「あなたはずっとイギリスにいなさい」帰国を親も喜んでくれると考えた娘をピシャリと突き放した83歳母の愛
2025年4月29日(火)8時16分 プレジデント社
大崎博子さん。インタビュー時、ご自宅にて。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■「貯金しておけば」とは言ったけれど…
大﨑さんの人生を語るのにはずせない人物がいる。娘・夕湖さんの存在だ。
70歳まで「衣装アドバイザー」として現場で活躍した大崎さん。50代半ばをむかえたころに、娘が大学を卒業した。すこし肩の荷がおりたなと安堵したのはつかの間、大崎さんが定年を迎えた60歳に、24歳になった娘は「イギリスに留学したい」と言い出した。
「英語が喋れるようになりたいからと。留学先も自分で調べて、手続きも自分で書類を作って、下宿先も自分で探してね。行くためのお金も娘は全部用意していて、あとはもう行くだけの状態。昔に『お年玉は貯金しておけば』とは言ったけれど、娘はアルバイトのお金をふくめて全部を貯金していたの。それで留学をするって言われたら、反対できないでしょう?」
撮影=プレジデントオンライン編集部
大崎博子さん。インタビュー時、ご自宅にて。 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
短期だと思い送りだしたら、留学期間は1年、1年半、2年と延びていく。2年が過ぎたころ、夕湖さんの貯金がつきて、いよいよ帰国かと思ったが……。
「『もっと居たいのに、お金がない』って電話で娘が、涙声で話したの。弱音を言わない子だから、すごく珍しいことでした。だから、なけなしだけどお金を送ったの」
週に3回のアルバイト料で稼げる額はしれていた。しかし、はじめて母に頼り甘えてきた娘を突き放すことはできなかった。
しかし、本音では娘の帰国を願っていた大崎さん。娘が帰ってこない事態を受け入れられるまで、親子は何度も衝突したという。
■理想は「スープの冷めない距離」
「だってね、母親って娘を手元に置いときたいものじゃない? 私の本音をいえば、娘には、うちの近所で所帯を持ってほしかった。いわゆるスープの冷めない距離ね。……だけど、いくら反対しても、子供って手元に置いとけない時は置けないものよ。やっぱり子どもの生活だから、結局は負けちゃうの。私も好きに生きてきたほうだから。同じよね」
娘はイギリスで会計事務所に就職、27歳でイギリス人男性と結婚した。3人の子どもを産み、イギリスを生活の拠点として暮らすことに。博子さんは、63歳になっていた。
「イギリスで就職したときに、いよいよ、これはもう帰ってこないなと覚悟を決めました。それからは、ずっと『離婚しても、日本には帰ってくるな』と言っています。向こうのほうが、離婚しても生活がしやすいから。私も年だから、あと何年も生きられないし、とにかく、自分の家庭をイギリスでしっかり守りなさいって。日本で父親不在のなかで子供を育てるって、昔よりは良くなっているかもだけど、私には簡単なことじゃなかったから……」
母として、できれば子どもと近くにいたい。それは、紛れもない本音だ。
そうであっても大崎さんが積み上げてきたのは、共依存と真逆にある、お互いを“個と個”として尊重し合う関係性だった。
■空港へ「見送りにはいかない」理由
ある意味、大崎さんの60代前半は、「自分の元には戻ってこない娘」という現実を、受け入れなければいけない葛藤の日々でもあったという。覚悟を決めてからも、心は揺れた。
「最初の頃は、日本を発つときは? 成田まで送って行ったんですよ。荷物を持って、一緒に。娘がゲートに入っていくと私はいつも涙が出る。そんな顔は見せられないけど、でもギリギリまで背中は見ていたいから、彼女がパッと後ろを向く直前に、私はダーッと走るんです。これで、しばらく会えないって、帰りは涙、涙で。寂しくなっちゃうから、そのうち見送りはやめちゃった」
そんな博子さんが、娘に悪いことをしたかも……とやや気まずそうに語ったのは以下だ。
「孫が小さい頃は、よくイギリスへ行っていて、数カ月を娘家族の元で過ごすこともあったんだけど。あと3日ぐらいで日本に帰らなきゃいけないってとき、私は決まって機嫌が悪くなっちゃうのね。離れるのが寂しくって。私隠せなくって、全部そのまま出ちゃうから。それは申し訳なかったかな」
■78歳で転機を起こした娘の一言
イギリスと日本、離れて暮らすことになったものの、母と娘は毎日のように連絡をとり合い支え合ってきた。博子さんが「X」フォロワー20万人超という“奇跡の91歳”になったのも、イギリス在住の娘からの指南あってのことだ。
「Macを買えば国際電話が無料になるからと、78歳の時に娘に言われたのがすべてのきっかけ。銀座のアップルストアでパソコン教室に通い出したのも、Xでつぶやくようになったのも、BTSにハマったのも、娘が教えてくれたから」
当初はXをはじめることには気乗りしなかった大崎さんだったが、東日本大震災で唯一、娘と連絡が取れたものがXだった。以降前向きにつぶやくようになったという。
「娘からしたら、Xを見れば元気なのがわかるしいいと。『今日もちゃんと飲んでるな』って(笑)。投稿している“晩酌の友”も、娘に『毎日、お酒を飲んで、つまみも作っているんだから、それをアップすれば、人気が出るんじゃない?』って言われてやってみたら、確かにそうだった。娘は投稿を見て『今日も、美味しそうじゃない?』って、言ってくるのよ(笑)」
嬉しそうに、娘さんとのやり取りについて語っていた博子さん。取材終わりにとびきりの笑顔で話してくれたことがある。
「これはまだ娘に許可をとっていないから秘密なのだけれど……3日前に、孫が、オックスフォード大学に合格したのよ」
この日一番の笑顔だった。これまでの葛藤や寂しさ、それらすべてを吹き飛ばすような、誇らしい笑顔。
「それじゃあ、お孫さんのお祝いをかねて、記事公開後に、乾杯しましょうね!」
孫が生まれて以来、久々に撮影したツーショット。博子さん77歳のお祝いにて。
そんなやり取りを最後に、博子さんの元を後にした。博子さんは“94歳のお姉さんが縫った”という雑巾を「すごく汚れが落ちるのよ」とくれて、最後、我々取材班の姿が見えなくなるまで、ずうっと手を振ってくれていた。
その2週間後に、Xで知ったのが大崎さんの訃報だった。
■娘の夕湖さんにお会いして…
「亡くなってからのほうが、私、母のことをよく考えるの。だからある意味、近くなった感じがするんです。亡くなってからのほうが」(大崎夕湖さん)
大崎さん亡き後、娘の夕湖さんに話を聞く機会を得た。もちろん母と娘、それぞれの側から見えるものは決して同じではない。
「母と娘ってどんなに仲が良くても、やっぱり難しいのよ。お互い言葉にしないでしょ」という、大崎さんの言葉が反芻される。
夕湖さんもまた、母との関係の難しさを振り返る。
「私と母って、タイプが全然、違うんですよ。性格も違うし。タイプが違うから、母とは合わない部分があって、特に若い頃は、母から離れたい、自立したいという思いもあって、遠くに行ったというのはあるのかもしれないですね」
23歳でのロンドン留学を機に、夕湖さんが異国での人生を選んだことは、大崎さんからうかがっている。それが母娘関係にとって、結果的にはよかったことだと夕湖さんは見ている。
「近くにいると腹立つことってたくさんあるじゃないですか。私たちも一緒にいる時は喧嘩ばっかりだったのに、離れていると、お互いに優しくできたんです、簡単に」
親子であろうと夫婦であろうと「距離感」が大事だというのは、夕湖さんの持論であり、実は生前に、母である大崎さんも語っていたことだ。それは、お互いとの関係から学んだことかもしれない。
■「帰ってくるのはやめなさい」
忘れられないのは、夫と言い合いになったときに、母に相談した時のことだ。冗談半分、本音半分で「もう少しで子供たちも自立するし、そうしたら、私ひとりで帰国して暮らそうかしら」と伝えたという。そのときの母の反応は予想外のものだった。
「『こっちに帰ってくるのはやめなさい。あなたはずっと、イギリスにいなさい』って母にピシャリと言われたんです。私が日本に戻ればうれしいかなって思ったら、そうでもないんだ、そうなんだ……って、半分、がっかりというか」
日本でシングルマザーとして生きることの困難を十分に知るからこその、母の愛。娘と孫の幸せのため、あえて突き放した大崎さんだったが、隠していた本音が漏れた場面を、夕湖さんは今もくっきりと覚えている。
「子どもも大きくなって手が離れたので、『今度、そっちへ行く時は長くいるねー』って、母に言ったんです。そうしたら、母は『私が死ぬ前の2週間くらい、一緒にいれたらうれしいな』って。だから『えー? なにそれ、もっと長くいるよー』って言ったら、母が涙が出そうなぐらい、すごく喜んでいて。それを見て、やっぱり寂しいんだなーっと思いました」
博子さん卒寿のお祝い。夕湖さんファミリーもロンドンから駆け付けた。
その時のうれしそうな母の姿を思い返せば、今も涙が溢れてくる。
葬儀に納骨の手続きなど、母のためにやるべきことを全て終えた夕湖さんは、不思議な力に導かれるように、なぜか、都内で暮らすようになった。進学したり、就職したりした子供たちが、ちょうど研修などで、長期で日本を訪れる予定となっていて、しばらくはロンドンにも日本にも拠点があると何かと都合が良いだろうという話に家族でなったのだ。今は、ロンドンとの二拠点生活を送っている。
仕事も住居も得て、数十年ぶりの日本での生活を楽しんでいると話す夕湖さん。
これは空の上の大崎さんからの、愛しい娘へのサプライズプレゼントなのか。
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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待——その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子)