「全国最悪の待機児童1200人」はなぜ4年でゼロになったのか…世田谷区が保育園を増やすためにやったこと

2024年5月26日(日)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nosyrevy

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東京都世田谷区は、2016年に1198人で全国ワーストとなっていた待機児童数を2020年にゼロまで減らした。保坂展人区長は「保育園を増やすためにさまざまなことをやった。ただし、保育園の数は増やしつつも、保育の質も必ず担保していくという姿勢も貫いた」という——。

※本稿は、保坂展人『国より先に、やりました 「5%改革」で暮らしがよくなる』(東京新聞)の一部を再編集したものです。


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■“待機児童ゼロ”自治体の数字のトリック


世田谷区では、2014年の時点で待機児童が1100人を超え、その後さらに増えて1200人近くになり、全国最多といわれました。2016年には「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名ブログが話題になって、待機児童問題に注目が集まったこともあり、「世田谷区は何をやっているんだ」と激しい批判とバッシングが巻き起こります。


一方でそのころ、複数の自治体で「待機児童がゼロになった」というニュースが報じられていました。そのニュースが広がるとともに待機児童が減らない世田谷区に批判が集まったのですが、実はそこには数字のトリックが潜んでいました。


「待機児童ゼロ」を発表したところも、保育園に入れなかったので育休を延長したというケースを待機児童のカウントから外すなど、自治体としての計算方法を大幅に変えていたのです。


世田谷区でも同じ手法で計算すれば、すぐに数字上の待機児童の数は減らせたでしょう。でも、それは嘘をついているのと変わらない。人為的に減らした数字により、「待機児童がこの数なら、保育園に入れるだろう」と思って世田谷区に引っ越してきた人が、実際には入れなかったといったことも起こりかねません。住民に嘘をついて見栄えだけをよくするようなことは絶対にやりたくないと思いました。


■「園庭のある保育園」にこだわって土地確保が難航


また、待機児童が多いのだから、あれこれ条件をつけずに、地下でもどんな場所でもいいから保育園を作れ、数を増やすべきだという声も強くなっていきました。区は、保育事業者への審査を厳しくやってきましたが、「世田谷区長は『保育の質』とか理想ばかり言っていて、困っている親の声を無視している」などという批判もたびたび受けました。


しかし、世田谷区ではかつて区立保育園で悲しい事故があった経験から「保育の質」に力を入れ、「保育の質ガイドライン」を策定してきました。子どもの育つ環境を無視する「とにかく数を増やせ」という考え方に与することはできない、保育園の数は増やしつつも、保育の質も必ず担保していくという姿勢を貫こうと原則を曲げずに取り組みました。とはいえ、それは簡単なことではありませんでした。


苦戦した理由の1つは、子どもたちが伸び伸びと遊べるよう「園庭のある保育園」にこだわったことです。園庭を含む十分な保育スペースを確保するためには、1000平方メートル前後の土地が必要になります。ところが、東京都心部に近い世田谷区は密集した住宅地が多く、まとまった土地や空き地はありません。保育園を新しく作ろうにも、その場所がまず見つからなかったのです。


■公務員宿舎売却報道から政策のヒントを得た


どうするかと頭を悩ませていたときに目に留まったのが、ある新聞の記事でした。私は時間があれば新聞全紙を読むのを習慣にしていて、このときも記事から政策のヒントを得たのです。東日本大震災の復興財源を確保するため、財務省が「全国にある国家公務員宿舎の多くを廃止し、跡地を売却する」という記事でした。私は以前から、世田谷区にも国家公務員宿舎がたくさんあることを知っていたので、ピンと来ました。


すぐに知り合いの与党国会議員に「国家公務員住宅の跡地を、世田谷区で保育園用地として使いたいから、担当部署に紹介してほしい」と連絡しました。そこから、国有地を管理する関東財務局東京財務事務所と交渉を重ね、14カ所の国家公務員宿舎跡地について、長期賃貸借契約を結ぶことができたのです。


その土地のすべてを保育園にしたわけではなく、2つの大きな公園を整備するほか、同じく不足していた障害者施設や高齢者施設の用地にしたところもありますが、まずはある程度のまとまった保育園用地を確保することができました。


ただ、区の北部や西部などには国家公務員宿舎がもともとなかったこともあり、「これで十分な数の保育園ができます」とはいきませんでした。そこで、次に目を向けたのが農家の農地や資産を管理している農協です。区内の農家の方々には、今は畑として使わなくなった土地で駐車場を経営していたり、これからアパート経営を始めようと考えていたりする方がたくさんいると聞いていたからです。


■「あなたの土地を保育園に活用しませんか」キャンペーン


とはいえ、いきなり「あなたの土地を貸してください」と言っても、すぐに了解してはもらえません。前例もないのに「土地を保育園に貸す」と言っても、なかなかイメージがわかないのでしょう。声をかけても「いや、駐車場やアパートにするつもりだから」といわれてしまう。


そこで、現場の区職員が紹介してくれた、大手不動産会社で長年、資産運用や相続対策のアドバイスを仕事にしていたという方を、区の特別職員として採用しました。この方に、農協も含めて土地を持っているオーナーさん向けの説明会を、区内各地で開いてもらったのです。


「土地の活用を考えたとき、アパートや駐車場は借り手がつかないこともあるけれど、保育園は20年間、区が借り上げるので安定していますよ」と説明してもらうと、「それなら貸してもいいかな」と手を挙げてくれる人が出てきました。1人2人が動くと他の人たちも、「じゃあ、区も保育園が必要だというし我々も手を貸そうか」と気持ちが動き始める。そこでさらに、キャンペーンを広く展開することにしました。


「土地建物を保育園に活用しませんか」「あと50件足りません!」というチラシを作って配布し、「あなたの土地や建物を保育園用地として登録してください」と呼びかけました。面白いもので、最初はなかなか動きがなかったのですが、あるときを境に急に申し出の電話が増え始めた。


そこからはもう、「うちの土地やビルのフロアを使ってもらえないか」という話が次々とやってきました。結果、314件の土地や建物が登録され、条件の折り合ったところで、31園の保育園を開園することができました。うち18園が、園庭のある認可保育園になっています。


■固定資産税減免措置を厚労大臣に直談判


もちろん、ここに至るまでにはいくつものハードルがありました。民間の保育園用地を確保する行く手を阻んでいた原因の1つが、固定資産税の問題でした。


空いている土地にアパートやマンションなどを建てると、小規模住宅用地向けの特例が適用され、固定資産税が大幅に減免されます。ところが、保育園は住宅ではないので、特例減額の対象外でした。


もともと土地価格の高い世田谷区ですから、広い土地を持っているオーナーさんにとっては死活問題です。「だったら、やっぱり保育園よりアパートやマンションを建てたほうがいい」という声も上がっている。そんな話を耳にしていたとき、ちょうどタイミングよく、厚生労働省の呼びかけで「待機児童緊急自治体会議」が開かれたのです。


これは、国が待機児童の多い自治体を集めて、課題を話し合う場として設けられた会議です。待機児童が多い世田谷区は国から批判を受ける可能性もあったのですが、そこで逆にこちらから提案をすることにしました。


国会議員時代から親しくさせていただいた塩崎恭久厚労大臣(当時)を相手に、「待機児童がこれだけ社会問題になっているのに、税制がその解決を邪魔している。土地を保育園に提供したら固定資産税は100%減免になるなどの措置があってもいいのではないか」と直談判したのです。


■保育園開設に手を挙げた事業者を「お断り」した理由


そうしたら、思いのほかスムーズに進みました。厚労省が財務省に税制改正を提案し、スピード改正が実現。待機児童解消のための緊急対策として、土地を保育園に提供すれば、固定資産税が100%減免されるようになったのです。さらに、賃料の高い都市部においては、自治体が賃料の一部を負担できるよう、国からも補助金を出してもらえることになりました。


また、先に述べたように、数を増やしていきながらも「保育の質」をどう担保するかも大きな課題でした。


そのために、保育園を運営する事業者は、すでに保育事業者として何園か運営している、実績のある事業者に限定することにしました。そして選定の際には、保育事業者が先に運営している園を、どんな遠くであっても職員や選考にあたる方が出張して直接見に行きます。子どもたちの食事内容や遊びの様子、保育者の子どもたちへの接し方を見て、「子どもが育つのによい環境が守られていない」と判断した場合は、区内での保育園開園を認めず、その事業者には任せないということを徹底しました。


待機児童がまだ1000人以上いた段階でさえ、土地を購入して保育園開設の手を挙げてくれた事業者に「お断り」をしたこともあります。そのくらい、「保育の質の担保」には徹底してこだわりました。


写真=iStock.com/maroke
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■「静かな住環境を守れ」巻き起こった反対運動


さらに、土地が見つかって事業者もほぼ決まって、建設計画が動き出しても、今度は地元住民の反対というハードルにぶつかったことも何度かありました。「保育園が必要なのは分かるけれど、違う場所に作ってくれ」というのですね。「静かな住環境を守れ」という建設反対の横断幕が建設予定地に隣接して掲げられていた地域もあります。


他の自治体では、そうした反対運動を受けて建設計画が中止になったケースもあると聞きますが、私はそこは絶対にあきらめないようにしようと職員と話し合ってきました。


医療も年金も、元気な人が病気の人を、現役で働く人が高齢者を支えるのが社会保障制度です。社会は次世代がいないと成り立ちません。それなのに、小さな子どもたちを育てる保育園に「迷惑だから出て行ってくれ」というのでは、持続可能な社会は作れないと考えたからです。


■計画から5年かけて話し合い、建設開始にこぎつけた


そこで、何度も説明会を重ね、地域の声を聞きながら、なんとか理解を広げていきました。「子どもの声は単なる『騒音』なのか?」と問いかけ、ワークショップも何度も開催。中には計画が開始してから建設が始まるまで、話し合いを続けて5年かかった地域もあります。


それでも、反対運動を前に事業者が撤退してしまったケースはあったものの、区として断念はしませんでした。2015年には「子ども・子育て応援都市」を宣言。子どもはすべての人にとって地域の宝である、そんなまちを世田谷区は目指しましょうと打ち出したのです。


結局、2013年には65園だった私立認可保育園が、2023年には203園まで増えました。出生数減少の影響もありますが、「ワースト」と言われた待機児童数を、2020年にゼロにすることができたのです。


■定員割れで経営が苦しくなる保育園も出ている


ただ、大型マンションが建ったエリアがあったりと、地域や年齢による保育需要の偏りが大きくなったことで、2023年度は10人の待機児童がいます。さらに今年度は前年度より待機児童は厳しい状況です。また、保育園が充足してきたことで、年齢によっては希望する園児が入れてなお定員割れして経営が苦しいという保育園、地域も出てきており、今後の課題だと考えているところです。



保坂展人『国より先に、やりました 「5%改革」で暮らしがよくなる』(東京新聞)

ここ数年は、保育士の人数も必要な「ゼロ歳児枠」が4月段階で定員割れとなっています。しかし、年度途中に入園が進み、後半にはほぼ定員が埋まってきます。すると、生まれ月によって、ゼロ歳の入園枠がどこにもないという事態も起きてきます。保育利用者をカウントして、空きが出ると事業者の持ち出しになる制度ではなく、保育事業者への定額払いによる支援や、通年入園可能な制度に国が変えていく必要があります。


一方で、2023年に認可外保育所でゼロ歳児の痛ましい死亡事故が起きました。区として年に1度行ってきた立入調査を、抜き打ち検査も含めて、強化していく必要があります。区では、第三者の有識者を交えた検証委員会による事故分析と対策について提案をいただく予定です。ベビーホテルなどの認可外保育所の子どもたちの安全を確保していかなくてはなりません。


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保坂 展人(ほさか・のぶと)
東京都世田谷区長
1955年、宮城県仙台市生まれ。東京都立新宿高校中退。1996年10月に衆院議員となり、2011年に世田谷区長に当選して現在4期目。社会民主党副幹事長、総務省顧問等を歴任。著書に『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』(岩波書店)、『88万人のコミュニティデザイン』(ほんの木)、『NO!で政治は変えられない せたがやYES!で区政を変えた8年の軌跡』(ロッキング・オン)など。
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(東京都世田谷区長 保坂 展人)

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