ミス日本の“黒幕” 美の名門一族「和田家」とは何者か

4月30日(月)11時0分 NEWSポストセブン

ミス日本事務局長の和田健太郎氏(撮影/津田ひろき)

写真を拡大

 今年で50周年を迎えたミス日本コンテストの運営者の欄には「和田研究所」という団体と、多くの和田姓のスタッフの名前がある。この「和田家」とはどんな一族なのか──。コンテスト事務局長を務める和田健太郎氏が明かす。


「そんな怪しい者じゃないですよ(笑い)。1950年から2回だけ実施され、その後ストップしていたコンテストを1968年に復活させたのが、私の祖父である和田静郎だったのです」


 ミス日本の復活には2つの契機があった。復活前の主催者であった読売新聞社系の讀賣テレビの創立10周年、そして大阪万博の開催だ。世界各国に万博開催の親書を届ける外交儀礼の大使として「ミス日本復活」の声が上がったのだという。復活の大役を担った静郎氏は一体、どんな人物だったのか。


「自らの肥満体質を改善すべく試行錯誤の末”和田式ダイエット”を発案しダイエット教室を開設した、いまでいう美容研究家の走りでした。讀賣テレビで日本初のダイエット番組『テレビとともにやせましょう』を1959年に始め、それまで日本になかったダイエットの概念と健康的な美を普及させたのです」(健太郎氏)


 和田氏のダイエット教室は日本全国に広まり、10万人近い女性を健康的な美に導いた。美容研究の第一人者として認められた静郎氏は、読売新聞社よりミス日本コンテスト開催の権利を移譲された。そんな静郎氏の「健康美人」への想いを受け継ぐように、和田家が代々ミス日本コンテストの開催を担ってきたのだ。健太郎氏の母で大会運営委員長の和田優子氏はミス日本の受賞者でもある。そんなミス日本の美のあり方も、時代とともに変遷した。


「1980年代までは和田式に基づいた”健康美人”が大きな審査基準でしたが、1995年に阪神淡路大震災が発生してからは積極的にボランティア活動をする”こころ美人”がキーワードになった。そこから現在のミス日本の審査基準である内面、外見、行動の美の3つの礎ができた」(健太郎氏)


 和田家は今後も日本が誇る”やまとなでしこ”の育成を陰から支えていく。


※週刊ポスト2018年5月4・11日号

NEWSポストセブン

「ミス日本」をもっと詳しく

「ミス日本」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ