成功の本質』(祥伝社)
以来僕は、理解しました。
人のために働くというのは、誰にもできることじゃない。できもしないことを「自分だってやればできる」なんて言うもんじゃないと。
僕はこの経験から、自分にできないことができる人に対するリスペクトというものを学んだのです。
こんな背景もあったせいでしょう。僕は仕事に対する価値観として、収入がいいとか社会的地位が高いとか、そういったこととは別の尺度があると考えています。
高収入でなくとも、世の中には価値ある仕事がある。世間的に評価はされなくても、人々を陰ながら支える高潔な職業がある。そうした観点を持っていると、お金やモノに縛られなくなり、多様な視点や広い視野でものを見たり、目の前の仕事に気概を持って取り組むことができるのではないでしょうか。
■個人的なやりがいと、パブリックなやりがい
昨今SNSには、ラクして儲けるとか、誰の見た目がいいとか、単純な価値観に基づく情報ばかりがあふれていますよね。
それがくだらないことだとは言いませんが、みなそうした“表面”に縛られすぎていて、息苦しい思いをしているのではないか。社会問題になっている高額の報酬をうたう「闇バイト」などは、その端的な実例のように思えてなりません。
本来、仕事というものは甘くない。ラクして儲けられる仕事はない。そもそも儲けられる仕事=価値ある仕事では必ずしもない。何の職業にしても、社会的に意味のある仕事をして、その結果、お金が入ってくるということのほうが、お金儲けそれ自体を目的とするよりも、やりがいも増して、自分自身の能力もグンと高まると強く考えます。
もちろん個人的なやりがいも大事ですが、パブリックなやりがい、そういうものがあったほうがメンタル的にも強く、楽しく働けるのではないでしょうか。
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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。
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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)