アンパンマンのモデルは誰なのか…この30年間で6.6兆円を稼いだ「国民的キャラクター」の知られざる秘密

2025年5月20日(火)7時15分 プレジデント社

やなせたかしさんのお別れの会で、子供たちを迎えるアンパンマン=2014年2月6日午前、東京都新宿区 - 写真提供=共同通信社

なぜ幼児は「アンパンマン」が大好きなのか。『アンパンマンと日本人』(新潮新書)を書いた東京科学大学の柳瀬博一教授は「作者のやなせたかしさんは、同時代の男性では珍しいフェミニンな感性を持ち、マッチョイズムに対し懐疑的な人だった。それゆえ、アンパンマンは子供に愛されるキャラクターになった」という——。(第3回)(インタビュー、構成=ライター市岡ひかり)
写真提供=共同通信社
やなせたかしさんのお別れの会で、子供たちを迎えるアンパンマン=2014年2月6日午前、東京都新宿区 - 写真提供=共同通信社

■なぜアンパンマンは子供から絶大な人気を誇るのか


NHKで連続テレビ小説「あんぱん」は、アンパンマンの生みの親である、やなせたかしとその妻・暢がモデルとあって、今改めてアンパンマンに注目が集まっています。


0歳〜4歳の子供に圧倒的な人気を誇ります。米TitleMax社によると、アンパンマンの市場規模は、世界第6位となっています(2018年までの世界のキャラクタービジネスの規模累計)。日本の乳幼児が主なターゲットにもかかわらずです。その市場規模は年間1500億円(2019年の1ドル=109円で換算)、テレビアニメ化されてから30年で6.6兆円を稼ぎ出したことになります。


かくいう私の娘も3歳半になるまで、好きなキャラクターの1番は断トツでアンパンマンでした。


ある時、予防接種から帰ってきた娘の腕に、手書きのアンパンマンのパッチが貼ってあるのに気づいたんです。そこでアンパンマンが、子供を泣きやませるための「優秀なベビーシッター」として活躍していると知りました。3歳半でプリキュアに移行してアンパンマンを卒業するまで、相当お金をつぎ込んだと思います。


なぜアンパンマンがこれほど親子から絶大な人気を誇るのでしょうか。私はその成り立ちにヒントがあると考えています。


■子供を「子供扱い」しない


やなせたかしが「これがなければアンパンマンは生まれなかった」と語る作品があります。1968年に発表された初期の代表作「やさしいライオン」です。


この作品ではやなせたかしの大きな特徴である、子供向けと大人向けを区別して描き分けない姿勢が見受けられます。


「やさしいライオン」は、母を失ったみなしごライオン・ブルブルと、子供に先立たれた母犬のムクムクの交流の物語です。初出は大人向けの童話短編集「アゴヒゲの好きな魔女」(山梨シルクセンター出版部)で、後に子供向けに絵本化されますが、文章はほとんど同じものが使われています。


この物語では、大人になったブルブルが、育ての親・ムクムクに会いに行こうとサーカスの檻を破り、警官隊に撃たれてしまう、という残酷にも思える展開を迎えます。その結末に対し、やなせたかしは「人生の悲痛については眼をそむけるべきではない」と子供向け絵本にする際にも変更を加えませんでした。


この「子供に手加減しない」「客を選ばない」という表現手法は、アンパンマンへと引き継がれています。


■苦悩するアンパンマン


アンパンマンが初めて登場したのは、「月刊誌PHP」1969年10月号に掲載されたメルヘン「アンパンマン」です。この時のアンパンマンは、スーパーマンみたいな格好した中年のおじさんでちょっとメタボ。顔はアンパンでできていません。代わりにほんとのアンパンを持っていて、お腹が減った人にあげるキャラクターでした。


ドラマ「あんぱん」の初回冒頭でも、この中年アンパンマンが飛んでいるシーンが登場しました。


その後、1973年に月刊絵本「キンダーおはなしえほん」10月号(フレーベル館)に『あんぱんまん』が掲載されました。子供向けに描かれた最初の「アンパンマン」です。その姿は今のアンパンマンに近いですが、手はまんまるではなく指があり、衣装は汚れています。そしてこのとき初めて、おなかをすかせた人に自分の顔を分け与える、というキャタクター設定も登場します。


ユニークな設定でしたが、しかし、当時は「顔を食べさせるなんて残酷だ」と評判は散々だったようです。


1973年、やなせたかしは雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)を立ち上げ、その中で「熱血メルヘン!怪傑アンパンマン」という連載を始めます。


作中で、ジャムおじさんのパン工場で生まれたばかりのアンパンマンが「僕はなんで生まれたんだろう」と生きる意味を模索しながら空を飛ぶシーンがあります。ヒーローにしては深い悩みですが、これが後に有名な「アンパンマンのマーチ」の冒頭の歌詞に繋がります。


幼児向けアニメのテーマ曲にしてはあまりに哲学的な歌詞ですが、ここにも大人と子供とを区別しない、彼の制作スタンスが見て取れます。


撮影=プレジデントオンライン編集部
『詩とメルヘン』を手に、アンパンマンの源流となるやなせたかしさんの叙情について語る柳瀬さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■スーパーマンを”手本”に


ここで疑問が出てきます。なぜ、やなせたかしは、一風変わったアンパンマンをというキャラクターを作ったのか。なぜアンパンマンを、巨悪と戦うかっこいいヒーローとして描かなかったのでしょうか。


結論。アンパンマンは、スーパーマンの意匠を借りつつ、スーパーマンのアンチテーゼとして生まれたからです。どういうことか、順を追ってお話します。


実は、先ほどお話した『アゴヒゲの好きな魔女』の中には、アンパンマンのプロトタイプといえる「怪傑ゼロ」という話が収められています。


このメルヘンに登場する怪傑ゼロは、のっぺらぼうのマスクにスーパーマンと同じような8頭身の背格好です。アンパンマンと異なり、すらっとしていますが、彼の行動様式はスーパーマンと異なり、誰かと戦ったりしません。困った人をただ助けるだけ。作中では、19歳のデパートガールの困りごとを解決します。アンパンマン同様戦わないヒーローです。


なにより注目すべきは作中で、怪傑ゼロ自身が、彼の目からすると自己陶酔的に戦うスーパーマンやバットマンを批判していることです。


戦争を経験したやなせたかしは、正義が戦前と戦後で反転する様を目の当たりにしました。「怪傑ゼロ」では、自分たちの正義に疑問を抱かず、悪者を暴力で叩きのめす「正義漢=アメコミヒーロー」に対する違和感を描きます。


この怪傑ゼロから1年後に、先述した「月刊誌PHP」で中年のアンパンマンが登場するのです。こちらの作品内にもスーパーマンやバットマンが登場し、アンパンマンを仲間はずれにしている描写が描かれているのです。


■勧善懲悪に対する危うさ


スーパーマンのアニメーションは1940年代にアメリカで完成し、戦後の日本に入ってきました。「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も間違いなくスーパーマンの影響を受けております。「スーパーマン」というキャラクターはヒーローものの原型ともいえる素晴らしい発明でした。やなせたかしも、スーパーマンの原作者であるジェリー・シーゲルとジョー・シャスターを手塚治虫と並び、自分が尊敬する漫画家として書籍『まんが学校』(立川談志共著)のなかでリストアップしています。


その一方で、やなせたかしはスーパーマンの物語の構造、つまりスーパーマン的な正義に対して危うさに気づいていました。アンパンマンは、スーパーマンへの尊敬と批評とを同時に込めた、ある種のパロディーとして誕生したのです。


では、そのアンパンマンにどんな思いを込めたのか。ヒントとなるのは、やなせたかしが編集長として立ち上げた雑誌『詩とメルヘン』です。名前の通り詩や絵本、絵をふんだんに掲載したものでした。ですが、当時の詩壇からは完全に無視されました。雑誌が発売された1970年代は、イデオロギーの時代で、詩の世界も思想にあふれていたからです。


撮影=プレジデントオンライン編集部
『詩とメルヘン』 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

これに対し、やなせたかしは、詩や叙情はイデオロギーなどではなく、心の底から出てくることばなんだという信念を持っていました。


『詩とメルヘン』は、当時の男性層からはあまり受け入れられなかった一方、現在も活躍している多くの女性作家や編集者の多くが少女時代に『詩とメルヘン』を愛読していました。その一人が、「あんぱん」の脚本家・中園ミホさんです。


■根底にあるのはやさしさ


やなせたかしは同時代の男性では珍しいフェミニンな感性を持っていて、男性的ないわゆるマッチョな考えに懐疑的だったのでしょう。そういう意味では、時代を半世紀近く先取りしていて、ようやく時代が彼に追いついたと言えます。


これこそ、アンパンマンが子供やその保護者から支持され続けている理由だと私は考えています。


やなせたかしの考えは、スーパーマン的なマッチョイズムではなく、叙情やメルヘンこそが人間の根っこの中にあるというものです。アンパンマンで明確な悪が登場しないのもそうした思いからでしょう。赤ちゃんや幼児に受け入れられるのは、やなせたかしの抒情とメルヘンのやさしさがもとになっているからではないでしょうか。


■アンパンマンの次に人気のあるキャラクター


最後に、アンパンマンのビジネス面について触れます。


アニメは1988年10月から放送を開始しています。なぜこれほどまでに長寿アニメとなったのか。


それは、やなせたかしの作り上げたアンパンマンの世界観がまったくぶれていないことにあります。


やなせたかしは、アンパンマンが初めてアニメ化される際、最初は「原作は提供するが、アニメ制作の現場には一切タッチしない」と言ったものの、亡くなる直前まで積極的に関わっていたそうです。アニメのチームに最初にやなせたかしが伝えたのは、「上品に作ってください」。作品から下品な要素を一切排除しました。


アニメの制作チームは、アンパンマンがどのような存在か、正確に認識していると思います。ポイントは大きく3つ。


まずアンパンマンは専守防衛で、自分からは戦わない。ばいきんまんとドキンちゃんはライバルだけど、悪役じゃない。そして、映画で登場する巨大な敵は、悪というよりは天変地異や戦争的なものの象徴することです。


「それいけ!アンパンマン」で描かれる世界は、われわれが住む世界ではないと明示するため、作中に人間は1人も出てきません。ジャムおじさんとバタコさんは「人間の形をしているけど妖精です」とやなせたかしが明言しています。子供たちが自分たちと置き換えやすい、カバおくんをはじめとした街の子供や住人は、すべて動物として描かれています。


■映画版と通常回の決定的違い


「それいけ!アンパンマン」で一番人気はアンパンマンですが、次に人気があるのは、ドキンちゃんやばいきんまんです。それは彼らがもっともに人間的だからでしょう。実際、彼らは作品の中で、唯一人間的な欲望を持っています。


やなせたかしは生前幾度も「ドキンちゃんは僕も大好き」と話しています。妻の暢がモデルとも言われています。


視聴者である子供たちも欲望は持っているので、ドキンちゃんやばいきんまんに自己投影しやすいのです。同じように善と悪の心を持ち、時に闇落ちするロールパンナちゃんも実に人間的なので、人気のあるキャラクターとなっています。


ところで、アンパンマンの映画版をご覧になったことはあるでしょうか。もし未見であればぜひ、映画だけに登場するゲストキャラクターに注目してみてください。そのゲストキャラクターは、時にはばいきんまんさえも味方につけ、困難を克服していく姿が描かれるのがお決まりです。映画では、そのキャラクター“のみ”が苦難を乗り越え、精神的に成長する物語になっています。


通常のアニメ回では、登場人物が物語を通じて成長することはありません。映画の方は、ゲスト主人公が未熟な状態から挫折を経て成長する物語になっています。意図的に行っていると私は考えます。


やなせたかしとアンパンマンの制作チームの狙いは、映画を見た子供たちに精神的な成長を促し、いずれアンパンマンの世界から卒業できるようにすることなのでしょう。だから通常のアニメ回を徹底的にマンネリにループする構造で作っている。映画は一方で、子供たちに成長と卒業を促している。


■だから毎年1500億円を生み出せる


これは、ハリウッドのスーパーヒーローものと真逆の手法です。


ずっと同じキャラクターを使いまわす点では同じでも、キャラクターがどんどん変化していく。


例えばスーパーマンは、同じキャラクターを使いまわしながら、彼の内面にどんどん切り込んでいく。1978年のクリストファー・リーヴ主演のスーパーマンは、わりと能天気で明るいキャラクターでしたが、2013年のヘンリー・カーヴィル演じる『マン・オブ・スティール』では、生き方に苦悩する弱いヒーローとなっています。


同じことはバットマンにも言えます。1960年代のテレビシリーズではアメコミそのままの勧善懲悪のヒーロー像だったのが、1980年代から90年代のティム・バートン版ではエキセントリックで内省的なキャラクターになり、クリストファー・ノーラン原作・監督の『ダークナイト』シリーズでは、不公平な社会、正義への懐疑など、どんどん陰鬱なテーマになっています。


これはコアターゲットを子供ではなく大人にしているからです。顧客を掴んで離さないために、キャラクターを成長(時には堕落)させ、変化をつけているのです。



柳瀬博一『アンパンマンと日本人』(新潮新書)

これに対し、アンパンマンは卒業ありきの「学校型」と表現できます。アンパンマンは、ターゲットを子供(0歳半から4歳)とその保護者と決めている。むしろ、そこをずらしてはダメなんです。


今だったら、かつてやなせたかしが描いた大人向けアンパンマンのアニメ化もありえそうですが、彼は結局亡くなるまでそれをしませんでした。


その結果が、3歳までに誰もがアンパンマンを通り、累計6兆円、毎年1500億円規模のキャラクタービジネスを生んだのです。あえて時代に応じて変えることなく、徹底的に守り続けたからこそ、アンパンマンは今でも多くの子供とその親の心をつかみ続けているのです。


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柳瀬 博一(やなせ・ひろいち)
東京科学大学リベラルアーツ研究教育院 教授
1964年、静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本編集、「日経ビジネスオンライン」プロデューサーを務める。2018年より東京工業大学(現・東京科学大学)リベラルアーツ研究教育院教授。『国道16号線——「日本」を創った道』(新潮社)で手島精一記念研究賞を受賞。他の著書に『親父の納棺』(幻冬舎)、『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(小林弘人共著、晶文社)、『「奇跡の自然」の守りかた』(岸由二共著、ちくまプリマ—新書)、『混ぜる教育』(崎谷実穂共著、日経BP社)がある。
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(東京科学大学リベラルアーツ研究教育院 教授 柳瀬 博一 インタビュー、構成=ライター市岡ひかり)

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