TKO木下が後輩にペットボトルを投げる人間になったのは俺のせい…相方・木本が語る「パワハラ騒動」の本質

2024年5月11日(土)17時15分 プレジデント社

写真=iStock.com/shark_749

写真を拡大

お笑いコンビ「TKO」の木下隆行さんは、2019年に後輩にペットボトルを投げつけるパワハラ騒動を起こし、所属事務所を退所した。相方の木本武宏さんは「木下が騒動を起こしたのは僕のせい。背景には、僕の木下への嫉妬心がある」という——。

※本稿は、木本武宏『おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。


■お笑いコンビ初の「2人とも炎上」


お笑いコンビのどちらかが「炎上」することはあっても、二人揃って「大炎上」したのは、TKOが初めてでしょう。僕らが芸能活動を再開すると、ある意味で鮮度が出て、あちこちからお声がけいただける現状があります。とはいえ、トラブルもスキャンダルも経験しないほうがいい。なぜこんなことになったのかを深く考えて、ひとつのシンプルな結論に達しました。


「自分ちっさいなあ」が、それです。


僕、木本武宏の人間としての器がとことん小さかったのです。


■仕事以外の会話が一切なかった


木下が後輩のオジンオズボーン篠宮暁の顔にペットボトルを投げつけて大騒動になったのは、2019年10月です。


写真=iStock.com/shark_749

当時の僕らは、仕事以外で話すことがありませんでした。あの頃から僕が木下に対する思いやりや優しさを失っていったのは事実。それこそが騒動の根本にあると気がつきました。お互いの存在じたいがテンションを下げていたのです。特に同じ空間にいるとその傾向が強かったので、会いたくなくなる。木下が僕と同様に考えていたかはわかりませんが、おそらくそれに近い気持ちだったと思います。


中学生で出会ったときから、僕は一発で木下に惹(ひ)かれました。いまでこそ坊主頭の太ったおっさんですが、当時はほっそりとした長身(横幅があるのでわかりにくいですが183センチメートルあります)のイケメンでした。「あいつには華がある。そしてそれは、俺が持っていないものだ。でも俺になくても構わない。コンビでお互いを補えばいいんだから」と考えました。そんな出会いを経てTKOが生まれたのです。


■チケット一枚自分で買えない木下に嫉妬していた


それ以来、「木下は木下が思うまま生きればいい」と放任。ややこしいことはぜんぶ僕が引き受ける役割分担でずっとやってきました。


彼は生活全般において、ふつうの人ができることがなにもできません。ご飯も一人で食べに行けないし、新幹線や飛行機のチケット一枚すら自分で買えません。そんなのは僕がやるし、教えるから、「お前は楽しんで自由に生きて欲しい」。その代わりに「いつもおもしろくおってくれ」と伝えていました。それが、二人の共通認識だったのです。


でも、お互いにピン(単独)の仕事が増えてくると、コンビで合流したときに、僕の中にだんだん「俺はこんなに考えてやっとんのに」という気持ちが強くなってきました。もちろん木下も忙しく仕事をしていますから、僕が支えなければいけないことは重々承知していました。


ですが、僕も自分のことしか考えられないようになって、「俺だって、楽しく生きたいわ」という思いが強まります。そうなると、木下に対して「なんで飛行機のチケット一枚買えへんねん」という気持ちがフツフツと湧いてくるようになる。


■「きちんと謝ったか」の確認を怠った


TKOの原点は、「俺が4人きょうだいの長男、あいつは4人きょうだいの末っ子。だから俺たちはバランスよくマッチングするし、ウマが合うんだ」でした。そのはずが、だんだん僕の我が大きくなり、木下を受け止める器がどんどんと小さくなってしまった。


逆に、外部で新たに出会う人たちに、僕の器が大きく見えるよう振る舞って行くようになっていました。そんな、僕の人間としての容量の少なさが、コンビが転落するきっかけを作りました。木下がペットボトルを投げた直後に、篠宮にきちんと謝罪させておけば、そこまで大きな騒動にはならなかったはずです。


「きちんと謝らんといかんで」と、木下には強く進言しました。でも、木下が行動するかどうかの確認を僕が怠ってしまいました。後輩たちに、「人としてとうぜんのことをきちんとやれ」と普段から口すっぱく発言している当人が、その教えを徹底できなかったのです。


■「木下とだったらうまくいく」という確信があった


僕が子どもの頃からずっとやってきたことがあります。というよりも性格としてどうしようもなく「やりたい」ことです。それが、自分が「好きなもの」「惚(ほ)れ込んだもの」を人に知ってもらいたいという“おすすめグセ”です。最近の言葉だと“推し活”に近いかもしれません。


僕が木下と初めて出会って、すぐに彼に惚れ込んだ話をしました。中学生の木下は、引っ越してきたばかりで、まだ僕らが住む大阪の大東市住道という場所に馴染(なじ)んでいませんでした。僕は、そんな木下を周りにすすめる係を率先して務めました。「木下ってええやろ」と地元の友達にドンドンと紹介していたのです。


提供=KADOKAWA

僕は、なんの疑いもなく「木下はすごいおもろいやつ」だと感じていました。一方で、僕は自分を「おもろい」とは思っていませんでした。だから、自分はそっちのけで、木下が友人たちに溶け込むように動いていました。


説得力を持って周りを巻き込むスキルを、僕は小学生のときから磨いていました。僕のもくろみは当たって、木下を地元に売り込むことに成功したのです。


コンビを組んで芸人になろうと思ったのも、「木下とやったら、いいバランスでできるかも知れへん」と考えたからです。それだけは、僕の中に確信がありました。


ところが、コンビを組んで月日が流れるにつれて、僕の甘さや、弱さが出てしまいました。木下に対して「なにくそ」と思って、張り合ってしまったのです。木下から「こいつメンドくさいことをいいよる」と思わされた場面でも、僕の器がもっと大きかったら、出会った頃のように叱ったり、宥(なだ)めすかしたりしてコントロールできたはずでした。


■相方に優しくできなくなっていた


僕は僕で木下に腹を立てていることが増え、木下は僕に腹を立てていることが増えた。そういう日常で、相方に対する優しい気持ちを失っていました。木下のパワハラ事件が起き、僕の投資トラブルがあって、やっとのことで、僕が本来木下に対して発動すべき役割を思い出せました。情けないことに「木下のおすすめ係が俺や」と最初に誓ったはずのテーマを忘れてしまっていたのです。


パワハラ騒動をきっかけに、木下は所属事務所の松竹芸能から契約解除になりました。僕は彼と話して、TKOの名前を残す決断をしました。いつの日か二人で活動を再開できるのを夢見ていたからです。そして、懸命にそれを実現しようと働きかけてもいました。


そんな中、僕の投資トラブルが明るみに出た。木下の復帰どころの話ではありません。僕まで松竹芸能に大きな迷惑をかけ、退所することになりました。僕はどうしようもなく落ち込みました。


■投資トラブルを起こした木本に札束を…


「なんで、こんなことになってしまったんや」


2022年の8月のある日、木下から連絡があって、久しぶりに再会しました。僕の家では難しかったので、近所の知人宅に来てもらったのです。本当に久しぶりに対面して、とりとめない話をしました。僕の謝罪の言葉も、木下はなにもいわずに受け止めてくれました。そんな再会の終わりに、彼は封筒をさっと取り出し、それをテーブルに置いて去って行きました。


「なんの足しにもならんかもしれんけど、とにかく生活の足しにしてくれ」


という言葉だけを残して……。


写真=iStock.com/Asobinin

そこには厚い札束が入っていました。コンビを組んでから、初めて彼が僕に「お金」を残していったのです。僕はなにもいえずに立ちすくんでいました。そしてある確信に至ったのです。


「木下だけは失ったらあかん」


僕は自分が招いた投資トラブルによって、木本武宏として積み上げていたさまざまなものが詰まった“パンドラの箱”が開いてしまいました。僕が築いてきたすべての信用が箱から飛んでいってしまったと諦めていました。でも、箱の底には「木下という希望」が残っていた。


木下からもらった封筒は、いまも手つかずで僕の自宅の神棚にあります。


■自由に生きる木下にいつの間にか嫉妬していた


僕の人生に「かけがえのない存在」が木下であることを再認識しましたが、それ以前はもうひとつ別の感情があったことに気づきました。


それは「嫉妬」です。


天真爛漫で、自由に生きている木下に対して、どこかで嫉妬していたのです。なぜなら、木下がとても楽しそうだから。「お前は自由に生きろ」と僕自身が焚きつけていたにもかかわらず、自分でも無意識のうちに嫉妬心が芽生えていました。


ほんまにちっさい男です、僕は。


木下は4人きょうだいの末っ子として、兄姉からチヤホヤされて育ちました。その上、ご両親からも溺愛されていた。そのせいでしょうか、自分がしぜんと輪の中心にいる環境にいました。それが木下のよさなので、イジリづらいところがありました。


芸人である以上、どんな形でイジられようと、それを受け止めて笑いに変えなければいけないのですが、「イジられなれていない男」という一面が木下の中に厳然と存在していました。


ペットボトル投げつけ事件も、特に後輩からイジられなれていない木下がパニックになってしまった故の、反射的行動だったと思っています。ですから、木下の感情をコントロールする難しさは、コンビ結成以来、僕や事務所スタッフの永遠のテーマでした。


■中途半端な「じゃないほう」に焦り


コンビの仕事だけでなく、ピンの仕事がお互いに増えたことも、さらにすれ違いを生む要因でした。コンビ芸人にも人気や実力、得意ジャンルなどさまざまな“格差”があるのはみなさんもおわかりでしょう。TKOにもそれがありました。


ただ、もっとはっきりと格差があったら、こんなに関係がこじれることはなかったと思います。僕も「じゃないほう」なりに活躍の場がありましたから。自分がMC(司会者)を務める番組もいくつかあって、レギュラー出演している番組は僕のほうが多かったくらいでした。


一方で木下は三谷幸喜監督作品の『ステキな金縛り』や、あの大ヒットドラマ『半沢直樹』をはじめとして、映画やドラマにきらりと光る役で出演。個性派俳優としても一目置かれていました。さらに、自分のアパレルブランドまで展開している。


僕はいくつかのレギュラーを持たせてもらっていましたが、比較的地味な芸能活動になっていました。木下は単発ながら確実に爪痕を残している。それが、コンビの“立ち位置”だというのが僕なりの分析でした。


いま冷静に振り返ると、コンビとしてのバランスは取れていました。そう思えたらよかったのですが「俺だってもっと活躍したい」と欲しがる感情から逃れられなかったのです。


わかりやすい格差があれば「木下、俺も連れてってえな」とネタにして、バラエティ番組でアピールできたかもしれません。でもじっさいには、『アメトーーク!』の「じゃない方芸人」に呼ばれるほどではありませんでした。その意味でも、僕は多くの人にはどうでもいい“微妙な格差”の嫉妬心すら飼い慣らせていませんでした。


■TKOの木本、木下のそれぞれの役割


木下はふだんから僕にこんな言葉を投げかけてくれていました。


「木本が場を作って、俺がそこを開拓する」



木本武宏『おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと』(KADOKAWA)

そうなんです。僕がコンビの生きる場を作って、そこをスター性のある木下が開拓する。ルートは僕が決めるのですが、楽しいことを持ってきて、「これやれへんか」「こっちがおもしろそうやな」って導いてくれるのは木下の役割。その寄り道の際に、一緒に新しい発見をして行く関係性によるコンビの掛け算がTKOの生命線なのでした。


そんな木下の言葉を思い出して、僕らの原点に立ち返ることができました。


ですから、現在の僕の立ち位置は完全に定まっています。


それは、「木下にとって一番のパートナーでおること」。


木下隆行のおもしろさを世の中のみなさんにプレゼンするのが、僕ができる最大のアピールポイントだと改めてわかったからです。


----------
木本 武宏(きもと・たけひろ)
お笑い芸人
1971年5月6日生まれ。大阪府大東市出身。90年に木下隆行とお笑いコンビ「TKO」を結成しツッコミを担当。2006年に東京へ本格的に進出し、キングオブコント3位などの実績を残す。ドラマやバラエティなどでも活躍していたが、22年7月に投資トラブルが発覚し活動休止。23年1月に記者会見を開き活動を再開した。同年8月より47都道府県すべてを周る全国ツアー「周るTKO」を開催しているほか、YouTubeチャンネル「TKOチャンネル」「TKO木本武宏のキモトゥーブ2」でも活躍中。
----------


(お笑い芸人 木本 武宏)

プレジデント社

「TKO」をもっと詳しく

「TKO」のニュース

「TKO」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ