あの松井秀喜でもMLBでは「地味な選手」に…大谷翔平の登場まで「日本人打者は難しい」が通説だったワケ

2024年5月20日(月)9時15分 プレジデント社

ナショナルズ・パークでのワシントン・ナショナルズ戦で、二塁打を放つロサンゼルス・ドジャースの指名打者、大谷翔平=2024年4月24日 - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

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大谷翔平選手はスポーツ史上最高額となる10年7億ドル(約1015億円)でドジャースと契約した。MLBを取材してきたライターの内野宗治さんは「大谷選手が活躍するまで、『投手は通用しても、打者は難しい』というのが通説だった。その背景には、日本最高のホームランバッターだった松井秀喜選手が、MLBでは『地味な選手』と言われたことがある」という——。

※本稿は、内野宗治『大谷翔平の社会学』(扶桑社)の一部を再編集したものです。


写真=Sipa USA/時事通信フォト
ナショナルズ・パークでのワシントン・ナショナルズ戦で、二塁打を放つロサンゼルス・ドジャースの指名打者、大谷翔平=2024年4月24日 - 写真=Sipa USA/時事通信フォト

■980万円からスタートした野茂英雄


アメリカで真にその実力が認められるためには、MLBで結果を残す必要があることは今も昔も変わらない。一方で、日本でプレーする日本人選手の「投資対象」としての価値は今日まで、ほぼ右肩上がりである。これまで多くの日本人選手がMLBで活躍し、日本球界の実力が認められるようになってきたからだ。


「日本人メジャーリーガーのパイオニア」野茂英雄は1995年、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだが、メジャー契約ではなくマイナー契約で、年俸はたったの10万ドル(当時のレートで約980万円)だった。


近鉄バファローズ時代の年俸1億4000万円から、実に90%以上のダウンである。野茂には日本球界を「任意引退」したという特殊な事情はあったが、そもそも野茂がMLBで果たしてどれだけ活躍できるのか、ドジャースにとっては未知数だった。アメリカの野球ファンや関係者の多くが「日本で大活躍したからといって、メジャーで活躍できるわけがない」と思っていた。


■「正統派」ではなく「変わり種」


しかし野茂は1年目からオールスターゲームの先発投手を務めるなど、堂々たる成績で新人王を獲得した。日本にもメジャーで通用する素晴らしい選手(少なくとも投手)がいることを、アメリカの野球ファンに知らしめたのだ。


その一方で、野茂の成功は「トルネード投法」というトリッキーな投球フォームと、メジャーリーガーが見慣れない「フォークボール」という珍しい球種によるもので、必ずしも一般的な日本人投手の実力が証明されたわけではない、という見方もあった。要するに野茂は「正統派」の投手ではなかったのだ。


模範的な美しいフォームで速球とスライダー、カーブ、そしてチェンジアップなどMLBの投手が多用する球種を投げるオーソドックスな投手ではなかった。「トルネード投法」「フォークボール」というユニークな飛び道具を武器にした野茂は、ナックルボーラーやサブマリン投手と同じような「変わり種」と見なされることもあった。


■期待に応えられなかった松坂と井川


とはいえ野茂の成功を見たメジャー各球団はその後、1990年代後半から2000年代前半にかけて日本の投手を次々に獲得した。伊良部秀輝や大家友和、石井一久は先発投手として二桁勝利を挙げるシーズンもあった。長谷川滋利や佐々木主浩はリリーフ投手としてオールスターゲームにも出場した。


彼らは野茂以外にも優れた日本人投手がいることを証明したが、野茂ほどの強烈なインパクトを与える投手はいなかったことも事実だ。野茂は1996年と2001年にノーヒットノーランを達成するなど、依然として最高の日本人投手であり続けた。


その後も日本人投手のMLB挑戦は続いたが、ターニングポイントになったのは2006年オフ。日本球界を代表する先発投手である松坂大輔と井川慶が、それぞれレッドソックスとヤンキースという伝統球団に移籍した。レッドソックスは松坂獲得のために6年総額1億ドル(当時レートで約120億円)以上を費やし、日米の野球ファンを仰天させた。


松坂はメジャー最初の2年間で33勝を挙げ、野茂に代わる「日本人投手の顔」になったが、その後は故障と不振に苦しんだ。5年契約でヤンキース入りした井川に至っては、最初の2年間で計16試合に登板したのみで、その後はずっとマイナー暮らし。「ヤンキース史上最悪の契約」とまで称される始末だった。


松坂大輔(写真=Triple Tri on Flickr/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

■全盛期の野茂を超えられる投手は現れず


松坂と井川の「不良債権化」により、日本人投手の株は下がったかのように見えたが、リリーフ投手は活躍していた。松坂と同じタイミングでレッドソックス入りした変則左腕の岡島秀樹、36歳でメジャー挑戦したドジャースの斎藤隆は、ともに2007年のオールスターゲームに出場。藪恵壹は2008年に39歳ながらサンフランシスコ・ジャイアンツの中継ぎ投手として60試合に登板した。


また、先発投手でも同年にドジャース入りした黒田博樹は、メジャー1年目から松坂以上に安定した活躍を見せた。一方、2009年にアトランタ・ブレーブス入りした川上憲伸は、2シーズンで8勝22敗と期待外れだった。


このように、日本人投手の成績はメジャーで一進一退の様相を見せており、また全盛期の野茂並みに圧倒的な活躍をする投手はなかなか現れなかった。そんななかで第二のターニングポイントとなったのが2012年1月のダルビッシュのMLB移籍だった。


■ダルビッシュ以降、エース格が続く


松坂の渡米から5年後、ダルビッシュは「松坂を超える逸材」として、MLBから注目されていた。テキサス・レンジャーズは、レッドソックスが松坂獲得に投じた金額を僅かに上回る投資をして、ダルビッシュを獲得した。


メジャー最初の2年で、ダルビッシュは松坂を上回る活躍を見せた。2年目の2013年は、日本人投手として野茂以来となる最多奪三振のタイトルを獲得し、アメリカンリーグのサイ・ヤング賞投票で2位に入った。


同じ年、ダルビッシュほどは注目をされていなかった岩隈久志も大活躍し、サイ・ヤング賞投票でダルビッシュに次ぐ3位だった。また、この年のワールドシリーズを制したレッドソックスに松坂はすでにいなかったが、代わりに上原浩治と田澤純一がリリーフ投手陣の柱を担っていた。メジャー6年目の黒田もヤンキースのエース格になっていた。


■ヤンキースの主力投手となった田中将大


ダルビッシュと岩隈は、野茂の「トルネード投法」のようにトリッキーな技があるわけでなく、またメジャーでは珍しい「フォークボール」一辺倒というわけでもない。ダルビッシュも岩隈も、長身からノビのある速球とキレのある変化球を繰り出して打者を打ち取っていく、極めてオーソドックスな先発投手だ。


2013年に両者をはじめとする日本人投手たちが見せた大活躍は、MLBにおける日本人投手の株を一段と引き上げた。その直後、2013年オフに田中がヤンキースとの超高額契約を結んだ。


田中は日本で24勝0敗という圧倒的な成績を残してはいたが、MLB球団からすると、日本のパシフィックリーグで田中としのぎを削っていたダルビッシュと岩隈が既に大活躍していたことが、田中の「品質」を担保していたはずだ。


田中は2014年から2020年にかけて、ヤンキースの主力投手として78勝を挙げた。日本時代ほど圧倒的な成績は残せなかったが、超大型契約の期待にまずまず応えたと評価していい。その間、新たに海を渡った日本人投手の代表格が、田中と同学年の前田健太、そして打者兼任の大谷だ。


■約10年間で「日本人投手」がブランド化


前田は2020年にアメリカンリーグのサイ・ヤング賞投票で2位に入るなど、メジャー実働7年で65勝を挙げている。大谷は2021年から3年連続で、指名打者としてだけでなく投手としてもオールスターに選出された。


こうして振り返ると、ダルビッシュや岩隈らが大活躍した2013年からの約10年間で、MLBにおける「日本人投手」のブランドは確固たるものになったと言える。


その結果として今日、たとえばメジャーでまだ一球も投げていない山本がサイ・ヤング賞投手のスネルをしのぐ高評価を受けるに至っている。10年前だったらおそらく、ここまで高い評価は得られなかっただろう。


■「日本の打者がメジャーで通用するわけがない」


日本人投手のレベルの高さは、今やアメリカの野球ファンの知るところとなった。では、日本人打者はどうだろうか?


野茂の渡米から6年後の2001年、イチローと新庄剛志が初の日本人野手としてMLBに移籍した。日本で7年連続首位打者のイチローが、シアトル・マリナーズと結んだ契約は3年1400万ドル(当時のレートで約15億円)。このとき、MLB選手の平均年俸は現在の半分以下だったが、それにしても控えめな数字だ。


「日本の打者がメジャーで通用するわけがない」という声も多く、日本球界の至宝イチローといえども最初から高額契約を勝ち取ることはできなかった。新庄に至っては、当時のメジャーで最低保証年俸となる20万ドル(約2200万円)でニューヨーク・メッツと契約した。こちらも日本球界屈指の外野手だったにもかかわらず、である。


イチローはメジャー1年目、首位打者、盗塁王、新人王、そしてMVPまで獲得する大活躍を見せ、日本人野手もメジャーで超一流の活躍ができることを証明した。しかし、野茂の成功は「トルネード投法」と「フォークボール」のおかげだという声があったように、イチローの成功にも批判的な声があった。


イチロー(写真=Andy Witchger/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

■賛否両論だったイチローの大活躍


イチローは新人の年にメジャー断トツの242安打を放ったが、その2割は足で稼いだボテボテの内野安打であり、試合を決めるような長打はほとんどないじゃないか、と。そもそも安打数が多いのは、イチローが「早打ち」すぎて四球を全然選ばないからで、打率が高い割には出塁率が低いじゃないか、と。


今日のМLBにおいて打者の総合的な能力を最も適切に測る指標とされているOPS(出塁率+長打率)の値を見ると、2001年のイチローは.838で、リーグ27位にすぎなかった。


当時はまだ打率や安打数、盗塁数といった「オールドスクール」な数字が重視されていたためイチローはMVPに選ばれたが、これが20年、いや10年遅かったら選ばれていなかった可能性が高い。242安打のイチローではなく、OPSが1.000を超えていたジェイソン・ジアンビやアレックス・ロドリゲスといった強打者がMVPに輝いていたはずだ。


■日本最高の強打者、松井秀喜すら「地味」


スピードはあるがパワーに欠けるイチローは、見栄えの華やかさのわりにチームへの貢献度が低い……そんな声を覆すべく、というわけではないが、イチローの移籍から2年後の2003年、今度は日本最高のホームランバッターである松井秀喜がヤンキースに入団した。


松井秀喜(写真=Keith Allison/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

松井はメジャー屈指の強力打線で主軸打者のひとりとして活躍したが、野茂やイチローが見せたセンセーショナルな活躍に比べると、松井のパフォーマンスは地味だった。


日本でシーズン50本塁打を放った長打力も、メジャーの強打者たちの間では突出したものにならず、松井はせいぜい「チャンスに強い中距離打者」といった役回りに落ち着いた。イチローは時に批判を受けながらも、なんだかんだでMLBの「レジェンド」に仲間入りしたが、松井はそこまで至らなかった。


日本には、イチローのように技術とスピードで勝負できる打者はいるが、パワーでメジャーリーガーに太刀打ちできる打者はいない。松井のやや地味な活躍は、そうした認識を日米のファンに植え付けた。実際、2000年代にはほかにも松井稼頭央や井口資仁、中村紀洋、城島健司、岩村明憲、福留孝介ら日本を代表する強打者が続々と渡米したものの、その多くは期待外れに終わった。


■「大活躍する打者はもういない」が常識だった


また、イチローは10年連続200安打の金字塔を打ち立てたが、そもそもイチローは唯一無二の選手であり、たとえイチローと同じようなプレースタイルであっても、メジャーで活躍できる日本人選手はほかにいない、と思われている節もあった。



内野宗治『大谷翔平の社会学』(扶桑社)

2012年、イチローの「後継者」と言ってもいい日本最高のヒットメイカーだった青木宣親がミルウォーキー・ブルワーズに移籍したが、ブルワーズは青木との契約前に、アリゾナの球団施設で青木の「プレーチェック」を実施した。要するに、青木がメジャーでプレーできるレベルの選手かどうかをテストしたのである。


イチローがアメリカで旋風を巻き起こしてから10年以上たってもなお、日本の野手は総じてあまり評価されていなかったようだ。ちなみに青木は無事テストに「合格」し、メジャー1年目からリードオフマンに定着。6年間にわたって安定した活躍をした。


日本にはメジャーでサイ・ヤング賞争いをするほどの力がある投手はいるが、日本の打者がメジャーで大活躍するのは難しい。少なくとも2013年ごろの時点では、アメリカのみならず日本の野球ファンの多くがそう思っていただろう。そして、その認識を覆したのが大谷だった。


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内野 宗治(うちの・むねはる)
フリーランスライター
1986年生まれ、東京都出身。国際基督教大学教養学部を卒業後、コンサルティング会社勤務を経て、フリーランスライターとして活動。「日刊SPA!」『月刊スラッガー』「MLB.JP(メジャーリーグ公式サイト日本語版)」など各種媒体に、MLBの取材記事などを寄稿。その後、「スポーティングニュース」日本語版の副編集長、時事通信社マレーシア支局の経済記者などを経て、現在はニールセン・スポーツ・ジャパンにてスポーツ・スポンサーシップの調査や効果測定に携わる。
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(フリーランスライター 内野 宗治)

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