「わたしたち」の意識が鍵、NTT研究員が描くウェルビーイングな組織のあり方

2023年5月16日(火)6時0分 JBpress

 心身の健康だけでなく社会的な関係まで含めた、人のよいあり方を意味する「ウェルビーイング」。最近では「顧客のウェルビーイングを起点とした商品・サービス開発」への関心も高まっている。この新しい潮流は、日本人のライフスタイルをどのように変えていくのか? またそこからどのような産業やマーケットが生まれていくのか? 消費者目線で社会トレンドをウォッチし続けてきた統合型マーケティング企業、インテグレートのCEO・藤田康人氏が、ウェルビーイングに取り組む実践者たちとの対話を通じて、これからの新しいビジネスを考察する。
 今回は、人間情報科学を専門とするNTTコミュニケーション科学基礎研究所の渡邊淳司氏に、人と人の関わりの中で生み出されるウェルビーイングについて聞いた。(JBpress)

◎連載「日本社会を変えるウェルビーイングの大潮流」の記事一覧はこちら


「存在する」こと自体の価値を考える

藤田康人氏(以下、敬称略) 昨今、SDGsの流れもあり、心身ともに健康で持続的な幸せを求める風潮が広がっています。それは言うなれば「ウェルビーイング」なのですが、日本のビジネス市場においては、いまだこの言葉の解釈に幅があり、わかりづらいように感じます。前提としてこの国では、人々が幸せになりたい、自分らしく生きていきたいという思いが弱い気もしています。

渡邊淳司氏(以下、敬称略) そうですね。ウェルビーイングのビジネスを考える前に、私たち自身がウェルビーイングの意味を捉えることが重要ですね。

 私は、そもそも人が「存在する」こと自体の価値から考える必要があると思っています。それは内在的価値と呼ばれます。反意語は道具的価値で、何かができるから価値があるというものです。

 内在的価値の観点から、人の存在を感じたり、価値観を知ることは、それ自体がウェルビーイングを捉え直す機会なのだと思います。

 このような考え方は、私自身が、ウェルビーイングの研究の前に、触覚の研究をしていたことによります。例えば、これまでやってきたこととして、自身の鼓動を手のひらの上の触感として感じる装置を使った「心臓ピクニック」というワークショップがあります。聴診器を胸にあてると、その鼓動に合わせてリアルタイムで四角い白い箱が振動します(冒頭の写真)。

藤田 これはすごい! 心臓を直接触っているようです。

渡邊 触覚を通して、相手が生きていることを実感できると思うんです。心臓ピクニックでは、自身の鼓動だけでなく、相手の鼓動を感じたり、お腹に赤ちゃんがいる方であれば、その鼓動も感じることができます。そして、生きていること、存在していることを感じること自体が、そもそも価値であることにも気がつくはずです。

藤田 この白い箱に触れていると、その人とグッと距離が縮まった感じがします。


その人が何を大事にしているのかを互いに知る

渡邊 身体的な存在を感じ合うというだけでなく、その人が何を大事にしているのか、価値観をお互いに知ることも大事です。

 大規模なウェルビーイングの調査だと、それぞれの人の「人生満足度」などを測定してウェルビーイングを数値化するのですが、それだけでなく、実際にその人がウェルビーイングに生きていくためには、なぜ、それに満足しているのか、その要因を把握する必要があります。ウェルビーイングのあり方は、個々人によって異なりますし、数字の背景にあるもの、その人の実感やストーリーを同時に考える必要があります。

 そこで開発したのが、「わたしたちのウェルビーイングカード」です。この32枚のカードには、ウェルビーイングの要因となるキーワードが1つずつ記載されています。それらは「I(わたし)」「WE(わたしたち)」「SOCIETY(みんな)」 「UNIVERSE(あらゆるもの)」の4つのカテゴリーに分けられています。自身のウェルビーイングの要因を、いきなり聞かれても言葉にするのは難しいですが、例えば、これらの中から自分にとって大切なことを選択してくださいと言われたら、できる気がしませんか? 試しに藤田さん、この中から自分のウェルビーイングにとって大事なカードを3枚、選んでください。

藤田 挑戦と熱中・没頭、希望のカードがいいですね。

渡邊 その心は?

藤田 常に挑戦をしていくと、徐々に熱中していき、わくわくして、何かできそうな希望が生まれていく。

渡邊 なるほど。3枚のカードの間にストーリーがあるのですね。これは、藤田さんの周囲の人にとって予想通りだったでしょうか。学校や職場で一緒にいる人でも、お互いの行動の背景が理解できないことがありますよね。それを知るきっかけになります。

 では、次に、職場で大事にしたいことを答えてください。個人的に大事なことと、他者と一緒に活動する場で大事にしたいことは異なるかもしれません。同じ職場で働く人が、実は全く異なることを重視している場合もあるでしょう。大事にしたいことはそれぞれあるかもしれませんが、会社全体のパーパスに対して、どのようにそれを成立させるのかが大事になります。このカードは、自身の価値観、お互いの価値観、個人と組織の価値観を可視化し、対話しながらうまい形で並立させるためのツールと言えます。

藤田 しかし、自分の感覚は刻一刻と変化しますし、価値観も必ずしも不変というわけではありません。

渡邊 主観的ウェルビーイングの測り方がそうであるように、ウェルビーイングは一瞬一瞬の感情の側面と、それらが積み重ねられた総体としての側面があります。その総体を俯瞰で見たときの評価が「人生満足度」として測られたりします。また、「生きがい」のようなものは、自分だけでなく他者や社会の中での自分という視点も必要になります。

藤田 たしかに自分の内側に変化の要因はあるけれど、他者との関係性でその要因が発動することも多いはず。そう考えると、個人のウェルビーイングを測ること自体あまり現実的ではないのかもしれないですね。


利己と利他の境界はどこにあるのか

渡邊 人との関わりで重要なものの1つに自己観があります。“自分事の範囲”と言ってもよいかもしれません。どこまでが自分の問題でどこからが他者の問題なのかは、相手との関わりによって変化します。

 多くの人は、自分の子どもや兄弟によいことがあったらうれしくなりますよね。しかし、例えば、仕事のチームを考えた時に、いつも一緒にいる同僚なら嬉しくなるけれど、一定の距離がある部署の人たちだと関係なく感じたり、もしくは妬む感情が生まれることがあります。

藤田 なるほど。利己と利他の境界がどこにあるのか?ですね。

渡邊 「やってあげる」という感覚を感じたとしたら、それは自分と他者を分けて考え、自分のために他者がいるということになるので、利他ではないかもしれません。「やってあげる」ではなく、「一緒にやる」「一緒に楽しむ」というスタンスでないと、関係がつらくなりがちです。ある意味、利己のスタンスでありながら、結果として利他が生まれるというイメージでしょうか。

藤田 いわゆる「推し活」とかはどうなんでしょうか? 推しが幸せなら自分も幸せだから、拡大利己とも言えるのかもしれません。推し活も、推しを推すことで自分が幸せになるんでしょうか?

渡邊 推し活の場合、何かをやってあげているという感覚とは違うかもしれませんね。実際に話したことはなくても、推しとは一体感を感じたり、推し活動をしている人同士に仲間意識が生まれるかもしれません。

藤田 渡邊さんにとっては、何が最も強い、ウェルビーイングのあり様になるのでしょうか?

渡邊 「わたしたち」のウェルビーイングでしょうか。人との関わり方を、自分、他者、社会、自然と、視点を広げて捉えたり、自分以外の様々な人やチームも含めてウェルビーイングを考えられることです。先ほど体験してもらった触覚や、近年のブロックチェーンを使った分散型組織も「わたしたち」であるためのきっかけなのです。

 もちろん、「わたしたち」といっても個人がなくなるわけではなく、個と全体の両方の視点が存在しつつ、協働する。それがウェルビーイングにつながるのだと思います。


つながりが可視化されると「自律性」が生まれる

藤田 「わたしたち」を感じられるコミュニティは、1つに限定しなくてもよいのでしょうか?

渡邊 もちろん、1つである必要はないと思います。多ければよいというわけではないですが、いくつかのコミュニティがあれば、何かあったときに選択肢が増えますし、性質も異なる方がバランスが良いかもしれません。選択肢がない状態で生きなければならないのは誰にとってもつらいはずです。

藤田 それは息苦しいですね。多様な人たちと、さまざまなテーマで熱中する方が、精神衛生上もよいと思います。

 一口に多様性といっても、切り口が複数あります。LGBTQを例に挙げれば、当事者以外の意識として「彼らとは状態が違うけれど、一緒にいても問題ない」という捉え方と、「そもそも彼らと自分に差がない」という捉え方もあります。

渡邊 正常と異常にカテゴリー分けしてラベルを貼るという捉え方ではなく、そもそも多様なカテゴリーが存在していると考える。また、状態もスペクトラム(連続体)として捉えられることが多いですね。

藤田 そう考えれば、特性にラベルを貼る意味がなくなりますね。先ほどの利他と利己の話と同じで、他者と違う存在と捉えれば利他だし、同じ存在とすれば、拡大利己になっていく。

渡邊 他者との関わり方のスタンスを認識しておくことも重要です。それが自己と他者を明確に分けた「サービスする/される」の契約的つながり、もしくは経済的つながりなのか。それとも、「わたしたち」としてのつながりなのか。

 例えば、クラウドファンディングでも、投資への明確なリターンを求めるという関わり方もあれば、事業のファウンダーを応援したいという人もいます。契約的もしくは経済的つながりには、どちらがいくら支払っている、それに対してどんなサービスを行う、といった明確な指標が存在します。

 一方で、「わたしたち」としては、何がステークホルダーをつなぐものなのかが、わかりづらいところがあります。だからこそ、「状態や関係性の可視化」が必要なんだと思います。それぞれの人の動機や状態、全体のつながり方が可視化されることで、ステークホルダー全員が全体の意識を持つようになり、自律的に動いていけるようになるのではないでしょうか。

藤田 人間関係とその先にあるコミュニケーションの可視化が起こることで、人のつながりに自浄作用を持たせることもできそうですね。人間関係もビジネスもうまくいかなければ、どこかに歪みが生じているのかもしれません。状況を把握して関係を再構築することを私たちは「リデザイン」と呼んでいますが、それがまさにどのようなシーンでも必要だということがわかりました。

渡邊 ウェルビーイングの測定には、立場によっていくつかの意味があると思います。政策を決めるような立場から全体を把握しようとする測定が1つ。もう1つは、個人が集まってウェルビーイングに向けて「わたしたち」として活動・運動するための測定です。パーパスを共有した中で、全体の状態や関係性を測定し共有することで、「わたしたち」としての意識が強まったり、それぞれが自律的に動ける組織が生まれるのではないでしょうか。

◎渡邊 淳司(わたなべ・じゅんじ)氏
(NTT コミュニケーション科学基礎研究所 人間情報研究部 上席特別研究員)
人間の触覚のメカニズム、コミュニケーションに関する研究を人間情報科学の視点から行なう。また、人と人との共感や信頼を醸成し、ウェルビーイングな社会を実現する方法論について探究している。主著に『情報を生み出す触覚の知性』(化学同人、2014、毎日出版文化賞〈自然科学部門〉受賞)、『表現する認知科学』(新曜社、2020)、『情報環世界』(共著、NTT出版、2019)、『見えないスポーツ図鑑』(共著、晶文社、2020)、『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』(共監修・編著、ビー・エヌ・エヌ、2020)がある。


対話を終えて(藤田 康人)

 日本電信電話株式会社(NTT)の研究所でウェルビーイングの研究を行う渡邊淳司さんは、身体性に基づいた人と人のつながりからウェルビーイングにアプローチしてきました。心臓ピクニックを用いることで触覚を通してコミュニケーションを行う。ウェルビーイングのカードで各々の想いをアウトプットする。これらの取り組みは、個人のウェルビーイングを実現するとともに、他者との関わり方や組織全体のよいあり方を実現していく道筋を描くもののように思います。

 同時に、人間関係の可視化によって起こる組織の人の自律的なふるまいは、人体における自浄作用と似たものなのかもしれません。人間関係のエコシステムを構築するために、状態を可視化することは、私が常々疑問に思ってきた「ウェルビーイングの計測」の起点なのかもしれません。計測そのものを目的とすると、その意義を疑問視せざるをえないこともありますが、可視化のために計測するならば、可視化そのものが人間関係の自浄作用につながるため、矛盾を考慮しなくて済むのです。

 人々の自律的な振る舞いによる新陳代謝の活発な組織、コミュニティは、今後、数多くの社会問題解決の手立てとなるのではないでしょうか。

【筆者からのお知らせ】
 4月20日に日本経済新聞出版より拙著『ウェルビーイングで変わる食と健康のマーケティング』が発行されました。変化してきた幸せの形から今求められるウェルビーイングとは何か、時代の変遷をとらえながら、現代に必要なヘルスケアビジネスの形を考察しています。本書を通して、今後求められるヘルスケアフードのあり方を考えるきっかけになれ ば幸いです。

筆者:藤田 康人

JBpress

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