外食チェーンはなぜ増収減益と減収増益を数年単位で繰り返すのか

5月15日(月)6時0分 ダイヤモンドオンライン

Photo by Yoshihisa Wada

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社長になるとは、これっぽっちも想定してなかった


 私がロイヤル(現・ロイヤルホールディングス)に、執行役員総合企画部長兼法務室長として入社したのは2004年4月。38歳だった。


 第1回でも述べたように、「いつかは社長になりたい」というような思いもなく、1人の実務家としてお役に立てるのではないかと考えてのことだった。


 当時のロイヤルは「歴史的」と表現してもよい大きな節目に直面していた。進駐軍のコックだった江頭匡一さんによって1951年に創業。戦後初、日本の航空機が就航した時より板付空港(現・福岡空港)で機内食を納入し、食堂や売店の運営をはじめた。2年後の53年には福岡市東中洲にフランス料理店「ロイヤル中洲本店(現・レストラン花の木)」をオープン、1971年にはファミリーレストラン「ロイヤルホスト」1号店を北九州市に出店、これがいわゆるロードサイドレストランへの進出だった。


 以後は、創業者である江頭さんのカリスマ的な指導力で「ロイヤルホスト」を全国に展開していく。


 しかし2003年には江頭さんは経営の一線から退かれ、経営は江頭さんの薫陶を受けた人たちへとバトンタッチされた。創業者の求心力が強すぎたために、その中核が一線から退くとグループがバラバラになってしまう。そこで持株会社にしたり、事業を再編したりして新たな遠心力を利かせようとしていた。持株会社化や事業再編などは、日債銀やドイツ証券で実務に関わってきたものであり、私の力でもお役に立てる。


 実際、入社後は、持株会社化だけでなく多くのM&A案件に取り組んだ。天丼チェーン「てんや」(テン コーポレーション)、百貨店の飲食事業を手がける「伊勢丹ダイニング(現・ロイヤルコントラクトサービス)」、機内食事業の「福岡ケータリングサービス」等々。ビジネスホテル「リッチモンドホテル」を運営する「アールエヌティーホテルズ」の設立も2004年のことだ。


 日本の外食産業は1970年代以降、急成長を続けてきたが、97年をピークに縮小に転じていた。ロイヤルホストの1店当たり売上高も、2008年には96年度の6割にまで低下していく。私が入社したときの第一印象は、「お客さまのために尽くしていく、との思いを真摯に抱いている集団」というものだった。しかしその一方で、市場がシュリンクしていくなかで、社風を全社の力として発揮できていないもどかしさも感じられた。


 市場のシュリンクに対してロイヤルは事業の多角化を推し進めていき、その実務の一翼を私が担っていたのだが、先輩役員たちの間では将来に向けてさまざまな意見があり、それらはときに先鋭的に対立した。


 私は、取締役管理本部長となって経営全般に目配りする立場になり、そうした先輩役員の意見の違いを調整する役回りを担う形になっていった。


 そして2010年の年が明けたとき、当時の会長から呼び出され、「お前が社長をやれ」と命じられた。


 何度も言うが、私は1人の実務家であって社長になろうと思ったことはない。実際、妻とも相談し、何度もお断りした。


 当時は業績も悪化し、社内の意見対立も放置できない状態となっており、一度経営をリセットする意味でも、45歳と若く、異質な存在である私に託そうと考えられたのかもしれない。


 いずれにしても意見対立は10年3月の私の社長就任後も残り、11年1月には当時の会長(前社長)が役員人事について株主を巻き込んで意義を唱えるという対立にまで発展した。そして翌12年には取締役会で会長の解任を決議するという残念な結果で終わった。マスコミには「内紛」と書かれたが、最終的には意見対立がなくなり、ロイヤルの新たな歴史を刻む取り組みが始まることとなった。




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