入学と同時に勉強しなくなる大学生の事情

5月14日(火)9時15分 プレジデント社

2019年1月19日、大学入試センター試験に臨む受験生ら=東京都文京区の東京大学(写真=時事通信フォト)

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有名大学に入学したとたん、何をすればいいのか分からなくなる学生がいる。その原因は「学ぶ喜び」を奪う受験勉強の行き過ぎにあるのではないか。ジャーナリストの池上彰氏と作家で元外務省主任部席官の佐藤優氏が対談した——。

※本稿は、池上彰・佐藤優『教育激変 2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。




2019年1月19日、大学入試センター試験に臨む受験生ら=東京都文京区の東京大学(写真=時事通信フォト)

■「地方の公立校の人間が非常に少ない」


【池上】私は、今、東京工業大学で教えているのですが、いろんな意味で深刻だと思うのは、入ってくるのが圧倒的に首都圏の中高一貫私立校出身者で、地方の公立校の人間が非常に少ないことなんですよ。状況は、東京大学でも一橋大学のような大学でも同じでしょう。


【佐藤】学生たちが均質化している。


【池上】そうです。彼や彼女たちは、基本的に恵まれた環境に育ち、子どもの頃から塾通いをし、偏差値の高い私立学校で学び、とずっと同種の人間たちばかりのコミュニティーで育ってきました。頭はいいし性格も悪くないのだけれど、視野が狭い。難しい方程式をスラスラ解くことはできるのに、今世の中がどうなっているのかというようなことになると、全然知識がないのです。


かつての東大には、地方の公立高校出身者が多数いて、野武士のような若者たちが梁山泊を形成して、天下国家についても侃々諤々(かんかんがくがく)やったわけでしょう。今は、そんな雰囲気はまったくありません。当然、その環境は霞が関まで続いていて、そういう人間たちがごそっとそこに集まるわけですね。これは恐ろしいことです。


【佐藤】それに比べれば、私が同志社大学の神学部で教えている学生たちは、同質的ではありません。


■目的を持って大学に入る学生は伸びる


【池上】同志社の神学部に行こうというのですからね。それは個性的なんじゃないでしょうか。


【佐藤】確かに個性的です。偏差値70超の高校出身者が時々いるんですよ。受験競争を避けて神学部に来て、奇をてらってイスラムを専攻する。イスラムを専攻するのはいいのだけれど、動機が不鮮明だから、勉強に打ち込むことができず結局貴重な時間をロスしてしまう。一番教えがいのあるのは、偏差値が65くらいで、ちゃんと目的を持って入ってくる人で、そういう学生はとても伸びますよね。やはり、目的を持って大学に入ってくるというのは、とても大事なのです。


【池上】ただ、残念ながら、現実にはそんな学生は少数派でしょう。


【佐藤】全体から見れば少数派です。多くの学生が大学で学ぶ目的を持てないでいる最大の要因は、やはり偏差値的に「いい大学」に入ることのみを目的にした、行き過ぎた受験勉強にあると言わざるをえません。有名大学への合格者数を競うような私学や受験産業のゴールは、とにかく東大に合格させる、早慶(早稲田大学、慶應義塾大学)に合格させることで、大学に入ってからの接続など何も考慮されてはいない。だから、ゴールを達成してみたら、そこで何をしたらいいのかが分からなくなってしまうのです。なんとなく東大法学部に入った若者たちは、今度は財務省に入ろう、外務省に行こう、要するに「偉くなろう」というのを目標にするようになる。



■「受験刑務所」化している学校がある


【池上】そういう過程をたどって、成績さえ良ければ、偏差値さえ高ければある程度のことは許される、という思い違いがどんどん増幅されていくわけですね。


【佐藤】中高の教育に関して言えば、教科書を見る限り、その内容がきちんと頭に入るのなら、日本の教育は決して劣っているわけではないと思うのです。ところが、偏差値至上主義の蔓延が、中高生から学ぶ喜びを奪い、学年が上がるにつれて勉強嫌いが増えるような状況を生んでいるわけです。


【池上】どんなにいい教科書があっても、学びの場から半ばドロップアウトしてしまっては、意味がありません。


【佐藤】ドロップアウトしなければOKかといえば、話してきたように、そうではない。一番顕著なのは、新興の学校で、きめ細かな受験指導を売りに東大や医学部の合格者を急速に伸ばしたようなところで、誤解を恐れずに言えば、受験刑務所化していますよね。だから、合格したとたん、学生は「刑期明け」みたいな感じになっている。


【池上】ようやく娑婆に出られた。(笑)


【佐藤】そういう高校から東大に行っても、早慶に行っても、その後活躍する人間はあんまりいない気がします。


■詰め込みだけをしてきた学生は伸びしろがない


【池上】今では東大合格者数トップクラスになっているある学校は、偏差値レベルで言えば、かつてはまったく鳴かず飛ばずだった。なんとかしてもらいたいという使命を帯びて着任した校長が、定員割れを覚悟して合格ラインを上げたんですね。経営的には厳しかったのだけれど、我慢して3年続けたら、「あそこはこのレベルの子どもが行く学校だ」と、予備校が勝手に「評価」してくれて、自動的に偏差値が右肩上がりになったのです。ちなみにその校長先生は、かつて「生徒は馬、教師は調教師」とおっしゃっていました。


【佐藤】実際問題、そこの卒業生で、社会に出てから光る仕事をしている人間が、どれだけいるでしょうか?


【池上】それはよく分かりませんが、その学校に限らず、受験に必要なことだけを思い切り詰め込んで、ようやく東大に合格したようなタイプは、それでいっぱいいっぱいで、伸びしろがないんですね。


【佐藤】詰めこみ方も歪んでいたりするわけです。例えば、公務員試験には微分法が必ず出題されます。ところが、ある有名な公務員試験の受験参考書には「冪数を前に出して、掛け算をして、そこから1を引けば答えが出る。なぜそうなるかの原理は知らなくてもいい」といったことが、堂々と書かれています。


【池上】ひどいなあ、それは。



■「基本知識」のなかった東大出の外交官


【佐藤】無線工学を知らなくても、マニュアルがあれば、携帯を使いこなせるでしょう、ということがその参考書に書いてある。学習塾や「受験刑務所」などでは、似たような「教育」が行われ、志望校に受かることが自己目的化した生徒たちも、そういうテクニックをなんの疑問も抱かずに吸収しているわけですよ。


【池上】原理原則が分かっていなかったら、一切応用がききません。「伸びしろ」どころの話ではありませんね。


【佐藤】外務省時代に、こんな経験をしました。勤務していたモスクワの日本大使館に、特製の「盗聴防止部屋」があったんですね。部屋の中にアクリルの台座を置いて、その上に築かれた「箱」です。天井も壁もすべてアクリル仕様で、箱の外側で雑音テープを大音量で流していた。箱の中は完全に防音がされています。秘密のミーティングなどは、その部屋に入ってしていたのです。ところが、ある時、ラジオを持ちこんでスイッチを入れてみたら、普通に放送が聞けたわけです。つまり、外部と電子的に遮断されていなかった。慌てて上司に事の次第を報告すると、「若造の分際で、本省の専門家が設計したものに意見をするとは、どういうつもりだ」と、こっぴどく叱られました。


怖いな、と思いましたね。叱られたからではなく、電波が入るということは、イコール盗聴が可能なのだという基本知識が、その東大出の外交官にはないのだ、ということを。


■受験勉強は最後の1、2年だけの中高一貫校


【池上】東大に入るためには、必要のない知識だったのではないでしょうか(笑)。




池上 彰、佐藤 優『教育激変-2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』(中央公論新社)

【佐藤】しかも、権威のやることは絶対という環境に慣れてしまったがために、合理的な思考ができなくなってしまった。以来、私はその部屋で重要な話はしませんでしたけれど、幹部たちは変わらず使っていました。そこで話されていたことは、全部ソ連に筒抜けだったことでしょう。


【池上】それも、教育の歪みが生んだ笑えない実例ですね。


【佐藤】そうかと思えば、同じ中高一貫でも、受験勉強は最後の1、2年間しかさせないという、武蔵高等学校中学校のような学校もあります。私は昨年春、中学2年から高校2年の10人の生徒に授業をしたんですよ。


【池上】あの学校は、大学入試センターの「センター試験」が導入されてから、東大合格者数が減ったんですね。東大の二次試験は解けるのだけれど、その前のセンター試験でいい点が取れないのです。



■日本の教育は「総崩れ」ではない


【佐藤】だけど、教えた中学生の中には、大学レベルの授業に十分ついて来られる子もいて、驚きました。しかも、生徒たちには、他人の気持ちになって考える共感力があった。「受験刑務所」化していない証拠です。


先生と話していると、口には出さないけれども、受験には適性があるという思いが伝わってくるんですね。「覚えて再現する」という試験にも向き不向きがあるから、1、2年間頑張って、向いていないと思ったら無理して難関大学を目指す必要はない。受かる大学でしっかり勉強して、そこで上位層に食いこむほうが、よほど意味があるだろう、と。実際に生徒を教え、先生たちと話してみて、あそこの教育はグローバルスタンダードに耐えうるんじゃないかと、私は個人的に思いました。


あえてそういう経験をお話しするのは、特定の学校を持ち上げることが目的ではありません。日本の教育が大変なことになっているのは確かなのだけれども、かといって「総崩れ」になっているわけではない。そこも正確に見ながら必要な改革を進めていくことが大事だ、と考えるからなのです。


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池上 彰(いけがみ・あきら)

ジャーナリスト

1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など8大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』など著書多数。

佐藤 優(さとう・まさる)

作家・元外務省主任分析官

1960年東京都生まれ。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月、執行猶予付き有罪確定。13年6月、執行猶予期間満了。『国家の罠』『自壊する帝国』『修羅場の極意』『ケンカの流儀』『嫉妬と自己愛』、共著に『独裁の宴』など。

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(ジャーナリスト 池上 彰、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優 写真=時事通信フォト)

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