最後に一度でいいから我が子を抱きしめたい…熊本の看護師が「死産した赤ちゃん」のドレスを作り始めたワケ

2025年4月27日(日)7時15分 プレジデント社

山本智恵子さん - 画像提供=山本さん

厚生労働省によると、「死産」は年間およそ1万5000件という。死産という言葉の裏には、子供を健康に産んであげられなかった母親たちの自責の念がある。看護師の山本智恵子さんは、本業の傍ら死産した赤ちゃんがまとう服を制作している。そこにはどんな思いがあるのか。ライターの山川徹さんが聞いた——。(2回目/全2回)
画像提供=山本さん
山本智恵子さん - 画像提供=山本さん

■赤ちゃんを抱っこできなかった母親たちの悲嘆


——死産した赤ちゃんがまとう「エンジェルドレス」の制作にたずさわる経緯を教えてください。


【山本】きっかけは2017年の夏です。知り合いの助産師さんから、連絡をいただきました。


彼女が勤務する佐賀大学附属病院では、遺伝子疾患などを持つ赤ちゃんを妊娠したお母さんや、妊娠中に癌が見つかった患者さんを受け入れています。なかにはお腹のなかで赤ちゃんが亡くなってしまう患者さんもいます。


それでも赤ちゃんを抱っこしたい——。


出産の際に赤ちゃんが亡くなっていたとしても、ほとんどのお母さんは、そう希望します。


でも、死産の赤ちゃんは、一般の方々が想像する健康に産まれた赤ちゃんとは違います。身体が十分に成長していなかったりしますし、皮膚がしっかり形成されていなくて、脆かったり、血液や滲出液(しんしゅつえき)がにじんでいたりして、我が子を抱っこしたいというささやかで当たり前の願いすら実現しないこともあります。


亡くなっていたとしてもお母さんやご家族にとって、大切な赤ちゃんに違いはありません。


私もひとりの母親として、赤ちゃんを抱っこしたいという気持ちは痛いほどわかりました。出産は本当に命がけです。元気な赤ちゃんに会えるという希望があるから、つらいお産にも耐えられた。でも、もしも自分のお腹のなかで、子どもが亡くなっているとわかったら……。想像できないほどつらいし、怖い。


きっとお母さんたちは、健康に産んであげられなかった自責の念に苦しんでいるのだろうな、と感じたのです。


■ステンレス製の膿盆に置かれた我が子


そんななか、佐賀大学附属病院では、死産を経験したお母さんへの精神的なケアを模索していました。


昔はガーゼで包んだだけの赤ちゃんの亡骸をステンレス製の膿盆(のうぼん)に乗せてお母さんに見せるのが当たり前の時代もありました。いまも、お母さんが希望しない限り赤ちゃんと面会させない病院もあります。


そんなお母さんの絶望を目の当たりにしてきた助産師さんは「赤ちゃんを抱っこしたい」という希望をなんとか叶えてあげたいと考えていました。


のちほどお話ししますが、私は看護師の傍ら障害を持つ人向けの洋服の制作を手がけていたので、それを知った彼女から「たとえ死産だったとしても、我が子に会えて良かったと思ってもらいたい。そのためにも亡くなった赤ちゃん用のドレスをつくれないだろうか」と相談を受けたのです。


——具体的にはどんな要望があったのですか?


死産の赤ちゃんは性別がはっきりしていないケースもあります。火葬までの間に遺体の状態も変わります。それでも、かわいらしく見える色味やデザインにしてほしいとお願いされました。ゆりかごのようなドレスをつくってほしい、と。


■機能的には不必要な袖はあえて残した


私は、話に耳を傾けながらスケッチブックにイメージをデッサンしながらいろいろと考えを巡らせました。


亡くなって力を失った赤ちゃんを抱っこするには、身体の支えが必要になる。


背中部分に板のようなパッドを織り込んで支えにして、胸元でリボンを結べば、自然に抱きかかえられるのではないか。死産の赤ちゃんは肌の色も健康な新生児とは違う。だとしたら、シンプルで柔らかい印象の生成りの素材を使えば、顔色がよく見えるのではないか。


画像提供=山本さん

機能的な面で言えば、袖は必要ないけれど、お母さんにかわいいと感じてもらうためにも袖は飾りとして残した方がいいかもしれない……。


その後、試作を繰り返し、17年の秋頃には完成品を佐賀大学附属病院に納入しました。しばらくして、助産師さんから連絡をいただきました。


「今日、山本さんがつくってくれたエンジェルドレスを着て、赤ちゃんが旅立ちました。本当にありがとう」


そのお母さんは涙を流しながら、エンジェルドレスを着た赤ちゃんを1日中抱っこしていたそうです。


■残された親の人生はその後も続く


その後も、エンジェルドレスを着た赤ちゃんを両手に乗せるように抱いて「かわいい……」と呟いて、小さな顔を人差し指でなで続けたお母さんもいたと聞きました。お母さんたちは、荼毘に付すまでの数日をエンジェルドレスを着た我が子と一緒に過ごすそうです。


少しでもお母さんの癒やしになったのなら、とホッとした反面、素直には喜べませんでした。だって、エンジェルドレスを着ないですむなら、その方がいいに決まっていますから。


——複雑ですね。


ええ。いまは佐賀大学附属病院のほか、大阪の病院でもエンジェルドレスを利用してもらっています。自然死産のほか、産みたい意志があるにもかかわらず、さまざまな事情から人工死産を選択せざるをえないお母さんもいます。


現在は、50件に1件、つまり出生数の2%が死産と言われています。それなのに、まだエンジェルドレスの必要性が知られているとは言えません。


死産は誰かが直面する問題です。その誰かに寄り添い続けてきた助産師さんたちの問題意識に、私も看護師として共感できました。お母さんに赤ちゃんをどう見送ってもらうか。その見送り方で、お母さんのその後の人生が変わるのではないか。


見送り方——、適切なサポートやグリーフケアが、悲しみに打ちひしがれるお母さんたちが前を向く一助になるかもしれない。そんな気持ちでエンジェルドレスを一着一着つくっています。


■あるお母さんがこぼしたひと言


——死産という問題は多くの人が知っていますが、その影で苦しむ人たちの存在はあまり注目されません。山本さんがそうした人のサポートを続ける原動力はなんなのでしょう。


振り返ると、私の原動力は、困っている人たちの声なんです。エンジェルドレスでは助産師さんの「悲しんでいるお母さんのために協力してほしい」という声と、死産を経験したお母さんたちが置かれた現実に突き動かされました。


エンジェルドレスのきっかけになった障害児向けの服の制作もそう。あれは、私が訪問看護師として働いていた十数年前のことです。重度の障害を持つ小学3年生の女の子を育てるお母さんがこう零(こぼ)していました。


「かわいくて着せやすい服が見つからないんです」


確かに、障害を持つお子さんの着替えって、大変なんですよ。点滴や胃瘻(いろう)をしていると服を着せたり、脱がせたりするだけで一苦労。それなのに、着脱が簡単で、かわいくてオシャレな服はほとんど市販されていません。


でも、私なら力になれるかもしれないと感じて「もしかしたら、着せやすくてかわいい服をつくれるかもしれませんよ」と答えました。


私は母の影響で洋裁が得意なんです。幼い頃、母が私の洋服をいつも手づくりしてくれていました。それが当たり前の環境で育ち、いつの間にか私自身も洋服をつくれるようになりました。


画像提供=山本さん
医療ケア付き障害者グループホーム「ファミリン」 - 画像提供=山本さん

■できることはすべてやってあげたい


そうした背景もあり、その子のためにポケットから胃瘻(いろう)チューブを出せる、チェック柄のカバーオールをつくりました。そうしたら、お母さんもお子さんも本当に喜んでくれて……。


それ以来、訪問先の方々や知り合いから、障害を持つ人向けの服の制作をお願いされるようになりました。


エンジェルドレスの話にもつながりますが、最愛の子を健康に産んであげられなかったという罪悪感を持つお母さんは少なくありません。だからこそ、できることはすべてやってあげたいという思いが強い……。いえ、子どもにかわいくてオシャレな服を着せてあげたいという気持ちは、障害があろうとなかろうと親として当然の思いです。


しかし、障害を持つ親御さんの思いやニーズは満たされていませんでした。そこで、私は18年に障害者向けの衣類をハンドメイドする一般社団法人ReFREL(リフレル)を立ち上げました。現在、私は代表としてReFRELに加え、医療ケア付き障害者グループホーム「ファミリン」の運営も手がけています。


ファミリン発足のきっかけも困っている人の声でした。意思疎通をはかるのも難しい重度の障害を持つお子さんの親御さんは、みなさん将来に不安を抱いていました。


■困っている人の声を見過ごせない


「自分が元気なうちはいいけど、もしも自分が倒れて介護ができなくなってしまったら、この子はどうやって生きていくのだろう……」


もちろん障害者向けの施設もあるのですが、入居希望者が多くて、いつ入れるかわからない。そんな状況に悩んでいた、ひとりのお母さんが私に言ったんです。「山本さんがやってくれればいいんだけど」って。


その声に背中を押されて、高齢者福祉施設だった建物を借り上げてファミリンを立ち上げたのが、21年のことです。


1階部分が医療ケアの必要な重度の障害を持つ利用者の居住スペースで、2階部分がエンジェルドレスや障害者向けの衣服をハンドメイドするReFRELの工房として利用しています。


——すごい決断力とフットワークです。


唐突に見えるかもしれませんが、決して無鉄砲に動いているわけではありません。事業として成立するかどうかはいつも考えています。


障害者支援を続けていて、障害を持つ子どもが親に虐待されるケースが少なくないことがわかってきました。虐待の背景には、母も知的障害や精神疾患を持ち、誰にも相談できずに孤立して、虐待やネグレクトにいたるという負の連鎖があります。


21年度の「児童虐待に関する実態調査報告書」で、虐待された経験がある人の34%に、親に発達障害や、精神疾患があったことが明らかになりました。


——ファミリンでは、日本では珍しい障害を持つ母と子を受け入れる施設をつくろうとしています。


そうした施設は、日本全国を見回してもほとんどありません。負の連鎖を断ち切るためにも、障害を持つお母さんをサポートしつつ、お子さんと一緒にファミリンで受け入れられないか。いま、検討している最中です。


困っている人の声を見過ごせない——。それが、私の元々の性分なんでしょうね。


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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)。Twitter:@toru52521
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(ノンフィクションライター 山川 徹)

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